日本には「気」という発想があります。それが波動を発して・・・などと聞くのも嫌な人がいるでしょう。これらを嫌う人たちの中には保守主義を名乗っている人が多くいます。便所を掃除したら商売が上手くいくとも言われています。
私は20年間、行政書士として憲法を学びながら、護憲平和運動にも多く携わってきた。憲法とは国家の基本である。その憲法を廃止しようとする平和党は異常である。現在、憲法改正のための国民投票を作るなど、政治家が憲法の大切さを忘れ、まさに異常事態とも言える。今こそ憲法を守らなくては民主主義、人権、平和が守られなくなる。これについてどう思うか。
まず、「憲法が国家の基本」であり、「国家にとって憲法がなくてはならない」とは誰が決めたのですか。
憲法がなぜ必要なのかも知らない貴党が異常だというのだ。
すでに決まっていることを当たり前として、人々は本質を忘れてしまう事があります。すでに存在するもの以外は異常であると考えがちです。なぜ憲法が最初に制定されたのでしょうか。もう一度お尋ねします。
それは日本が戦争に負けてから、近代国家に必要なものを備え付けたからである。
では、共産党や社民党という政党はなぜ憲法を守らねばならないとしているのでしょうか。
すでに述べたように、平和・人権・民主主義を守るためだ。憲法を改正するということはこれを変えていき、日本をかつての軍事大国、戦争への道筋をつくることになってしまう。とくに9条を改正する事はよくない。というよりもこれだけは絶対に阻止する必要がある。この理念が世界に広まったならば、世界は平和になるからだ。
日本共産党は、今の憲法が制定されようとしているときに反対していました。9条の問題です。つまり軍備のない国家などあるはずがない。自衛権すら認めないこんな憲法ではいけないと、彼ら共産党議員は国会でも答弁しています。
当時の日本社会党、日本共産党がその後、護憲の態度をとるのは、もっと深い理由があるからです。
当時は米ソの冷戦体制でしたね。日本はアメリカ・韓国・西ヨーロッパの側に立っていました。しかし、社会・共産はソ連・中国・北朝鮮・東ヨーロッパの側です。
だから、軍備を持つということは、いわば東側諸国・共産圏に対して牙をむくことになるからです。だから、彼らの本音は自衛隊の廃止を求めていたのです。
日本は米側についているから、軍備を持っているとソ連側と戦争する事になりますよね。でも自衛隊がなかったら戦争すら起きない・・・とこのように考えたわけです。
それが証拠に、社会主義と軍隊放棄が何の関連性もないことは明らかとなっていますよね。ソ連も中国も軍事大国でしたね。日本に社会主義政権ができたとしても、今度は西側に向けて対立状況ができるので軍隊は放棄しませんよ。社会・共産の護憲精神というのは、単にこうした戦略上のものであったのです。
しかし、冷戦構造のない現代では、そのようなことはもう関係ないだろう。現在の共産党、社民党が今も護憲に徹しているのは、そのような過去のことが無関係であることを証明しているではないか。
しかし現在の社民党、当時の社会党は政権につくやいなや、「自衛隊は憲法違反ではない」「日米安保は堅持する」と言い出しました。
あれから下野して今度は、またかつての野党時代と同じことを言い始めました。何の説得性もありませんね。消費税にも反対していたのに、政権についたら逆に消費税をアップしました。野で吠えるのと、政権を与えられるのとでは態度を変えねばならないことがわかったのでしょう。
では、彼らの言い分は筋が通っていないとしても、平和主義・人権尊重・民主主義が大切なことは認めるだろう。それならばなぜ憲法を廃止せよというのか。
廃止せよ、というよりも、あろうがなかろうが意味がないということです。一つずつ話をしましょうか。
まず平和主義について。憲法が存在すると平和になる、あるいは憲法9条があると平和になる、さらにこの理念が各国に広がれば世界平和が達成されるということですが、日本はたしかに憲法9条があってなのかは知りませんが、戦後は間違いなく、戦争をしていませんね。
でも、イラク戦争は間接的に巻き込まれているし、国連の平和維持活動という名の戦争に携わっていますね。それに他国で戦争をしていても、日本はなるべく関わらないようにしています。
でもイラク戦争は、もし仮に国連での決議があったなら、現行憲法でも日本は参戦が可能だと思います。湾岸戦争は確実に、日本は参戦可能です。
なぜならば憲法では、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」としていますから、国際社会でこれが正義だと判断したもの、すなわち国連の決議ににおいて、それに従い、そこで自国の名誉欲を達成しようということですから。
だからアメリカ中心の安倍首相よりも、国連を重視する小沢一郎民主党代表は史上最大の護憲派なわけです。
また前文で、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」となっています。
ということは、湾岸戦争では、イラクは自国のことのみに専念していたので懲らしめても良いとなります。
しかし、元をただせばクウェートが自国のことのみに専念していたから湾岸戦争は起きたのですよ。クウェートは、イラクとの国境付近の石油の取り分の配分の約束を破って採取していたから起きた戦争です。でもアメリカが自国のことのみに専念していたから、クウェートを正義として、戦争をしかけたのです。
戦争の本質とはこういうところにあります。すなわち皆どの国も自分の国が正しいとして、利益を得ようとするのです。
だから、そうした国連のいきすぎた事に対して、日本がものをいえるようにする努力というものは必要だといえるだろう。
国連というのは軍事同盟なんですよ。もともとは第二次大戦のときの連合国が国連になっているのです。
勝てば官軍から生まれた組織です。だから国連で力を持つということは安保理入りを目指すということなんです。
経済や福祉で貢献せよと言っても、軍事力の前には力はありません。また経済的な貢献と誰しも言うけれども、途上国にドルや円を注ぎ込む事は、貧富の差を拡大するばかりで、ますます貧困と戦争を生んでいるのです。
途上国には豊富な自然資源がありながら、そこにお金を注ぐとかえってその自然資源を浪費することになるのです。だから、経済・福祉の貢献というのは、一見すると良きことをしているようですが、かえってマイナスのことをしているのです。そういうことは途上国のあちらこちらに起きています。
そして憲法9条を守れという人は、国連を尊重する傾向が強いですが、国連というのは空軍を所持していないと加盟できないことになっています。
飛行機を飛ばせられない国もありますから、その辺は多めにみているのですが、日本は十分に航空技術もありますから、当然持たねばならないでしょう。だから軍事能力がありながら、持たないというのは国連参加資格はないのです。
そして、今でも国連は連合国の歴史をひきずり、日本とドイツだけは、ちょっとでも生意気なことをしようものならぶっ潰してもいいことになっています。敵国条項です。これは明らかに軍事機関です。
これらを全て改正したとしても、その本質が戦争のための機関である以上、平和にはなりませんね。
では、日本は一国平和主義を貫く事としよう。スイスのような永世中立国。
スイスは永世中立国ですが、屈強なる軍隊を持っています。いずれにしても平和憲法がこれだけ矛盾だらけであるということはおわかりいただけたと思います。 したがって憲法は平和になんら貢献しないと言えます。平和とは、別の方法によって達成されます。それについては後ほど述べるとして、人権の問題に行きたいと思います。 人権はなぜ必要だと思いますか。
http://blog.goo.ne.jp/heiwatou/e/e1f261127daf091699aa6e3d3e77b47b に続く
それは当然、人間が人間であるということを根拠として発生するものであるからだろう。その権利を持つこと、自由に行使しあるいは保留することが当然であり、それが自然なものである。 個人は国家に対して束縛されないということだ。法律というものは国が定めるが、その国を抑制する権力というものが必要だ。だからその国家のいきすぎにブレーキをかけるためにも憲法は必要なのだ。
なるほど。ということは、あなたは国家権力を肯定するが、国家が個人の尊重を無視して横暴する可能性もある。だから、それをとめるために憲法が必要だと、こういうことですね。
ところで、横暴する可能性があるにも関わらず国家権力が存在しないとダメだという理由はなんですか。
やはり、民間ではできないこともあるだろう。公正なレフリーというものも必要だ。貧しい人々を救うのも国家の役割である。すなわち、儲け過ぎている大企業から多くの徴税をして、貧しいところに流すという所得の再分配としても必要だ。
国家というものは一つのモデルでは説明できないと思います。しかし、現代の人々はあたかも一つのモデルがあるかのような錯覚をもっています。 では、あなたは国家が存在しなくても、公正なレフリーがあって、所得再分配機能があって、人権が尊重されていればいいということですか。
現代において、国家が存在しないなどという状態はありえないことだろう。だからそういうことは考えられない。
考えられないからといって、いつもそこで思考を停止してしまうので、いつもあなたたちは、改憲派と延々と同じことを議論しているのです。 人権を守る機関というのは、具体的には法務省が管轄していますよね。もちろん自治体もそうですし、警察庁なども憲法に拘束されています。
しかし、いずれも全て国家権力に基づいて作られたものです。彼らはやはり憲法に基づいて、これらを執行しているのでしょうか。
もちろん、そうだろう。こうしたところに憲法は生きているのだ。公務員には憲法尊重擁護義務というものがある。
憲法尊重擁護義務を無視したらどうなりますか。
それは適正なる判断をすべき機関が罰するべきだ。もし、その機関すらも憲法を尊重しないというのであれば国民が監視する。
国民が監視しているのにも関わらず、無視しつづけていたらどうなりますか。
選挙という方法で選びなおせばよい。また、自治体の場合だとリコールという方法も残されている。
選挙で選びなおして、その政治家も憲法を守らなかったらどうなりますか。
そうなってくると、有権者の判断が正しいとするしかないだろう。憲法では民主主義を認めているのだから。
そうですね。ということは、憲法というものは無視しつづけることが可能なものなのですよ。
そうなってしまう可能性もあるからこそ、我々のように憲法は大事なんだという啓蒙活動が必要なのだ。
でも、この発想で行くと、憲法というのはどこまでいっても無力なんだということがよくわかりますよね。国民が監視しても無視して、選挙でも憲法を無視する勢力が増えていったら、国民は暴力によってそれを止めるしか方法は残されていません。
でも憲法を守れといっている人が、暴力革命に訴えて出ることは許されないから普通はしませんよね。
だけど、それを口実に暴力革命しようとする人間が出てくるのです。
これは先ほど述べた戦争の本質と全く同じです。ここに善悪中毒が存在するのです。
憲法を変えていくことが善なんだとする人、憲法を守ることが善なんだとする人、この双方が、相手方を悪だとしているわけです。国際紛争の本質もここにあります。
「俺は別に善悪中毒でもいいや」と思っていてもかわまわないですが、とくに護憲派の人はですね、かなり矛盾した行動になっていますよね。 これまでも憲法違反をしながら、そのままになっているものは数知れず存在します。 http://d.hatena.ne.jp/heiwatou/20060930
をごらんください。
つまり「無力な憲法だけれども、これは大事なんだ」と啓蒙したところで、支持はされないでしょう。
では、民主主義の問題はどうか。民主主義を規定するのは憲法でなければなされないだろう。
その前に、あなたは平和・人権・民主主義との三つのうち、どれが優先されるべきものと思いますか。
どれも重要なものだ。国民主権によって、平和と人権がなされるわけだから、国民主権と言えなくもない。
まあ、平和であるから人権が尊重されて、国民主権もなされる。人権があるからこそ、平和であり国民主権ともなるとも言えます。
でもこれら三つが重要なものだとしているのが憲法ですよね。
ここにあなたがたが憲法信者になってしまう大きなポイントがあるのです。
つまり憲法こそが絶対であると。憲法がこれらを決定付けてくれる大きな力となると、、、、なんか戦前の天皇に似ていませんか。
こうしたものというのは、必ず日本を不幸に導くものです。だから、何が本当に必要なものなのかをもう一度考えていただきたいと思っています。
そのうちに、当初は人権や平和のために存在していたはずの憲法だったのに、やがて憲法のための憲法になっていくのです。
それが証拠にあなたがたは、国民投票法の制定について反対していますね。 憲法は国民投票によって改正されるとなっていますが、それを無視して国民投票法に反対するというのはおかしいでしょう。
そして、言論の自由というものが保障されながら、憲法を変えることだけは絶対にダメだという、自己中心主義が起きているのです。これは、「イラクだけは悪い国だから軍事的に制圧しても良い」というのと同じことを言っています。そして戦争が起きますね。「戦争というのはなるべくしてはならない」だが、「戦争を起こそうとしている国に対してだけはやっつけてもよい」と言うのは、「憲法を守らない人に対してだけは言論の自由は許されない」といっているのと同じですね。
これは、戦前の天皇絶対信仰と全く同じです。昭和天皇自身は戦争を望んでいなかったのに、みんなが陛下のためにというわけです。
今、同じように憲法のために、と言いながら民主主義が尊重されなくなるわけです。そして、護憲派の論調が、改憲派に対して人権を無視するかのような行動も多く見受けられるようになってきました。
とくにインターネットが普及した事によって。さらには、この憲法信者によって、戦争が起こされるということも考えねばならないのです。
つねに歴史というものは、見逃しているところから不祥事が起きています。安倍内閣や右派的政治思想がいかにも日本を戦争に導きそうだなとは、誰もが考えがちですが、灯台下暗し、のところからいつもトンでもないことが起きているのが歴史です。
ここには善悪中毒の本質が隠されています。
明後日には結果が出てしまうわけですね。さて、日本公進党と
維新政党新風…1[公認のみ]対11[全て推薦・支持]の戦いゆえ、勝敗の
ラインがいまいち見えないわけですが、果たしてどうなるのか?
ここだけは行かない方がいいスポット
統一地方選、1stでも2ndでも両ラウンドにて公認候補を送り込むと
息巻きながら、結局は送り込めなかった悔しさが全開ですね。
まあ、「参院選に出る」とか言いながらあと3ヶ月強しか
時間がありませんよ。どうせ、送り込めないんでしょうけどね。
無イデオロギーとかのたまう平和党…でも、あんたらは
「体たらくと化した共産党よりも、たちの悪い左翼ですから!残念!」
では、表題に戻って…岡山の場合はいったいどこなんでしょうか?
岡山駅前?…それとも、備前西大寺?うーん、わからん!
最終更新日 2007年04月20日 23時31分54秒
平和党の木村重成です。トラックバックしていただくのは大変ありがたく、いつでも歓迎ですが、あなたは我が党に言いたい事があるのならば、直接に物を申してください。こそこそと吠えるのが好きなようですが、こちらへ来て討論できるほどの論理的なものではなく、ただ単に感情だけで、政治批評なされておられることを見るに、論破できないことはよくわかっています。ですが、あなたの行動が極めて男らしくないと感じております。
以上の理由によりトラックバックは削除しました。
まさに今の一般的な、精神的に薄弱なる人間が、自らのかっこよさのために、威勢を張り、無責任にいいかげんな情報をばら撒いている社会現象を、私は目の当たりにしたような気がします。
私はあなたのような無責任な情報の垂れ流しも世の中には必要な事だと思っていますから、とがめる気はありません。
(2007年04月21日 00時48分08秒)
(2007年04月21日 00時48分27秒)
公党たる政治団体の場合は、どのような非論理的な批判であろうとも許されると言うのであれば、それもあるでしょう。ただ、あなたが政治家になりたいというのであれば、全く話が違ってきます。私は、別に政治家になろうと思っている人間でなくても、必要最低限のことだと思ってはいますが、そんなことはどうでもいいんだという、無責任的なる市民運動の方法をあなたが選択するのであれば、それでいいでしょう。でも大人なんですからもう少し考えたほうが、私はいいと思いますよ。
(2007年04月21日 02時49分48秒)
(2007年04月21日 02時50分29秒)
ですが、まずはじめに一言…「平和党は共産党よりもたちが悪い」発言を撤回する気は微塵もありません。なぜか?…基本政策やその他、党に関する情報を読めば、保守主義を探究している私としては「到底、支持できる道理がない」という思いを強めるほかなく、その思いは関係者の方々の各方面から、徐々に確信に変わりつつあります。
インターネット時代において、まだまだ維新政党新風と比較すれば知名度はまだまだ下の域でしょうけど、今後をふまえると平和党にも不可避ではないことを述べながら、見解を述べていこうかと思います。理由もないまま、こんな発言を書くほど私は愚か者ではありません。
まずは…コメントスクラムのように、次々とコメントを書き込むなど恐怖心を覚えるので、もっと要約してから書いたほうが宜しいかと。「これでも要約している」と言われたら、まあそこまでなんですけどね。では、本題に入りましょうか…あまりに長ったらしいので要約します。
Yahoo!ブログに殴りこみたいのは山々ですが、そのためには一筋縄ではいかない、切り口が違っており、私と方針が乖離している貴党の政策をあますことなく知りたいので、暇があればBlogを覗いております。
あと、トラックバックであってもも立派な主張であると私は思いますが、その点はいかがでしょうか?…
コメントしたくても、できないときとか難しいとき(Yahoo!は特にそう思う)なんかは、有効な手段ではないでしょうか?…認めない、と言われそうですが。
私はBlogを「素の私に最も近い部分を見せられるツール」として、認知しており、別に認められたいとかそんな欲は一切ありません。「読みたいときに読み、興味のある記事で交流する」、これが基本では?
現に政治・経済ネタのときより、事件・事故とか他のジャンルのほうが食いつきがよかったりということなど日常茶飯事です。それに、暇の合間を縫って記事を編集する身ゆえ、言いたいことを要約する必要性があって、言いたいことを半分以下に抑えることが最近は特に多いわけです。ですから、悪意もあれば善意もあるわけです。
次に、基本政策から垣間見える基本方針に恐怖感を感じました。いや、語弊のある言い方とはわかっていますが不安と言えば適当ではないかと思われます。国家破壊というシナリオを想像しました。
残念ですが、その疑念が頭内にこびりついてきている以上は発言を撤回する気がないと申すより、撤回できないと言うほうが適当です。
まず、1つ目に「国民に“4000万円/人”を支給する」とありますが、これは国策的に経済システムを破壊する、と捉えて宜しいのでしょうか?
次に「食料・エネルギー自給率を100%超にする」とありますが、どうやって実現させるか、ビジョンが曖昧なままでした。どうやら、自衛隊とか未知の新エネルギーだとか、未来の保証もないようなことを投資したがるほど、私には日本人というのが信じられません。でも、食が重要なのは私も同意です。しかし、その手段が異なっても受け付けられない、原理主義的なオーラを感じなくもないわけです。
そこが私が思う、平和党の弱点の1つです。全て…とは語弊でしょうが、多くの項目で、「この事柄に対してはこれしかない」という感じの主張を永く続けられるか、そんな感じの主張に見えて仕方がありません。
次に東洋文明回帰…某掲示板の輩に見られれば、一発でネタにされることは必定でしょう。亜州と欧州は、同じようで全く違う。「欧州や米国の真似をするな」と言ってきているような主張が、ここになって一瞬で吹っ飛んでしまう。矛盾を感じずにいられません。
廃憲という概念も初…改憲にも方法がある、ことはご存知でしょう。明治憲法再興も1つ、今の憲法をベースに一部改定するのも1つ。また、どちらでもない全く新しい憲法を起草するのも1つ。それが成文か不文か、はじめは英国式の不文憲法ではないかと思いましたが、どうやら憲法というものそのものへの言及、と見て宜しいですね?…間違っているのであれば、すぐさま訂正しますが。
あと、左翼にも2種類があります。反日馬鹿と愛国型の2つありますが、平和党はおそらく…いや、ほぼ絶対にどちらでもないでしょう。でも、国家破壊という疑念が消えないと申し上げたとおり、私には左翼と思うとしか言えませんね。いや、周囲に知られれば知られるほど、そんな人は徐々に増えていくのではないでしょうか?
無イデオロギーというのも、「イデオロギーが無い」なんてこと言えば民主党のような寄せ集めとも、倫理観がぶれすぎているではという疑念が沸騰する可能性さえ、否定しきれませんよ…本当に。
私はないとは思っていません…イデオロギーが無い、ということはすなわち基本方針がない、と公言していると言っているようなもの。
それに政治に答えなんてありません…私はそう信じています。答えは、その先の世代に出されるものであって、自分たちの信念のまま通じるだけでは、答えなんて見つからないはずです。見つかっているとすれば、それこそ自己中心的ではないかと。
ネット右翼とは笑止千万…前代未聞ですね。こんなことを言われたのは初めてです。左様に見えますか…では、私が思うネット右翼の定義を、以下に一部だけ晒しておきましょう。
・中国(=北京共産党政府)や韓国・北朝鮮への罵倒には喰らいつきやすいが、米国やロシアになると一転
して食いつきが急降下する(それどころか、一部は盲目的に賛美)。
・愛国者、もしくは正義を必ず自称する傾向がある。
・自分が動くのが嫌…だから、自分の欲望を全て満たしてくれるカリスマ的な指導者を望む傾向が強い。
今動くことが是であるか否であるか、勝てない戦に正面から挑むようなそんな行為こそ自己満足であると私は考えています。それに、我が国にカリスマ的な指導者など、果たして必要性がありますかねぇ?
報酬ですが、それが目的に見えますか…そんなことを公言される方も初めてですね。むしろ、削減賛成派です。いきなり0にするとか、そんな議論ではなく、段階的な削減でも宜しいのではないかと。
(0にすることをいきなり大前提に段階削減など言っても、響くことは十中八九響くことはないでしょう…戦術を吹聴されるのであれば、それを隠すことも肝要ではないかと)
ついでに言えば、まだ政治家を目指すと公言したことは記憶にありませんが。まだ頭の片隅にある程度で、決意を固めているのであれば、もっと露骨なことを言う可能性さえ否定しませんよ。あと、新風の支持者の中には私よりも質の悪い者が少なからずいると思いますが、どうですか?(新風の支持に関しても、私は公言した記憶がありませんね)
あと釘を刺しますが…先ほどのコメントスクラムのような所業には絶対に及ばないように。平和党が送り込みたい政治家の像として、質問攻めというマイナスイメージを背負わされたくなかったら。
では、こちらももっと理論武装を極めて何十年後か先には張り合える相手として…それこそ、私の平和党に関する所感です。
ですから、統一地方選がもうダメでも参院選には公募者のみならず党内で人選して、参戦されないと責任感のない政党ではないかと噛みつかれても(少ないでしょうけど)不思議じゃありませんね。
「到底、支持できる道理がない」という思いを強めるほかないという、あなたの単なる決めツケでしょう。私が聞いているのはあなたの左翼の定義を聞いているのです。論理的な説明を求めています。
徐々に確信に変わりつつある・・・と、結論だけ述べて、そんなことで説明ができていると思っているのですか。(2007年04月22日 00時47分33秒)
(2007年04月22日 00時48分34秒)
あなたが新風に入るか入らないかは知りません。私にとってわかることはあなたに平和党に入ってもらおうなどとは一つも思っていないことだけが確定しています。
(2007年04月22日 00時57分45秒)
しかし、そんなことで説明になると思っているあなたが幼稚なのです。
しかし、私はあなたとの討論では、「平和党のどこが左翼なのか」と聞いているわけです。こう聞かれて原理主義的なオーラがあるなどと言っていますね。ここがわからないことがあなたの致命的欠陥なのです。日平党を名乗る大泉さんのことをあなたが非難できる資格は全くない。
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/18053509.html
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/18083701.html
それが本来の人間の姿というもの…倫理観に偏りなく、誰にでも。
いきなり素直に聞き入れるのは、悟りを開く境地に至り、自らを極めた者でもない限り、そのような所業は不可能です。真っ当であれば、誰もが批評など本当にされたくないものですよ。私だってそうですし、貴方もそうじゃないんですか?
私を愚か者と言うなら、否定はしません。甘やかされたと言われれば、一理あります。貴方にいわれるまでもなく、師というものを探すことはしています。政治批判のみのオッサンに成り下がるつもりはない(ふりはしていても)。それに、私は公の利益に叶うことであれば、法の赦す範囲でどこまでも悪に徹する覚悟はあります。政党人であれば、その政党の党首や幹部が元来被るべき悪も、私が全て被る気でいます
。そのためなら、なんだってできます。相手に付け入ることもやります。理不尽なことと言えば、確かにそうかもしれませんね。
共産党よりたちが悪い…いちいち、手取り足取り全てを言わねばわからないのでしょうか?では貴党への質問として、「国家というものを、果たして如何様に考えているか?」保守論壇でも解釈は分かれています…自分と同化する者あり、また依存する者あり、単なる帰属と割り切る者もいます。保守とは字の如く「保ち、守る」こと。いったい何をどうするか、もちろん国家は保守論壇にとって、どの解釈にせよ行き着く先は「保ち、守る」対象です。国家をどうするか?そこが保守派と左翼の違いの1つではないかと。
いや、左翼でも前述の愛国型であれば、保守論壇と極めて似てくるかもしれません。
いくら冷戦が終わって迷走しているとはいえ、ほとんどの場合は「保ち、守る」最大の対象、それは国家ではないでしょうか?ですから、私が自ずと国家に対してどのような解釈と結論をもってきているかは、想像されればそのとおりで宜しいです。
それゆえ憲法に関しても、必要な存在であると思っています。国家と、その国家のために仕える公僕とを繋ぐ法典としての存在意義を私は否定できません。なくては公僕が公僕の機能を為さず、政治倫理に利用されるからなくすなどというのは暴論では?…ただ、廃憲とは憲法の存在意義を問われる主旨なんですね?そこだけが真意を測り損ねたので、疑念が消えなかったわけです。
ですが、前述の反日馬鹿などになれば「悪の象徴として壊す」ことであり、そこが保守論壇と相容れない。平和党の場合、悪の象徴とは決して言及していないものの、私が基本政策から垣間見た基本方針を想定する限り、「壊す」ということに結論づけるほかない。
「欧州や米国の真似をするな」と言ってきているような主張が、ここになって一瞬で吹っ飛んでしまう。
これは基本政策における、東亜共同体に関する記述です。いわば、これは亜州版EUということですよね?
…欧州が西部・北部のみならず、近年では中東部でさえ加盟しだすようになったから、軽く考えているのではないか、という疑念です。亜州と欧州の違いは宗教観ですね。欧州の場合、西部でも北部でも中東部でもカトリックかプロテスタントか、その宗派の違いはあれど、大枠でキリスト教という大きな柱がある。
それゆえ、国家の施策にも大きな乖離を生じることはあまりない。対して亜州はどうか?…宗派どころか、宗教という大きな柱にさえ大きな差があるではありませんか。特に我が国は、古代神道に始まり、仏教が伝来し、キリスト教が伝来し、明治には国家神道が出てきた。ここまで多宗教・無宗教な習慣を持つ我が国に対し、他の国々ではイスラム教からヒンドゥー教、仏教・儒教に至るまで幅広い。それゆえ、欧州とは異なって個々に国ごとに方針が乖離する。東亜共同体の具現化には、疑念を払拭せねば賛意は示せない。EUとは違って、国の人口やパワーバランスが非常に不均等な東亜においてEUのような組織を生み出すのは、その組織での主導権を巡る私欲の争いを勃発させかねず、積極的になれない。上記が私の東亜共同体に関する所見です。保守論壇でも、警告を発するものは少なからずいますよ…こればかりは。
ネット右翼か否か、私のことに対し私の独断で結論をつけることをさせますか?…貴方の解釈でお任せします。これしか、言えることはありません。あと私から、一部の人から見れば「貴方こそ何様だ」と不快感を示すものもいるでしょう。(まるで悟りを開いた1人の僧侶が高嶺から民に対して、説法でもするかのような口調に聞こえなくはありません)忠告ですが、ほぼ現にそういう流れが出てきているのが確かなので今後も警告すべきところは言わせてもらいます。外野の意見を聞かずに封殺しつづけることなど、公に出てくる党になればそんなことを言っていられなくなりますからね。基本方針は別として(我が国の場合、ないのもあるが)個別の政策・戦略に対し、苦言を呈する者が必ずや現れる宿命を持ちますからね。
ですから議論を開始する時点で答えを出しているか否か、そこからすでに違っている者同士なので、これ以上は確かに不毛ですね。でも、いつかは再び貴方がたに理論の太刀をもって戦いを挑みます。私はただではくたばりませんから…それだけ最後に申し上げます。私の出すぎた鼻っ柱を折らせていただき、恐悦至極に存じます!貴方がたの施策、今後もとくと拝見させていただきますぞ!
私から言うべきことは大枠として言ったので、以後は返礼しません。
「平和党はなぜ“左翼”か?」
「なぜ、共産党よりたちが悪いのか?」
以前、もう随分と前…とでも申しますか、平和党に関して
「右から見れば左、左から見れば右」と評していた記事を見た過去が
あります。貴方がたはそれを誇らしげに、といえば語弊のある言い方ですが
あともう1つは善悪中毒なるものと同様に、倫理観の
超越や統合・昇華によって新たに壮大なる倫理観を目指しているような
感じを見受けましたが、倫理観にせよ欲にせよ、私はともかくそのような
行為ができるのは聖人のみであり、俗人には到底不可能な所業です。
結婚にしてもそう、何にしても欲や倫理を捨てるというのは、
私には悟りの境地を拓いた僧侶にしかできない所業と考えています。
そうしなければならない、という原理主義的なオーラを感じるのも
左派系論壇ではよく目にしてきました。何を語るにしても、
とりわけ1つの事柄に対し1つの解決策しかない、という考えの
ような感じに見えてしまったことが、疑念の1つと捉えてください。
日米同盟・安保条約に関しても、短期なのか中長期なのかは別にして
私は中長期視点で見直しを迫られているものと思っております。
貴方がたに関しては、思わずですが短期視点と思った次第です。
前にも言いましたが、右と左の決定的な違いは国家観です。
貴方がたの国家観は、察するに相当に軽いような気がしてなりません。
国家を軽く考え、対象は違うものの(西洋か東洋かの違い)とにかく
これも前述ですが、東亜共同体は今のままでは私は反対です。
国家をどう見るかは別として、重く見るか軽く見るかの違いです。
保守論壇では如何に迷走していようとも、国家観に関して
軽い気持ちを持っているのは、未だに盲目親米を唱える輩を
除いて、今や少数派…どころか、探すほうが困難でしょう。
かつては米国にさえ従っていればよかった…ソ連という、
全くの対極たる政治倫理が支配する国家と対立しあうがゆえ、
彼らのほぼ全てを否定すれば、自ずと存在意義を示せていた。
それゆえ、我が国への国家観は驚くほか軽いものに転落した。
しかし、ソ連なき今は違う…別の国を想定してもよいが、
もはや米国の傘に篭っていれば済む問題ではなくなった。
でも、今までそういった想定がないゆえに非常に揺らぐ。
その反省から、国家観を軽く考えられなくなったんです。
まあグローバリズムに関しては、どちらの倫理観であっても、
両派の区別を図るための基準ではなくなっている気はしますが。
(現に貴党は、国連脱退を日米安保の破棄とともに唱えている)
あとおまけといえば非礼ですが、天皇制なる語も
突っ込みの的になることを考えておいたほうがいいです。
この語はもともと、マルクス主義者らによる和訳によって生まれた
造語でありますが、確かに一般には広まっていても私は使いません。
私の場合は立憲君主制と呼んでおります…世界標準みたいですが。
自然主義経済に関して、短命ながら実例ありという記事でしたか、
そんな記述も過去に見たことがあります。墺国のある自治体でしたか、
それを導入して急激に景気が回復したのだとか。国が禁止したのは、
おそらく特定の自治体が権限を強く持ちすぎることで、国内に
不穏な空気を支配しかねず、国家の危機に直面する感じでしょう。
公式サイト・基本情報内にも、特記されている頁がありますが
(最も根幹たる基本方針ゆえ、当然といえば当然でしょう)
もちろん、それらを実践されているわけですよね?…まさか、
実践しないで言っているのであれば問題外ですが、そうではないようで。
では、成功されたときは是非にも報告を賜りたいものです。
生で見ていないものを、おいそれと信じられるほど心が広くないので…
共産党に関して、暴力革命路線をかつて掲げながらも、今となっては
その路線は完全に鳴りを潜めています。言えばどうなるか?
何度も言わせていただくが、日本人は急進的な体制の変化を
そう望んでいるとは思えません。それゆえ、暴力による一段階での
革命路線を隠していかないと、今後も永続するとは限りません。
それが功を奏した時期もありましたよね?…まあ、今となっては
それがまた徐々に有権者をはじめとして見透かされているのか、
再び勢力は退潮していますが、それでも暴力を全面に掲げるのは
更なる自殺行為です。平和党の場合、暴力革命とは言いません。
それに「暴力革命と一緒くたにされるのは癪だ」という風潮の
記事も見たことがあります。確かに、そのとおりですよね?
ええ、どこをどう見ても暴力的に政府権力の中枢を狙う目的は
ありません。しかし、ここで少し冷静になって考えますと
暴力を伴わない革命ということになると該当するのでは、ということです。
なにも革命とは、暴力を伴っていなくてもやれる土壌があればできるのでは?
…と考えるほかありません。現に歴史上においても例はご存知と
思われるのでここでは仔細を示しませんが、中国の歴代王朝が
交代していった経緯も大枠では革命とされています(ご存知でしょう)。
しかし、我が国の場合は暴力が伴うにせよ伴わないにせよ、明治維新も
併せて革命が起きたことのない唯一の国、と思っております。
いわば、「国家を全く新しいものに作り変える」のでしょうか?
また、まるで国境に関して否定的だったか、そんな感じでしたか、
とにかく「国家を壊す」ことなのでしょうか?
左様に基本政策を見る限り感じたことゆえ、それを一端に見せる
やり方…かつ、多くの人にはエキセントリックに映る(自覚済でしょう)。
何度も言いますが、エキセントリックな政策はそのときは注目されても
後になればなるほど、不安が人々を支配されるでしょう。
いわば隠すか隠さないか、隠さないで国家の中枢に関わることを
ずけずけと言っている印象を与えてしまっては、イメージが
マイナスに転落するのは必定なんですよ。現に、私にはマイナスです。
とにかく、今のうちはいいかもしれませんが今後をふまえると
読まれることになろう多くの方々の疑念や質問に追われるのは
不可避と思われますので、今後とも真摯な対応を宜しくお願いします。
ということは平和党は日本国を軽く見ている政党であるということになります。では、平和党は何を重く見ているのですか。そして我々はなぜ日本国を軽く見る必要があるのですか。
判断するのはあなた一人ですか?
あなたがそう思うということですよね。逆にあなたの考えに対しても、そんなこと革命が起きないと無理だよと言う人もいるでしょう。
と言いながら、自分一人の考えがまるで世論全体かのように言う人か多くなってきています。
自分で撒いた種ですよ。
コメントスクラムというのがいったい何を表しているのか、よくわかりませんが、おそらく、私が長文コメントを書くということだと思います。
しかし、そんなことで恐怖をおぼえるような人間が本当に真剣にやっているのかということです。あなた悪にでもなってでもやると言っていましたよね。そんな人間が文章上で恐怖を覚えているのですか。だからあなたの本気度というのは偽者だと言っているのです。
私は東京にいますが、あなた大阪であるようだ。しかし、確かに私はあなたの住所・氏名・年齢・職業・銀行の支店口座番号、もしもあなたが逃亡した場合どこを封鎖したらよいか、そのときに何人の人間を用意したらいいか、飛行機でいったらいいか、新幹線でいったらいいか、なんて全く整えていませんよ。それであるのに、こんなことで恐怖を覚えるくらいで果たして本物かということですよ。
あなたは自分の言うことには正当性があると自分でおっしゃっているわけですよね。私はこれを聞いています。しかし言いたいことはいったと、逃げています。だからあなたのような無責任なる人間が多くなってきたと、しかも根性もない人間が。私はこう言っています。
しかし、普通の人だったらね。こんな幼稚な書き方をしてなんだと、取り消せというのですよ。私はこれを求めていないのですよ。普通なら「息巻きながら、結局は送り込めなかった悔しさが全開ですね。」とか「のたまう平和党」とかいう文言に対して文句を言ってくるでしょう。それであなたは、私に攻められるよりももっと追い込まれるのですよ。これをあなたはわからないレベルにいます。
私はこれらに撤回を求めているのではなく、あなたは逃げることなく、左翼を定義し、平和党が国家破壊型政党であることを証明せよと言っているのです。
市場経済による自然主義経済がなぜ左翼なのですか。左翼とは聖人のことですか。早く片付けてください。
(2007年04月24日 22時06分43秒)
あなたに逃げ道を作ってあげます。
あなたが無責任に発言したことについて回答がない場合、その責任をとってもらうまで、私はあなたに求めますが、それだけの根性があなたにはありませんので、逃げるしか残されていません。あなたが命を賭けて本気で発言なされたことならば逃げないはずです。
逃げる方法の一つとして、これから、「自分の記事内容について、関係のないコメントはするな」と宣言する事です。そして、私の書いたコメントを次々にあなたが削除していくやり方です。
どうやらこの楽天ブログの場合は、無料の場合だとコメント拒否機能がないようですから、有料に切り替えて拒否できるのかどうかは知りませんが、あなたが調べてください。
あるいはあなたが違うところにブログを移転するか、別名でやるかでしょう。しかし、その場合であっても、この楽天ブログが消えていない以上、責任をとったことにはなりませんので、移転先では同じことが続きます。ただし、jugemブログなどはコメント拒否機能がついているから、あなたが引き続き逃げたい場合には、それを頼りになさったらいかがですか。
それか今と同じように無視しつづけるか。ただし、ここにあの記事が残されていますから、問題は続きます。どうぞお考え下さい。
あなたは政治というものが、どのように恐ろしいものであるかということを知らない非常に舐めた方ですよね。だから軽率なる発言が多く感じられます。
別に軽率なら軽率でいいのですけれども、そんな人はいくらでもおりますからね。しかし、あなたは、自分はそうではなくて、本気でやっているとおっしゃった。つまり無責任な市民運動ではないということです。で、あるのならきちんと答えるべきと思いますが、間違っていますか。
それとも成り行き上、「本気でやっています」と答えてしまったのですか。
私が常日頃から、最近の右翼思想を持つ発言者は、根性なし野郎が多いと言っていることの意味がわかりましたか。根性なし野郎であるあなたは口先だけで生きてきているから、私の発言をよく理解できていないのです。政策の中身についてもそうです。
こうして、自分の身に降りかかってきてやっとわかったでしょう。まだわからないかもしれませんね。あなたの場合には。
だから、こうしてあなたは経験を積まぬとわからんほど愚か者なんですよ。ご自分でも認めておられるように。
なぜこうなるかわかりますか。あなたには心がないからです。脳みそだけで生きているからです。爬虫類の脳みそしか使っていないのですよ。己の欲望のみです。自分は批評されたくないという甘えを持っているから成長しないんですよ。ここに飛び込んでいったほうが良いと思います。
あなたはまず、人が丹精こめて作ったものに対して、まずは自分の感情を優先して踏みにじる。これをエキセントリックというのです。
そして、あとから踏みにじったことの正当性をみつけながら、理屈を作っているんです。だから無理して作らなければいけないから、ちぐはぐなところがあって、自分でも答えられないんですよ。本気でないからあなたには準備されていないわけです。あなたにその自覚はないでしょう。論破できるだけのなんらかの理屈があるかもしれないとだけ思っている。だからどうしても「誰かがそう言っている」、「これからみんなが言うだろう」となるのです。
他人に嘘はつけても、嘘をついたかどうかは自分が一番よく知っているはずです。だからどうでもいいのです。これはあなた自身がいかなるレベルかという問題だからです。これは他人が評価するものではなくて、あなた自身が知っているあなた自身のレベルです。
あなたは自分のガキ的な感情を優先するために、物事を考え出している。これでは世の中を幸せにすることはできません。あなたのガキ的なる現れというのは、私と討論していると、どんどん出てきていますよね。だから発言をやめたのでしょうか。
多様性を認める世の中、すなわち人への思いやりというのは、相手を認めるところから始まるのです。私はあなたの政治主張に対して何かダメだと言ったことはありましたか。あなたがガキすぎるとは言っていますね。
でも、これはあなたが知らなくてはいけない問題でしょう。だから言っているんです。
なぜこういうことが必要かというと、日本をどのようにして良くしようかという共通目標があると発展的に進むのです。その方法が違っていてもですよ。あなたはそう考えていないから不毛な議論だとして投げてしまう。切り口が違うと結論づけてしまえば簡単です。
あなたのワガママをかなえるために日本はあるわけじゃありませんね。こんなことはわかっているはずです。でもあなたの言動はまさにそれです。自覚がないのです。
だから、今あなたはオロオロして「どうしよう」と、誰か木村に討論で太刀打ちできる奴はいないかと、探してもいいですよ。だけれども、あなたの精神性向上にはなんにもならないのです。
機械的な政策議論をしても、人間は成長しません。これだけはハッキリしています。何十年かけて本を読んで理論武装しても、かなわない力というものがあるのです。それをあなたはわからない人なのです。
さてそれで、どのように自身の発言の責任をとりますか。
前にも言っているでしょう。素直になりなさいと。でもあなたは人間はそう簡単には素直になれないとおっしゃいましたよね。私は幾度もそういう素直になる経験をしましたよ。結果的にはそれが良かったと思っています。これをできないのは勇気がないからです。
私が最初のほう、つまり今まですでに私が先に述べたことというのは、あとになって、必ず必要になってくるのですよ。なにしろ、私はこういうのが仕事ですから、先々どうなるかはだいたい読めます。ほとんどパターンですよ。とくに相手があなたのような場合には。
素直になってしまえば楽なのです。だって、あなたはそこまでの人間ではないのだから、今、素直になっておかないと全くダメな方向にどんどん進んでいきますよ。これは私が勝ちであなたが負けなのではありません。今認めるということは、あなたが勝ちに成るのですよ、やがては。
だから素直になれないのならば戦いなさいよ。それもできないのか。しょうもない男だな。やはりあなたは狼の皮をかぶった貧弱なる羊です。
戦うも勇気であるし、退くも勇気。あなたはどちらもできない人間であろう。私はあなたがどのような選択をしても全て用意してお待ちしています。
おそらくあなたのプライドはズタズタだろう。だけれども、そんなことで傷ついているということ自体があなたの弱さですよ。だったらなんであなたはこんなことをしたのですか。
あなたには、そういう他人の気持ちがわからないから、私はあえてやっています。あなたがああいう幼稚なことを書いているのは今に始まったわけではありませんね。そんなことは知っています。いつかわかるだろうと思って放置していただけです。それに他人がみていても説得力がないから我々にとっても害はないと考えていたからです。
でもそれでは、やはり電車の中で子どもを大人が叱らないという話と同じになってしまうと思って、自分にもそういうことが選挙期間中にあったわけですよ。
たまたまあなたがトラックバックした日に、その電車の話に触れる機会があったからです。これじゃいかんなと車内にいた大人としての反省の結果、私は今こうしてあなたに投げかけているのです。
他人の痛みを知らない愚かな場合、自分が傷ついた経験もほとんどないような甘ちゃん野郎には、ブライドを傷つけてやらなきゃわからんのですよ。おらそくあなたが、今までボケーっとして生きてきたからです。よくお考え下さい。
甘く見て痛い目にあったことを経験したならば、少しは物の見方も変わってきましたでしょうか。
左翼政権たるソビエト連邦はなくなりましたが、平和党はソビエト連邦のような左翼政権を目指しているのでしょうか。再度お尋ねいたします。
聖人国家たるソ連はなぜゆえに崩壊したのでしょうか。
(2007年04月25日 21時59分45秒)
貴方がたの目指す国の基本方針には、全体主義の
雰囲気は感じませんでした(何度読んでもね)。
でも、やっぱり何かが違う…どこか引っ掛かる。
経済左派…ではなく、右派のような感じだし。
旧ソ連は、私が思うに聖人国家なんかじゃありません。
共産主義を生んだマルクスは「人間の欲を計算していない」
それゆえ、完全資本主義ともども絶対に成立しえない。
理想として共産主義ほど完璧なものはない…その境地に
至れば、それで本当に聖人たりえたでしょう。
欲を捨てきれずに自滅した、ということでしょうか?(2007年04月25日 22時09分19秒)
ではどのようにして左翼だと結論づけられますか。(2007年04月25日 22時16分02秒)
あなたのところによくコメントを書いていると言っていた蔵信君は、今から2年ほど前から私のブログによく来ています。彼は、最初は「平和党は軍事的に右であり、経済的には左である」と言っていました。しかし、あなたから見ればおそらくそうではありませんね。なぜ、このように解釈が人によって崩れてくるのかということです。
つまり、あなたが右と左という数直線。そして上下という数直線で囲まれる平面でしか物事を考えていないので、このようなことが生まれるのです。
“愛国型”の左翼に近い …と、現段階で言えば宜しいでしょうか?前述ですが、左翼といっても反政府
原理主義におかされている(“反日馬鹿”といったが、語弊があると考えまして変更します)タイプと、本
当に真摯に国を思う姿を示しているか、大きく2つに大別できます。元来、国を思うに右も左もないはず
ですから。政策の差、とでも申しましょうか。
ですが結局のところ、旧ソ連や北京政府のような全体主義や完全資本主義に近いような、あのような国づくりを模範としているわけでもない。いや、そもそも貴方がたには模範などないんでしょう。
あくまでの日本式を求めている、その愚直さもあるでしょう。その点は認めますよね?
あと、貴方がたの基本方針には国家観が見えない。私は国民あってこそ国家を初めて名乗れるものであり、かつ政治・行政・司法・経済の4つの根幹を複雑にスクラムしてできあげていくものだと思います。
1つたりとも、根もとから壊すことは国家の流動を生み出しかねない土壌を差し出す、それゆえです。(20
07年04月25日 22時30分54秒)
以前言った反日馬鹿は、反政府原理主義と言い直すとして、平和党は反政府原理主義におかされている若しくは真摯に国を思っているということですね。
国民あってこそ国家が名乗れるということは、江戸時代までは国民の意識がなかったから国家ではないということですね。
立法・行政・司法の三権力に民間の経済、こうしたものが存在したのは、近代に入ってからですね。ということは明治以降は国家ではあるが、それまでの日本は国家がない。平和党はそういう江戸時代までのものを目指しているということですか。
国家の根幹をゆるがしてはならないと誰が決めたのですか。
政治・行政・司法・経済の4つの根幹は戦時中には一つのところで掌握されていましたね。戦争に負けて、これが崩れました。国家の根幹がゆるがされました。それで良かったこともあるし、悪かったこともある。
でもとりあえずこのように自由な論議が今できている部分を考えればよかった部類に入ります。
つまり、あなたはちゃんと最後まで説明できていないのは、国家の根幹をゆるがしてはならないという言い方ではなくて、このように国家の根幹をゆるがしたらとんでもないことになる・・と説明しなければならないのです。私があなたを子どもだと言っているのは、常にそこで終わってしまっているからです。
>平和党さん
>反政府原理主義におかされている若しくは真摯に国を思っている
タイトルと文脈を読めば、自ずと後者に近い存在で
あると推論可能でしょう。わかりませんでしたか?
江戸時代にも司法はあったじゃないですか(奉行所)。
ほかにも室町時代にも、戦国においても一部の大名が
制定した分国法という、法律の原点があったでしょう。
必ずしも明治がそもそもの源流ではなく、私は立法も
行政も司法も、元をたどれば古代においては最低でも
1つはできていたものと考えております。流れに流れて、
明治というのはこれら4つの根幹がようやく本格化した
時代に過ぎない、ということです。いわば、江戸以前にも
小さいながら国家観はあると言っても支障はないし、
藩や領国・荘園というのは私が思うに小さな国の
ようなものであり、これらの連合体のようなものが
江戸以前であり、明治より近代国家の道筋を
歩むにあたって、連合体からの脱却を図るほか、
生き残る手立てが見つからなかった。それだけです。
貴方がたのは別に、何時代を目指すとかそういう
次元の低い話をしているわけではないでしょう?
今日はここまでにします。ド深夜まで付き合えるほど
私は貴方がたと違って暇人ではありませんので(笑)。(2007年04月25日 22時56分57秒)
あなたはつねに悪意の元で平和党にたいしてやってきていますからね。一応並列したほうがいいでしょう。
江戸時代の司法機関は三権分立の司法とは違いますね。幕府がやっています。つまりモンテスキューの提唱したことではないために、維新後にそのようにしたわけでしょう。
江戸時代の藩や領国・荘園も国家観だというのであれば、平和党の自然通貨は地域通貨でありますから、当然、国家観がある・・と、こうなりますね。
いろいろ書いていますが、あなたは平和党が左翼であるということを説明できていませんね。では本日もお逃げください。
つまりあなたからすると、幕府時代における維新軍、戦時中におけるGHQに相当するような国家の根幹をゆるがすものはよくないということです。
で、このように国家の根幹を狂わすような平和党はダメだと。しかしながら平和党は愛国なんだと。ここまではわかります。しかしなぜ左翼なのかということです。
つまり革命を起こそうとするものは全て左翼ということでしょうか。 ということは右翼思想、例えば天皇を中心とした政治にするための革命組織であっても左翼だとこうなりますね。 私はあなたの次元にあわせて話しています。
普通だったらもう先に進んでいるのですけど、かなり時間がかかるのは仕方がないです。がんばってください。
「経済左派…ではなく、右派のような感じだし。」とにかくなんだかわからんけど左翼だと、愛国型であるとの説明は成り立っています。しかし左翼である事が説明されていません。 ところで愛国型左翼とはどういう人のことを言うのでしょうか。そういうものが果たしてあるのかという質問です。
社会主義的背景を思想にもち、国を愛するということでしょうか。それなら市場経済たる自然主義経済の平和党はあてはまらないのではないですか。
あるいは天皇を排除して、日本共和国という方法をとって国を愛するということですか。平和党は天皇を排除しようなどとは一度も言っていませんね。むしろこのことで右翼団体から資金援助がなされているなどと陰口を叩かれているくらいですから。
国家観がないから左翼だという。しかし、いずれの左翼政党も物理的国家について認めているから左翼政権の国があり、野党になっている左翼政党は政権を目指すわけでしょう。彼らには国家観があるから、政治活動をしているのではないですか。
だってあなたは国家観というものは、藩・荘園も国家に相当するといいましたね。これは日本での国を思うということは郷を思うことから始まっているからです。その集合体が日本国でしょう。 平和党の自然主義経済は地産地消。そのふるさとを大事にするところから生まれます。しかし、現代の国家観というのは資本主義により全て東京に富を一極集中させています。このことにより、ふるさとが崩壊しているではありませんか。ここにあなたの非論理性があるのです。
左翼とは聖人のようなものであると言ったのはあなたですよね。ですが、今ではそれを訂正して、聖人を目指すけれどもそれは結局のところできないと、こういうものが左翼であるということですよね。 じゃあそれでいいです。
では、私は自然主義経済とは人々の欲望をかなえるものだと言いました。そして、国家とは藩や領国・荘園という小さな国の連合体であるから、それによって国の政治経済が成り立つと私は申しています。
それならば、平和党は全体主義でもない、愛国である、日本式を求めている、と言っているあなたが、これでどのように左翼であるとするつもりですか。
しかも、この説明責任を果たした後には、どのように「共産党よりもたちが悪い」のかについてが待っていますから、そのことも配慮しながら考えてください。
あなたの説明であると、どんどんどんどん、平和党は右側であるということばかり出てきますよね。ただ気分だけで平和党は左翼であるとしか言っていません。説明すればするほど逆になっています。
だから、私はあなたのために「平和党は左翼だ」と言える為のほころびの糸をわざと出していますよ。それも複数。その糸を引張ればあとは簡単ですよ。全く目の前にあります。引張った後にあなたの能力があればの話ですが。
あなたは脳で考えるからうまくいかないのです。神社で参拝したことはありませんか?あなたは脳を動かしているものに従わないからこうなるのです。脳の範囲内で全てが解決できると思っているからです。
知らず知らずのうちに。 平和党が「憲法を廃止せよ」と言っているのは、国家に対しての挑戦だとあなたは認識していますね。けれども江戸時代に憲法はありません。憲法がない江戸時代に藩・荘園はありました。その連合体が国だとあなたは言いました。それでいて平和党は左翼であると、おかしくないですか。
掲示板での話ですけど、非礼であるかどうかの判断能力というのが、あなたに備わっていれば、謝罪したらいいかどうかなんて、私に聞きませんよね、普通は・・・。だから幼稚だと言っています。
新風には自分以下の人間がいるとか、左にも根性ナシがいるとか、つまりあなたはそうやって自分自身を磨く事をしないで言い訳して生きてきたわけです。他人は関係ないのに、「でも他人にもそんなやつはいくらでもいる」と言って逃げてきています。それで今のあなたができてしまっているのです。 そんな判断もできない人だから、ああいう幼稚な評論をしているのでしょう。
平和党は左翼であるかどうかについて、詳しく聞けぱ聞くほど、なんだかどんどん逆の説明になっていることがそれを証明しています。
どうして、今まであなたはいい加減な批評をしてきたか。思い込みスタートからやっているというのが理由であることがわかりませんか。 あなたは不毛な議論だと言っていましたね。なぜ不毛になるのか教えてあげましょうか。
あなたにとってまずは「平和党は左翼である」という結論から始まっているからです。つまり自分の主張を優先して物事を考えている。だから不毛になるのです。したがって、国をどのように良くしようかと考えている人は、謙虚に物事を考えます。あなたの場合は、「言ってしまった。やばいな」と、この自己主張をどのようにして理屈を通すか・・・しか考えていないからですよ。
そうなると結局、自分のためにしかやってないってことになるんです。政治というものはつねにそうです。初めはみんな志を立ててやるんだけれども、そのうちあなたみたいに自分勝手な人間になるんですよ。 あなたの場合は志もなくて、はじめっから自分勝手みたいですけどね。
あなたは本気でやっているとか言いながら、自分で吐いた唾から始まった議論なのにストーカー行為はやめてくれとか、暇じゃないからとか言っていますね。
これにより、本気でやっているのではなくてヘタレ野郎というのはすでにもう自認されたようですが、こんな男が悪にも徹するんだとか言っていたのですよ。口先だけ。
私は本気で取り組んでいるから寝る間も惜しんでやっているのですよ。昼間は仕事しなきゃならん。夜はあなたに議論をぶつける。でも私は本気であるから一日中、時間をみつけては、無理してでも環境を作ってでもやりますよ。
世襲でない政治家というのはみんなこうして頑張ってやってきていますよ。 どうして議論になっているかといえば、あなたがけしかけたからでしょ。それで左翼だということについて、ずっと逃げているんじゃないですか。
そもそもけしかけたことがなければこうなっていませんが、あなたは自分のケツ拭きもできないことに屁理屈をつけてそういう言い訳してるんですよ。
あなたの場合は語れば語るほど墓穴掘ることばかりですよね。ここまでの人というのはなかなかいませんよ。泡沫候補で一人いましたけどね、ほんとのことをいうと。
参院選出馬の話もそうだし、国家観の話もそうだし、憲法もそう。本気であるかどうかの話もそうだし、無イデオロギーの話もそうだし、欲望を抑えるための話も全部そう。自分で言っておいて、自滅してます。
まだ他にもあるみたいですけど、数えあげたらキリないでしょ。 もうちょっとちゃんとやってくださいよ。
●万策尽きた、無力感自身の仰せが、思いが、人に伝わらない。多々ありましたが、ここまでの無力感に苛まれたのは今回が初めてです。 まだまだ漂流から抜けきれていない私が、かつうわべから平和党に戦いを挑むと申しますか、ここまでやりにくい相手に出会い、私はポジティブに考えて楽観視していた感もありました。
相手に持論の意味を納得させられなかったのはそこで、私が戦うべき相手ではなかったと言うほかないでしょう。彼らの存在意義までは否定した覚えはなく、ただうわべ…いわば基本方針と自然主義経済という大きな柱のみじっくりと読みましたが、それだけでは語り尽くせぬ何かを感じた。彼らも本気だ、と。叱られた…いや、本当に「逆鱗に触れさせてしまった」と恐怖心を覚えました。
万策が尽き、矢が折れ、弓が使えず、太刀が折れ…まさにその心境です。
「発言を撤回せよ」とずっと思っていました。でも、真意はそうではなかった。果てなく討論が続くうち、「相手の逆鱗に触れたのでは?」と徐々に思い始めました。
「うわべしか見ねぇで言うな!」と言われている感じがして、私もかなりムキになって挑んでいたのでしょう。決して逃げではなく、もう言葉を選べぬがゆえ現時点での敗北感は否定しません。
今の私には、記事やコメントにある以上の答えはもう出せません。
政治家になる志がない…今は、そう言われてもしかたないでしょう。
なるという意志は、まだまだ頭のずっと奥の中にあるのみです。倫理観など多くのものを引き締めてからでなければ、挑む土壌はつくれない。志があるとすれば引き金がありますし、その引き金はまだ引いておりません。
「まだまだ修業が足りぬぞ」そのような思いにも、似た感じがあります。なお、ここまでの運営の混乱をきたし、他の読者の皆さまに大いに迷惑をかけたことをお詫びします。かつ、情緒に走ったと思われるがゆえの非礼もお詫びします。
相手を納得させることができなかった…最後まで。その時点で、まだまだ平和党に戦いを挑めるわけがなかった。
彼らの概念は、右派とか左派とか軽い次元じゃなかった。いや、そもそも存在意義をも否定する気はなかった…はじめから、ずっとそうだった。かといって、中道でもない…彼らの概念は、もっと違う何かがある。
それであるがゆえ、もっと身を引き締めてから出ないと戦えませんね。「策士、策に溺れる」という言葉を、今ここでふと思い出しました。まさにそんな心境です…嗚呼、政治倫理とは奥がまだまだ深いなぁ。
なお今後も探究心を忘れることなく、当Blogは疾走しつづけます。それゆえ、読者の皆さまには一層のご指導・ご鞭撻のほどを。
「相手に持論の意味を納得させられなかったのはそこで、私が戦うべき相手ではなかったと言うほかない」←そうです。それが私があなたに求めている正解です。
つまり、これを左翼と言っていいでしょう。左翼というものは、自分のために理論のための理論を語っています。即ち、だんだんと、私が今まであなたにしてきたような愚にもつかぬような、どうでもいい内容での理屈を並べ立てていることです。
あげくの果てには人格を攻撃するといったものです。 そして、その内容が社会主義であるとか、共産主義であるとか内容はどうでもいいのです。
あったとしても、彼らの自己満足の理屈です。理屈なんてものは頭を使えばどうにでもなります。
しかし、決して多くの人に幸せを与える事はないでしょう。だから人を論破する力なんて養ったところでなんにもならないのです。
すなわち人間は、所詮人智をいくら施そうにも、自然の力にはかなわないのです。だから日本人は古来から神社を崇めてきたのです。
しかし、現代はどの人もみな学力というものだけが高くなって、己を神仏よりも過信して、屁理屈をこね、神道が伝えたいはずである自然に対しての謙虚さがどんどんなくなっていっています。
これら自然現象・社会現象は学問によって征服できると考えられるようになったからです。右派・左派という学問づけにも本質性を考えたら何ら意味をもっていないのです。
これらは自然の仕組みではありませんから。 とにかく自分の気に食わぬ相手は、排除して踏みにじってやろうという汚い根性の事です。
相手を認めないので、多様性を認めず、とにかく脳みその理論を屈指して人をやりこめることです。
私は平和党が右翼であろうと左翼であろうとどっちでもいいといったでしょう。人の世に役立てば、そんなものはいかなる方法であろうとかまわないし、単なる自己満足の政治討論というものは百害あって一利もありません。
人智に溺れた思想・主義主張は必ずうまくいかないようになっています。それを昔から神道・仏教で教えてきたのに、これらすら学問化されております。 結局いきつく先は「不毛な議論」です。
そして、このようにねちねちとやるわけです。だから共産党というのが少々、選挙違反をしようとも、警察はもめるのが面倒くさいから逃げます。見ないふりをしていることがよくあります。共産党には言論の自由があるのだ、人権がどうのと、いろいろと理屈があります。しかしこれらは近代国家ができたあと、人間があとから作ったものです。
しかしこれらは自然の支配下にあります。これをどの人も忘れています。 こういう人たちには、何も社会のためによくなるようなことはないでしょう。その逆の右派思想もしかりです。思想と学問に溺れるとこういうことになります。つまり木を見て森をみないということがなされています。
人はこうして政策論議そのものに没頭しますが、それを大前提としているものを見失いやすいということです。
私からは以上です。お疲れ様でした。いろいろと言われて大変だったようですけれども、誠に申し訳ない無礼の数々をお見せしましたが、これが私のやり方です。ありがとうございました。では今後ともよろしくお願いします。
秋の大阪市長選挙に平和党から立候補したいという方がおりますので、実際にそうなったらお会いできるかも知れませんね。政治というものは政策や学問ではなくて、人間と自然と愛によって成り立っていることを忘れないで下さい。それではブログ運営がんばってください。
完
「投票(バロット)は弾丸(ブレット)より強い」と。
しかし、リンカーンは銃弾に倒れました。長崎市長も銃弾に倒れました。これは紛れもない事実です。だから投票が弾丸よりも強いというのは嘘です。
「武力で問題解決をしようとする傾向には断固抗議する」と。
伸晃さん(現衆議院議員)が高校生くらいのときでしょうか、母親に何か理由は忘れましたが、かなり逆らったそうです。それで慎太郎氏は、「オマエ、俺の愛する女に何をするんだ」と言って、表に出ろといいました。伸晃さんもそれに乗って、表に出たそうでしたが、結局は伸晃氏は殴れませんでした。
慎太郎氏はもはや体力が衰えていたので内心はホッとしていたとのことでした。
自然通貨を使おう!と言って活動している人たちは平和党の他にもいますよね。そういう人たちはいずれも自然通貨の使用範囲を地域通貨の範囲内としています。平和党のように国家の通貨としては考えていないようです。その理由についてはケインズが指摘しています。(参照:ウィキペディア『自然通貨』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E4%BE%A1%E3%81%99%E3%82%8B%E8%B2%A8%E5%B9%A3)
つまり、自然主義経済というのは、「電力料金支払いのためのお金」よりも「電力そのもののエネルギー」を好むのです。だから、原発・火力よりも経済的には太陽・風力が効率がよくなるのです。各家庭に設置できるものですから。
突然失礼します。それで貴方は今の日本をどうなされたいのですか、領土も漁業権も放棄しましょうと言う事ですか?、私にはぬるま湯に浸った豆腐みたいな作文に思えましたが。お気を悪くされたならごめんなさい。
2007/4/12(木) 午前 10:51 [ 竜馬宜しく ]
いつものごとく真意が伝わらず、かねての政治思想論による質問内容ですが、領土や漁業権をなぜ必要とするのかの根本についての問題提起です。富が蓄積される経済社会の場合には領土が必要でしょう。漁業権も必要でしょう。しかし、それでは永遠に無益なことをするので、食糧・エネルギー・通貨においての改革をなすべきとしているのです。この論は、創造力があれば、ぬるま湯に浸かった念仏平和とは解釈しにくいものです。
領土は国防すべきものであるし、漁業権も魚が獲れるところまで獲ったらいいと思います。しかし、経済構造が富の蓄積に意味をなさくなることによって、魚を遠くまでとること自体に意味はなさなくなります。ガツガツ私利私欲の考えが正義だとされる昨今の風潮は、こうしたことにメスを入れないからです。
それから私は、既存の政治思想に頼ることの方がぬるま湯に浸かっていると感じます。ほとんどの地方議員は、理念・政策なんて、上に挙げたようなもののどれかをチョイスすればすむと思っていて、さほど思いも深くありません。
結局、自分が議員として就職できればそれで安泰なので、無節操な政党移籍をしても、選挙で勝ちさえすればいいので、きちんとした理念・政策が立てられていないのだと思います。自分が議員でありつづけるための後付けのための理念・政策はその議員のためにはいいかもしれませんが、そこの住民にとっては何の利益ももたらさないでしょう。
2007/4/12(木) 午後 1:42 [ 木村重成 ]
別に聴く必要性もないようですな。いずれにしても、漁業権の安全を国は保護すべきでしょう。
2007/4/12(木) 午後 1:58 [ ひろやん ]
漁業に携わる人は、労多くして利益が少なすぎると思います。南米産やアラスカ産において、お金の力で負けるからです。なんで日本の近くの魚が高くて、遠くの魚のほうが安いのか。地産地消をなす必要があり、このためにはお金の仕組みを変えることが必要だと考えます。
2007/4/12(木) 午後 2:33 [ 木村重成 ]
まあ、あんたの思想はひらたくいえば新しくない、ただの社会主義だな。
2007/4/12(木) 午後 4:01 [ hothotrun ]
社会主義というのは、政府による資本主義のことです。
2007/4/12(木) 午後 4:08 [ 木村重成 ]
では聞くが、食糧とエネルギーを国内で完全自給するというのは、国家による社会主義、計画経済による政策だろう。平和党の練馬区の候補者は、元自民党だというが、まさに社会主義者の顔をしてるな・・(藁)
2007/4/12(木) 午後 4:14 [ aaaaa ]
それも思い込みです。よくご覧になればわかると思いますが、国有地を民間に貸し出して農地にしますので市場経済によってなされるわけです。社会主義では、国家が食糧を統制するのは資本の力によってコントロールしようとします。これはお金のほうが食糧よりも力が上回っているからです。富の蓄積を民間においても、政府においても何ら換わることがありません。むしろ一部の政治支配階級が富を独占するわけでやりたい放題になり、ろくなことはありません。
誰もが自然主義経済を聞いた途端に社会主義を思い出すでしょう。それは資本主義でないものは社会主義だと思い込んでいるからです。しかし、実は資本主義と社会主義は同じものなのです。資本を蓄積することによって、その力を発揮するからです。自然主義経済はその逆で、お金が集まっていても力を持ちません。流通する事において力を持ちます。
それから練馬区の人は、別団体になりましたのでもう平和党ではありません。人は顔で判断できないものですよ。なぜなら全然社会主義の人ではないことを私は知っていますから。
2007/4/12(木) 午後 4:25 [ 木村重成 ]
あんたいいことを言う。そう資本の管理を民間にまかせずに国家の管理下に置こうという企てが社会主義=政府による資本主義だ。社会主義者も実は資本主義者だ。「生産活動は資本の集積がなければ成り立たない」ってことを知っているという点でさ。とすると、あんたは「資本主義」でもなく「政府による資本主義」でもなく、「生産資源をどんなふうに管理すべきだ」と主張してるのかえ。
2007/4/12(木) 午後 4:28 [ hothotrun ]
このブログでは、そのことが平和党の結党理由であり、そのことばかりをここで延々と書きつづけているのですが、読まないで、勝手に社会主義だと思い込んでいる人も多いのも事実です。自然主義経済という方法によってそれが可能だということです。管理というか、国家によっての統制は全く論外です。
通貨に減価機能を持たせるということです。現在の資本主義経済がなぜ、お金が強いかというと、モノは持っていると老朽しますが、お金はためておくとその価値が維持されます。ないし、プラス金利によって増殖します。ここに自然界と貨幣のアンバランスが生まれるわけです。よって存在しているのかいないのかわからないようなお金をみんなが崇めるわけです。
お金をストックすることに意味がないのなら、使うでしょう。だから政府による社会保障などいらないということです。全てが民間で可能であり、全てが個人事業主になります。大資本を持つ大企業こそ不利になりますので、これによってどんどん景気がよくなるのはすでに世界各地で実験済みです。ただ中央銀行は、このやり方が国家にそむくものとして必ず阻止してきています。富の蓄積が政府に存在しているからです。
2007/4/12(木) 午後 4:38 [ 木村重成 ]
マイナス利子ならどんどんお金を使って景気がよくなるのはわかった。しかし、それがどうして社会保障につながるのかを教えてください。
2007/4/12(木) 午後 4:42 [ aaaaa ]
お金が自分のところにどんどん集まってくるといっても、無駄なガラクタは買わないでしょう。どうしてもお金が貯まっていきます。でもそのままにしていたら損します。だから前払いをみんながしたくなります。来週あの飲み屋にいって金使うから今払っておこうとか、あるでしょうけど、老後の心配をするならば、これまで資本主義の世の中で必要されてきた社会保障にかかる費用をここで払うことになります。現行の年金を払いつづけて、やがて年金はプラス利子の仕組みによって国家財政とともに破綻するでしょうが、そのときに自然主義経済がそれを代替できるわけです。
ただし、この自然主義経済を行うには前提があります。食糧とエネルギーという担保がなければなりません。そして、最後の日本銀行券の役割は人々に住宅を提供する事です。食糧を作る産業は、資本主義である以上、効率が悪いわけです。
右から左にゼニだけ動かす金融のほうが何兆円をも産み出していますが、腹の足しには全くなりません。しかし、人間はいつのまにかお金でなんでもできると思い込み始めました。だから、食糧とエネルギーの自給が不可欠です。このためにも自然主義経済が活躍します。食品と同じように価値が減る自然通貨は、食糧産業においてまずは力を発揮します。2007/4/12(木) 午後 4:47 [ 木村重成 ]
だが、あんたも生産活動には資本(資金集めとその運用)が必要だというのは認めるだろう。資本がなければ、生産活動はできねーよ。資本(集めた金)をもとに生産活動をするのが資本主義だろう。あんたの思想によると未来の生産活動は資本を用いずに行うのかね。資本の必要性をあんたが認識しているのなら、社会主義が広義の資本主義であるように、あんたの思想も広義の資本主義だよ。あんた流の言い回しを使って表現するならさ。
2007/4/12(木) 午後 4:48 [ hothotrun ]
あなたはまだ思い込みがあります。資本がなければ生産活動ができないという資本とはなんですか。お金のことですか。自然主義経済は、このお金が今までのお金ではないのです。工場や機材だとしたら、それは減価していくものでしょう。資本金は価値が維持されるが、資本たる物品の場合は磨耗していきます。だから私が資本主義者と呼ばれていいのですが、この場合の資本は実態ある資本のことを指します。それは食糧とエネルギーです。
2007/4/12(木) 午後 4:55 [ 木村重成 ]
>だから私が資本主義者と呼ばれていいのですが そうよ、あんたも「資本主義者」だよ。
2007/4/12(木) 午後 4:57 [ hothotrun ]
所詮人間は、自然から採れるものを加工してモノを作らなければ生きてはいけません。だからそういう意味で資本は必要です。しかし、実態のないものを資本と呼んでいると日本は破綻するでしょう。資本の考え方を変えていく必要があると思います。新資本主義にしましょうか。
資本が勝手に増えていく。借金が勝手に増えていく。そこには何の実体もなく、通帳にただ記載されている数字だけが踊るだけです。したがってありとあらゆる借金は全て返済不能なように人間は作ってしまったのです。だから、これを元に戻すために提言しているわけです。
2007/4/12(木) 午後 5:05 [ 木村重成 ]
おみそれしました でもオラぁ無党派を貫きますんで
2007/4/12(木) 午後 5:07 [ aaaaa ]
いや、別にそういうことは望んでませんので。貫きください。
自然主義経済は別に古くても新しくてもいいし、資本主義の一部であると言われても、何の問題はありません。ただ、いまだ国において実践されたことがないことは間違いありません。私が古い政治として取り上げたものは全て日本でやってみたことでしょう。なんでここに気づかないのかなと思うと、やはりこれはこうだろうという今までの経済学が大きく邪魔していて理解できないのだと思います。
2007/4/12(木) 午後 5:16 [ 木村重成 ]
「貨幣消耗論」は正しいと思う。
2007/4/12(木) 午後 7:15 [ hothotrun ]
で、あるとするなら、あなたが考える資本というものは根底から覆るものではないですか。
減価貨幣制度が良い方向であるから、それを実施するための政策が平和党に全て用意されているわけです。たった一つの制度改革だけで、全ての政策分野に波及します。「減価通貨だけが正しい」では、いろいろな矛盾が起きます。
2007/4/12(木) 午後 8:04 [ 木村重成 ]
そんな社会が成り立つかどうか一度仲間を集めてどこかの島で実験なさったら如何ですか。とくと拝見したい。
2007/4/12(木) 午後 9:06 [ 竜馬宜しく ]
島ではありませんがすでにドイツの都市部で行われています。想像できないことは不可能なこととするのは誰にでもできます。しかし、そのような政治家ではすでに限界がきているということです。役人のように前例踏襲主義しかできない人の場合には、なかなか難しいようです。
そんな社会が成り立たないということを説明できますか。ぱっと思いつきで人は、今までにありえないことを否定したがるものです。否定できるものがあるのであればどうぞ述べてみてください。
2007/4/12(木) 午後 9:19 [ 木村重成 ]
貨幣消耗論ってのは現在数字上で蓄積されている資本の記載額に虚偽記載があるってこと。でも資本自体が地上から雲散霧消するわけじゃない。「正味の額面」で「資本を正しく運用しよう」という修正資本主義論議ですよ、これは。あんたの戦争論は青いりんごみたいにまるで食えないけどね。
2007/4/12(木) 午後 10:08 [ hothotrun ]
では、今数字上に記載されているものは全てのモノやサービスと交換できますか。あるいは将来にわたって、精算されるものですか。資本を正しく運用するための基準とはなんですか。青りんごは食べられますよ。
2007/4/12(木) 午後 10:17 [ 木村重成 ]
つづく→ http://blog.goo.ne.jp/heiwatou/e/377515f21517f499373f3e4de26e8b6a