おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

アイヌと琉球

2007年04月30日 19時58分10秒 | Weblog
現代人の価値観からすると文字がまずはあることが人間の進歩であると考えがちですが、もしかしてここに落とし穴があるかもしれません。

つまり別の方法で記録・伝達方法があったということも考えられます。我々は今の現代の尺度で古代を分析しようとするからわからないことがいっぱい出てくるということもおそらくあるでしょう。古代エジプトの科学技術が現代で解明できないのと同じように。

だから、これまでアイヌや琉球を馬鹿にしてきた発想というのは大いに間違っている可能性は非常に高いと思います。


この方の考えによりますれば、アイヌや琉球こそが、真の大和民族ではないかということです。

私は今の政治・経済は、「考えられる範囲内」でしか考えられていないから、どうにもならなくなってきているのだと思います。

どの人も口を開けば、政治評論というのはありきたりなことを言っていますね。だいたいみなまで聞かなくてもわかるようなことを延々と繰り返しています。

それで、なんであの記事をここに掲げたかというと、ここには今までにない発想があります。

例えば、今、宇宙からとんでもないデカい隕石が落ちてきて、現代文明が滅んだとします。地球環境問題で滅んだとしてでもいいです。とにかく世の中が「北斗の拳」みたいなこととなったとします。

それで何百年後か、何千年後かに文明がまた発達したと。

そのときには石油も使わずに飛行機を飛ばす事ができたとしましょう。例えば、地球の磁力を使ってとか。

そのときに現代文明で遺跡となってしまった飛行機を発見した人が、石油で空を飛ぶということ自体が、その未来人には全く理解できないでしょう。いったいこれはなんのために存在したものなのだろうと考えることもあります。


ましてその未来の時代に翼を持って飛ぶということ自体が存在しなければ、さらにわからなくなります。

我々はインターネットを使っていますが、こういう電子のものは、電力を通さねば見ることができませんね。だから未来において、違う方法でエネルギーを使っていたならば、これらの遺跡となるべき情報は消えていくでしょう。

だからアイヌや琉球の残された遺跡をみて、我々は今そのような判断をしているかもしれません。

そしてこれらの文化というものは低いものだと差別されて、消えてしまったものが多くあるはずです。


「じゃあ、オマエ、石油を使わない飛行機って何だ!翼がなくてどうやって飛ぶんだ」「地球の磁力をどうやって利用するんだ」とほとんどの人が言うでしょう。だからこういう人には発想力の限界があるのだと私は考えます。

「仮に」の話ができない人というのは、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」との質問に対しては、「いや、絶対にそんなことはない」で終わらせようとしてしまうのです。

これは未来の予測についてもそうだし、過去の分析についても同じです。

例えば私などは足元にも及ばないくらい奇抜な発想を持っている経営者がいます。私はその人のことを知っているのですが、政党に書かれると彼は嫌な事もあるだろうから名前は言いませんが、彼の企画というものは、私でも「わけのわからんことを言っているな」と思うわけです。しかし、その商売というのはあたるんです。

なぜかというと、彼自身がそれを絶対に実現可能だと思っているし、人の役に立つことになっているし、自然の摂理にもかなっていることだからです。その商売の方法というのを言いたいのですが、彼にとってはみんなにマネされると嫌がるだろうから言えませんが、とにかく「そんなもんは無理だろう」と誰もが思うようなことです。だからみんなやらないのです。とくに現実を知りすぎているとなおいっそうでしょう。

そして奇抜な発想をもって成功する人の共通性というのは、必ず打ち破るものの本質とは何かを熟知しているわけです。つまり、何が常識で、自分は今どのようなことでこの常識を打ち破ろうとしているのかを知っているわけです。

みんなに喜んでもらえる事というのが、既存のものではすでに出尽くしてしまって、もはや限界に達しているときには、こういうアイデアマンが活躍します。

しかし、みんな自分のことしか考えていない人が多いので、どうしてもありきたりな発想しか出てこない。こういう人というのは、常識を知りすぎていて、物事はできないと決めてかかる人です。それから、常識を知っているふりをしていて、実はまだほとんど把握できていない人からも生まれません。とくに、おごった人、自分はこれだけ勉強している。これだけいろいろなことを知っていると思っている人にはできません。


なぜなら人間がこの世の中で知ることのできるというのは、実に限定された小さな内容だけだからです。だからいくら大きな国際情勢を知っていても、そんなものは海岸の石ころ一つ程度にしかすぎないのです。


だからあの記事を読んで「何を馬鹿なことを!?」と思う人は多くいるでしょう。そう考えれば、そこで物事は終わります。あれは事実ではないかもしれないが、あれを事実だとして物事を考えてみると、生まれるものというのが多くあるのです。つまり、今後、人の世に役立つ事が。

ないと言い切ってしまえばそれで終わりだし、そんなことはテレビみながらでも誰でもが言えます。しかしそれでは何も生まれません。

私はこうしたことから物事は新たに発見されていくのだと思います。こいうふうに抽象的に聞いてみると、「ああ、そうだな。柔軟な考えが必要だな」と思う人は多いですが、いざ実際に具体的なものをみてみたりするとやはり首をかしげてしまう人が多いものです。でも、それを達成するための目的とはなんなのかをしっかり持っている場合は必ずできます。




勘違いされている保守思想

2007年04月30日 19時56分03秒 | Weblog
現在のナショナリズムが、伝統的価値観、即ちこれが保守思想だと彼らが思っているものは、明治維新以降の洋式天皇スタイルを指しているといっても間違いはないでしょう。武士時代に顕在していた天皇の伝統スタイルを破壊したものを保守と呼んでいるようです。即ち京都時代の天皇ではなくて、江戸城が皇居になってからのものを指しているようです。

つまり日本の歴史とは明治からであり、そこからの伝統を守ろうという意味で使われているといっていいでしょう。だから江戸時代の武士道の考え方と、明治以降の武士道について開きがあるのです。しかし自称保守主義者たちは、我こそは倭時代からの日本の伝統を守っているのだと大きな勘違いをしています。

日本の気候・風土に適していた和服をやめ、洋服を着、建物も木造からレンガやコンクリートに変えていきました。エネルギーもバイオから石油へ転換を図ったわけです。

そればかりではなく、人間が自然と調和してきた江戸時代までの経済システム。こうした仏教式輪廻のごとくの自然循環システムをなくして、キリスト教式の一直線の環境システム。廃棄されたらそれが積みあがるような環境汚染社会ができています。

八百万の神々、たくさんの神様がいて、それら全てを認める宗教である神道が江戸時代までは、循環と和の発想にあったと思いますが、現在のナショナリストは、他の考えを排除することとなっています。これはまさに一神教のような考えを取り入れてしまっているため、元来の大和思想ではなくなってきているということです。

西洋のナショナリズムは多様性を認めないというのは、わかりますが、日本の場合、わが国の伝統スタイルからすれば、多様性を認めるというのが我々の遺伝子の中にはあるのだと思います。

したがって現在の日本のナショナリストは、保守にあらず、伝統を守らず、ということが言えるのではないかと思います。

私には江戸時代が決して、停滞している時代とは思えないのです。

勿論、その後の西洋文明を取り入れたことも停滞ではないと思います。しかし、現代においてはこれが停滞しているのだと思います。

今世紀はアジアの時代とはよく言われますが、それは西洋式の経済文明をアジアがやるからだとの意味で使われています。

しかしながら私は、日本であるのならば、江戸時代までに国民が持っていたアイデンティティを呼び起こすべきだと思います。そしてこれこそが保守のあるべき姿であり、これから日本が進むべき方向であると、私は考えます。


保守主義を名乗るものは、神社神道を尊ぶが、彼らの行動自体は、神道の教義とは大きくかけ離れたものとなっています。その教義とはなにかというと、キリスト教のように聖書があるわけではないですね。まさにこの時点で、揉め事を起こさぬことになっているのです。だけれども彼らは、まるで聖書があるかの如く民族主義等を議論しています。

その地域の神社さんは、その地域に住む全員を信徒だとしています。これが理由で日本の宗教信者の総数が日本の人口の倍以上になってしまうわけです。

神社は住民全てを信徒だと考えるという、この時点で西洋とは大きく違う宗教認識があります。共産党議員は、参議院本会議場で天皇陛下に対して敬わぬ態度をします。しかし、選挙のためではあるが、地元の祭りに参加してきます。これこそが神道が求めているものなのでしょう。

日本という国は、その主張がなんであれ政治団体そのものを嫌う風土があります。宗教団体においても同じです。これが日本人として正常なのだと思います。そういうものを嫌いながら、結局は必要だから、選択するのですが、日本人は自民党という、改憲のために作った政党なのに改憲せず、反共のために作った政党なのに社会主義政策を実施するという無イデオロギー政党を支持してきたわけです。

だから今の自民党のあり方は、英米式二大政党制度を取り入れたために、本来の日本人たる政党とはいいがたくなってきているのです。だから安倍晋三首相というのは、自称保守ではあるが、小泉純一郎前首相に次ぐ保守破壊型政治家なのです。

では同じく保守政党を名乗る民主党はどうかというと、とにかく自民党の逆の政策にしよう、あるいは国民投票法案の問題でも、なんか条件つけて反対しようという、これも保守破壊型政党なのです。


そして彼ら保守二大政党の掲げる経済政策というものは、いずれも自然調和型のものについては二の次という考えを持っています。つまり経済とは別枠でいつも環境問題を論じています。だからそこに一貫性がないのです。あるいは環境問題を財政で解決させようという考えもあります。ここが保守ではないというポイントです。

それともう一つ。
日本には「気」という発想があります。それが波動を発して・・・などと聞くのも嫌な人がいるでしょう。これらを嫌う人たちの中には保守主義を名乗っている人が多くいます。便所を掃除したら商売が上手くいくとも言われています。

現代の科学で考えたならば、こういうものは否定されます。すでに科学で証明されていると言っている人はいますが、それを否定している科学者もいます。

針灸・漢方というものは、やっと世界保健機構で認めるようになりましたが、それは結果から考えて彼らが認めるようになったのです。でも彼らの認識はまだハッキリとしていないところがあって、このツボはこれに効くということをいまだ確定しておりません。

日本の自称保守という人たちは、こういうものを認めない傾向が強いです。それは彼らが舶来こそ正しいものだという事が内在しているからです。西洋科学に依存しているからです。しかし、自覚がないために自分は保守だと勘違いしているのです。自称保守主義者たちの言う国家論とは、大和時代から考えられているクニの発想ではなくて、西洋の政治学を持ち込んだものを国家と彼らは呼びます。

日本人がもともと持っていた自然と共存する多くの智慧。こうしたものよりも、征服型西洋科学の方が正しいと思っていますので、日本古来の伝統を実は否定しているのです。白人と並ぶことが尊いことだと思っている。だから日本はアジアにいながら、アジアを見下す態度をする人が多いのです。だからこれらは保守主義とは到底いいがたい。

とくに西洋発祥の資本主義経済あるいは社会主義経済というのは、自然界の法則に全く逆行した造りになっています。であるのに、資本主義経済を肯定しながら、彼らは靖国神社を称えるという大きな矛盾行為をしているのです。

したがって平和党は、経済が自然界の法則により近くなるように、通貨が時間とともに減価する制度を提唱しているわけです。そしてその市場で取引されるものも、自然万物を尊ぶ仕組みが用意されているのです。そこでは江戸時代の循環型システムの近未来版がなされるわけです。

当初は和洋折衷できたものが、まさにオールフローリング時代を迎えようとしています。西洋一辺倒です。これを日本式の多様性を認めるものに戻したほうがいいということです。そしてその主軸が、明治維新のときに忘れ去られた多くのものです。

自称保守主義者は、いずれも日本国伝統の中の一つの考え方ではあるが、非常に狭いごく一部のところだけを取り立てているわけです。だから全体を指していない。山の中にこういう木もあっていいが、あくまでも木であって森ではないということです。

今世紀における時代の変革とは、こうした超保守経済を達成する事です。これを温故知新からとって温故保守とでも言うべきものを実践したいと思います。それが真のアジア時代だと呼ばれるようになるでしょう。


護憲派との対話 その1

2007年04月28日 06時22分39秒 | Weblog

私は20年間、行政書士として憲法を学びながら、護憲平和運動にも多く携わってきた。憲法とは国家の基本である。その憲法を廃止しようとする平和党は異常である。現在、憲法改正のための国民投票を作るなど、政治家が憲法の大切さを忘れ、まさに異常事態とも言える。今こそ憲法を守らなくては民主主義、人権、平和が守られなくなる。これについてどう思うか。

 まず、「憲法が国家の基本」であり、「国家にとって憲法がなくてはならない」とは誰が決めたのですか。

憲法がなぜ必要なのかも知らない貴党が異常だというのだ。

 すでに決まっていることを当たり前として、人々は本質を忘れてしまう事があります。すでに存在するもの以外は異常であると考えがちです。なぜ憲法が最初に制定されたのでしょうか。もう一度お尋ねします。

それは日本が戦争に負けてから、近代国家に必要なものを備え付けたからである。

 では、共産党や社民党という政党はなぜ憲法を守らねばならないとしているのでしょうか。

すでに述べたように、平和・人権・民主主義を守るためだ。憲法を改正するということはこれを変えていき、日本をかつての軍事大国、戦争への道筋をつくることになってしまう。とくに9条を改正する事はよくない。というよりもこれだけは絶対に阻止する必要がある。この理念が世界に広まったならば、世界は平和になるからだ。

 日本共産党は、今の憲法が制定されようとしているときに反対していました。9条の問題です。つまり軍備のない国家などあるはずがない。自衛権すら認めないこんな憲法ではいけないと、彼ら共産党議員は国会でも答弁しています。

当時の日本社会党、日本共産党がその後、護憲の態度をとるのは、もっと深い理由があるからです。

当時は米ソの冷戦体制でしたね。日本はアメリカ・韓国・西ヨーロッパの側に立っていました。しかし、社会・共産はソ連・中国・北朝鮮・東ヨーロッパの側です。

だから、軍備を持つということは、いわば東側諸国・共産圏に対して牙をむくことになるからです。だから、彼らの本音は自衛隊の廃止を求めていたのです。

日本は米側についているから、軍備を持っているとソ連側と戦争する事になりますよね。でも自衛隊がなかったら戦争すら起きない・・・とこのように考えたわけです。

 それが証拠に、社会主義と軍隊放棄が何の関連性もないことは明らかとなっていますよね。ソ連も中国も軍事大国でしたね。日本に社会主義政権ができたとしても、今度は西側に向けて対立状況ができるので軍隊は放棄しませんよ。社会・共産の護憲精神というのは、単にこうした戦略上のものであったのです。

 しかし、冷戦構造のない現代では、そのようなことはもう関係ないだろう。現在の共産党、社民党が今も護憲に徹しているのは、そのような過去のことが無関係であることを証明しているではないか。

 しかし現在の社民党、当時の社会党は政権につくやいなや、「自衛隊は憲法違反ではない」「日米安保は堅持する」と言い出しました。

あれから下野して今度は、またかつての野党時代と同じことを言い始めました。何の説得性もありませんね。消費税にも反対していたのに、政権についたら逆に消費税をアップしました。野で吠えるのと、政権を与えられるのとでは態度を変えねばならないことがわかったのでしょう。

 では、彼らの言い分は筋が通っていないとしても、平和主義・人権尊重・民主主義が大切なことは認めるだろう。それならばなぜ憲法を廃止せよというのか。

 廃止せよ、というよりも、あろうがなかろうが意味がないということです。一つずつ話をしましょうか。

まず平和主義について。憲法が存在すると平和になる、あるいは憲法9条があると平和になる、さらにこの理念が各国に広がれば世界平和が達成されるということですが、日本はたしかに憲法9条があってなのかは知りませんが、戦後は間違いなく、戦争をしていませんね。

でも、イラク戦争は間接的に巻き込まれているし、国連の平和維持活動という名の戦争に携わっていますね。それに他国で戦争をしていても、日本はなるべく関わらないようにしています。

 でもイラク戦争は、もし仮に国連での決議があったなら、現行憲法でも日本は参戦が可能だと思います。湾岸戦争は確実に、日本は参戦可能です。

なぜならば憲法では、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」としていますから、国際社会でこれが正義だと判断したもの、すなわち国連の決議ににおいて、それに従い、そこで自国の名誉欲を達成しようということですから。

だからアメリカ中心の安倍首相よりも、国連を重視する小沢一郎民主党代表は史上最大の護憲派なわけです。

また前文で、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」となっています。

 ということは、湾岸戦争では、イラクは自国のことのみに専念していたので懲らしめても良いとなります。

しかし、元をただせばクウェートが自国のことのみに専念していたから湾岸戦争は起きたのですよ。クウェートは、イラクとの国境付近の石油の取り分の配分の約束を破って採取していたから起きた戦争です。でもアメリカが自国のことのみに専念していたから、クウェートを正義として、戦争をしかけたのです。

戦争の本質とはこういうところにあります。すなわち皆どの国も自分の国が正しいとして、利益を得ようとするのです。

だから、そうした国連のいきすぎた事に対して、日本がものをいえるようにする努力というものは必要だといえるだろう。

国連というのは軍事同盟なんですよ。もともとは第二次大戦のときの連合国が国連になっているのです。

勝てば官軍から生まれた組織です。だから国連で力を持つということは安保理入りを目指すということなんです。

経済や福祉で貢献せよと言っても、軍事力の前には力はありません。また経済的な貢献と誰しも言うけれども、途上国にドルや円を注ぎ込む事は、貧富の差を拡大するばかりで、ますます貧困と戦争を生んでいるのです。

途上国には豊富な自然資源がありながら、そこにお金を注ぐとかえってその自然資源を浪費することになるのです。だから、経済・福祉の貢献というのは、一見すると良きことをしているようですが、かえってマイナスのことをしているのです。そういうことは途上国のあちらこちらに起きています。

そして憲法9条を守れという人は、国連を尊重する傾向が強いですが、国連というのは空軍を所持していないと加盟できないことになっています。

飛行機を飛ばせられない国もありますから、その辺は多めにみているのですが、日本は十分に航空技術もありますから、当然持たねばならないでしょう。だから軍事能力がありながら、持たないというのは国連参加資格はないのです。

そして、今でも国連は連合国の歴史をひきずり、日本とドイツだけは、ちょっとでも生意気なことをしようものならぶっ潰してもいいことになっています。敵国条項です。これは明らかに軍事機関です。

これらを全て改正したとしても、その本質が戦争のための機関である以上、平和にはなりませんね。

では、日本は一国平和主義を貫く事としよう。スイスのような永世中立国。

スイスは永世中立国ですが、屈強なる軍隊を持っています。いずれにしても平和憲法がこれだけ矛盾だらけであるということはおわかりいただけたと思います。 したがって憲法は平和になんら貢献しないと言えます。平和とは、別の方法によって達成されます。それについては後ほど述べるとして、人権の問題に行きたいと思います。 人権はなぜ必要だと思いますか。

http://blog.goo.ne.jp/heiwatou/e/e1f261127daf091699aa6e3d3e77b47b に続く

 


護憲派との対話 その2

2007年04月28日 06時21分53秒 | Weblog

それは当然、人間が人間であるということを根拠として発生するものであるからだろう。その権利を持つこと、自由に行使しあるいは保留することが当然であり、それが自然なものである。 個人は国家に対して束縛されないということだ。法律というものは国が定めるが、その国を抑制する権力というものが必要だ。だからその国家のいきすぎにブレーキをかけるためにも憲法は必要なのだ。

なるほど。ということは、あなたは国家権力を肯定するが、国家が個人の尊重を無視して横暴する可能性もある。だから、それをとめるために憲法が必要だと、こういうことですね。

ところで、横暴する可能性があるにも関わらず国家権力が存在しないとダメだという理由はなんですか。

やはり、民間ではできないこともあるだろう。公正なレフリーというものも必要だ。貧しい人々を救うのも国家の役割である。すなわち、儲け過ぎている大企業から多くの徴税をして、貧しいところに流すという所得の再分配としても必要だ。

国家というものは一つのモデルでは説明できないと思います。しかし、現代の人々はあたかも一つのモデルがあるかのような錯覚をもっています。 では、あなたは国家が存在しなくても、公正なレフリーがあって、所得再分配機能があって、人権が尊重されていればいいということですか。

 現代において、国家が存在しないなどという状態はありえないことだろう。だからそういうことは考えられない。

考えられないからといって、いつもそこで思考を停止してしまうので、いつもあなたたちは、改憲派と延々と同じことを議論しているのです。 人権を守る機関というのは、具体的には法務省が管轄していますよね。もちろん自治体もそうですし、警察庁なども憲法に拘束されています。

しかし、いずれも全て国家権力に基づいて作られたものです。彼らはやはり憲法に基づいて、これらを執行しているのでしょうか。

 もちろん、そうだろう。こうしたところに憲法は生きているのだ。公務員には憲法尊重擁護義務というものがある。

 憲法尊重擁護義務を無視したらどうなりますか。

 それは適正なる判断をすべき機関が罰するべきだ。もし、その機関すらも憲法を尊重しないというのであれば国民が監視する。

国民が監視しているのにも関わらず、無視しつづけていたらどうなりますか。

 選挙という方法で選びなおせばよい。また、自治体の場合だとリコールという方法も残されている。

選挙で選びなおして、その政治家も憲法を守らなかったらどうなりますか。

そうなってくると、有権者の判断が正しいとするしかないだろう。憲法では民主主義を認めているのだから。

そうですね。ということは、憲法というものは無視しつづけることが可能なものなのですよ。

そうなってしまう可能性もあるからこそ、我々のように憲法は大事なんだという啓蒙活動が必要なのだ。

でも、この発想で行くと、憲法というのはどこまでいっても無力なんだということがよくわかりますよね。国民が監視しても無視して、選挙でも憲法を無視する勢力が増えていったら、国民は暴力によってそれを止めるしか方法は残されていません。

でも憲法を守れといっている人が、暴力革命に訴えて出ることは許されないから普通はしませんよね。

だけど、それを口実に暴力革命しようとする人間が出てくるのです。

これは先ほど述べた戦争の本質と全く同じです。ここに善悪中毒が存在するのです。

憲法を変えていくことが善なんだとする人、憲法を守ることが善なんだとする人、この双方が、相手方を悪だとしているわけです。国際紛争の本質もここにあります。

「俺は別に善悪中毒でもいいや」と思っていてもかわまわないですが、とくに護憲派の人はですね、かなり矛盾した行動になっていますよね。 これまでも憲法違反をしながら、そのままになっているものは数知れず存在します。 http://d.hatena.ne.jp/heiwatou/20060930

をごらんください。

つまり「無力な憲法だけれども、これは大事なんだ」と啓蒙したところで、支持はされないでしょう。

では、民主主義の問題はどうか。民主主義を規定するのは憲法でなければなされないだろう。

その前に、あなたは平和・人権・民主主義との三つのうち、どれが優先されるべきものと思いますか。

 どれも重要なものだ。国民主権によって、平和と人権がなされるわけだから、国民主権と言えなくもない。

まあ、平和であるから人権が尊重されて、国民主権もなされる。人権があるからこそ、平和であり国民主権ともなるとも言えます。

でもこれら三つが重要なものだとしているのが憲法ですよね。

ここにあなたがたが憲法信者になってしまう大きなポイントがあるのです。

つまり憲法こそが絶対であると。憲法がこれらを決定付けてくれる大きな力となると、、、、なんか戦前の天皇に似ていませんか。

 こうしたものというのは、必ず日本を不幸に導くものです。だから、何が本当に必要なものなのかをもう一度考えていただきたいと思っています。

そのうちに、当初は人権や平和のために存在していたはずの憲法だったのに、やがて憲法のための憲法になっていくのです。

それが証拠にあなたがたは、国民投票法の制定について反対していますね。 憲法は国民投票によって改正されるとなっていますが、それを無視して国民投票法に反対するというのはおかしいでしょう。

そして、言論の自由というものが保障されながら、憲法を変えることだけは絶対にダメだという、自己中心主義が起きているのです。これは、「イラクだけは悪い国だから軍事的に制圧しても良い」というのと同じことを言っています。そして戦争が起きますね。「戦争というのはなるべくしてはならない」だが、「戦争を起こそうとしている国に対してだけはやっつけてもよい」と言うのは、「憲法を守らない人に対してだけは言論の自由は許されない」といっているのと同じですね。

これは、戦前の天皇絶対信仰と全く同じです。昭和天皇自身は戦争を望んでいなかったのに、みんなが陛下のためにというわけです。

今、同じように憲法のために、と言いながら民主主義が尊重されなくなるわけです。そして、護憲派の論調が、改憲派に対して人権を無視するかのような行動も多く見受けられるようになってきました。

とくにインターネットが普及した事によって。さらには、この憲法信者によって、戦争が起こされるということも考えねばならないのです。

つねに歴史というものは、見逃しているところから不祥事が起きています。安倍内閣や右派的政治思想がいかにも日本を戦争に導きそうだなとは、誰もが考えがちですが、灯台下暗し、のところからいつもトンでもないことが起きているのが歴史です。

ここには善悪中毒の本質が隠されています。


保守主義探求者との対話 その1

2007年04月28日 05時40分38秒 | Weblog
この方は、将来的に政治家を目指されているようなので、実名は挙げませんが、現代の象徴ともいえる、「政治家の卵」の腐敗がネット上でも多く見受けられますので、その方のブログの記事内容及びそこで私がなしたコメントについて、ここに掲載します。

彼には今まで多くの平和党批評(?)の記事を書いていただいていますが、今まで一度も私と討論したことはないと思います。たまに間接的にトラックバックをかけてくる。しかも主に私以外の人の平和党のブログへ。(党内のかよわき?女性のブログ等)

こういうことがごくたまに続いておりました。記事については頻繁に、平和党のことについて書いていたようですが、いずれも子どものような、悪口のたぐいで、あまり論説とは言えないようなものばかりでした。

こういう現代の風潮が、今後とても問題になってくると思いますので広くこれを公開いたします。
 
統一地方選・2ndラウンドも大詰め…泣いても笑っても、
明後日には結果が出てしまうわけですね。さて、日本公進党と
維新政党新風…1[公認のみ]対11[全て推薦・支持]の戦いゆえ、勝敗の
ラインがいまいち見えないわけですが、果たしてどうなるのか?

ここだけは行かない方がいいスポット

統一地方選、1stでも2ndでも両ラウンドにて公認候補を送り込むと
息巻きながら、結局は送り込めなかった悔しさが全開ですね。
まあ、「参院選に出る」とか言いながらあと3ヶ月強しか
時間がありませんよ。どうせ、送り込めないんでしょうけどね。
無イデオロギーとかのたまう平和党…でも、あんたらは
「体たらくと化した共産党よりも、たちの悪い左翼ですから!残念!」
では、表題に戻って…岡山の場合はいったいどこなんでしょうか?
岡山駅前?…それとも、備前西大寺?うーん、わからん!
最終更新日  2007年04月20日 23時31分54秒

 

平和党の木村重成です。トラックバックしていただくのは大変ありがたく、いつでも歓迎ですが、あなたは我が党に言いたい事があるのならば、直接に物を申してください。こそこそと吠えるのが好きなようですが、こちらへ来て討論できるほどの論理的なものではなく、ただ単に感情だけで、政治批評なされておられることを見るに、論破できないことはよくわかっています。ですが、あなたの行動が極めて男らしくないと感じております。

以上の理由によりトラックバックは削除しました。

まさに今の一般的な、精神的に薄弱なる人間が、自らのかっこよさのために、威勢を張り、無責任にいいかげんな情報をばら撒いている社会現象を、私は目の当たりにしたような気がします。

私はあなたのような無責任な情報の垂れ流しも世の中には必要な事だと思っていますから、とがめる気はありません。
(2007年04月21日 00時48分08秒)

ただ、あなたはご自身の名前をだしてこうしたブログを出されていますね。あなたが平和党あるいはその他のどんなものに対しても、それはどのような評価をされようが構わないと思います。

けれども、いろいろな人があなたの言論を見る限りにおいて、その説得性のなさと、儀礼を備えておられない姿から、人はあなたの言論批評を評価しないでしょう。立憲なんたら党と同じです。

あなた自身が高く評価したいと思っているものがあるのならば、それすらも、読む人はそれを信じなくなるということです。あなたから高い評価を買われた人も、これではかえって迷惑してしまうかもしれません。それはあなたにとって何のプラスももたらさないでしょう。買われた人も喜ばない。これは政治でも商売でもなんでも一緒です。
(2007年04月21日 00時48分27秒)
 
知性的に劣っているのは私はどうでもいいと思っていますが、あなたの徳性がとても低いように感じられます。あなたは自分自身でそうは思っておられないでしょう。だからこそあえてここで申し上げたのです。しかし私個人にとってはどうでもいいことです。だからここまでは参考までに聞いておいてください。

ですのでこちらから伺いました。別に平和党は、右翼でも左翼でもどっちでもいいのですが、あなたは平和党が左翼であるということを説明できますか。答えることが可能であれば、お聞かせ願いたいと思います。
(2007年04月21日 00時48分43秒)
 
あなたの書き方は、ただ「たちの悪い左翼」だとか、理由が明確になっていません。平和党のようなまだ小さい規模の政治団体、あるいは零細規模の企業などではこれで許されるかもしれません。しかし、このような無責任な書き方をしていると、足元をすくわれる可能性がありますよ。

今は、プロのジャーナリストでなくても、このような訴訟が起きます。そのときに、ちゃんと事実確認等をとらないとひどい目に遭います。あなたの平和党に対しての認識は、まるで政策内容を把握されていないから、非常にその危険性を感じるわけです。

私共は、あなたにたいしてそのようなことをするつもりなど毛頭ありませんが、すでに大人として社会に出られているわけですから、これくらいは知っていないと自分自身に降りかかってくる危機管理についてあまりにも無防備すぎると思ったわけです。
(2007年04月21日 01時38分07秒)

公党たる政治団体の場合は、どのような非論理的な批判であろうとも許されると言うのであれば、それもあるでしょう。ただ、あなたが政治家になりたいというのであれば、全く話が違ってきます。私は、別に政治家になろうと思っている人間でなくても、必要最低限のことだと思ってはいますが、そんなことはどうでもいいんだという、無責任的なる市民運動の方法をあなたが選択するのであれば、それでいいでしょう。でも大人なんですからもう少し考えたほうが、私はいいと思いますよ。

(2007年04月21日 01時48分28秒)
 
私は自分の政治経験からするに、あなた程度は徹底的に潰す事はできます。しかし、このようなコメントはあなたにとってピンチとして考えずにチャンスとしてお考え下さい。今まで自分に身につけていなかったものを吸収して、それで政治家としてふさわしいものを装備していくのです。だからありとあらゆることは、自分にとって生かすようにしていってもらいたいと思っています。

そうでないとあなたは政治家になったとしても、戦い方を知らず、ただ「見せかけだけ強い」ハリボテ同然です。あなたが新風を支持するのはいいと思います。しかし、あなたは今のところ武人の魂を全く持ち合わせていないでしょう。新風さんとて、そういう武人魂を持っている人たちを欲しいはずです。けれども、最近こういうタカ派思想に憧れを持っている人たちは、単なるチンピラみたいな人ばかりになってしまっています。
(2007年04月21日 02時49分48秒)
 
戦略を知らず、ただ毒つくだけ。理論武装もない。まして礼儀もわからない。こんな人たちばかりになっているのが現代の政治家の卵たちです。これが果たして右翼政党として目指すことでしょうか。

あなたは今一度、こうした政治批評をする前に志を確認したほうがよいかと思います。

そしてやるんなら、「初めは処女のごとく、あとは脱兎のごとく」戦略を組み立ててからことをなしたほうが良いでしょう。

はっきり言いますが、あなたは政治家どころではない。社会人としての素養がないので、何もできないです。きついようですが、こんなことは誰もストレートに言わないだろうから、私が言っておきます。今まで平和党を紹介していただいたお礼です。。
(2007年04月21日 02時50分29秒)
 
全ては昨日、幕開けてしまいました。まあ、私の不安定さと不始末が招いた結果でもあるんですが、平和党政策会長…あ、今は東京都連会長が当Blogに殴りこんできました。あの記事にトラックバックしたのが間違いだったか、それとも…まあ、これは私の不始末ゆえ尻拭いをしなければなりません。

ですが、まずはじめに一言…「平和党は共産党よりもたちが悪い」発言を撤回する気は微塵もありません。なぜか?…基本政策やその他、党に関する情報を読めば、保守主義を探究している私としては「到底、支持できる道理がない」という思いを強めるほかなく、その思いは関係者の方々の各方面から、徐々に確信に変わりつつあります。

インターネット時代において、まだまだ維新政党新風と比較すれば知名度はまだまだ下の域でしょうけど、今後をふまえると平和党にも不可避ではないことを述べながら、見解を述べていこうかと思います。理由もないまま、こんな発言を書くほど私は愚か者ではありません。

まずは…コメントスクラムのように、次々とコメントを書き込むなど恐怖心を覚えるので、もっと要約してから書いたほうが宜しいかと。「これでも要約している」と言われたら、まあそこまでなんですけどね。では、本題に入りましょうか…あまりに長ったらしいので要約します。

Yahoo!ブログに殴りこみたいのは山々ですが、そのためには一筋縄ではいかない、切り口が違っており、私と方針が乖離している貴党の政策をあますことなく知りたいので、暇があればBlogを覗いております。
あと、トラックバックであってもも立派な主張であると私は思いますが、その点はいかがでしょうか?…
コメントしたくても、できないときとか難しいとき(Yahoo!は特にそう思う)なんかは、有効な手段ではないでしょうか?…認めない、と言われそうですが。

私はBlogを「素の私に最も近い部分を見せられるツール」として、認知しており、別に認められたいとかそんな欲は一切ありません。「読みたいときに読み、興味のある記事で交流する」、これが基本では?
現に政治・経済ネタのときより、事件・事故とか他のジャンルのほうが食いつきがよかったりということなど日常茶飯事です。それに、暇の合間を縫って記事を編集する身ゆえ、言いたいことを要約する必要性があって、言いたいことを半分以下に抑えることが最近は特に多いわけです。ですから、悪意もあれば善意もあるわけです。

次に、基本政策から垣間見える基本方針に恐怖感を感じました。いや、語弊のある言い方とはわかっていますが不安と言えば適当ではないかと思われます。国家破壊というシナリオを想像しました。
残念ですが、その疑念が頭内にこびりついてきている以上は発言を撤回する気がないと申すより、撤回できないと言うほうが適当です。
まず、1つ目に「国民に“4000万円/人”を支給する」とありますが、これは国策的に経済システムを破壊する、と捉えて宜しいのでしょうか?
次に「食料・エネルギー自給率を100%超にする」とありますが、どうやって実現させるか、ビジョンが曖昧なままでした。どうやら、自衛隊とか未知の新エネルギーだとか、未来の保証もないようなことを投資したがるほど、私には日本人というのが信じられません。でも、食が重要なのは私も同意です。しかし、その手段が異なっても受け付けられない、原理主義的なオーラを感じなくもないわけです。
そこが私が思う、平和党の弱点の1つです。全て…とは語弊でしょうが、多くの項目で、「この事柄に対してはこれしかない」という感じの主張を永く続けられるか、そんな感じの主張に見えて仕方がありません。
次に東洋文明回帰…某掲示板の輩に見られれば、一発でネタにされることは必定でしょう。亜州と欧州は、同じようで全く違う。「欧州や米国の真似をするな」と言ってきているような主張が、ここになって一瞬で吹っ飛んでしまう。矛盾を感じずにいられません。
廃憲という概念も初…改憲にも方法がある、ことはご存知でしょう。明治憲法再興も1つ、今の憲法をベースに一部改定するのも1つ。また、どちらでもない全く新しい憲法を起草するのも1つ。それが成文か不文か、はじめは英国式の不文憲法ではないかと思いましたが、どうやら憲法というものそのものへの言及、と見て宜しいですね?…間違っているのであれば、すぐさま訂正しますが。

あと、左翼にも2種類があります。反日馬鹿と愛国型の2つありますが、平和党はおそらく…いや、ほぼ絶対にどちらでもないでしょう。でも、国家破壊という疑念が消えないと申し上げたとおり、私には左翼と思うとしか言えませんね。いや、周囲に知られれば知られるほど、そんな人は徐々に増えていくのではないでしょうか?
無イデオロギーというのも、「イデオロギーが無い」なんてこと言えば民主党のような寄せ集めとも、倫理観がぶれすぎているではという疑念が沸騰する可能性さえ、否定しきれませんよ…本当に。
私はないとは思っていません…イデオロギーが無い、ということはすなわち基本方針がない、と公言していると言っているようなもの。

それに政治に答えなんてありません…私はそう信じています。答えは、その先の世代に出されるものであって、自分たちの信念のまま通じるだけでは、答えなんて見つからないはずです。見つかっているとすれば、それこそ自己中心的ではないかと。

ネット右翼とは笑止千万…前代未聞ですね。こんなことを言われたのは初めてです。左様に見えますか…では、私が思うネット右翼の定義を、以下に一部だけ晒しておきましょう。

・中国(=北京共産党政府)や韓国・北朝鮮への罵倒には喰らいつきやすいが、米国やロシアになると一転
して食いつきが急降下する(それどころか、一部は盲目的に賛美)。
・愛国者、もしくは正義を必ず自称する傾向がある。
・自分が動くのが嫌…だから、自分の欲望を全て満たしてくれるカリスマ的な指導者を望む傾向が強い。


今動くことが是であるか否であるか、勝てない戦に正面から挑むようなそんな行為こそ自己満足であると私は考えています。それに、我が国にカリスマ的な指導者など、果たして必要性がありますかねぇ?
報酬ですが、それが目的に見えますか…そんなことを公言される方も初めてですね。むしろ、削減賛成派です。いきなり0にするとか、そんな議論ではなく、段階的な削減でも宜しいのではないかと。
(0にすることをいきなり大前提に段階削減など言っても、響くことは十中八九響くことはないでしょう…戦術を吹聴されるのであれば、それを隠すことも肝要ではないかと)

ついでに言えば、まだ政治家を目指すと公言したことは記憶にありませんが。まだ頭の片隅にある程度で、決意を固めているのであれば、もっと露骨なことを言う可能性さえ否定しませんよ。あと、新風の支持者の中には私よりも質の悪い者が少なからずいると思いますが、どうですか?(新風の支持に関しても、私は公言した記憶がありませんね)

あと釘を刺しますが…先ほどのコメントスクラムのような所業には絶対に及ばないように。平和党が送り込みたい政治家の像として、質問攻めというマイナスイメージを背負わされたくなかったら。
では、こちらももっと理論武装を極めて何十年後か先には張り合える相手として…それこそ、私の平和党に関する所感です。
ですから、統一地方選がもうダメでも参院選には公募者のみならず党内で人選して、参戦されないと責任感のない政党ではないかと噛みつかれても(少ないでしょうけど)不思議じゃありませんね。
 
素直に認めることはあなたにとって成長する事です。しかしほとんどの人間は、認めることができませんね。魂が幼いから突っ張ろうとするのです。それでどんどん墓穴を掘るようになります。あなたもおそらくその類だと思いますので、別に謝罪や撤回等は求めておりません。

あなたの言うように前代未聞でしょう。なにしろ、こんなことをあなたに言う人はいないからです。普通の人は、あなたにそんなことを言っても、言った人は得にはならないから言わないでしょう。だからほとんどの人は、黙っているものなのです。(2007年04月22日 00時44分38秒)

それを知らないあなたは愚か者です。だからあなたはこれまで、かなり甘やかされた人生を歩んでいるのだと思います。言葉のふしふしにその表れが見えます。

いいですか。政治家というものは、生活の上でほんの些細な事でも理不尽なことでも突付かれるわけです。一挙手一投足が見られています。あなたのようにガキレベルの実に幼稚な表現で非難をして、人から恨まれたりして何の得になりますか。政治というものは、人々の利益を作るために、一時的に特定の人々に損をしてもらわねばならないことがあります。だから必ず恨みを買うのです。これは必ずついて回る事です。

あなたの場合は、非常にどうでもいいようなところに喧嘩を売って、いろいろなところで非生産的な恨みを買うことをしていますね。こういう意味のないリスクはなるべく最小限にしたほうがいいのですが、あなたがあまりにも甘ちゃんなので、しっかりとした意識を持たずやっていることがよくわかります。(2007年04月22日 00時45分43秒)


 

保守主義探求者との対話 その2

2007年04月28日 05時39分57秒 | Weblog
戦う能力かあるのなら戦いなさい。しかしあなたは何の戦闘能力もないでしょう。平和党に喧嘩を売ってきた人間は数多くいました。結局その人自身が平和党の政策を論破できないから最終的には、嫌がらせ行為に走るのです。しかし、平和党にはすでにそうした対策は準備されているので、その人のサイトが悪評されるようになっています。

あなたはまず、こうしたことを準備できてから、体制を整えてからものを言いなさい。誰かしっかりとした師のところで修行しなおさないと無理でしょう。このままではあなたは単なる山賊と一緒です。いや山賊以下でしょう。それができないのなら居酒屋で政治をほざくおっさんになりなさい。(2007年04月22日 00時46分27秒)

肩肘張っても、あなたの能力はたかが知れていると判断されるのが落ちです。こうした対話の評価とて、第三者に評価されるのが政治です。あなたはあなた自身の利益のためだけにやっているから、力をもてないのです。これはわかる人間とわからない人間がいますから、本人の判断ですけれども、おそらくあなたにはわからないでしょう。死ぬまでここにたどり着かないかもしれません。ですから、強制はしませんが、一応、世の中はこのようになっていることを覚えておいてください。


「平和党は共産党よりもたちが悪い」ことについて、なんの説明がなされていますか。私はあなたの言論能力を高めるためにやっています。
「到底、支持できる道理がない」という思いを強めるほかないという、あなたの単なる決めツケでしょう。私が聞いているのはあなたの左翼の定義を聞いているのです。論理的な説明を求めています。
徐々に確信に変わりつつある・・・と、結論だけ述べて、そんなことで説明ができていると思っているのですか。(2007年04月22日 00時47分33秒)


質問攻めではなくて聞いていることは一つです。あとはあなたの幼さに対して、今後よろしくないよと忠告しているのです。

そして私はあなたに発言の撤回を求めているのではなくて、その発言が正当性を持つことに対しての説明を求めているのです。あなたの感情を聞いているのではありません。そんな答えは議会ではなりたたんでしょう。共産党議員なら成り立つかもしれませんが。


切り口が違うのであれば、別に当ブログにおいてコメントをしなくてもけっこうです。だから、今私はこうしてあなたのブログでコメントをして聞いています。左翼とはなんなのかと・・・、そして、それがどうして平和党にあてはまるのかと。そしてこれを撤回する必要はないけれども、あなたの説明能力がないのでさらに聞いているわけです。繰り返しますが、あなたの好き嫌いという子どもみたいなことを聞いているのでありません。(2007年04月22日 00時48分09秒)

4000万円支給策は、お金というものの本質を説いています。日本銀行券によってでなく、自然通貨によって経済がまかなわれる事を幾度も説明していますが、あなたは読んでいないでしょう。だから討論にならないのです。食料・エネルギー自給策はあなたが具体的方法を読んでいないで無責任に発言しているからです。この事柄にはこれしかないということ言っておらず、自然主義経済実現のさいには資本主義経済も同時に残るし、輸出入も残るとこう言っています。

「「欧州や米国の真似をするな」と言ってきているような主張が、ここになって一瞬で吹っ飛んでしまう。」についての原因はなんですか。意味がわかりません。

憲法については、国家権力に対しての抑制能力が全く機能していないのであるから、憲法はあってもなくてもいいと言っています。

国家破壊という概念が左翼であるということは論理的に成り立ちますか。左翼というものがマルクス主義であるとするのならば、これは国家によってなされる社会システムでしょう。原始共産主義ならば、国家破壊でしょうが、ここでは市場経済がなされませんね。ということは自然主義経済は市場経済ですから、あてはまりません。
(2007年04月22日 00時48分34秒)

無イデオロギーとは、全てのイデオロギーを包括して、全てのイデオロギーが抱く政策を達成してしまうとの意味です。基本方針はあなたもご存知のとおり、自然主義経済であるとはっきりしていますね。

私はネット右翼というんですかと聞いています。ようするに、あなたのように論拠のないことを並べ立てているだけのあなた個人のことを指しています。議員報酬等の話は広がるのでここではやめにしておきますが、楽天ブログでのコメントは800字限定ですから仕方ないでしょう。gooブログなら5000字いきますから、私のgooブログでやりますか。でもあなたの論法は、聞いても論理的説明ではなくて、ただ感情で話されているために、全く成り立っていませんから、どれだけ討論しても無理だと私は思っています。でもよろしければどうぞ。以上です。(2007年04月22日 00時48分59秒)

それから追加しますが、あなた以下の新風党員がいるなどと発言なさらないほうがいいでしょう。あなた以下ということは、かなりの程度ですから、これを見ている人が維新政党新風には期待をいだかなくなります。

十分に自分を磨いてからこうした発言はすべきです。
あなたが新風に入るか入らないかは知りません。私にとってわかることはあなたに平和党に入ってもらおうなどとは一つも思っていないことだけが確定しています。

しかし新風はあなた程度に批判されるほどのものではないと私は思います。
(2007年04月22日 00時57分45秒)
 
「原理主義的なオーラを感じなくもないわけです」とその気持ちは自由です。
しかし、そんなことで説明になると思っているあなたが幼稚なのです。

例えば公明党や共産党に対して、そう思っている人はいるでしょうけど、彼らの政策を否定するときに、そんな言い方を責任ある立場の人間が言いますか。「なくもない」なんて、そんな言葉で論理が成り立つと思っているあなたがおかしいのです。

選挙のときにそんな言い方で他党を批判する人はいないでしょう。こういうことをやるのは、責任のない市民運動などの人々だけです。だからあなたはその程度のことでしか平和党を批判できていないのです。

感性で人との共感を深める事も必要でしょう。
しかし、私はあなたとの討論では、「平和党のどこが左翼なのか」と聞いているわけです。こう聞かれて原理主義的なオーラがあるなどと言っていますね。ここがわからないことがあなたの致命的欠陥なのです。日平党を名乗る大泉さんのことをあなたが非難できる資格は全くない。

「その思いは関係者の方々の各方面から」と言っておられるが、それは誰でもいいのだけれども、その内容について何もありませんね。インターネット時代だろうが平安時代だろうがなんでもいいのです。あなたがその情報によってどういう理由で左翼であると断定したのかを聞いているのです。あなたは理論武装するのに何十年もかかるのですか。それで今の時点で、あなたはいっぱしに平和党を批判できるのですか。もう少し考えたほうがいいと思いますよ。

参議院選挙については、あなたのおっしゃる通り、勝てない戦に正面から挑むようなそんな行為こそ自己満足ですね。一議席とれてもなんにもなりません。参戦することは無責任ではないですか。統一地方選挙には候補者を立てておりますが、あなたに党の運営をとやかく言われる筋合いではないでしょう。まずは自分を見つめたほうがよろしい。

ヤフーブログの機能性について劣っていることは私は認めますが、あなたの言い分は本当に言い訳にしか聞こえません。なので、別にそれはいいです。トラックバックも一つの主張だとして、トラックバック先のあなたの記事に論理構成がされていないから私は申し上げております。

あなたは自分の言いたい事が半分以下に抑えられているのを口実にしていますが、それは自分の能力の話でしょう。私は知りませんよ、そんなことは。政治・経済ネタよりも事件・事故ネタのほうが食いつきがいいのはどこも一緒です。とくに楽天ブログは政治ネタは無理です。だから私は、楽天ブログは自然主義経済実現のための商品紹介にしています。効果は十倍違います。

あなたは平和党の政策について恐怖をおぼえるというのなら、そのことについて感情的ではなくて、論理的なる説明をきちんとすべきであるが、それがなされていませんね。これをあなたに何度も言っても、一向にそれができてこないのは、あなたにそういう能力がないからです。自然主義経済を実行すると、こういうことで破綻するという説明がありませんね。

私に討論を挑んでくる人間というのは、最低限こうしたものがあるのです。一応、みな準備してかかってきて、その間違いに気づいていつも終わるのです。それで自分の間違いを認めたくない人は嫌がらせをしてきます。ですが、あなたの場合は入口から話にならないのです。単に子どものワガママレベルでしょう。

なぜできないかというと、あなたはその恐怖だかなんだか知らないが、嫌悪感が先立ち、きちんと内容を把握しておられないということが考えられます。これでは討論になりませんね。論破する場合は、把握してないとできないのは当たり前です。読んでいるのかもしれないが、読解力がないか、初めから拒否反応をもって読むから説明ができないのです。論破する場合は、この拒否感を取り除く力がないと話にならないのです。ですから先に述べた討論者たちは皆この力があるからこそ、私のところへやってきています。あなたにはありません。

平和党は、「左翼の2種類たる反日馬鹿にも愛国型にもあてはまらない」と、あてはまらないけれども「国家破壊をしようとしているので、左翼だと」・・こんな理屈が成り立つと思っていますか。それなら国家破壊=左翼であると定義づける必要ですね。それについてあなたは4000万円の住タダ政策を言っておられます。それなら反日馬鹿も愛国型の説明もいらんでしょう。挙句の果てには、周囲に知られればそれが左翼であることがわかるという、人任せにもってきています。「●●ちゃんが言っているから」と言うのならまだしも、これから言うだろうという、まさに子どもの域をあなたは出ていませんね。

そして政治には答えがないと逃げる。次世代に評価がなされることを正しいとするのであれば、あなたの現代における平和党斬りも間違っているでしょう。自分でこのようなことを言っておいて、なぜ気づかないのですか。我々は現代に生きているのです。だから次世代の評価が「これで良かったな。安心して暮らせて」と言われるように、それを現代において「将来を読む能力」とそれに対しての思いやりが必要なのです。このままでいくと資本主義の経済システムはどうして破綻するのかということを私どもは説明しているわけです。そして、その回避方法について提唱しているわけです。



保守主義探求者との対話 その3

2007年04月28日 05時39分06秒 | Weblog
わが党の政策提案があなたにとって気に入らないものであるのならば、それ相応のものを持ってきて、責任をもって発言してください。あなたには「刺し違えても」という気迫がなんら感じられません。いいかげんにやっているからです。私は政治生命を賭けてやっているが、あなたはせいぜい明治生命に保険をかけるくらいしかできないでしょう。ここに違いがあるのです。

それと私はできると思ってやっていますが、あなたは平和党の政策を絶対にできないと思っているでしょう。できないと思っている人は何をやってもできません。全て今までの人類の進歩とは、できないと思われていたことをできるように、汗水たらしてできるようにしてきた人たちがいるからです。あなたのように「できない」ということで、何もしない口だけの人間には常にできないようになっています。

「議員報酬を削減するためには戦術のために隠しておいたほうがいい」とあなた言いましたね。大馬鹿です。これについてもあなたはもっと勉強する必要があります。これについては、あなたに説明はしません。自分でもう一度よく考えてみてください。維新政党・新風はまだまだだとか、平和党はそれ以下であるとか、あなたがそれだけ傲慢に言える程の資格があるのならば、きちんと平和党が左翼であることの説明をお願いします。

 
手に素直になりすぎるのは、人間の心理としてそう簡単にできる所業ではないでしょう。私とて、いや。たとえ誰でも、批評など見たくはないでしょうし、聞くことさえ嫌になる。
それが本来の人間の姿というもの…倫理観に偏りなく、誰にでも。
いきなり素直に聞き入れるのは、悟りを開く境地に至り、自らを極めた者でもない限り、そのような所業は不可能です。真っ当であれば、誰もが批評など本当にされたくないものですよ。私だってそうですし、貴方もそうじゃないんですか?

私を愚か者と言うなら、否定はしません。甘やかされたと言われれば、一理あります。貴方にいわれるまでもなく、師というものを探すことはしています。政治批判のみのオッサンに成り下がるつもりはない(ふりはしていても)。それに、私は公の利益に叶うことであれば、法の赦す範囲でどこまでも悪に徹する覚悟はあります。政党人であれば、その政党の党首や幹部が元来被るべき悪も、私が全て被る気でいます
。そのためなら、なんだってできます。相手に付け入ることもやります。理不尽なことと言えば、確かにそうかもしれませんね。

共産党よりたちが悪い…いちいち、手取り足取り全てを言わねばわからないのでしょうか?では貴党への質問として、「国家というものを、果たして如何様に考えているか?」保守論壇でも解釈は分かれています…自分と同化する者あり、また依存する者あり、単なる帰属と割り切る者もいます。保守とは字の如く「保ち、守る」こと。いったい何をどうするか、もちろん国家は保守論壇にとって、どの解釈にせよ行き着く先は「保ち、守る」対象です。国家をどうするか?そこが保守派と左翼の違いの1つではないかと。
いや、左翼でも前述の愛国型であれば、保守論壇と極めて似てくるかもしれません。
いくら冷戦が終わって迷走しているとはいえ、ほとんどの場合は「保ち、守る」最大の対象、それは国家ではないでしょうか?ですから、私が自ずと国家に対してどのような解釈と結論をもってきているかは、想像されればそのとおりで宜しいです。

それゆえ憲法に関しても、必要な存在であると思っています。国家と、その国家のために仕える公僕とを繋ぐ法典としての存在意義を私は否定できません。なくては公僕が公僕の機能を為さず、政治倫理に利用されるからなくすなどというのは暴論では?…ただ、廃憲とは憲法の存在意義を問われる主旨なんですね?そこだけが真意を測り損ねたので、疑念が消えなかったわけです。

ですが、前述の反日馬鹿などになれば「悪の象徴として壊す」ことであり、そこが保守論壇と相容れない。平和党の場合、悪の象徴とは決して言及していないものの、私が基本政策から垣間見た基本方針を想定する限り、「壊す」ということに結論づけるほかない。
「欧州や米国の真似をするな」と言ってきているような主張が、ここになって一瞬で吹っ飛んでしまう。
これは基本政策における、東亜共同体に関する記述です。いわば、これは亜州版EUということですよね?
…欧州が西部・北部のみならず、近年では中東部でさえ加盟しだすようになったから、軽く考えているのではないか、という疑念です。亜州と欧州の違いは宗教観ですね。欧州の場合、西部でも北部でも中東部でもカトリックかプロテスタントか、その宗派の違いはあれど、大枠でキリスト教という大きな柱がある。
それゆえ、国家の施策にも大きな乖離を生じることはあまりない。対して亜州はどうか?…宗派どころか、宗教という大きな柱にさえ大きな差があるではありませんか。特に我が国は、古代神道に始まり、仏教が伝来し、キリスト教が伝来し、明治には国家神道が出てきた。ここまで多宗教・無宗教な習慣を持つ我が国に対し、他の国々ではイスラム教からヒンドゥー教、仏教・儒教に至るまで幅広い。それゆえ、欧州とは異なって個々に国ごとに方針が乖離する。東亜共同体の具現化には、疑念を払拭せねば賛意は示せない。EUとは違って、国の人口やパワーバランスが非常に不均等な東亜においてEUのような組織を生み出すのは、その組織での主導権を巡る私欲の争いを勃発させかねず、積極的になれない。上記が私の東亜共同体に関する所見です。保守論壇でも、警告を発するものは少なからずいますよ…こればかりは。

ネット右翼か否か、私のことに対し私の独断で結論をつけることをさせますか?…貴方の解釈でお任せします。これしか、言えることはありません。あと私から、一部の人から見れば「貴方こそ何様だ」と不快感を示すものもいるでしょう。(まるで悟りを開いた1人の僧侶が高嶺から民に対して、説法でもするかのような口調に聞こえなくはありません)忠告ですが、ほぼ現にそういう流れが出てきているのが確かなので今後も警告すべきところは言わせてもらいます。外野の意見を聞かずに封殺しつづけることなど、公に出てくる党になればそんなことを言っていられなくなりますからね。基本方針は別として(我が国の場合、ないのもあるが)個別の政策・戦略に対し、苦言を呈する者が必ずや現れる宿命を持ちますからね。

ですから議論を開始する時点で答えを出しているか否か、そこからすでに違っている者同士なので、これ以上は確かに不毛ですね。でも、いつかは再び貴方がたに理論の太刀をもって戦いを挑みます。私はただではくたばりませんから…それだけ最後に申し上げます。私の出すぎた鼻っ柱を折らせていただき、恐悦至極に存じます!貴方がたの施策、今後もとくと拝見させていただきますぞ!

 
私は多くの人の批評を受け入れています。あなたも私のブログをよく読んでいるのならわかるでしょう。あなたは、人に批評されたくないという、そこにあなたには甘えた根性があるのです。

あなたが「共産党よりたちが悪い」ことをなぜ言わねばならないのかなどと言っていますが、この時点で自分のケツもぬぐえないことを表明しているようなものです。そのようにして逃げてはいけません。あなたは最後まで、これについて責任をとるのが普通ですね。そもそも私はこのことであなたに説明を求めているからです。書いた以上、これを見ている人が納得いくまでケジメをつけるのが当然でしょう。そこにあなたの中途半端さがあるのです。

そんな中途半端なのであるのならば、そんなごたいそうなことがいえるのかと。

憲法の話などどうでもいい。全く答えになっていないだろう。あなたは自分でなした発言についての責任をとりなさいと私は言っている。

「壊す」ということに結論づけるほかない。→説明の仕方を勉強せよと言っている。何度も言うが、あなたの討論は小学生レベルです。

だから、以下何を述べようにも説得力がないのだ。あなたは単なる知識に溺れた人間である。その知識をコントロールできていないから、知っている事をただ漫然と並べているだけだ。

もう一度聞きますが、平和党のどこが左翼なのですか。

すでにそれであなたの論理説明能力は限界ですか。

ここまで聞いてもおそらく同じだろうから、今までどおり狼の皮をかぶった貧弱な羊として大いに御勝手に吠えなさい。


「ほぼ現にそういう流れが出てきているのが確か」かどうかの真偽についてはあなたが一番よくわかっているはずです。

私はあなたが保守やら公僕やらと、筋の通ったことを話されているので、そういう政治主張であるのならば、当然にあなたは責任をまっとうすべきでしょう。

あなたは勘違いされているようですが、私は多様性を認める人間です。無イデオロギーを基本としていると言っているでしょう。だからあなたのその政治思想について受け入れているわけです。しかし、あなたはそれを主張するための説明責任を果たしていないからそれを問題にしているのです。あなたは口ばかりの筋論で、行動としてなされていないのです。そこに言及しております。

 
こんな程度で許されるほど世の中は甘くないことがありますよ。私がどうして上から見下ろしてしまう言い方になると、あなたが、こうした責任を全うするという最低限度のものを身につけていないからです。そしてあまりにも幼稚なことをなさっているからです。まずは大人の土俵に乗ってきてからです。あなたは土俵の下にいるから見下ろされた気分になるのです。見下ろされたくなかったら、土俵に乗れるだけの最低限の行動をしてください。

ここでの行動とは、「共産党よりもたちが悪い」なら悪いなりの説明責任を果たす事です。私があなたをヘタレ野郎のごとく言うのは、これができていないからです。逃げてばかりですよね。そんな人間が「国を保ち、守る」といって、人に響きますか?そして、ほとんどのこういう口だけ愛国心を語る人というのが最近増えてきています。彼らはいずれも安易に、「私が全て被る気でいます。そのためなら、なんだってできます。相手に付け入ることもやります。」あるいは、国のために死ねますと発言するのです。本当にそう思っている人は言いませんよ。甘えた人生を送ってきている知識馬鹿に限って、こういう発言をするのです。本当の物事の怖さというものを知らないからです。

そしてあなたが自分でおっしゃる通り、本当に真剣であるというのならば、このような軽はずみなことをブログに載せて、しかも追究されたら、「そんなことなんで手取り足取り言わねばならないんだ」などとは決して逃げません。

これから開票であるので、明日またうかがいます。なにしろ、あなたがきちんとして筋を通すまでこれは終わりません。
 
おそらくあなたからすると「木村は平和党を馬鹿にされたから怒っているのだろう」と思っているかもしれません。

私にとっては平和党などどうでもいいことです。

なすべき政治活動とは、人を生かすことであり、全国民が食うに困らぬ世の中を作ることです。平和党などというものは単なる、そのための道具です。政治団体とは本来はすべて道具なのです。どの政党・政治団体も道具なのにみな道具に使わされていることになってしまっています。

今の世の中、政治がダメだと思っている人はたくさんいます。そして、若者には、そのダメな政治であるから自分が政治を変えようとして議員になる人がたくさんいます。

でもいずれの人間もそのダメな政治に飲み込まれていくのです。どんなに堅い信念をもって、新人として議会に送り込まれても、例外なく、彼らは典型的な政治家となります。

そして私はそのことを昨夜から本日にかけて痛感しました。

やはり偽者は、選挙に強いといわれた人間であっても、何期やろうが落選しています。かつての若者たちが今回でかなり消えました。

どの人も「俺だけは違うんだ」と勇んでいきますが、全て同じになります。

そのダメ政治家にどうしてなるのか、どういう種類のダメ政治家がいるのかということがありますが、それぞれに複雑な事情を抱えています。右から左まで各種あります。

その中でも私は最もダメな政治家という人々もけっこう見てきています。

ようするに無責任に発言して、一丁前の政治批評に自分では思ってはいるが、単なる自分のわがまま、他人の陰口・悪口、発展的なものではない批判方法などです。最近の摘発型市民運動や、左翼は人間にあらずと言うがごときの愛国思想、右傾化を過剰警戒するゆえの非論理的な人格的非難。こうしたものです。

そして最後には自分の言った事に責任をとらずに逃げる根性なし野郎・・・といったものです。

あるいはそうした根拠のない非難をする人というのは、そういう人に限って非難先の相手と同じような事をしています。例えば鈴木宗男を叩いた田中真紀子は政策秘書の問題でやられました。お互いにこうしたことを暴露しあっても、その本質的課題に取り組まなければなんの進歩も生みません。

こうして子どものわがままを言いっぱなしにして逃げるというのは、甘えた人間がだいたいしています。

忍耐力のない人が多いようです。己の魂を磨くための努力をしない人も多いです。

人の上げ足とりに生き甲斐を感じているような非生産的であるあなたのような輩です。

まだ、論理的説明がつくのであれば、その原因を取り出し、社会を改革する事はできますが、あなたのような人ばかりが増えてきたので、言論社会から、世論の体質が徐々に腐敗してきていると思うのです。


平和党はあなたに馬鹿にされてもいいと思っています。

しかし、世の中ではあなたのような論評の方法では通らないのです。それを通すためのことをあなたがやらないと、自分自身のためにならないのです。今のままではあなたは単に自分の感情を発散しているだけでしょう。だから自己中心的でしかないと言っているのです。

今の世の中はあまりにも薄情な社会になっています。

よく言われることですが、電車の中で子どもが悪い事をしていても他人の大人は何も言わないと。あるいは親すら叱らないと。だから、あなたがあのような記事を書いても、誰も関心を持たないのです。そして、それをわからない人間つまりあなたはますますダメになっていきます。

選挙中であったのに、あなたに私が時間を裂いている理由がわかりますか。

これは私が平和党の政治主張をあなたに押し付けるためにやっているのではないことがわかりませんか。私はここ数日は、どうやったらあなた自身がよくなる方向を見つけられるのかばかりをずっと考えているのです。

これを余計なお世話だとあなだ思うのならば、まさに今の世の中の典型的なありかたとなります。

言ったら「余計なお世話だと思われるし、余計な揉め事にも発展するだろう」から、他人の大人は誰もものを言わなくなったのです。

保守主義探求者との対話 その4

2007年04月28日 05時38分26秒 | Weblog
とにかくあなたの発言を聞いていると、いつも思うのはですね。こいつは弱いだろうなんて思ってるところに余計な手を出して、自分が怪我をするだろうということです。今後も十分あるだろうと思います。あなたにとって、弱く見えているものになめてかかるのは、あなたが身の程を知らないからです。

狼だかなんだか知らんけどね、こんなもん掲げているのがあなたを象徴しているんですよ。能ある鷹は爪隠すというけれど、能なし野郎は牙をみせたがるんです。

こういう腐った根性がね、あなたはそうではないかもしれないけど、しかしこういうあなたの意識が間接的にいじめ社会をつくるようなことを産み出しているんです。

あなたの考えからすると、社会がどうなろうと知ったこっちゃないというのが根底にはあるんだろうけれども、あなた自身が損をしますよと。あまりにも無知だからですよ。そしてきわめて男気に欠けているからですよ。軟弱野郎であるから、右翼的な考えにあこがれを持つという人がけっこういますね。

車の後ろのところに、日の丸のシールなんか貼っている人がいますね。なんらかのトラブルで、そいつがクラクションでビービ-騒いでいたりします。そういう人間のところに私が近寄ってみて、いろいろと私がやってみたりすると、その人は始めのうちは威勢がいいんだが、そのうち震えてたりするんですよ。はじめのうちは鉄パイプもって威嚇していたくせにね。そして、別に思想が右翼なわけでもないわけです。ただ単に自分を強そうにみせたいから形だけそう見せているだけなんですね。たいがいは、あなたのように右翼理論もなければ、そのための根性もないのです。そういうトラブル時には、その彼の政治思想なんてそのときはどうでもいいんですが私は職業病でね。

まあ、ついでに言うと逆に左翼は平和を言いながら、何の脅しも前触れもなく人知れずいきなり人を殺しちゃったりするから、これもおかしいんですけどね。

だから血も知らんようなアホが右翼思想を言うから、世の中おかしくなるんです。あなた、じゃあ、私が今突きつけている問題、一向に解決されないですね。じゃあ、責任持ってあなたは腹を切れますか?

実際にあなたの肉体に自分自身で、刃物を突きつけて、内臓に深くえぐり込んで、臓器が破裂していくのですよ。血が出るのですよ。映画などではドバーっと出ていますがね、実際はだらだらと出てくるんですよ。見ているほうも気持ちが悪いなんてものではないのですよ。排泄物も出ますからね。完全に大便になっていない消化物との途上状態の。その激痛は尋常でない姿でしょう。悪臭も放つ。切腹しているほうは臭いなんて考えてられないでしょうけど、見ているほうは自分が刺してなくてもこれらのもので伝わりますね。ここまでは知らんでもいいけども、これで昔は責任をとったのですよ。

あなたは人の痛みすら感じる事もできないで、そして、そういう根性もなく、国粋思想やら軍事を言うんじゃないと、これが私の言い分です。

極めて甘やかされた人生を送ってきて、何?中国がどうしただと、何がネット右翼だろうと、そんなことよりももっと考える事があるだろう。私はあなたが右翼思想だろうがなんでもいいが、そうしたことができてからおっしゃったらどうですかと思うわけです。

あなたは人の主張を軽く扱って、それで自分は議論一つできないで、そしてケジメつけることすらできていない人間でしょう。今まで社会でどうやって生きてきたのかは知らんけれども、ここにあなたの今までの積み上げたものが現れているのでしょう。

自分の不安定さから、自分の尻拭いをすると冒頭にあなたは言っていますよ。それができていますか?あなたはそれでできていると言い張るかもしれませんね。そして、私は、あなたには論理的説明能力がないと思っているから、最終的には私があなたにその説明を求める事を諦めるとでも思っているのでしょう。

私は自分が納得するまで聞き続けますよ。あなたの説明能力が身につくまで。なにしろ、あなたの致命的なのは、己に力がないのにも関わらず、私の書いたことに喧嘩を売ったわけですからね。覚悟もない人間が軽はずみな事をしたらどうなるかをあなたは学んだほうがいいからです。

吐いた唾は飲まないようにしてください。つまり今後、くれぐれも自分の掲載した記事について、撤回・謝罪等をなされないようにしてください。掲載を継続する以上、あなたの責任を果たしてください。

再々々々々度聞きますが、平和党が左翼である事を説明してください。そしてその中でも、どういうものがたちが悪いのか。私が求めているのはこれだけです。
ここから先、如何なるコメントスクラムで攻めてこられても
私から言うべきことは大枠として言ったので、以後は返礼しません。

「平和党はなぜ“左翼”か?」
「なぜ、共産党よりたちが悪いのか?」

以前、もう随分と前…とでも申しますか、平和党に関して
「右から見れば左、左から見れば右」と評していた記事を見た過去が
あります。貴方がたはそれを誇らしげに、といえば語弊のある言い方ですが
あともう1つは善悪中毒なるものと同様に、倫理観の
超越や統合・昇華によって新たに壮大なる倫理観を目指しているような
感じを見受けましたが、倫理観にせよ欲にせよ、私はともかくそのような
行為ができるのは聖人のみであり、俗人には到底不可能な所業です。
結婚にしてもそう、何にしても欲や倫理を捨てるというのは、
私には悟りの境地を拓いた僧侶にしかできない所業と考えています。
そうしなければならない、という原理主義的なオーラを感じるのも
左派系論壇ではよく目にしてきました。何を語るにしても、
とりわけ1つの事柄に対し1つの解決策しかない、という考えの
ような感じに見えてしまったことが、疑念の1つと捉えてください。

日米同盟・安保条約に関しても、短期なのか中長期なのかは別にして
私は中長期視点で見直しを迫られているものと思っております。
貴方がたに関しては、思わずですが短期視点と思った次第です。

前にも言いましたが、右と左の決定的な違いは国家観です。
貴方がたの国家観は、察するに相当に軽いような気がしてなりません。
国家を軽く考え、対象は違うものの(西洋か東洋かの違い)とにかく
これも前述ですが、東亜共同体は今のままでは私は反対です。
国家をどう見るかは別として、重く見るか軽く見るかの違いです。
保守論壇では如何に迷走していようとも、国家観に関して
軽い気持ちを持っているのは、未だに盲目親米を唱える輩を
除いて、今や少数派…どころか、探すほうが困難でしょう。
かつては米国にさえ従っていればよかった…ソ連という、
全くの対極たる政治倫理が支配する国家と対立しあうがゆえ、
彼らのほぼ全てを否定すれば、自ずと存在意義を示せていた。
それゆえ、我が国への国家観は驚くほか軽いものに転落した。
しかし、ソ連なき今は違う…別の国を想定してもよいが、
もはや米国の傘に篭っていれば済む問題ではなくなった。
でも、今までそういった想定がないゆえに非常に揺らぐ。
その反省から、国家観を軽く考えられなくなったんです。
まあグローバリズムに関しては、どちらの倫理観であっても、
両派の区別を図るための基準ではなくなっている気はしますが。
(現に貴党は、国連脱退を日米安保の破棄とともに唱えている)

あとおまけといえば非礼ですが、天皇制なる語も
突っ込みの的になることを考えておいたほうがいいです。
この語はもともと、マルクス主義者らによる和訳によって生まれた
造語でありますが、確かに一般には広まっていても私は使いません。
私の場合は立憲君主制と呼んでおります…世界標準みたいですが。

自然主義経済に関して、短命ながら実例ありという記事でしたか、
そんな記述も過去に見たことがあります。墺国のある自治体でしたか、
それを導入して急激に景気が回復したのだとか。国が禁止したのは、
おそらく特定の自治体が権限を強く持ちすぎることで、国内に
不穏な空気を支配しかねず、国家の危機に直面する感じでしょう。
公式サイト・基本情報内にも、特記されている頁がありますが
(最も根幹たる基本方針ゆえ、当然といえば当然でしょう)
もちろん、それらを実践されているわけですよね?…まさか、
実践しないで言っているのであれば問題外ですが、そうではないようで。
では、成功されたときは是非にも報告を賜りたいものです。
生で見ていないものを、おいそれと信じられるほど心が広くないので…

共産党に関して、暴力革命路線をかつて掲げながらも、今となっては
その路線は完全に鳴りを潜めています。言えばどうなるか?
何度も言わせていただくが、日本人は急進的な体制の変化を
そう望んでいるとは思えません。それゆえ、暴力による一段階での
革命路線を隠していかないと、今後も永続するとは限りません。
それが功を奏した時期もありましたよね?…まあ、今となっては
それがまた徐々に有権者をはじめとして見透かされているのか、
再び勢力は退潮していますが、それでも暴力を全面に掲げるのは
更なる自殺行為です。平和党の場合、暴力革命とは言いません。
それに「暴力革命と一緒くたにされるのは癪だ」という風潮の
記事も見たことがあります。確かに、そのとおりですよね?
ええ、どこをどう見ても暴力的に政府権力の中枢を狙う目的は
ありません。しかし、ここで少し冷静になって考えますと
暴力を伴わない革命ということになると該当するのでは、ということです。
なにも革命とは、暴力を伴っていなくてもやれる土壌があればできるのでは?
…と考えるほかありません。現に歴史上においても例はご存知と
思われるのでここでは仔細を示しませんが、中国の歴代王朝が
交代していった経緯も大枠では革命とされています(ご存知でしょう)。
しかし、我が国の場合は暴力が伴うにせよ伴わないにせよ、明治維新も
併せて革命が起きたことのない唯一の国、と思っております。
いわば、「国家を全く新しいものに作り変える」のでしょうか?
また、まるで国境に関して否定的だったか、そんな感じでしたか、
とにかく「国家を壊す」ことなのでしょうか?
左様に基本政策を見る限り感じたことゆえ、それを一端に見せる
やり方…かつ、多くの人にはエキセントリックに映る(自覚済でしょう)。
何度も言いますが、エキセントリックな政策はそのときは注目されても
後になればなるほど、不安が人々を支配されるでしょう。
いわば隠すか隠さないか、隠さないで国家の中枢に関わることを
ずけずけと言っている印象を与えてしまっては、イメージが
マイナスに転落するのは必定なんですよ。現に、私にはマイナスです。

とにかく、今のうちはいいかもしれませんが今後をふまえると
読まれることになろう多くの方々の疑念や質問に追われるのは
不可避と思われますので、今後とも真摯な対応を宜しくお願いします。
 
 
返礼は結構。智慧をつけた解答を下さい。ただし、この後、私とあなたとの間で、今後どのような展開がなされるのかについて、あなたは見通すことができていないようです。

あなたの言い分によると聖人のような発想は左翼であるとの意味ですね。なぜそれを最初に言わなかったのですか。
しかし、俗人が生きられるように自然主義経済では、ギャンブルもあるし風俗もなりたちますよ。第一、資本主義がありますから金融市場も存在するでしょう。なにしろ計画経済ではありません。例えば、宗教的にも肉を食べてはいけないとも言っていません。畜産消費量をそのままにしながら食糧完全自給をしようといっているわけです。その過程で減るかもしれませんが、何一つ抑制していないわけです。

ところであなたは左翼が聖人であると定義したということは、右翼が俗人であるということを意味しているのですか。

善悪中毒というのは一つの倫理思想です。善悪中毒は悪であると言っていませんね。言っていたら善悪中毒ですから。ところが、あなたの考えには、「こういう考えや思想があってはいけない」と、禁止抑制的な考えを持っていますよね。

例えば私たちが、資本主義という思想を潰すとか、マルクス思想をつぶすとか、右翼思想を潰すとか言って、サリンでも撒こうとしているのなら、まあ撒かないまでも、こういう政治団体というものはあってはならないでしょう。

しかし、平和党は、すでに言っているように無イデオロギーであるから、これらのいろいろな政治思想があったほうがいいと、八百万になっているほうがいいと言っています。だから、最初から私はあなたの右翼思想も、維新政党新風の政治思想も否定していませんよね。これがわかりませんか。

ところで聖人思想であるとイコール左翼であるとの認識は、あなたの勝手な判断ではないですか。左翼というものは聖人思想であると、辞書に書いているのですか。

だったなら、「平和党は左翼」ではなくて「平和党は聖人」となるのではないですか。そして、あなたはたちが悪いと言っているわけですから、共産党は平和党よりもまだ立派な聖人であるということです。

ということは、あなたの考えで行くと、そんなものは聖人の発想だから、できっこないと。では共産党の場合、実際に自治体で政権をとっているところがありますね。聖人みたいなことってそこでされていますか?

福祉やらを徹底的にやるのが「聖人みたいなこと」であるとするのなら、財政破綻になりつつありますよね。それに平和党がいつ、どこで、自治体の財政を使って、聖人みたいなことをすると言いましたか。自然主義経済とは各個人が欲望のために機能するものなのです。

あなたは単に、既存の学問によるイメージだけで結び付けているだけです。欲を抑えた質素な暮らしになるだろうと思っていますね、あなたは。論理的構成がなっていないというのは、そこを指摘しているのです。

それに一つしか解決論はないといつ言いましたか。既に述べているように自然主義経済というものは一つのものではありません。あなたがそれを言うのであれば、自然主義経済もあっていいと、結論づけられるものではないですか。

全ての政策諸課題の原因は一つであるとは言っています。つまり、戦争が起きるのも、貧富の拡大が起きるのも、あなたのような人間を生み出してしまうのも、原因は一つであると。そこに切り込んでいくのが自然主義経済であるとは言っていますね。

でもこれがどうして、自然主義経済以外のものは全て切り捨ててしまうということに結び付けてしまうのか。あなたが既存の政治学しか知らないからです。冷戦構造の遺物みたいなことしか、あなたには考える創造性がないからです。

すでに言ったように、オーラなどを感じてビビってしまう人間というのは説明ができていないのです。産経新聞を読んだだけで吐き気をするような共産党員とは、議論にならず、赤旗を持ってもいちいち臆せずに分析できる人間ならば議論になるのです。

現・日米安保条約を日本側が一方的に解約宣告しても、米軍は居座るでしょう。そのときの国際経済がどうなっているかで大きく状況は違います。この話を持ち出すということは、同条約に否定的な意見を持つのは左であるとの前世紀の話を言っておられるのか。

右と左の決定的違いは、国家観であると。国家を軽く考えるのが左であるということですね。国家を重く考えるのが右であるとこのように承知していいですか。

保守というものは国家を重視すると。保守とは何を守るのですか。もはや自由主義は当たり前でありますから、現代では国家ですか。それならばわが国の場合は日本国ですね。
ということは平和党は日本国を軽く見ている政党であるということになります。では、平和党は何を重く見ているのですか。そして我々はなぜ日本国を軽く見る必要があるのですか。

では、戦前に国際連盟を脱退したときは左翼的なる「日本国家を軽く見た」人々によってなされたということでしょうか。

そして現在の国際連合に加盟するということは、国家を重要視するという考えに基づく・・・と考えて宜しいでしょうか。

「天皇制」は最初に誰が言おうとどうでもいいでしょう。一般的にそれでとおりますから。あなたがその言い方を気に入らないというのなら、このブログでは立憲君主制と呼んでもいいが、そういう細かい語源を言うのは偏った人間が言うのです。現にあなたが今使ってきている単語においても、その語源をたどるとあなたの考えに沿わないものもあるでしょう。

自然主義経済をオーストリアが禁止した原因はおっしゃるとおりでしょう。だから政治行動が必要なわけです。そして、その禁止した理由ですね。つまりあなたの前提は、すでに今存在している国家というもののやり方が正しいとの思い込みから始まっていますよね。だからこんがらがるのです。つまりあなたは国家のやること、例えば、この場合でも、オーストリア政府は当然正義であるという、根拠なきところから始まっていますね。

「国内に不穏な空気が流れる」と、すでにあなたの頭の中で決められたものから物事を話しているのです。あなたは常にそうです。

自然主義経済が実施されていて、国民経済が上向いていると、誰も文句を言いませんね。でも文句を言ってくるのは、今まで富の集中を維持していた人です。いわば金正日みたいな人間です。だから、当然これを破壊したいと思いますよね。だからあなたが言っている国家観とは、金正日の利権構造を守れといっているのに等しいのです。なぜなら国民生活は自然主義経済によって潤っており、そんな利権構造は必要ないはずですから。

だからあなたが平和党を左として認識するのは、こうした利権構造が破壊されるからだということです。

あなたにとっての国家を守るとは、すでに存在している利権構造を守るということです。したがって、あなたの言う右とは、国家という利権構造の維持ということになりませんか。

平和党というのはこれを破壊するから、危険な政治団体だとあなたは結論づけているのです。つまり現状維持でいいと。資本主義経済は今後も成長させていって生きていくべきだと、このように言えばいいのです。

これと同じように、左翼というものは一般的に共産党政権ができた場合、国家を今の日本の形とは別の形であれ、国家というそのものは残りますよね。そして彼らは社会主義経済という利権構造を作るわけです。だからあなたの言っていることはおかしいのですよ。


それから共産党よりも悪いと言う内容については、よくわかりませんが、何をおっしゃりたいのですか。共産党は暴力革命をかつては掲げていたが、今は掲げていない。平和党は最初ッから掲げていない。それでなんですか。

保守主義探求者との対話 その5

2007年04月28日 05時37分37秒 | Weblog
「暴力革命と一緒くたにされるのは癪だ」という風潮の記事とは、どこにありましたか?おそらく、暴力革命の禁止が党規約に書かれているのでそのことを言っているのだと思います。


国民的信頼を平和党が得られないだろうと、言うのはあなたの考えです。
判断するのはあなた一人ですか?
あなたがそう思うということですよね。逆にあなたの考えに対しても、そんなこと革命が起きないと無理だよと言う人もいるでしょう。

最近は、「自分は市民なんだ」「市民の一人なんだ」「市民の意見をなんで聞かないんだ」
と言いながら、自分一人の考えがまるで世論全体かのように言う人か多くなってきています。

だから、あなたが世論のほとんどだと考えている意見、即ち平和党が国民的信頼を得られないというのであれば、その理由が「国内に不穏な空気が流れる」とか、「原理主義的なオーラ」とかじゃあダメなんですよ。

自然主義経済がなぜ国家破綻を招くのかについても説明はなされていませんね。

そこのところはどうですか。見なきゃわからんとか言うのはね、討論にならないんですよ。見なきゃわからんと言っている人間には批判する資格はないでしょうよ。

実施する前に十分な議論がなされて行うことも必要でしょう。社会現象というのは、自然現象と違って実験すると取り戻せないことが多々あるんですよ。自然科学の中でも原子力工学の場合はそうでしょう。だから、机上で考えるしかないこともあるんです。


国家を全く新しいものに作り変えるということではありません。

どこが変わるかといえば、経済構造が変わるわけです。そして富が東京に集中しないゆえに地方主権が達成されるということです。大きく変わることと言えば、一つ例をあげれば、家を建てるときに、インドネシアの森林を輸入して使うよりは、近くの山のところから木を持ってきたほうが効率がよいということです。


それに政権交代が必ずしも選挙や暴力によるものでもないことがありますね。

想像力を働かせるといろいろと出てきますよ。でも基本的には選挙で選ばれる事が基本です。圧倒的多くの人があなたの恐怖ほどではないが、懐疑の念を抱いていることは私はよくわかっています。

理屈として成り立たないと思っているからです。でも、その理屈とはなんなのかと元をたどってみると、単なる思い込みであったりすることは多いものです。

だから私はあなたに「自然主義経済がなぜ国家破綻を導くか」について聞いています。普通だったらみんなここから進むのですが、あなたの場合は、自分をごまかしてしまうから進みません。


総じていえることはあなたは非常に政治家に向いていると思います。

質問している事に対して、徐々にずらしていく話をしているからです。理由を明確に述べているようにみせて、実はない。これはごまかされる人間もいるでしょう。そういう意味においてあなたは優秀です。

しかし、そのようなごまかしは私には聞きません。

それにしても「もうこれで言うべきことは言っている」と、もうこれで言うべきことはないと。
自分で撒いた種ですよ。

それで一方的に終わらせようとしてはいけませんね。こういうところにあなたの性格が全てにじみ出ています。どうしてこういうことになったのかを、お考えいただきたい。

鼻っ柱を折られたならば、その手当てをしないと、血が出るばかりですよ。

保守主義探求者との対話 その6

2007年04月28日 05時36分51秒 | Weblog

コメントスクラムというのがいったい何を表しているのか、よくわかりませんが、おそらく、私が長文コメントを書くということだと思います。

しかし、そんなことで恐怖をおぼえるような人間が本当に真剣にやっているのかということです。あなた悪にでもなってでもやると言っていましたよね。そんな人間が文章上で恐怖を覚えているのですか。だからあなたの本気度というのは偽者だと言っているのです。

私は東京にいますが、あなた大阪であるようだ。しかし、確かに私はあなたの住所・氏名・年齢・職業・銀行の支店口座番号、もしもあなたが逃亡した場合どこを封鎖したらよいか、そのときに何人の人間を用意したらいいか、飛行機でいったらいいか、新幹線でいったらいいか、なんて全く整えていませんよ。それであるのに、こんなことで恐怖を覚えるくらいで果たして本物かということですよ。

 

あなたは自分の言うことには正当性があると自分でおっしゃっているわけですよね。私はこれを聞いています。しかし言いたいことはいったと、逃げています。だからあなたのような無責任なる人間が多くなってきたと、しかも根性もない人間が。私はこう言っています。

 

しかし、普通の人だったらね。こんな幼稚な書き方をしてなんだと、取り消せというのですよ。私はこれを求めていないのですよ。普通なら「息巻きながら、結局は送り込めなかった悔しさが全開ですね。」とか「のたまう平和党」とかいう文言に対して文句を言ってくるでしょう。それであなたは、私に攻められるよりももっと追い込まれるのですよ。これをあなたはわからないレベルにいます。

 

私はこれらに撤回を求めているのではなく、あなたは逃げることなく、左翼を定義し、平和党が国家破壊型政党であることを証明せよと言っているのです。

 

市場経済による自然主義経済がなぜ左翼なのですか。左翼とは聖人のことですか。早く片付けてください。
(2007年04月24日 22時06分43秒)

 

 

あなたに逃げ道を作ってあげます。
あなたが無責任に発言したことについて回答がない場合、その責任をとってもらうまで、私はあなたに求めますが、それだけの根性があなたにはありませんので、逃げるしか残されていません。あなたが命を賭けて本気で発言なされたことならば逃げないはずです。

逃げる方法の一つとして、これから、「自分の記事内容について、関係のないコメントはするな」と宣言する事です。そして、私の書いたコメントを次々にあなたが削除していくやり方です。


どうやらこの楽天ブログの場合は、無料の場合だとコメント拒否機能がないようですから、有料に切り替えて拒否できるのかどうかは知りませんが、あなたが調べてください。

あるいはあなたが違うところにブログを移転するか、別名でやるかでしょう。しかし、その場合であっても、この楽天ブログが消えていない以上、責任をとったことにはなりませんので、移転先では同じことが続きます。ただし、jugemブログなどはコメント拒否機能がついているから、あなたが引き続き逃げたい場合には、それを頼りになさったらいかがですか。


それか今と同じように無視しつづけるか。ただし、ここにあの記事が残されていますから、問題は続きます。どうぞお考え下さい。

あなたは政治というものが、どのように恐ろしいものであるかということを知らない非常に舐めた方ですよね。だから軽率なる発言が多く感じられます。


別に軽率なら軽率でいいのですけれども、そんな人はいくらでもおりますからね。しかし、あなたは、自分はそうではなくて、本気でやっているとおっしゃった。つまり無責任な市民運動ではないということです。で、あるのならきちんと答えるべきと思いますが、間違っていますか。

 

それとも成り行き上、「本気でやっています」と答えてしまったのですか。

 

私が常日頃から、最近の右翼思想を持つ発言者は、根性なし野郎が多いと言っていることの意味がわかりましたか。根性なし野郎であるあなたは口先だけで生きてきているから、私の発言をよく理解できていないのです。政策の中身についてもそうです。

 

こうして、自分の身に降りかかってきてやっとわかったでしょう。まだわからないかもしれませんね。あなたの場合には。

だから、こうしてあなたは経験を積まぬとわからんほど愚か者なんですよ。ご自分でも認めておられるように。

なぜこうなるかわかりますか。あなたには心がないからです。脳みそだけで生きているからです。爬虫類の脳みそしか使っていないのですよ。己の欲望のみです。自分は批評されたくないという甘えを持っているから成長しないんですよ。ここに飛び込んでいったほうが良いと思います。

あなたはまず、人が丹精こめて作ったものに対して、まずは自分の感情を優先して踏みにじる。これをエキセントリックというのです。

 

そして、あとから踏みにじったことの正当性をみつけながら、理屈を作っているんです。だから無理して作らなければいけないから、ちぐはぐなところがあって、自分でも答えられないんですよ。本気でないからあなたには準備されていないわけです。あなたにその自覚はないでしょう。論破できるだけのなんらかの理屈があるかもしれないとだけ思っている。だからどうしても「誰かがそう言っている」、「これからみんなが言うだろう」となるのです。

 

他人に嘘はつけても、嘘をついたかどうかは自分が一番よく知っているはずです。だからどうでもいいのです。これはあなた自身がいかなるレベルかという問題だからです。これは他人が評価するものではなくて、あなた自身が知っているあなた自身のレベルです。

 

あなたは自分のガキ的な感情を優先するために、物事を考え出している。これでは世の中を幸せにすることはできません。あなたのガキ的なる現れというのは、私と討論していると、どんどん出てきていますよね。だから発言をやめたのでしょうか。

 

多様性を認める世の中、すなわち人への思いやりというのは、相手を認めるところから始まるのです。私はあなたの政治主張に対して何かダメだと言ったことはありましたか。あなたがガキすぎるとは言っていますね。

 

でも、これはあなたが知らなくてはいけない問題でしょう。だから言っているんです。

 

なぜこういうことが必要かというと、日本をどのようにして良くしようかという共通目標があると発展的に進むのです。その方法が違っていてもですよ。あなたはそう考えていないから不毛な議論だとして投げてしまう。切り口が違うと結論づけてしまえば簡単です。

 

あなたのワガママをかなえるために日本はあるわけじゃありませんね。こんなことはわかっているはずです。でもあなたの言動はまさにそれです。自覚がないのです。

 

だから、今あなたはオロオロして「どうしよう」と、誰か木村に討論で太刀打ちできる奴はいないかと、探してもいいですよ。だけれども、あなたの精神性向上にはなんにもならないのです。

 

機械的な政策議論をしても、人間は成長しません。これだけはハッキリしています。何十年かけて本を読んで理論武装しても、かなわない力というものがあるのです。それをあなたはわからない人なのです。

 

さてそれで、どのように自身の発言の責任をとりますか。

前にも言っているでしょう。素直になりなさいと。でもあなたは人間はそう簡単には素直になれないとおっしゃいましたよね。私は幾度もそういう素直になる経験をしましたよ。結果的にはそれが良かったと思っています。これをできないのは勇気がないからです。

私が最初のほう、つまり今まですでに私が先に述べたことというのは、あとになって、必ず必要になってくるのですよ。なにしろ、私はこういうのが仕事ですから、先々どうなるかはだいたい読めます。ほとんどパターンですよ。とくに相手があなたのような場合には。

素直になってしまえば楽なのです。だって、あなたはそこまでの人間ではないのだから、今、素直になっておかないと全くダメな方向にどんどん進んでいきますよ。これは私が勝ちであなたが負けなのではありません。今認めるということは、あなたが勝ちに成るのですよ、やがては。

だから素直になれないのならば戦いなさいよ。それもできないのか。しょうもない男だな。やはりあなたは狼の皮をかぶった貧弱なる羊です。

戦うも勇気であるし、退くも勇気。あなたはどちらもできない人間であろう。私はあなたがどのような選択をしても全て用意してお待ちしています。

おそらくあなたのプライドはズタズタだろう。だけれども、そんなことで傷ついているということ自体があなたの弱さですよ。だったらなんであなたはこんなことをしたのですか。

あなたには、そういう他人の気持ちがわからないから、私はあえてやっています。あなたがああいう幼稚なことを書いているのは今に始まったわけではありませんね。そんなことは知っています。いつかわかるだろうと思って放置していただけです。それに他人がみていても説得力がないから我々にとっても害はないと考えていたからです。

でもそれでは、やはり電車の中で子どもを大人が叱らないという話と同じになってしまうと思って、自分にもそういうことが選挙期間中にあったわけですよ。

たまたまあなたがトラックバックした日に、その電車の話に触れる機会があったからです。これじゃいかんなと車内にいた大人としての反省の結果、私は今こうしてあなたに投げかけているのです。

他人の痛みを知らない愚かな場合、自分が傷ついた経験もほとんどないような甘ちゃん野郎には、ブライドを傷つけてやらなきゃわからんのですよ。おらそくあなたが、今までボケーっとして生きてきたからです。よくお考え下さい。

甘く見て痛い目にあったことを経験したならば、少しは物の見方も変わってきましたでしょうか。
左翼政権たるソビエト連邦はなくなりましたが、平和党はソビエト連邦のような左翼政権を目指しているのでしょうか。再度お尋ねいたします。

聖人国家たるソ連はなぜゆえに崩壊したのでしょうか。

(2007年04月25日 21時59分45秒)

 

貴方がたの目指す国の基本方針には、全体主義の
雰囲気は感じませんでした(何度読んでもね)。
でも、やっぱり何かが違う…どこか引っ掛かる。
経済左派…ではなく、右派のような感じだし。

旧ソ連は、私が思うに聖人国家なんかじゃありません。
共産主義を生んだマルクスは「人間の欲を計算していない」
それゆえ、完全資本主義ともども絶対に成立しえない。
理想として共産主義ほど完璧なものはない…その境地に
至れば、それで本当に聖人たりえたでしょう。
欲を捨てきれずに自滅した、ということでしょうか?(2007年04月25日 22時09分19秒)

 

ではどのようにして左翼だと結論づけられますか。(2007年04月25日 22時16分02秒)


あなたのところによくコメントを書いていると言っていた蔵信君は、今から2年ほど前から私のブログによく来ています。彼は、最初は「平和党は軍事的に右であり、経済的には左である」と言っていました。しかし、あなたから見ればおそらくそうではありませんね。なぜ、このように解釈が人によって崩れてくるのかということです。


つまり、あなたが右と左という数直線。そして上下という数直線で囲まれる平面でしか物事を考えていないので、このようなことが生まれるのです。

 

“愛国型”の左翼に近い …と、現段階で言えば宜しいでしょうか?前述ですが、左翼といっても反政府
原理主義におかされている(“反日馬鹿”といったが、語弊があると考えまして変更します)タイプと、本
当に真摯に国を思う姿を示しているか、大きく2つに大別できます。元来、国を思うに右も左もないはず
ですから。政策の差、とでも申しましょうか。

ですが結局のところ、旧ソ連や北京政府のような全体主義や完全資本主義に近いような、あのような国づくりを模範としているわけでもない。いや、そもそも貴方がたには模範などないんでしょう。
あくまでの日本式を求めている、その愚直さもあるでしょう。その点は認めますよね?

あと、貴方がたの基本方針には国家観が見えない。私は国民あってこそ国家を初めて名乗れるものであり、かつ政治・行政・司法・経済の4つの根幹を複雑にスクラムしてできあげていくものだと思います。
1つたりとも、根もとから壊すことは国家の流動を生み出しかねない土壌を差し出す、それゆえです。(20
07年04月25日 22時30分54秒)

 

以前言った反日馬鹿は、反政府原理主義と言い直すとして、平和党は反政府原理主義におかされている若しくは真摯に国を思っているということですね。

国民あってこそ国家が名乗れるということは、江戸時代までは国民の意識がなかったから国家ではないということですね。


立法・行政・司法の三権力に民間の経済、こうしたものが存在したのは、近代に入ってからですね。ということは明治以降は国家ではあるが、それまでの日本は国家がない。平和党はそういう江戸時代までのものを目指しているということですか。


国家の根幹をゆるがしてはならないと誰が決めたのですか。
政治・行政・司法・経済の4つの根幹は戦時中には一つのところで掌握されていましたね。戦争に負けて、これが崩れました。国家の根幹がゆるがされました。それで良かったこともあるし、悪かったこともある。

でもとりあえずこのように自由な論議が今できている部分を考えればよかった部類に入ります。

つまり、あなたはちゃんと最後まで説明できていないのは、国家の根幹をゆるがしてはならないという言い方ではなくて、このように国家の根幹をゆるがしたらとんでもないことになる・・と説明しなければならないのです。私があなたを子どもだと言っているのは、常にそこで終わってしまっているからです。

>平和党さん
>反政府原理主義におかされている若しくは真摯に国を思っている
タイトルと文脈を読めば、自ずと後者に近い存在で
あると推論可能でしょう。わかりませんでしたか?

江戸時代にも司法はあったじゃないですか(奉行所)。
ほかにも室町時代にも、戦国においても一部の大名が
制定した分国法という、法律の原点があったでしょう。
必ずしも明治がそもそもの源流ではなく、私は立法も
行政も司法も、元をたどれば古代においては最低でも
1つはできていたものと考えております。流れに流れて、
明治というのはこれら4つの根幹がようやく本格化した
時代に過ぎない、ということです。いわば、江戸以前にも
小さいながら国家観はあると言っても支障はないし、
藩や領国・荘園というのは私が思うに小さな国の
ようなものであり、これらの連合体のようなものが
江戸以前であり、明治より近代国家の道筋を
歩むにあたって、連合体からの脱却を図るほか、
生き残る手立てが見つからなかった。それだけです。
貴方がたのは別に、何時代を目指すとかそういう
次元の低い話をしているわけではないでしょう?

今日はここまでにします。ド深夜まで付き合えるほど
私は貴方がたと違って暇人ではありませんので(笑)。(2007年04月25日 22時56分57秒)

 
あなたはつねに悪意の元で平和党にたいしてやってきていますからね。一応並列したほうがいいでしょう。

江戸時代の司法機関は三権分立の司法とは違いますね。幕府がやっています。つまりモンテスキューの提唱したことではないために、維新後にそのようにしたわけでしょう。

 

江戸時代の藩や領国・荘園も国家観だというのであれば、平和党の自然通貨は地域通貨でありますから、当然、国家観がある・・と、こうなりますね。

いろいろ書いていますが、あなたは平和党が左翼であるということを説明できていませんね。では本日もお逃げください。


保守主義探求者との対話 その7

2007年04月28日 05時36分06秒 | Weblog

つまりあなたからすると、幕府時代における維新軍、戦時中におけるGHQに相当するような国家の根幹をゆるがすものはよくないということです。

で、このように国家の根幹を狂わすような平和党はダメだと。しかしながら平和党は愛国なんだと。ここまではわかります。しかしなぜ左翼なのかということです。

つまり革命を起こそうとするものは全て左翼ということでしょうか。 ということは右翼思想、例えば天皇を中心とした政治にするための革命組織であっても左翼だとこうなりますね。 私はあなたの次元にあわせて話しています。

普通だったらもう先に進んでいるのですけど、かなり時間がかかるのは仕方がないです。がんばってください。

 「経済左派…ではなく、右派のような感じだし。」とにかくなんだかわからんけど左翼だと、愛国型であるとの説明は成り立っています。しかし左翼である事が説明されていません。 ところで愛国型左翼とはどういう人のことを言うのでしょうか。そういうものが果たしてあるのかという質問です。

社会主義的背景を思想にもち、国を愛するということでしょうか。それなら市場経済たる自然主義経済の平和党はあてはまらないのではないですか。

 あるいは天皇を排除して、日本共和国という方法をとって国を愛するということですか。平和党は天皇を排除しようなどとは一度も言っていませんね。むしろこのことで右翼団体から資金援助がなされているなどと陰口を叩かれているくらいですから。

国家観がないから左翼だという。しかし、いずれの左翼政党も物理的国家について認めているから左翼政権の国があり、野党になっている左翼政党は政権を目指すわけでしょう。彼らには国家観があるから、政治活動をしているのではないですか。

 だってあなたは国家観というものは、藩・荘園も国家に相当するといいましたね。これは日本での国を思うということは郷を思うことから始まっているからです。その集合体が日本国でしょう。 平和党の自然主義経済は地産地消。そのふるさとを大事にするところから生まれます。しかし、現代の国家観というのは資本主義により全て東京に富を一極集中させています。このことにより、ふるさとが崩壊しているではありませんか。ここにあなたの非論理性があるのです。

左翼とは聖人のようなものであると言ったのはあなたですよね。ですが、今ではそれを訂正して、聖人を目指すけれどもそれは結局のところできないと、こういうものが左翼であるということですよね。 じゃあそれでいいです。

では、私は自然主義経済とは人々の欲望をかなえるものだと言いました。そして、国家とは藩や領国・荘園という小さな国の連合体であるから、それによって国の政治経済が成り立つと私は申しています。

それならば、平和党は全体主義でもない、愛国である、日本式を求めている、と言っているあなたが、これでどのように左翼であるとするつもりですか。

しかも、この説明責任を果たした後には、どのように「共産党よりもたちが悪い」のかについてが待っていますから、そのことも配慮しながら考えてください。

 あなたの説明であると、どんどんどんどん、平和党は右側であるということばかり出てきますよね。ただ気分だけで平和党は左翼であるとしか言っていません。説明すればするほど逆になっています。

だから、私はあなたのために「平和党は左翼だ」と言える為のほころびの糸をわざと出していますよ。それも複数。その糸を引張ればあとは簡単ですよ。全く目の前にあります。引張った後にあなたの能力があればの話ですが。

あなたは脳で考えるからうまくいかないのです。神社で参拝したことはありませんか?あなたは脳を動かしているものに従わないからこうなるのです。脳の範囲内で全てが解決できると思っているからです。

知らず知らずのうちに。 平和党が「憲法を廃止せよ」と言っているのは、国家に対しての挑戦だとあなたは認識していますね。けれども江戸時代に憲法はありません。憲法がない江戸時代に藩・荘園はありました。その連合体が国だとあなたは言いました。それでいて平和党は左翼であると、おかしくないですか。

 掲示板での話ですけど、非礼であるかどうかの判断能力というのが、あなたに備わっていれば、謝罪したらいいかどうかなんて、私に聞きませんよね、普通は・・・。だから幼稚だと言っています。

新風には自分以下の人間がいるとか、左にも根性ナシがいるとか、つまりあなたはそうやって自分自身を磨く事をしないで言い訳して生きてきたわけです。他人は関係ないのに、「でも他人にもそんなやつはいくらでもいる」と言って逃げてきています。それで今のあなたができてしまっているのです。 そんな判断もできない人だから、ああいう幼稚な評論をしているのでしょう。

平和党は左翼であるかどうかについて、詳しく聞けぱ聞くほど、なんだかどんどん逆の説明になっていることがそれを証明しています。

どうして、今まであなたはいい加減な批評をしてきたか。思い込みスタートからやっているというのが理由であることがわかりませんか。 あなたは不毛な議論だと言っていましたね。なぜ不毛になるのか教えてあげましょうか。

あなたにとってまずは「平和党は左翼である」という結論から始まっているからです。つまり自分の主張を優先して物事を考えている。だから不毛になるのです。したがって、国をどのように良くしようかと考えている人は、謙虚に物事を考えます。あなたの場合は、「言ってしまった。やばいな」と、この自己主張をどのようにして理屈を通すか・・・しか考えていないからですよ。

そうなると結局、自分のためにしかやってないってことになるんです。政治というものはつねにそうです。初めはみんな志を立ててやるんだけれども、そのうちあなたみたいに自分勝手な人間になるんですよ。 あなたの場合は志もなくて、はじめっから自分勝手みたいですけどね。

あなたは本気でやっているとか言いながら、自分で吐いた唾から始まった議論なのにストーカー行為はやめてくれとか、暇じゃないからとか言っていますね。

これにより、本気でやっているのではなくてヘタレ野郎というのはすでにもう自認されたようですが、こんな男が悪にも徹するんだとか言っていたのですよ。口先だけ。

 私は本気で取り組んでいるから寝る間も惜しんでやっているのですよ。昼間は仕事しなきゃならん。夜はあなたに議論をぶつける。でも私は本気であるから一日中、時間をみつけては、無理してでも環境を作ってでもやりますよ。

世襲でない政治家というのはみんなこうして頑張ってやってきていますよ。 どうして議論になっているかといえば、あなたがけしかけたからでしょ。それで左翼だということについて、ずっと逃げているんじゃないですか。

そもそもけしかけたことがなければこうなっていませんが、あなたは自分のケツ拭きもできないことに屁理屈をつけてそういう言い訳してるんですよ。

あなたの場合は語れば語るほど墓穴掘ることばかりですよね。ここまでの人というのはなかなかいませんよ。泡沫候補で一人いましたけどね、ほんとのことをいうと。

 参院選出馬の話もそうだし、国家観の話もそうだし、憲法もそう。本気であるかどうかの話もそうだし、無イデオロギーの話もそうだし、欲望を抑えるための話も全部そう。自分で言っておいて、自滅してます。

まだ他にもあるみたいですけど、数えあげたらキリないでしょ。 もうちょっとちゃんとやってくださいよ。

 ●万策尽きた、無力感自身の仰せが、思いが、人に伝わらない。多々ありましたが、ここまでの無力感に苛まれたのは今回が初めてです。 まだまだ漂流から抜けきれていない私が、かつうわべから平和党に戦いを挑むと申しますか、ここまでやりにくい相手に出会い、私はポジティブに考えて楽観視していた感もありました。

相手に持論の意味を納得させられなかったのはそこで、私が戦うべき相手ではなかったと言うほかないでしょう。彼らの存在意義までは否定した覚えはなく、ただうわべ…いわば基本方針と自然主義経済という大きな柱のみじっくりと読みましたが、それだけでは語り尽くせぬ何かを感じた。彼らも本気だ、と。叱られた…いや、本当に「逆鱗に触れさせてしまった」と恐怖心を覚えました。

万策が尽き、矢が折れ、弓が使えず、太刀が折れ…まさにその心境です。

 「発言を撤回せよ」とずっと思っていました。でも、真意はそうではなかった。果てなく討論が続くうち、「相手の逆鱗に触れたのでは?」と徐々に思い始めました。

「うわべしか見ねぇで言うな!」と言われている感じがして、私もかなりムキになって挑んでいたのでしょう。決して逃げではなく、もう言葉を選べぬがゆえ現時点での敗北感は否定しません。

今の私には、記事やコメントにある以上の答えはもう出せません。

政治家になる志がない…今は、そう言われてもしかたないでしょう。

なるという意志は、まだまだ頭のずっと奥の中にあるのみです。倫理観など多くのものを引き締めてからでなければ、挑む土壌はつくれない。志があるとすれば引き金がありますし、その引き金はまだ引いておりません。

「まだまだ修業が足りぬぞ」そのような思いにも、似た感じがあります。なお、ここまでの運営の混乱をきたし、他の読者の皆さまに大いに迷惑をかけたことをお詫びします。かつ、情緒に走ったと思われるがゆえの非礼もお詫びします。

 相手を納得させることができなかった…最後まで。その時点で、まだまだ平和党に戦いを挑めるわけがなかった。

彼らの概念は、右派とか左派とか軽い次元じゃなかった。いや、そもそも存在意義をも否定する気はなかった…はじめから、ずっとそうだった。かといって、中道でもない…彼らの概念は、もっと違う何かがある。

それであるがゆえ、もっと身を引き締めてから出ないと戦えませんね。「策士、策に溺れる」という言葉を、今ここでふと思い出しました。まさにそんな心境です…嗚呼、政治倫理とは奥がまだまだ深いなぁ。

 なお今後も探究心を忘れることなく、当Blogは疾走しつづけます。それゆえ、読者の皆さまには一層のご指導・ご鞭撻のほどを。

「相手に持論の意味を納得させられなかったのはそこで、私が戦うべき相手ではなかったと言うほかない」←そうです。それが私があなたに求めている正解です。

 つまり、これを左翼と言っていいでしょう。左翼というものは、自分のために理論のための理論を語っています。即ち、だんだんと、私が今まであなたにしてきたような愚にもつかぬような、どうでもいい内容での理屈を並べ立てていることです。

あげくの果てには人格を攻撃するといったものです。 そして、その内容が社会主義であるとか、共産主義であるとか内容はどうでもいいのです。

あったとしても、彼らの自己満足の理屈です。理屈なんてものは頭を使えばどうにでもなります。

しかし、決して多くの人に幸せを与える事はないでしょう。だから人を論破する力なんて養ったところでなんにもならないのです。

すなわち人間は、所詮人智をいくら施そうにも、自然の力にはかなわないのです。だから日本人は古来から神社を崇めてきたのです。

しかし、現代はどの人もみな学力というものだけが高くなって、己を神仏よりも過信して、屁理屈をこね、神道が伝えたいはずである自然に対しての謙虚さがどんどんなくなっていっています。

これら自然現象・社会現象は学問によって征服できると考えられるようになったからです。右派・左派という学問づけにも本質性を考えたら何ら意味をもっていないのです。

これらは自然の仕組みではありませんから。 とにかく自分の気に食わぬ相手は、排除して踏みにじってやろうという汚い根性の事です。

相手を認めないので、多様性を認めず、とにかく脳みその理論を屈指して人をやりこめることです。

私は平和党が右翼であろうと左翼であろうとどっちでもいいといったでしょう。人の世に役立てば、そんなものはいかなる方法であろうとかまわないし、単なる自己満足の政治討論というものは百害あって一利もありません。

人智に溺れた思想・主義主張は必ずうまくいかないようになっています。それを昔から神道・仏教で教えてきたのに、これらすら学問化されております。 結局いきつく先は「不毛な議論」です。

そして、このようにねちねちとやるわけです。だから共産党というのが少々、選挙違反をしようとも、警察はもめるのが面倒くさいから逃げます。見ないふりをしていることがよくあります。共産党には言論の自由があるのだ、人権がどうのと、いろいろと理屈があります。しかしこれらは近代国家ができたあと、人間があとから作ったものです。

しかしこれらは自然の支配下にあります。これをどの人も忘れています。 こういう人たちには、何も社会のためによくなるようなことはないでしょう。その逆の右派思想もしかりです。思想と学問に溺れるとこういうことになります。つまり木を見て森をみないということがなされています。

人はこうして政策論議そのものに没頭しますが、それを大前提としているものを見失いやすいということです。

私からは以上です。お疲れ様でした。いろいろと言われて大変だったようですけれども、誠に申し訳ない無礼の数々をお見せしましたが、これが私のやり方です。ありがとうございました。では今後ともよろしくお願いします。

秋の大阪市長選挙に平和党から立候補したいという方がおりますので、実際にそうなったらお会いできるかも知れませんね。政治というものは政策や学問ではなくて、人間と自然と愛によって成り立っていることを忘れないで下さい。それではブログ運営がんばってください。

http://heiwatou.com

 


幸いにして最適に良い平和党

2007年04月25日 02時39分26秒 | Weblog
「平和党は幸いにして、非常に評判がよいが、最適な平和党は、ここのところ平和党にはまりまして、うれしいかぎりです。みなさん平和党をサラサラと応援して欲しいのです。朝、起こそうとしてくれるのはよいが、さわやかに目覚めたいです。」

なぜこのような文章を書いているのか・・・・
理解できますでしょうか。



 
これで絶大に良いことに、はまりますでしょうか。
見事にありがたいと存知ます。
 
それにしても機械というものは人間の感情を理解できないことがよくわかります。
あ、やばい。理解できないとか言ってしまった。
 
 
 

投票よりも弾丸は強い。弾丸よりも・・

2007年04月20日 05時54分06秒 | 国家基本政策
米国のリンカーン第16代大統領はこういったそうです。
「投票(バロット)は弾丸(ブレット)より強い」と。
しかし、リンカーンは銃弾に倒れました。長崎市長も銃弾に倒れました。これは紛れもない事実です。だから投票が弾丸よりも強いというのは嘘です。

投票が弾丸よりも強い状態というのは、みんながそれを認めていた状態のときに初めて成り立ちます。しかし、それを認めない暴漢が彼らを殺すのです。

長崎市長が射殺されたことを受けて、社民党の福島瑞穂党首はこう言いました。
「武力で問題解決をしようとする傾向には断固抗議する」と。

武力とは相手に攻撃をさせないための力であると私は思います。行使したならば、それはもはや武力ではない。武士道の鞘の内とはこのことです。

伊藤一長市長を殺害した城尾哲弥容疑者が使用したチャカはスミスウェッソンです。鞘の内から抜いていますからこれは武力ではありません。彼の所属する水心会は、六代目山口組の直系組織ですが、この事件を反省して解散するとのことです。

武力を考える場合、山口組を例にとって考えると非常にわかりやすいので今回もここから話をします。

山口組の長崎における直参組織はこの水心会だけです。代表者は水田元久会長。水田会長は司忍山口組六代目組長の若衆でありました。

水田会長はそもそも松本敏久組長率いる松本組舎弟頭。しかし松本組長が十年程前に破門となったため、それまでがっちりと松本組長と一緒にやってきましたが、兄貴分の破門によって山口組の直参に昇格したわけです。

それで、その松本敏久組長というのは、五代目山口組の渡辺芳則組長時代からの直系若衆だったんですが、なぜ直系になったかというと、渡辺氏が五代目になる前、二代目山健組組長時代に松本組長は舎弟頭補佐をつとめていた。その前の初代山健組時代に山本健一三代目山口組若頭の直系となっていたからです。

こうして遡りますと、やくざというのは必ずどこかに源流をもっており、彼らはとくに山健系であることに誇りを持っている人たちです。

そして、これらの組織にはヒエラルキーがあります。親子の場合と、兄弟の場合と、身分が違います。そして最優先されるのは親子です。だから子分は親分に逆らっちゃいけないんですね。

でもこれがやくざの世界でも崩れてきていると思います。また、師弟制度の職人の世界なんかも、崩れてきている。実際に血の繋がった親子関係でも崩れてきている。親を名前で呼んだりする子どもも出てきています。

やくざみたいな仕事というのは、これが崩れると大変な事になります。例えば、親分が60歳、子分が20歳であったとしましょう。腕力で勝つのは20歳の子分に決まっています。でもそれをさせないものが親分に見えない力として働くわけです。これが単に組織力とか、経済力とかだけではダメです。そんなものは乗っ取っちまえば終わりですから。組織力も経済力もその子分の技量次第で親分以上になることはいくらでもできるでしょう。


つまり、ここには暴力を超える以上のパワーが親分に働いているから釣り合います。日常の親子関係だってそうです。

石原慎太郎氏が自分の著書でこのようなことを書いていました。
伸晃さん(現衆議院議員)が高校生くらいのときでしょうか、母親に何か理由は忘れましたが、かなり逆らったそうです。それで慎太郎氏は、「オマエ、俺の愛する女に何をするんだ」と言って、表に出ろといいました。伸晃さんもそれに乗って、表に出たそうでしたが、結局は伸晃氏は殴れませんでした。
慎太郎氏はもはや体力が衰えていたので内心はホッとしていたとのことでした。

慎太郎氏は、「スパルタ教育」を推進している割には、自分では息子を殴ったことがないそうです。ここに彼の本質があると思いますが、いずれにしても、高校生である伸晃氏は父親をボコボコにできるくらいの体力は有り余っているはずですが、父親を殴れなかったのは、こうした力が働いているからです。

なぜこういう家族社会が最近なくなってきたかというと、親世代が社会に対してどのようにして頑張っていくかという目標についてもっていないからだと思います。そこで子どもには尊敬されなくなるわけです。親は金さえ稼いでくれればよいとなります。こうして、団塊世代の親以降、倫理秩序ある親子関係というのが崩れていっています。

戦前は戦争に勝つために、戦後は復興のために、高度経済成長のためにと頑張ってきた段階では、まだ親にそのような力があった。だが、今はなくなった。そうなってくると、倫理性が欠如して、暴力が暴れ始めるわけです。もちろん、城尾容疑者個人の場合は、全然世代が違いますから、このことを直接言っているのではなくて、社会にそういう風潮を作ってきていると申し上げたいのです。

こういう時代になると、血も見たこともないような人間が、簡単に人を殺すことを平気で口にするようになり、人の命の重さをわからなくなってくるために、軽はずみにタカ派的なる政治思想にあこがれを持つのです。

例えば私は十代のときに、懐には必ずナイフを入れていたわけです。自分の仲間にもそうした人はあった。場合によっては使う場合もある。だが、こういう人間というのは当時はごく稀な人々、まあ不優秀というか、そういう人たちだけが所持していたのです。

しかし、現代の若者はそういうものを持っているのか持っていないのかは知らないけれども、簡単にブスっと刺してしまうような傾向があると思います。なぜなら、あまりにも喧嘩を知らないからです。

政治家にもそうした人たちばかりになって、学生時代にヘタレ野郎だった人間に限って、政治主張はタカ派的なものが多い。むしろ、若いときに血気盛んだった人間は、社民・共産にはならないけれども、まあまともな程よい程度の人が多いわけです。そして筋をきっちり通す人も多い。

つまり今のタカ派的傾向を発言を好む人というのは、とくに匿名性の高いネット上においては、いざとなれば逃げ出すようなタイプが非常に多くいるように感じます。

こういう人たちが増えると、自分の考え以外のものは皆バカであるとのモノの喋り方をするわけです。多様性を認めない社会になってくるわけです。勿論、これは護憲平和などを掲げる人にも言えます。「小泉なんて人間じゃない、安倍なんてクソだ。」これくらいのレベルにまで達してくるわけです。その表現の汚さといったらないです。

だから究極は殺してもいい・・・と、こうなるわけです。

加藤紘一氏の実家も放火で全焼しましたね。これについて加藤氏は、「言論に対する宣戦布告」ととらえているようですが、言論によって人が傷つく場合、あるいは貧困を招く場合だってあるのです。加藤氏の言論によって拉致家族が傷ついたことだってあります。加藤氏はリベラルとして途上国にいろいろなことを施した事がかえって仇になって、さらなる貧困を招いているものがたくさんあります。

つまり私は言論は、銃撃に勝るとか勝らないとかは思わない。

言論もまた銃撃などの暴力に相当する事もある。だが、普通に考えれば、ここでグー・チョキ・パーが成り立つと思うのです。

つまり言論や民主主義というものは、爆弾を打ち込まれれば、その言論すらできなくなる。だから暴力は強い。しかし、その暴力を上回るのは、倫理性であると思うのです。

知識人的な言論とかいうのは無力です。それはその人は正しいと思っているかもしれないが、別の立場の人は違うものの見方をするわけで、その言論によってある人はなきものにされる可能性もあります。だから、暴力をコントロールするのは、その上のものが尊敬されるかされないかで決まります。

現代のように、多様性を認めず、自分以外の考えは皆愚か者であると考えている自己中心社会が、これらの倫理的無秩序を作り出しています。

企業の不祥事、政治家の不祥事が出てきては、みんなでつるし上げる。そうしたことに喜びを持っているあさましい人間がどんどん増えてきています。

プラス志向の人間というのは、なぜそうした不祥事が発生するのかという根本を考えます。根本を考えない限りはどうにもならないのです。

だから平和党は、こうした不祥事に対して、つるし上げるのではなくて、不祥事の要因たる仕組みを破壊し、新たな方法を作ることを提案しているのです。

しかし、現代はあまりにもこうしたことをつるし上げる事が多い。こうした風潮は、必ず切り捨て御免社会を作ります。右側は左側に対して執拗なまでに苛め抜き、左側は右側に対して人間ではないかのように扱います。これはともに同じレベルのことをしているわけです。まさに今は、2.26事件以来のサイクルを繰り返しているのです。

これらの最下層による農民一揆、摘発型市民運動、闇の権力に対しての追究などなど、ある程度皆が満足するまでやったならば、必ず沈静化され、こうした人たちはいなくなります。なにしろ歴史のサイクルからすると、こうした人たちは、騒ぐだけ騒いで結局のところ権力の中枢に入ることはありません。これらを沈静化して、秩序社会を作るのは、つねに倫理性をもった武人によってなされているからです。


自然主義経済が食糧とエネルギーを自給できるという理由

2007年04月18日 16時59分59秒 | 財務金融
●質問
自然通貨を使おう!と言って活動している人たちは平和党の他にもいますよね。そういう人たちはいずれも自然通貨の使用範囲を地域通貨の範囲内としています。平和党のように国家の通貨としては考えていないようです。その理由についてはケインズが指摘しています。(参照:ウィキペディア『自然通貨』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E4%BE%A1%E3%81%99%E3%82%8B%E8%B2%A8%E5%B9%A3)

ようは例えば日本円が自然通貨になるならば、それならばユーロで取引しよう、あるいはゴールドで溜め込もういう発想が出てくるんですね。あのオーストリアで成功した例でも、税収にあたる減価分のスタンプ代は、きっとオーストリア政府が発行している通貨で支払ったのでしょう。あなたの回答はわかってる!だからこそ担保となる食糧とエネルギーを完全に自給しようと。だけどそれを実現するのも自然通貨だというのはなんか論理破綻してないか?と疑ってみます。つまり『卵が先か?鶏が先か?』というパラドックス…。


●解答

平和党の自然通貨は日本銀行券に代わるものではなく、日本銀行券と並行して用いられるものです。そして、地産地消を促す意味からも、地方自治体ないし、さらに細かく分けた地域での通貨ということを意味しています。このときに、日銀券はプラス利子というそのガン細胞性から自然淘汰されていきます。

この説明では全くわからないと思うので順次述べます。

ケインズはゲゼルについて一定の評価を与えながら、これは結局のところ無理だろうと言っている理由は、「お金というものは使わないで貯めておく、そのリスクの分、利子をもらえる」からだと思っています。

だけれども、その決まりを決めたのは誰かということです。ようするにお金の疑問というのは、ここに必ずいきつきます。いつのまにか決まってしまっていることを、あたかも当たり前のように議論されるのです。そして、この「お金というものは使わないで貯めておく、そのリスクの分、利子をもらえる」という決まりは、自然界の法則にのっとっていないために、必ず崩壊するでしょう。

ここに1億円あったとします。資本金1億円の会社を興すことが可能ですね。で、この1億円で工場を建てたとします。このとき、1億円の資本金を持ってる状態と、1億円を使って工場を持っていた状態と二つを比較してみましょう。

1億円の資本金を持っている場合、会社を起こせる能力が隠されているわけです。なおかつ、銀行に預けたり、投資することによっての増殖が可能なわけです。

しかし1億円の工場を持っている場合、その工場から産み出される利益もありますが、同時にその工場という物質は時間とともに磨耗していき、その価値は減るわけです。その工場には信用もついて利益が伸びるかもしれませんが、工場は必ず減価しているはずです。やがて何十年後かに改築の手入れをしなければいけないでしょう。

自然主義経済というのは、この場合、工場を作らせることにおいて意味を持ちます。これまでの資本主義はお金を溜め込んでおくので、経済が活性化されず、貧富が拡大するのみです。そしてプラス利子という虚妄の利益で勝手に喜んでいるわけです。これは虚構ですから必ず崩壊します。

すでに、質疑応答のところでも書きましたが、自然通貨は日銀券と同時に存在します。そして、この自然主義経済がなんてバカなものなんだろうとほとんどの人が思っていますから、当初はみなが日銀券を好んだり、あるいは持っていると減るなんてそんなバカな・・と思っている人たちは、どんどんドルやユーロ、あるいは株を買うでしょうね。でもそれでいいんです。そこに自然通貨というものが流れているだけで。

オーストリアの事例でも、あともう一つのドイツの鉱山の事例でもそうですが、最初は誰も相手にしないが、どんどんお金が回っていって、それを使っている一部の人たちだけがどんどん豊かになっていくので、最初にバカにしていた人たちもみんな参加していますよね。これを続けていくと経済構造が変わるんです。

だから、平和党は、今の政治・経済・社会問題の全ては、ただ一点、つまりマイナスの通貨にすることによってのみ、全ての政策課題が解決できるとしているんです。だから天下りがどうの、憲法がどうのなんて話していたって時間の無駄です。たった一つのことをやれば全て波及するんです。けれども、このことがほとんど人々にはわからないわけですよ。


食糧とエネルギーを完全自給するのに、自然通貨が必要であるという意味はこういうことです。例えば、ここに自然通貨と日銀券があるとします。消費者が必ずお金を使うものは、家賃あるいは住宅ローン、食費、光熱・水道費でしょう。

ここでまず自然通貨1000ポイント、日銀券1000円があった場合、まずは自然通貨を先に使うでしょう。来週になったら減るんですから。そこでスーパーに食品を買いに行きます。あるいは一人暮らしの人は作らないだろうから外食します。でもその外食産業のお店も安いスーパーで仕入れているとします。

なぜスーパーは強いのか、なぜ地元の商店はつぶれていくのかということを考える必要があります。シャッター通り商店街をなんとかしてくれと地元人は、政府自民党に助けを求めますが、無理です。では、民主党のようにかつての自民党がやった補助金バラマキ政策ならいいのかというと、これも無理です。

資本は強いほど力をもつ法則だからです。だから、どの政党が政権を握ろうとも、共産・社民政権であろうとも地元商店街はよくなりません。平和党政権のときのみ、よくなります。

自然通貨を受け入れてくれるスーパーはないかもしれませんね。その場合は、自然通貨は地元商店街に流れていきます。地元の商店は、外国の輸入品を扱うよりも、近くでとれたものを採るほうが効率がいいです。だから、なるべく直で、直で・・という発想になってくるのです。

ところがスーパーや大手のフランチャイズ形式、郊外に広がる大規模小売店というのは、がっつりと大きく仕入れて、バラバラッと安くばら撒くわけです。人件費の安い外国で作ったものを入れてくるから安いのです。

つまり自然通貨が流れていきやすいルートというのは、こうした大資本によってできあがったルートではなくて、これまで日陰にされてきた地元商店のルートです。だから、その地元商店を満たすために、モノを作るほうも地元で生産がさかんになるのです。より遠くからモノを得ようとすると不利だからです。もちろん、こだわりのラーメン屋なんて人がいたならば、尼崎のラーメン屋でも北海道産のカニとか使うでしょう。それについてはやはりその産地のものでなければいけませんが、今までこだわらなくてよかった部分は、尼崎で産出されるこだわりの有機栽培のものなどになるでしょう。自然通貨が、食糧自給を呼び起こすわけです。もちろん、これだけではダメですから、他に掲げている軍農政策とか、技農士制度とか、同時並行してやっていくわけです。

次にエネルギーについてですが、この食糧の問題がわかればもうわかると思います。
つまり、自然主義経済というのは、「電力料金支払いのためのお金」よりも「電力そのもののエネルギー」を好むのです。だから、原発・火力よりも経済的には太陽・風力が効率がよくなるのです。各家庭に設置できるものですから。


それからついでに、スタンプ貨幣についてですが、現代に行われるだろう自然通貨は、減価分を支払ってもとの貨幣価値に戻すのではなくて、減価したら減価しっぱなしになります。だから消滅していきます。




やや低レベルな討論 その1

2007年04月15日 09時39分09秒 | 財務金融
  http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/17451539.html

  突然失礼します。それで貴方は今の日本をどうなされたいのですか、領土も漁業権も放棄しましょうと言う事ですか?、私にはぬるま湯に浸った豆腐みたいな作文に思えましたが。お気を悪くされたならごめんなさい。  
2007/4/12(木) 午前 10:51  [ 竜馬宜しく ] 
 
  いつものごとく真意が伝わらず、かねての政治思想論による質問内容ですが、領土や漁業権をなぜ必要とするのかの根本についての問題提起です。富が蓄積される経済社会の場合には領土が必要でしょう。漁業権も必要でしょう。しかし、それでは永遠に無益なことをするので、食糧・エネルギー・通貨においての改革をなすべきとしているのです。この論は、創造力があれば、ぬるま湯に浸かった念仏平和とは解釈しにくいものです。  

 領土は国防すべきものであるし、漁業権も魚が獲れるところまで獲ったらいいと思います。しかし、経済構造が富の蓄積に意味をなさくなることによって、魚を遠くまでとること自体に意味はなさなくなります。ガツガツ私利私欲の考えが正義だとされる昨今の風潮は、こうしたことにメスを入れないからです。  
  それから私は、既存の政治思想に頼ることの方がぬるま湯に浸かっていると感じます。ほとんどの地方議員は、理念・政策なんて、上に挙げたようなもののどれかをチョイスすればすむと思っていて、さほど思いも深くありません。  

  結局、自分が議員として就職できればそれで安泰なので、無節操な政党移籍をしても、選挙で勝ちさえすればいいので、きちんとした理念・政策が立てられていないのだと思います。自分が議員でありつづけるための後付けのための理念・政策はその議員のためにはいいかもしれませんが、そこの住民にとっては何の利益ももたらさないでしょう。  
2007/4/12(木) 午後 1:42   [ 木村重成 ] 


 
  別に聴く必要性もないようですな。いずれにしても、漁業権の安全を国は保護すべきでしょう。  
 2007/4/12(木) 午後 1:58  [ ひろやん ] 


 
  漁業に携わる人は、労多くして利益が少なすぎると思います。南米産やアラスカ産において、お金の力で負けるからです。なんで日本の近くの魚が高くて、遠くの魚のほうが安いのか。地産地消をなす必要があり、このためにはお金の仕組みを変えることが必要だと考えます。  
2007/4/12(木) 午後 2:33    [ 木村重成 ] 
 
  まあ、あんたの思想はひらたくいえば新しくない、ただの社会主義だな。  
2007/4/12(木) 午後 4:01  [ hothotrun ] 
 
  社会主義というのは、政府による資本主義のことです。  
2007/4/12(木) 午後 4:08     [ 木村重成 ]
 
  では聞くが、食糧とエネルギーを国内で完全自給するというのは、国家による社会主義、計画経済による政策だろう。平和党の練馬区の候補者は、元自民党だというが、まさに社会主義者の顔をしてるな・・(藁)  
2007/4/12(木) 午後 4:14  [ aaaaa ] 
 
  それも思い込みです。よくご覧になればわかると思いますが、国有地を民間に貸し出して農地にしますので市場経済によってなされるわけです。社会主義では、国家が食糧を統制するのは資本の力によってコントロールしようとします。これはお金のほうが食糧よりも力が上回っているからです。富の蓄積を民間においても、政府においても何ら換わることがありません。むしろ一部の政治支配階級が富を独占するわけでやりたい放題になり、ろくなことはありません。  

  誰もが自然主義経済を聞いた途端に社会主義を思い出すでしょう。それは資本主義でないものは社会主義だと思い込んでいるからです。しかし、実は資本主義と社会主義は同じものなのです。資本を蓄積することによって、その力を発揮するからです。自然主義経済はその逆で、お金が集まっていても力を持ちません。流通する事において力を持ちます。  
 それから練馬区の人は、別団体になりましたのでもう平和党ではありません。人は顔で判断できないものですよ。なぜなら全然社会主義の人ではないことを私は知っていますから。  
2007/4/12(木) 午後 4:25     [ 木村重成 ]
 
  あんたいいことを言う。そう資本の管理を民間にまかせずに国家の管理下に置こうという企てが社会主義=政府による資本主義だ。社会主義者も実は資本主義者だ。「生産活動は資本の集積がなければ成り立たない」ってことを知っているという点でさ。とすると、あんたは「資本主義」でもなく「政府による資本主義」でもなく、「生産資源をどんなふうに管理すべきだ」と主張してるのかえ。  
2007/4/12(木) 午後 4:28  [ hothotrun ] 
 
  このブログでは、そのことが平和党の結党理由であり、そのことばかりをここで延々と書きつづけているのですが、読まないで、勝手に社会主義だと思い込んでいる人も多いのも事実です。自然主義経済という方法によってそれが可能だということです。管理というか、国家によっての統制は全く論外です。  

  通貨に減価機能を持たせるということです。現在の資本主義経済がなぜ、お金が強いかというと、モノは持っていると老朽しますが、お金はためておくとその価値が維持されます。ないし、プラス金利によって増殖します。ここに自然界と貨幣のアンバランスが生まれるわけです。よって存在しているのかいないのかわからないようなお金をみんなが崇めるわけです。  
    
  お金をストックすることに意味がないのなら、使うでしょう。だから政府による社会保障などいらないということです。全てが民間で可能であり、全てが個人事業主になります。大資本を持つ大企業こそ不利になりますので、これによってどんどん景気がよくなるのはすでに世界各地で実験済みです。ただ中央銀行は、このやり方が国家にそむくものとして必ず阻止してきています。富の蓄積が政府に存在しているからです。  
2007/4/12(木) 午後 4:38    [ 木村重成 ] 
 
  マイナス利子ならどんどんお金を使って景気がよくなるのはわかった。しかし、それがどうして社会保障につながるのかを教えてください。  
2007/4/12(木) 午後 4:42  [ aaaaa ] 
 
  お金が自分のところにどんどん集まってくるといっても、無駄なガラクタは買わないでしょう。どうしてもお金が貯まっていきます。でもそのままにしていたら損します。だから前払いをみんながしたくなります。来週あの飲み屋にいって金使うから今払っておこうとか、あるでしょうけど、老後の心配をするならば、これまで資本主義の世の中で必要されてきた社会保障にかかる費用をここで払うことになります。現行の年金を払いつづけて、やがて年金はプラス利子の仕組みによって国家財政とともに破綻するでしょうが、そのときに自然主義経済がそれを代替できるわけです。

ただし、この自然主義経済を行うには前提があります。食糧とエネルギーという担保がなければなりません。そして、最後の日本銀行券の役割は人々に住宅を提供する事です。食糧を作る産業は、資本主義である以上、効率が悪いわけです。

  右から左にゼニだけ動かす金融のほうが何兆円をも産み出していますが、腹の足しには全くなりません。しかし、人間はいつのまにかお金でなんでもできると思い込み始めました。だから、食糧とエネルギーの自給が不可欠です。このためにも自然主義経済が活躍します。食品と同じように価値が減る自然通貨は、食糧産業においてまずは力を発揮します。2007/4/12(木) 午後 4:47    [ 木村重成 ] 
 
  だが、あんたも生産活動には資本(資金集めとその運用)が必要だというのは認めるだろう。資本がなければ、生産活動はできねーよ。資本(集めた金)をもとに生産活動をするのが資本主義だろう。あんたの思想によると未来の生産活動は資本を用いずに行うのかね。資本の必要性をあんたが認識しているのなら、社会主義が広義の資本主義であるように、あんたの思想も広義の資本主義だよ。あんた流の言い回しを使って表現するならさ。  
2007/4/12(木) 午後 4:48  [ hothotrun ]  


あなたはまだ思い込みがあります。資本がなければ生産活動ができないという資本とはなんですか。お金のことですか。自然主義経済は、このお金が今までのお金ではないのです。工場や機材だとしたら、それは減価していくものでしょう。資本金は価値が維持されるが、資本たる物品の場合は磨耗していきます。だから私が資本主義者と呼ばれていいのですが、この場合の資本は実態ある資本のことを指します。それは食糧とエネルギーです。  
2007/4/12(木) 午後 4:55     [ 木村重成 ]
 
  >だから私が資本主義者と呼ばれていいのですが そうよ、あんたも「資本主義者」だよ。  
2007/4/12(木) 午後 4:57  [ hothotrun ] 
 
  所詮人間は、自然から採れるものを加工してモノを作らなければ生きてはいけません。だからそういう意味で資本は必要です。しかし、実態のないものを資本と呼んでいると日本は破綻するでしょう。資本の考え方を変えていく必要があると思います。新資本主義にしましょうか。  

  資本が勝手に増えていく。借金が勝手に増えていく。そこには何の実体もなく、通帳にただ記載されている数字だけが踊るだけです。したがってありとあらゆる借金は全て返済不能なように人間は作ってしまったのです。だから、これを元に戻すために提言しているわけです。  
2007/4/12(木) 午後 5:05    [ 木村重成 ]
 
  おみそれしました でもオラぁ無党派を貫きますんで  
2007/4/12(木) 午後 5:07  [ aaaaa ] 
 
  いや、別にそういうことは望んでませんので。貫きください。  
自然主義経済は別に古くても新しくてもいいし、資本主義の一部であると言われても、何の問題はありません。ただ、いまだ国において実践されたことがないことは間違いありません。私が古い政治として取り上げたものは全て日本でやってみたことでしょう。なんでここに気づかないのかなと思うと、やはりこれはこうだろうという今までの経済学が大きく邪魔していて理解できないのだと思います。  
2007/4/12(木) 午後 5:16    [ 木村重成 ]
 
  「貨幣消耗論」は正しいと思う。  
2007/4/12(木) 午後 7:15  [ hothotrun ] 
 
  で、あるとするなら、あなたが考える資本というものは根底から覆るものではないですか。  
  減価貨幣制度が良い方向であるから、それを実施するための政策が平和党に全て用意されているわけです。たった一つの制度改革だけで、全ての政策分野に波及します。「減価通貨だけが正しい」では、いろいろな矛盾が起きます。  
    
2007/4/12(木) 午後 8:04     [ 木村重成 ] 
 
  そんな社会が成り立つかどうか一度仲間を集めてどこかの島で実験なさったら如何ですか。とくと拝見したい。  
2007/4/12(木) 午後 9:06  [ 竜馬宜しく ] 
 
  島ではありませんがすでにドイツの都市部で行われています。想像できないことは不可能なこととするのは誰にでもできます。しかし、そのような政治家ではすでに限界がきているということです。役人のように前例踏襲主義しかできない人の場合には、なかなか難しいようです。  
  そんな社会が成り立たないということを説明できますか。ぱっと思いつきで人は、今までにありえないことを否定したがるものです。否定できるものがあるのであればどうぞ述べてみてください。  
2007/4/12(木) 午後 9:19     [ 木村重成 ]
 
  貨幣消耗論ってのは現在数字上で蓄積されている資本の記載額に虚偽記載があるってこと。でも資本自体が地上から雲散霧消するわけじゃない。「正味の額面」で「資本を正しく運用しよう」という修正資本主義論議ですよ、これは。あんたの戦争論は青いりんごみたいにまるで食えないけどね。  
2007/4/12(木) 午後 10:08  [ hothotrun ] 
 
  では、今数字上に記載されているものは全てのモノやサービスと交換できますか。あるいは将来にわたって、精算されるものですか。資本を正しく運用するための基準とはなんですか。青りんごは食べられますよ。  
2007/4/12(木) 午後 10:17    [ 木村重成 ] 

 

つづく→ http://blog.goo.ne.jp/heiwatou/e/377515f21517f499373f3e4de26e8b6a