おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

武法

2008年04月24日 22時58分10秒 | Weblog
左翼的市民運動、リベラル、保守、右翼的民族運動、永田町の既成政党、地方議員の勢力など、十年以上にわたり、自分が修行してきたこと、その戦略・戦術・実行にあたる「武法」ををここに書き記す。

東京都渋谷区代々木出生の大坂佳巨、37歳は政界では鼻たれ小僧の類いに属される。23歳のときに日本新党に入党し、自由民主党が史上初めて下野した政権交代を垣間見る。以後、50数度ほど選挙運動を経験し、その間、選挙対策本部長、選対事務局長、弁士、遊説隊長、議会工作、政策立案、広報作成、新聞編集など携わる。他にも、住民投票運動やゴミ問題、薬害エイズなどの運動もした。経済活動では土木作業に始まり、不動産業経営者まで行き、企業防衛や暴力団対策など、経済活動でもあまり営利と関係のないところを得意とした。

選挙のほとんどは反自民・反共産の立場であったが、首長選挙などでは、自民や共産と組む場合もあったから、ほぼ全ての政党を見まわすことができた。選挙に敗北はしても、掲げた政策のほぼ全ては実行されている。

27歳のときに中野区議会議員補欠選挙に無所属で立候補し、投票率24%で5492票。翌年本選挙に立候補して悪名高き現職7人を下したものの、130票ほど足らず。前回の定数ならば当選ラインだったが、削減により落選となる。私には中野区という左派的な支持者が多い中、石原慎太郎東京都知事の推薦を受けての立候補であったから、反発を買った。みなこれを敗因とする人たちが多いが、自分にとっては何の後悔もない。

以後、この右派と左派という、古くからある既存の壁について極めて疑問を持つようになったのである。その後、自由連合で修業し、地方議員経験者らと平和党を結成。一昨年より代表に就任し、地方からの改革のため、昨年東京から千葉県東金市に本部を移した。「党」を名乗ることは不利であることは重々承知の上、精鋭化を図るため、賛同者の本気度を測るためにも、そのようにした。

この左右両派の腐りきった壁を取り払わねばならない。そして、生涯貧民の立場をかかえる私の人生は、自然主義経済という新たな方向に向かった。これは社会主義ともいえない、資本主義ともいえない今世紀に始まる新たな社会システムである。これを実現するならば平和が達成される。その手法は、私の得意とする武の方向へ向かった。




平和の道を作るのは武法である。武法を行うものを武人と呼ぶ。
武人は死ぬことにあらず、勝つことにおいてその価値を持つべし。
死して屍、世の安全を守ることなし。
武人は身体を活用して初めて、世の安全を守りうる。
死をも恐れぬ勇気ほど自己満足なものなし。
死をも恐れぬ勇気ほど無技術なものなし。

武人は、身体を活用して、勝つことが大事である。
勝つためには勝敗にとどまらない、勝敗の一体化を悟るべし。
政治・軍事の世界では、勝者・敗者はつねに演技者である。
勝者を演じることをすれば勝つ。
彼と我とは同一であり、宇宙は即我である。

脚本はつねに、時代が進行する方向に書かれてある。
よほどの番外編でない限り、この進行方向を見誤らねば勝者を演じることができる。


この「勝つ」は、常に民の安全のためになされなければならない。
民に危険を及ぼすためになされることは武法にあらず。
役に立たないスポーツ武道は、つねに役立つように鍛練することを心がけよ。

ひとつには武人という、ひとつには知識人という、ひとつには経済人転じて守銭奴という歴史的事実あり。

武道を売り物に商売をすることなどもってのほかであり、彼らは守銭奴の隷属者である。
国防を国際経済の用にたすことなどもってのほかであり、彼らは守銭奴の隷属者である。
軍事施設を利権の道具に利用することももってのほかであり、彼らは守銭奴の隷属者である。
治安権力を私利私欲に用いることなどももってのほかであり、彼らは守銭奴の隷属者である。

武は、貧しき民から収奪・搾取を行う守銭奴に打ち克つ唯一の手段である。
守銭奴は資本を利用して民を翻弄する。ゆえに、正しき心をもった経済人は彼らに屈服する。
守銭奴は学問を利用して民を翻弄する。ゆえに、正しき心をもった知識人は彼らに屈服する。

守銭奴は資本を利用して、軍事や治安を配下におさめる。武人が己の特性を守銭奴に売り自らの地位を築こうとするのだ。ただし、正しき心をもった武人は彼らに屈服しない。
正しき武人は、生活のため末端の奴隷となることはあるが、悪しき武人のように武力を私利私欲のための殺害行為、たることを知らない欲望などに利用されてでも、守銭奴側近の幹部にはなろうとはしないのだ。


正しき武人は、守銭奴がいかなる飴を差し出そうとも、それをこらえる根性と技術、自給自足能力を養っているからである。

軍人や冒険家は野営において、生活のすべてを自然の中から取り出して、多くの生存術を身につけようとする。そこにはお金の力などいらない。そこに硬貨があれば金属として使えるか、紙幣や証券があれば紙として使えうるか。ただそれだけである。

学者は野営において、その知識があったとしても、そこに立ち向かう武人の精神がない限りにおいては無力である。知識と武勇があれば生き残りは可能である。

守銭奴は野営において、すべてを金の力に依存しているから、学者よりも野営に対して無知である。商品が彼らの手元に届かない以上、どれほど富をもってしても彼らが最も早く死すだろう。

このような守銭奴に隷属する武人が多くなると、彼らは必ず敗者を演じさせられる。

防衛は正しき武人によってなされるが、
侵略は守銭奴隷属の武人によってなされている。
これが歴史であるから、よくわきまえること。

短剣道とアイドリングから考えた自然主義経済

2008年04月24日 22時57分07秒 | 財務金融
自然主義経済の理解者が増えてくると、必ずこういう話になってきます。

「マイナス利子なんてのは、なかなかみんなが理解してくれないからゼロ利子から始めましょう」と、この言葉を私は何度も耳にしてきています。

これがよろしくないということは何度も言っていますが、これは自然の摂理からすれば当然のことです。

自然の摂理が理解できないのは、つねに頭で考えようとするからです。体で感じれば理解できます。

ここでは二例あげてみます。

短剣道という武道があります。ほとんど知られていませんが、これは竹刀が短いもので、剣道と戦っても、銃剣道と戦っても、入り身さえすれば断然有利であり、最も強い力を発揮できます。

それとは別に銃剣道があります。長い木銃を使った銃剣道は槍術の流れからできています。剣道の竹刀よりも長い。したがって銃剣道の木銃は、剣道の竹刀がこちらに及ばず、喉や胴そして小手を突くことが可能です。

しかし木銃よりも短く、剣道の竹刀よりも短い、竹刀を使う短剣道に入り身・制体技でやられます。入り身されなければ銃剣道は長いから有利ですが、短剣道は相手をゼロ状態に陥らせると必殺です。

そもそも短剣道という競技は、銃剣道は長さを利点にしているけれども、その長さを欠点にした場合どうなるのかということで作られたようです。

入り身というのは、相手の懐に入ってしまう。これで剣や槍を持っている敵に仕掛けたら胴を突かれて一貫の終わりです。

敵は前進してプラス、後退してマイナスです。だから入り身はゼロの状態なのです。剣や槍は、前進(プラス)すれば相手を斬る、突くことができます。後退(マイナス)すれば逃げて交わせる。しかし入り身(ゼロ)状態が彼の死ぬ時です。

人は敵に襲われたとき、怖いから逃げてしまう。しかし後退すれば相手の武器が届いてしまうからかえって危険です。けれども、相手の懐に入った、つまり相手にしてみればゼロ状態の時に相手を制することができ、自分は最も安全な場所にいられるのです。

これは進行方向での話ですが、次に動きで見てみます。


Aさんにタオルをもってもらう。両手のひらを上にして、タオルをつかまずに掌の上においておきます。

BさんはAさんと向かい合って、相手のすきをみて、タオルをパッととりあげる。

その瞬間にAさんは、タオルをとられてはならず、パッと握らなくてはいけない。

こういうゲームをします。

どちらが勝つか。これは反射神経・運動神経の優れたほうが勝つでしょう。しかし、ほとんどは、タオルから近いところにいるAさんがつねに勝ちます。距離から考えれば当たり前です。

しかし、Bさんにコサックダンスをやってもらいます。右足を出して次に左足を出してと踊らせます。Aさんはそのまま立ったままです。するとBさんが必ず勝つでしょう。

なぜ距離が遠いのにBさんは勝つか。それはBさんが足を動かしていることでプラス状態になり、Aさんは立ち止まったままゼロ状態だからです。

これはBさんがアイドリング状態になっているからです。アイドリングとはエンジンがかかっている状態です。決して「小泉今日子している」ことではありません。古・・、、、。Bさんにはエンジンがかかっています。Aさんはエンジンがかかっていません。

ゼロ状態というのはつねに停滞をもたらします。

自動車ではバッテリーが上がらないようにアイドリングすることがあります。

でも、数か月も車を走らせない、いわばゼロ状態であれば、バッテリーが上がるという、マイナス現象が起きます。これは停滞による損害です。

イスラムの無利子主義がなぜ停滞をもたらすのか。それはゼロ利子が停滞をもたらし、人々にマイナスの結果を生むからです。

平和党はマイナス利子を訴えているのだから、当然にゼロ利子もその許容範囲に入っていると想像する人も多いでしょう。ところが違うのです。

なぜならば、ゼロは死を意味するからです。

現在常識となっている通貨は、その価値が維持されます。銀行にお金を預けても全く利子がつかないような低金利時代であっても、この通貨の価値は実はゼロではなくてプラスなのです。いわばコサックダンスを踊っている状態で、アイドリングがかかっているのです。

通貨の価値が維持されているとき、世に存在している商品はその価値を維持していません。通貨はアイドリングがかかっているから商品よりも強いのです。

投機や生産というものは、アイドリングからアクセルオンの状態です。

ゼロ利子状態の貯蓄というものは、バッテリーを上げるという非生産的なことにほかなりません。入り身されて殺されることを意味しているのです。

自然主義経済というものは、商品のほうにアイドリングをかけ、通貨のほうは立ち止まらせておくということを意味しているのです。さきほどのタオルの引っ張り合いゲームでいえばAさんにコサックダンスを踊らせているから天下無敵なのです。

物事というものは、本を読んで知るよりも、体でやってみることのほうが覚えやすく、また誤解が解けやすいのです。

コサックダンスの話もやってみないとわからないでしょう。身体というものは、やってみないと感知できないからです。

私が懸念するのは、今後、自然主義経済という考え方が、近代経済学やマルクス経済学のように、既存の尺度に組み込まれていくことです。

そのうち、他の経済学説と同じように、数式で説明したり、理論を確立しようとする人が出てくるでしょう。それが間違いのもとです。今のように自然の摂理を体で感じたものから修得することが重要なのです。

自然主義経済は、元をたどれば、貧しきを救い、争わざるの理を人類が悟るために作り出されたことを忘れてならないでしょう。学術化や利益主義化がいかなる結果を生み出すのかについて十分検討されながらなされないと、プラス利子の発想と同じことになってしまいます。

紙切れに支配される学術者たち

2008年04月24日 22時56分31秒 | 法務
自衛隊イラク派遣:「米兵の輸送活動は違憲」判決 岡山訴訟の原告「画期的」 /岡山
 イラクへの自衛隊派遣について「米兵の輸送活動は違憲」とした17日の名古屋高裁判決を受けて、全国の地裁で唯一係争中の岡山訴訟の原告からも「画期的な判決。岡山でも期待できる」と判決を歓迎する声が上がった。

 岡山原告団は05年、1~3次にわたって計256人が提訴。1・2次を合わせた訴訟と3次訴訟に分かれて争っている。1・2次訴訟は5月に今後の日程が決まり、3次訴訟は8月に最終弁論が予定されている。河原昭文弁護団長は「(判決は)憲法9条の価値を認めており、素晴らしい判決だ。岡山では差し止めが認められるように頑張りたい」と話している。

 一方、05年にイラク・サマワでの人道支援活動に隊員3人を派遣した陸上自衛隊日本原駐屯地(奈義町)。同町議の森藤政憲さん(56)は「住民の立場に立った判決。イラク戦争の泥沼化で、日本からさらに自衛隊を派遣することになるのではと心配していた。今回の判決がストップにつながればいいと思います」と話した。【石戸諭、椋田佳代】

毎日新聞 2008年4月18日 地方版

イラク支援に航空自衛隊を派遣したことは違憲だと。

このニュース、左派は喜び、右派は悔しがっているようですが、、、、

しかし、実際問題としてすでに派遣されているわけですから、悔しいも喜ぶもないと思います。

また、ある人は、日本国憲法は無効であるが講和条約によって有効だとか、、、、

また、ある人は、憲法98条の規定によれば、県民によって国の法律改変が可能だとか、、、、、


彼らは知識とか法律に左右されています。

しかし、実際問題に動いているものがあるのであって、憲法などというものは全く無力でしかない。ただ、紙に書いてあるだけです。その解釈をめぐって喧々諤々やっても、実際に動いている力はそれらの論争を笑い物にします。

実際に運営しているのは、統治機構であって、憲法ではない。

このへんが理解できていないのは、「頭脳にばかり偏向した政治家」による悪政と言えましょう。

彼らはなぜ能書きが好きなのか。なぜ「法治国家」であると信じていたり、それを目指すのか。理論としての「正義の追求」と実践としての「正義の実現」は全く別ものであり、全然違うところにあるのです。

そもそも正義などというものは実現する必要はないですが・・・。

国は、人間によって成り立っているのだから、その人々の気持ちや痛みを知らなければいけません。

彼らの論理はいずれも学問的であり、冷徹であり、形式であり、ほとんど意味の成さない、言葉遊びです。

憲法があろうとなかろうと、平和が成り立つのが自然主義経済です。

士農工商の変遷

2008年04月24日 22時55分36秒 | Weblog


●士には、武士と文士がある

現代は「士農工商」ではなくて明らかに、「商工農」の順序だ。
ただし、士を定義するのは難しい。


士とはイコール武士だと思ってる人がいるけれども、もともと中国から伝わってきた漢字としては、この士は文士を指す。

農業を再興させた文化を尊ぶ人というのは、軍事的なにおいのするものを嫌う。

だが、植芝盛平合気道開祖の言った「武農一如」は不変である。武の本当の意味を知らぬから、ありきたりな政治的左派発想を持ってしまう。武はすべてを活かすことに通じてる。農もすべてを活かすことに通じている。



●武農一致の時代
武の魂によって開拓された農が厳として存在する。
武は、国の礎をつくるときに必要であり、開拓と冒険心が必要になる。江戸幕府を開いた武の時代、「士農工商」が制定され、農は士に次ぐ位置づけにした。

武士の基準は石高制度であり、実態のない架空の富たる貨幣でもなければ、学識の高さでもない。人間は食べることによって物理的に生きる。だから米が基準となった。

太平洋戦争時代でも貿易は封鎖同然なので、米が重要であった。

アメリカ合衆国が建国されるためには、農地を開拓してる。このため武農はつねに一致の時代なのだ。


●武士時代から文士時代に切り替わるとき
武により社会が平定されてくると、いちいち鞘から刀を抜く必要がなくなってくる。武士の官僚化が始まり、教育の普及、文化の発展がなされる。このとき武士から文士へと徐々に代わっていく。武力の芸能化、武芸へと変わる。

農は自然そのままのものから少し手を加えたものだが、この文士政権時代は彼らの知によって、もっと加えようとするだから農業よりも工業が発展する。大規模な建築物、宇宙開発など、道具を使った挑戦が数多くなされる。

●士から商の時代
工業が発展してくると商業が発展する。産業はパレートの法則に従い、貨幣経済・金融経済の発達をもたらすのが常。当初はモノを売るが、そのうちサービスがメインになり、最後はお金そのものが商売の対象となりやがて貧富の差が拡大する。

そして貧しき民は、不満を募らせ、その政権を終わらせる。

次に来るのはまた武による開拓の時代だ。商業が天下を極めると、また農業天下の時代がくる。人類はこの繰り返しをしている。

このように考えると、「士農工商」が順番通りの位置づけされる時代は武力をもった武士による政権時代のみだ。

●繰り返し構造
1.武士・文士・農業・工業・商業
2.文士・武士・農業・工業・商業
3.文士・武士・工業・農業・商業
4.文士・商業・武士・工業・農業
5.商業・文士・工業・武士・農業
6.最下層の民による反乱



現代は5.の時代。武士、現代の自衛官は工業の下だ。自衛官を退職しても食っていけるように工業関連の資格を取得させている。武力よりも学問よりも、経済力が重きに置かれている。だがその時代がそろそろ終わりにさしかかってる。

であるからこそ、平和党は次の時代の新価値観・自然主義経済を提唱しているのだ。

次に、今までのサイクルをまとめるとこうだ。





●大和・奈良・平安時代

1.豪族による戦乱、ヤマト王権確立
2.律令制・藤原家支配・摂関政治
3.寺院の建築ラッシュ
4.荘園制度の導入
5.荘園支配
6.武家のルーツ・悪党の反乱


●鎌倉時代

1.武家・源氏による鎌倉幕府
2.北条氏支配
3.東海道の整備
4.貨幣経済(宋銭・元銭の輸入)
5.無尽の確立(アコム、「ラララむじんくん」の語源?)
6.建武の新政による下層武士の反乱


●室町時代

1.武家・足利氏による室町幕府
2.仏教支配
3.官僚化された武家と仏教建築物の増設
4.日明貿易の発展
5.金融経済の発達・貧富の拡大
6.応仁の乱


●戦国・江戸時代

1.戦国時代から江戸時代初期
2.江戸時代前期
3.江戸時代中期
4.江戸時代後期
5.江戸時代末期
6.幕末の動乱


●明治・大正・昭和戦前時代

1.明治維新
2.議会制・官僚制の確立
3.殖産工業の発展
4.大正デモクラシー
5.三井(政友会)三菱(民政党)による二大政党時代
6.五・一五事件、二・二六事件


●昭和戦後・平成時代

1.太平洋戦争、GHQ支配
2.吉田内閣から石橋内閣、教育・憲法の改編
3.岸内閣から池田内閣、官僚支配による高度経済成長時代
4.佐藤内閣から田中内閣、大蔵官僚による経済安定時代
5.田中派支配から現在、経済優先時代
6.・・・・・


武人時代に農、知識人時代に工、経済人時代に商。

したがって我々は、食料の完全自給を目指さねばならない。

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アメリカ史における社会サイクル論

2008年04月24日 22時53分40秒 | 外務
日本史における社会サイクル論
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/33390473.html
と同様に、すべての国や民族にこの法則があてはまる。
米国も同様だ。

日米ともに現在、ヴァイシャによる経済人時代の末期で、そのうち貧民革命によってシュードラたちが動く。これはおそらく暴力革命を肯定したことのある日本共産党や社会民主党などの労働者政党が担うのではなかろうか。護憲や平和を掲げる政党を政権につかせると戦乱が起きやすくなる。彼らは富の再分配に固執しているからだ。

したがって、彼らに政権をとらせてはいけないし、それほどの力を今後もつこともないが、貧民を代表させる乱は必要になってくる。

現在のところ、天木直人、雨宮処凛、植草一秀、辻元清美、福島瑞穂、佐高信、赤木智弘などの氏が戦争を誘発する危険人物であり、また貧民の怒りを晴らさせる役者でもある。

反戦思想・社民思想は戦争を作り出す
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/36367983.html

現知事や前知事では東国原英夫、橋下徹、堂本暁子、浅野四郎、田中康夫、青島幸男、横山ノックなどで、彼らはシュードラ知事である。彼らは最終的に守銭奴に妥協していく。愚民の支持を得やすく、この政治家たちが持っていく方向は財政や経済の破局なのだが、次に進むためには、それが適切なものとして歴史では判断される。

哀れなのは彼ら政治家は、今は支持されているのに、あとで袋叩きにあうことだ。歴史上でも埋もれやすく、ほとんどの人が褒めてくれない。



これを横目に、クシャトリアによる武人時代に持っていき、平和を実現するのが平和党の役割であり、今世紀中盤までになされるであろうヴィプラによる知識人時代まで見届けることが望ましい。

それでその貧民革命がいつ起きるのかのタイミングを読まなくてはならない。天の時はいつか。そのために米国に注目する必要がある。
日米は一蓮托生、米国で起きたことが日本にすぐ起きる。



アメリカの歴史
http://www.youtube.com/watch?v=SdDr1rKB9bA


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

●植民地時代 (1493-1776)・・・奴隷時代
ヨーロッパにとっては武人時代、スペインとポルトガルの冒険家たちによって、未開地アメリカ大陸へと進んだ。


●独立戦争と国家建設 (1776-1789)・・・武人時代

●西方への領土拡大 (1789-1861)・・・武人時代~知識人時代

●南北戦争 (1861-1865) ・・・武人時代~知識人時代
産業革命による工業化。奴隷解放。二大政党の確立。

●西部開拓時代 (1865-1890)・・・知識人時代
大陸横断鉄道の建設

●帝国主義時代 (1890-1918)・・・知識人時代~経済人時代
新聞の普及、日露戦争の調停、モンロー主義、ハワイ併合、パナマ運河建設、第二次産業革命

●第一次世界大戦 (1914-1918)・・・経済人時代
武器輸出による外貨獲得。

●史上最高の繁栄と没落 (1918-1939)・・・経済人時代~貧民革命
世界大戦に参加しなかったため経済は繁栄を極める。輸出拡大。摩天楼と呼ばれる高層都市化。バブル景気。
ストライキの頻発。食糧増産による土地疲弊で離農現象。アルコール依存患者の急増→禁酒法の制定。日系アメリカ人への排斥。株の一斉暴落→世界恐慌。

1932年 退役軍人たちの暴動、共産主義運動の活性化・・・・貧民革命

●第二次世界大戦 (1939-1945)・・・武人時代
真珠湾攻撃により枢軸国に宣戦布告。第二次世界大戦に参加。原爆投下。日本の支配。ドイツ・オーストリアの割譲。

●冷戦前期 (1945-1969)・・・武人時代~知識人時代
朝鮮戦争・ベトナム戦争は、「資本主義vs社会主義」というイデオロギーが軍事を動かした。米ソによる宇宙開発の競争。CIA創設により諜報活動の重視。高速自動車道路網の整備が急速に。ハリウッド映画の黄金時代。

●冷戦後期 (1969-1989)・・・知識人時代~経済人時代
ニクソンショック。ドル優位体制。シリコンバレーと呼ばれる半導体工業地帯が登場、ハイテク産業開始。各国に対しての自由貿易要請。麻薬利権のためのパマナ侵攻。

●冷戦後 (1989-)・・・経済人時代
石油利権のための湾岸戦争・イラク戦争・アフガニスタン侵攻。財政赤字と貿易赤字の拡大。格差社会。軍事費の圧迫。



知識人時代から経済人時代に移行するのは、知識人が経済的基盤を整えるために起きる。武人時代から知識人時代に移行するのは、武人によって平和と安定がもたらされると動くのだが、米国の場合つねに危険がともなっており、軍事力はつねに維持された。しかし、その軍事力を操るのが軍人よりも、知識人から選出された者たちによって運営されてきている。



武人時代は農が重視され、知識人時代は工が重視される。武人による生物・地学・天文的な見地から、知識人による物理・化学的な見地に、そして経済人時代は数学的見地が重宝される。







日本で五・一五事件の起きた1932年、世界恐慌発祥地の米国でもやはり同じことは起きている。

http://j_coffee.at.infoseek.co.jp/keizaishi2.html#shitsugyousha2

1929年10月24日、ニューヨーク株式市場は突然崩壊。株が大暴落した当時の失業者の数は、155万人で労働者人口の3.2%だが、その後次々に首切りがなされていく。

1930年、アメリカの失業者数は434万人、失業率は8.7%、1932年には1200万人を突破し、失業率は史上空前の24%に達した。

ホームレス化した大都市では、大統領である「フーバーをつるせ!」と叫び、やがて退役軍人たちが恩給の前払いを求めてデモを起こした。同時に失業者たちのデモも相次いでおり、共産主義運動が高まったときでもある。ダクラス・マッカーサーによってこれらの暴動は鎮圧されているが、米国でも日本と同様にここから軍人優位の時代になっている。

名前は「真っ赤さ」と言っているのに、彼はアメリカでも日本でも共産党運動を抹殺した。これを踏まえるとライス国務長官時代の今、小麦が高騰してるのは納得がいく。

したがって、今度の貧民革命も米国で発した同年に、日本でも同じことが起きることが予測される。よくよく注目すべきである。


http://heiwatou.web.fc2.com

減反を阻止できる自然主義経済

2008年04月24日 22時53分04秒 | 財務金融
こちらは岩手県のホームページに出ていた「農業産出額 全国上位10都道府県」
http://www.pref.iwate.jp/~hp0507/chikusan-data/tikusan-doukou/00-01-02frame-noutikudoukou.htm

五年前のデータがグラフになってるのだけれども、

1位 北海道
2位 千葉県
3位 茨城県
4位 鹿児島県
5位 新潟県
6位 愛知県
7位 熊本県
8位 宮崎県
9位 栃木県
10位 福島県

となっていて、米どころ岩手県がランクされていないことが示されている。


これらの基準は産出額である。つまりどれほどの銭が稼げたかという価値基準。

千葉県が二位、茨城県が三位でいられるのは首都圏で農地が豊富なためと言える。

この価値基準で行くのならば、より金額の高いものを生産しようとするだろう。金額の高いものが満腹感や栄養に比例するかといえば、全く別問題だ。愛知県が高いのは花、静岡県はメロンやお茶、こうしたものが生産額を上げている。

だから江戸幕府は石高を基準にしていたのは、正しいだろう。




コメ生産調整:減反「背水の陣」 08年産、10万ヘクタール削減目標
 ◇失敗なら価格暴落も
 農林水産省や全国農業協同組合中央会(全中)が、08年産米の生産調整(減反)の取り組みに懸命になっている。成果が上がらなければ昨年同様に米価が大幅下落する恐れがあるだけに、今年は「背水の陣」。しかし、10万ヘクタールの作付け減少という目標はきわめて高いハードルだとの見方も多い。

 ●結果が必要

 「結果が出なければ新たな農政展開が崩れる。失敗は許されない」。今月12日、農水省で開かれた地方農政局長会議で、白須敏朗事務次官はこう発破をかけた。

 08年産米の生産目標数量は前年の生産実績より39万トン少ない815万トン。これを達成するには作付面積を10万ヘクタールも減らさなければならない。同省は昨年12月、生産調整を実施した農家への支援と実施しなかった地域に対するペナルティーを盛り込んだ対策強化を決定。年末には農協系以外も含めた関係団体と「目標達成のための合意」を結んだ。年明けからは幹部が地方を回り、協力を呼びかけた。

 ●重点県設定

 今年の大きな特徴は、これまで過剰作付けの多かった地域で重点的に働きかける点だ。全中は秋田、福島、新潟、茨城、栃木、埼玉、千葉県を「重点推進県」に決めた。

 また、コメ作りの段階ごとに農協や市町村がきめ細かい対策を講じる。作付け前は、生産調整を拡大すれば支援を受けられることを農家に説明し実施を促している。作付け後に過剰が分かったら青刈りや主食用以外への転換を求める。集荷段階では、目標数量を超えたコメは価格に差をつける場合もあるとしている。

 しかし、大消費地に近い地域では生産調整と関係なく集荷する業者も多いため、農家は作りすぎても販売先に困らない。また、小規模な兼業農家はコメの収入への依存度が低く米価が下がっても打撃は小さい。「作った人が勝ち、という状況は変わらない。10万ヘクタールの目標の半分もいけばいいのではないか」(米卸大手)

 ●怒り心頭

 全国の水田面積は約250万ヘクタール。減反は既にその4割に達しており、現場の限界感は強い。みやぎ登米農協(宮城県登米市)の阿部長寿組合長は「まじめにやってきた農家は(減反拡大で)怒り心頭に発している。今のパターンの生産調整は根本から見直す必要がある。コメをフル生産して、バイオ燃料や飼料など非主食用の需要を開発すべきだ」と話す。

 東大大学院農学生命科学研究科の鈴木宣弘教授は「生産調整に過度に依存して米価を維持するのはもう無理だと思う。『出口』で調整する方向へ徐々にシフトする必要がある。例えば、生産調整のコストを減らし、飼料、援助、米粉などの用途で国が基準価格を示し買い入れてはどうか」と提案している。【位川一郎】

==============

 <生産調整実施者への支援>

・生産調整を拡大し5年間続ける農家に10アール当たり3万~5万円の一時金

・非主食用米の低コスト生産に取り組む農家に10アール当たり5万円の一時金

 <目標未達成地域へのペナルティー>

・産地づくり交付金(転作助成金)の受給などで不利な扱いの可能性

毎日新聞 2008年3月23日 東京朝刊

食料自給率の向上を言っている自民党政権で、このようなことが実態として存在する。

「銭にならないコメは捨てよ」・・・・と。


とくに、秋田、福島、新潟、茨城、栃木、埼玉、千葉県を「重点推進県」に指定されている。

くだらん政治家や、くだらん国を叩いている暇はない。


提携米研究会について
http://teikeimai.net/forum/

よびかけ人
黒瀬正  (秋田県大潟村)
土橋敏郎 (秋田県三種町)
尾形修一郎(山形県遊佐町)
石附健一 (新潟県加茂市)

米と稲作は、日本の食と農業の根幹をなすものです。
水田稲作は、日本の地域の環境に適し、その環境と多様な生物を守りながら私たちの主食「米」を生み、命を育んできました。
今日、食生活の変化、過度な自由貿易、世界の食糧・エネルギー資源のひっ迫、自然環境の悪化と気候変動、農業者と消費者の高齢化など、米と稲作をめぐる状況は急速に変化しつつあります。
1962年に約120kgだった日本人の米の消費量は、2005年には約61kgと、半分になりました。水田面積も大きく減り、耕作放棄地が増えていきました。
1975年に約790万人いた農業就業人口は、2005年に約330万人と半減し、そのうち65歳以上が194万人と58%に上っています。すなわち、今後10年間で過半の農業者が出荷生産者としての生産能力を失うことは明かです。
これに対し、環境と調和しつつ経済的にも持続可能な稲作農業のあり方が模索されています。2006年12月には有機農業推進法が成立し、日本の農業に有機農業の考え方がはじめて取り入れられようとしています。一方、産業としての農業と基盤となる農地のあり方について、さまざまな政策が検討されています。
従来の自作農、家族経営主体、集落に生産基盤を置く農業生産体制が現実に崩れつつある中で、米と稲作をめぐる今後はどのような形が望ましいのか、地域、環境、経営、流通、消費を含めあらゆる面から検討し、新しい農業、食のあり方を実現しなければ、日本の食と農業は崩壊する局面にあります。
このような認識に立ち、過去のしがらみにとらわれず、未来を見据えて日本の米と稲作の新たな農業、食のあり方を実現するため、提携米研究会を設立いたします。
多くの生産者、消費者の参加をよびかけます。

【提携米研究会の目的】
一、農業生産者に対する生産調整等を前提とした各種規制の解除
一、地域内消費、地域間提携、個人・団体を含む産直提携を軸とした生産・流通・消費の拡大と制度的確立
一、食の安全と環境保全を確保するための生産、流通、表示制度の確立
一、自由貿易体制の中での食料主権の確保(主食自給率の確保)
提携米研究会は、この目的を実現するための情報収集、研究、政策提言等を行います。

【事業】
主に水田稲作に関わる農業政策の情報収集、研究、提言、調整
農業政策に対する提言、調整
その他、農業、環境、食に関する調査、研究、提言、調整
提携米商標権・栽培出荷基準の運用管理

注:事業の「調整」には、他の研究、農業運動、市民運動などとの連携やキャンペーン型の運動等も含みます。

【農業生産者に対する生産調整等を前提とした各種規制の解除】
日本の農業政策は、米の生産調整(減反政策)を軸に混乱を続け、農業生産者の経営体力を奪ってきました。1970年から続いてきた強制力を持つ減反政策は食管法廃止と食糧庁解体、食糧法制定によって表面上は終了しましたが、2007年からの品目横断的経営安定対策をはじめとする新たな米および農業政策でも生産調整が必須となっており、農地・水・環境支払い等の環境保全政策であっても、「認定農業者」=生産調整協力者を前提としているなど、事実上、減反政策は継続されています。
生産調整が、言葉通り「生産者の自主的な取り組み」であるのならば、農業政策に生産調整要件を入れる必要性はありません。生産者の自主的な創意工夫による生産や健全な経営を構築する上で、農業政策における生産調整等を前提とした各種規制は不要であり、これら規制の撤廃に向けて取り組みます。

【地域内消費、地域間提携、個人・団体を含む産直提携を軸とした生産・流通・消費の拡大と制度的確立】
主食である米は、政府統制による分配の時代を経て、自由な流通、販売の時代を迎えました。1993年の大不作による米パニックの際、地域内・地域外を問わず、提携、産直を行っていた生産者-消費者は安定かつ公平な米の供給に全力をつくし、その後、自主的な備蓄や緊急時の体制づくりにも取り組んできました。しかし、過去10年以上に渡って「米あまり」が言われ、この提携、産直にかげりが見えていることも事実です。
地産地消や食育、あるいは地域環境保全や地域自立の必要から、提携、産直を軸とした生産、流通、消費の拡大と制度的な位置づけ確立を目指します。

【食の安全と環境保全を確保するための生産、流通、表示制度の確立】
米の流通、表示制度は、旧食管法の流れをくみ、流通上の都合を最優先にした構造になっています。生産者の経営安定と農薬削減、消費者の食の安全、安心に対する適切な検査、流通、表示制度の確立を目指します。

【自由貿易体制の中での食料主権の確保(主食自給率の確保)】
世界の食料需給がひっ迫する中、きわめて自給率の低い日本は食料危機の可能性が増しています。一方、WTO/FTA自由貿易体制が世界の自給的農業を破壊し、食料主権を奪いつつあります。これらに対し、米を軸とした主食自給率の確保と食料主権の確保に向けて、取り組みます。


253-0035 神奈川県茅ヶ崎市浜須賀2-25(牧下圭貴)
電話・FAX 0467-27-1886
メール forum@teikeimai.net (@を半角にしてください)


昨日、六本木の大地を守る会で設立総会が開かれたそうな。
気づいたのは今朝。まことに遅し・・・。

自然主義経済は減反を阻止できるので、どうにかしてみよう。

現代先進国の戦争手法

2008年04月24日 22時51分56秒 | 外務
現代の先進国では、もしも「ある国」が気に入らないとしても、突然意味もなく戦争をしかけるわけにはいかない。だからマッチポンプ式の自作自演が必要になってくるのだが、もっと言えば、それすらも必要ない時代が来ている。

たとえば、真珠湾攻撃や9.11テロ事件が、米国の自作自演だったとしても、その後、明確に太平洋戦争なり、アフガニスタン侵攻なり、実態として兵士が動いているわけだ。

でも、これから予想される、あるいはすでに起きている「もっともたちの悪い戦争」とは、今までの戦争の形態をなしていないことだ。

個人によるテロ攻撃とか、ゲリラなどの事件は、明らかに犯人が存在している。だが私の言うのは、これよりも「もっとたちの悪い戦争」だ。

ようするに目に見えない戦争である。どこからが開戦で、どこまでが終戦なのさえ、はっきりしない戦争。

グローバル社会を利用すれば、いくらでも可能だ。

したがって、真の安全保障は「鎖国」「自給自足」「地産地消」にある。

民主党・亀井政権の可能性

2008年04月24日 22時51分05秒 | Weblog
貧民革命、シュードラたちによる「富める者たちへの怒号」は、誰によりなされるのか。そのリーダーとなる武人候補として、私は国民新党の亀井静香代表代行を挙げる。

亀井氏は、警察官僚出身であり、養神館合気道六段。義理と人情の男である。貧民の出身であり、つねに貧民を意識した「公共事業」「財政主義」「ケインズ経済学」に愛着を持つ。

そんなことは前から知っているのだが、亀井氏は尊敬する人物として次の二名をあげていた。

●チェ・ゲバラ

●大塩平八郎


いずれも、貧民救済のために武力をもって立ち上がった人たちであり、私もときおり、この2名を指して「シュードラ革命」の例えを出すことがわかりやすいと思って、たびたび話に出してきた。

http://www.youtube.com/watch?v=GEK8st0BOR0
ハタ坊にジミー大西、イヤミに明石家さんま、大塩に亀井静香。これほどよい役者割り当てはない。

亀井氏は今後、民主党代表に就任する可能性がある。歴史のサイクルとして、まるっきり必要なキャラクター要素を備えているからだ。

小沢一郎氏が自由党を結成したばかりのときに、私は小沢氏が将来民主党代表になるだろうと踏んだ。あのとき、民主党代表は菅直人現代表代行であり、この二人は犬猿だった。

それであっても、民主党と自由党が合併することはないではないが、先頃まで新進党の党首だった小沢氏が彼自身が原因で解党するのに、民主党の代表になることなど、ありうるかもしれないが、相当に時間のかかることであり、また彼の政治生命がそれまで続いていないだろうとの見方がかなり多かった。だが小沢氏は今、民主党の代表だ。

政治というものは、最初にはっきりと言い切ってしまえばしまうほど、その逆を行く。亀井氏も自民党にいるときは、「民主党と組むことなど絶対にありえない」と繰り返し言っていた。これほど断言してしまうということは、彼にとってそのときは確かにそう思っているのだろうが、人に聞かれることにおいて、だんだん民主党に注意が行ってしまい、やがて彼は民主党代表となるのである。しかも、このさいに民主党政権の誕生がありうる。

私の予測がはずれたのは、「小泉内閣のあと、民主党政権になって小沢内閣ができるだろう」と言ったことだ。これは小沢氏がまだ自由党の党首だったときに予測した。おしいところまで行ったが、なぜ安倍内閣になってしまったのか。

それは小沢氏が民主党代表にはなったものの、彼がそれまでの新自由主義経済路線を覆したからだ。外交的にもタカ派だったのに、すべてが転じた。これは小泉政権の逆をいかねばならないという、彼の打算が民主党政権をなきものにした。

だから、今後小沢政権というものはありえないが、国民新党が民主党と合併し、亀井氏が代表についたとき、国の財政注入が細り、公共事業がなくなり、地方交付税もなくなった頃、民主党政権・亀井内閣が予想される。このとき社民党はもちろん、共産党が連立与党になっているかもしれない。これが今サイクルの貧民革命に相当する可能性がある。

亀井政権では、財政を著しく消耗させるだろう。これが原因となって戦争が起きるかもしれない。そのために平和党は、地方の力を鍛えておく必要がある。

http://heiwatou.web.fc2.com

体を動かす・体で考える政治

2008年04月24日 22時50分09秒 | Weblog
以前は頻繁に、コメントで異論を言ってきた人たちがたくさんいたのだけれども、ここ半年ほどない。前は月に二度や三度はあったのがめっきり減った。

この理由について、肯定的にとらえるのならば、これは自然主義経済に対しての理解が浸透しているのだとも言えなくもないが、否定的にとらえるのならば、ここ最近私は自分が武術をやってきていることをバラしてしまったので、ビビって誰も文句つけなくなったのだろうかとか、いろんなことを考えてしまいます。

ここ数日、政治関係を述べるブログを回ってみたのだけれども、あいもかわらずガッカリさせられる。右か左か真ん中か、そんな中でも微妙に右とか、もうちょい左とか、官権か民権か、軍拡か軍縮か、反中か親中か、産経か朝日か、護憲か改憲か、旧来からあるような議論をいまだに続けてる人ばかりである。同じ数直線上で争っているのだ。軍事も環境も、経済も財政も、福祉も年金もすべてだ。

政治が迷走しているのは、ジャーナリズムの精神を持つ人々が、迷路の出口から抜け出せないからだろう。同じところをぐるぐる回っている。まことに愚かとしかいいようがない。

彼らに共通してる特徴は「止心」に終始していることだ。止心があるから特定のイデオロギーに固執してる。

止心とは、一つのところにしか目が向かず、全体が見えないために必ず敗北することで、武道では戒められている。心が止まってしまう状態だ。環境なら環境のことしか考えない。軍事なら軍事のことしか考えない。彼らにとって軍事と環境は全く関係ないものだと思ってる。貿易と年金も関係ないし、通信行政と福祉も関係ない。すべての政策分野が全くつながっていないのだ。これでは政治とは言わず、たんなる政策のよせ集めだ。

したがって、一つのことが全体につながるようなものの見方が求められる。これを「放心」と言う。

部分を鍛練しようとする現代スポーツも、部分で治療をしようとする現代医療など、西洋文明を取り入れてからわが国は、この止心によってとらわれるようになった。

全体を鍛練しようとするのは武道であり、全体を治療しようとするのが東洋医学である。自然主義経済はこの考えに則っている。

剣道では「相手の目を見よ」と言う。自分や相手の竹刀、あるいは狙った面、小手などに注目してしまうと、結果的にそこへ打突することができない。これは相手に悟られるからであり、また全体を見渡していないから己の見過ごしから自分がやられるのだ。

合気道では、「相手の目を見るな」と言う。目によって気を吸引されてしまうからであり、相手を意識していることになる。相手を相手にしないこと、つまり敵とみなさないことによって、相手が自然に倒れてしまう。

どちらにしても、全体を見る能力を高めよと言っていることに違いはない。

バイクに乗る場合、コーナリングにおいて、コーナーの外側を見てしまうと外側に膨れてしまう。だからイン側にクリッピングポイントを置く。しかし、このさい、路面状況も把握し、コーナーの外側も把握し、後ろからくるライダーについても把握する。前を走る車があればそのドライバー、ライダーが次にどのような行動をとるかを予測する。したがって、クリッピングポイントだけを見ていては状況を失することになる。そしてコース全体のどこに位置しているかを、空から見下ろしている感覚がなければ次にどのようなRのコーナーが迫ってくるか把握できないだろう。

ところが、政治家もジャーナリストたちの政見も、ほとんどすべてが止心にとらわれている。テレビで政治家の討論番組がよくおこなわれてる。最近はバラエティ番組などでもなされるようになったが、テーマはすべて政策別になっているだろう。政治というものは、各個別の政策を論じることではなくて、総合論の仕事なのに、彼らのやっていることは、政治家のやることではなくて官僚のなすことだ。全体の指針がないから迷走している。


放心というのは、心をすべてに放つことである。一般に「放心状態」というのは、心の停止状態をいうのだけれども、武道で放心とは、心の開放による全体把握のことを指す。

放射線状に360度を見ることは、肉体の目だけでは不可能であるから、自分の全身と全霊を使って把握することだ。

肉体の目だけでとらえようとするから止心になる。初心者のうちはどのようなことをするにあたっても仕方ないかもしれないが、慣れて放心ができなければ、その人はもう政治などやめたほうがよい。

部分を積み上げて全体を見ようという考えは、知識に依存しているからだ。「私はその専門じゃないからわかりません」とか、「政治のことはよくわからないけど」とか言う言葉はどうにもおかしい。政治に無縁な人間などこの世に一人としていない。

たとえば私はプロ野球について詳しくない。小学三年まで王貞治を応援していたきりで、あとのことはよく知らないが、選挙運動や会社の営業などのさいにプロ野球の話題を知らないと困ることがよくある。しかし、勝負事は知ってるからどうにでもなる。

だから、いちいち細部の知識がないからといって躊躇して、何もしないのは怪我のもとである。

刃物を持った暴漢が襲ってきて、「ああこのナイフはどこ製で、角度は何度あるから、どれくらいの殺傷能力があって、これで刺されたらどの病院に行って・・・」などと考えはしないだろう。「私は刃物の知識がないからわかりません」とはなっても、とりあえずよけるなり、刃物を取り上げるなりするだろう。これは知よりも、体が優先しているからだ。

釈迦が戒めたのは、こうした能書きよりも、まず心身をもって対処することがあるだろうということだった。

知ることはあとである。頭で考えていると間に合わない。頭で考えた技は決まらないが、体が勝手に動いた技は決まる。これは心身が統一しているからだ。頭脳を経由しているとろくなことはない。偉大な頭脳をもつ学者たちも、頭脳そのものによらず、身心の統一によって物事が発明されているのではないか。

武術や危機管理の場合は、ゆとりの時間が与えられないため、頭で考えている暇がないときがある。このときに止心状態だと対処はお粗末になる。だから、今の政治家のほとんどは止心ばかりだから、危機管理は任せられないということになる。とくに安倍前首相などは止心ばかりだ。彼はハリボテ武士である。

小泉元首相なら危機管理について的確な判断をするだろうが、彼は守銭奴隷属の武士でもあるから、別の問題を多く抱えている。

法律がどのようになっていても、超法規的措置というのは人命のためには必要不可欠だ。そんなとき、能書きを国会やら安全保障会議室でグズグズやってる場合じゃない。

彼らはそもそもは「命のために法がある」と考えていたのだが、グズグズが好きな連中なのでいつのまにか法律論争に明け暮れるのである。そして法が優先してしまう。

ここまで書いてみて思ったのは、「ああ、自分もけっこう愚図愚図書いてるなぁ」と。だからここで終わり。

地方経済の疲弊を救う手立て

2008年04月11日 23時02分38秒 | 内閣

「憲法と教育基本法を守り続けよう。 」ブログから
http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/30734078.html



ここに2008年4月7日付けで、井上寿一東大教授が「格差社会と政党政治」と題して論じている。

経済分析の専門家は、すでにアメリカ発の世界恐慌の再来を織り込んでいる。ところが日本では、中央銀行の総裁のポストが空席である。暫定税率も解決の目途が立たない。日本の政治は党利党略で混乱している。

国内の格差拡大社会では、ニート、フリーター、ネットカフェ難民たちが、「路上生活に身を落とす」時代を迎えつつある。

プロレタリア文学の代表作、小林多喜二の『蟹工船』が描く過酷な労働のありさまと今の自分たちの境遇を重ね合わせる若者たちがいる。格差の是正のためならば、戦争も厭わない、戦争による社会の平準化に賭ける戦争待望論すらある。(赤木智弘『若者を見殺しにする国』)

これらすべての兆候は、1930年代の日本を想起させる。昭和恐慌下の日本では、経済的な困窮が社会不安を招いたにもかかわらず、政友会、民政党の二大政党は党利党略の政争に明け暮れていた。民心は二大政党から離反しつつあった。



まさに現代と一緒ではないか。守銭奴財閥が支配する二大政党政治のあと、日本は軍部主導の国になっていく。

平和党はかつてと同じようなパターンの中で、いかに武人政権を作るか、そしてかつてと同じ間違いを繰り返さないための提言をしている。

政友会と民政党の二大政党政治に対して、国民は離反した。現代でいうならば、自民党は駄目だが、民主党にも期待できない・・・というところにまさに現れている。

これはなぜ起きるのだろうか。それは富のパイをお互いが奪い合っているからである。だからここに平和党がさらに参加しても何の利益ももたらさないばかりか、党利党略に巻き込まれることとなる。

したがって、富のパイ自体に意味をなくさせる。富がストックすることにおいて力を持つこと自体に問題があるとし、減価する通貨制度を地域において実施する自然主義経済を我が党は行うのである。

そうでなければ、我が国は、戦争に触手を伸ばさねばならなくなるからである。これではかつてと同じことになる。

(19)30年代の日本の国民は、満州事変から日中全面戦争へと拡大する戦争を支持した。労働者は景気に伴う高賃金を獲得し、戦時食糧増産を促進するために、国は農民に小作料の減免を認めた。出征した男たちの代わりに女性が社会に進出するようになった。

これが軍人・武人政権時代に、女性の地位が向上する理由である。
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/34053666.html



男が武勇の仕事に向けられると、社会では女性の社会進出が始まる。逆に、経済人時代では、男が武勇の仕事でなくても頭脳や金の運営においてなすことが多くなり、女性でも仕事ができるようになる。肉体労働の必要がなくなると女性が経済社会に進出するが、それはあくまでもゲゼルシャフトでの進出であり、女性が地域社会や家族社会での活躍をなくさせる。

つまるところ、女性の地位は経済人時代・守銭奴時代には、低いものとされるのだ。したがって戦時中、「日本は男尊女卑だった」という考えは正しくない。軍人・武人時代こそ男女同権となりうる。女性は子供を産むから尊ばれる。男性が外に出ているから、母が家庭を切り盛りし、家を守る。

経済人時代の女性の地位向上は形でしかなく、おろかなフェミニストを生み出すだけだ。女性の地位向上を経済進出と同じものとし、金を稼ぐ女性はえらく、家庭で家事をしている女性はえらくないという、「経済優先主義」に巻き込まれていくのだ。フェミニズムの基準は、貨幣を獲得できるかできないか・・という、守銭奴のロジックにハマってしまうのである。

そして、彼女らフェミニズムの台頭によって、ますます女性の地位は落ちていくのである。

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国民は戦争が格差を是正することに期待し、自由よりも平等のために、戦争を支持した。

他方で国民は、新しい政党政治の枠組みを求めていた。

党利党略で自滅した二大政党制に用はない。国民は第三の政党の無産政党、社会大衆党を躍進させ、政友会よりはましな民政党との連携に、社会民主主義的な改革の実現を託していた。



ナチス・ドイツの誕生もこれと同じような経緯だ。つまり国民が貧しくなると、社会民主主義政策を支持する。そしてそれが戦争拡大路線に走るのだ。だから富というものに対してストックさせることは、きわめて危険なのだ。社会民主主義も市場競争経済も、富をストックさせるという、つまり戦争の要因を残している点においては全く同様なのだ。

そして過去の歴史を見れば、格差社会の拡大は社会民主主義を支持し、それが戦火の拡大になるということを我々は学ばねばならない。

今、小泉政権以来、弱肉強食の市場経済がなされ、規制緩和がなされ、格差拡大がなされた。このようなときに現れるのが、「富の再分配」をうたう悪魔である。
登場する当初は天使のように見えるが、富を争奪するという点において、彼らは同根であるために、それが引き金となって、無残な社会を作り出してしまう。

私が、昨今の日本の右傾化に対して何の警戒も持たないのはここにある。そんなことよりも、むしろ日本が右傾化していくことによって、反戦運動家・市民運動家・社会民主主義者などの鬱積が問題だ。


これが戦争の引き金になる。小泉純一郎や安倍晋三両内閣時代では戦争は起きないが、現在ではありえないと考えられる志位和夫内閣や福島瑞穂内閣において、平和は脅かされるのである。

歴史はつねに皮肉を持つからだ。消費税に断固反対した社会党が参議院選挙で躍進したからこそ、彼ら社会党委員長・村山富市内閣の手によって消費税は3パーセントから5パーセントに引き上げられたのだ。

自民党を最も利権政治にならしめた小沢一郎新生党代表幹事の手によって、利権政治破壊のための小選挙区制がなされたのだ。

これらと同様に、今まで日本政府が北朝鮮に対して甘い措置を続けてきたから、保守から極右の人たちが今、ここぞとばかりに調子に乗っているのを見ればわかるだろう。彼らは今までエネルギーを蓄えてきたために、今爆発しているのだ。ということは、必ずその逆の現象が起きる。

したがって、日本に戦争が起きるとするならば、日本の右傾化を促進している活動家によってではなく、反戦や社民政策を支持しているようなところから生まれる。

戦争は、戦争好きの人たちが政権にいるから起きるのではなく、戦争嫌いのときに、風が吹けばおけ屋が儲かる式に行われる。

現代はお金という原因によって戦争が引き起こされている。米国がイラクを叩くのも、アフガニスタンで掃討作戦をするのも、米国政府は戦争が好きなのではなくて、お金が好きだから軍人の命や他国民の命を犠牲にしてまでも戦争を行うのだ。

だから平和党は左右どちらの立場にも立たず、どちらの立場をも理解しながら、新たな自然主義経済という方法を提唱しているのだ。つまり旧式の左右思想の束縛から解放するために、平和党は結党されたと言ってよい。


かつての時代、日本国民は社会大衆党に託した。しかし、これは富を富める者から貧しきものに流すという、金銭の移動でしかない。平和党が提唱しているのは、この金銭の移動を無意味なものにする自然主義経済であるから、社会大衆党の理念はそのままでも、政策としては全く逆なのである。


しかし、時代は社民的なものをやがて求めるだろう。その受け皿は社会民主党には相当しないように思われる。国民新党や新党日本にそれらが適応しそうだが、それか若しくは、この郵政民営化反対政党や社民党が、民主党と合併した時、国民は熱烈にこれを支持し、民主党は今よりももっと社民的な方向に転換したとき、民主党政権ができるだろう。



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そして、文化人にもそのような傾向が強く出ている。

戦時下における下流階層の国民のきまじめな改革志向は、今の日本にもあてはまる。たとえばネットカフェ難民の巧みな代弁者、雨宮処凛氏の主張は、社会的なセーフティネットの整備である。

あるいは戦争待望論を期待する赤木氏が求めてやまない「思いやりのある社会」である。この人たちは、安易に保守化、右傾化に与することなく、社会民主主義的な改革をめざしていると言ってよい。

しかし、当時と今とでは大きなちがいが二つある。かつては下流階層の政治的な受け皿として無産政党があった。今は無産政党に代わるものがなく、政党政治への回路が開かれていない。もう一つは、戦争がもたらす社会の平準化作用に期待しても、今日の国際政治情勢のなかで、日本が戦争を起こす可能性は限りなくゼロに近い。政治的な行き場を失った下流階層の国民、戦時中よりも困難な状況に陥っていると言っても誇張ではない。




以下、井上寿一氏は、二大政党ではなく複数政党による民主主義を訴えている。

だが、我が党からしてみると、二大政党であろうと複数政党であろうと、あまり関係がないといえる。

細川政権時代まで、我が国は複数政党制度であった。

ほぼ、自民・社会・公明・民社・共産の五党に加えて、新自由クラブや社民連などで構成されており、このときから今は二大政党になっているが、細川・羽田政権の11か月を除いて自民党が政権にある。

格差拡大による貧困の発生は、国政などでは解決されない。
自然主義経済も当初は国政では解決されない。

地方において、各々の自治体の自主的選択によって可能なものである。

そこが戦時中と違うところになるだろう。

自治体の議会というものは、国政に比べればはるかに党派性に左右されず、地元性に左右される。

党派性に左右されるのは、東京を首都とした「お金の利権」が存在しているからである。地元性に密着したならば、お金に依存しない、つまり格差社会と無縁な、自給自足自治体が可能だからだ。そのためには減価する通貨制度によって地産地消こそが、地方の疲弊を救う手立てである。





足を引っ張られても動じない不動心

2008年04月11日 22時59分59秒 | 財務金融
自然主義経済の実現について、「できない」「無理だ」「負ける」「時間がかかる」「つぶされる」というような表現で、足を引っ張る人間が必ず出てきます。そのようなものは払いのけるのが一番良いのです。

彼らと論争になってしまうのは、彼らと同調しているから、波動が合ってしまうからです。波動が合うのは、彼らと同じレベルになるということです。真に平和を目指し、自然主義経済を理解しているのならば、彼らは全く相手にならないのでむしろ慈愛を持ちたくなるぐらいでなければなりません。

一応、私の方で論理的な説明はできますが、彼らはまず否定が頭にある。そのために彼らは己の頭脳やありとあらゆる情報を屈指して否定してきます。

しかし否定をするということは、彼らにとってエネルギーの停滞と多くの病害をもたらします。損するのは彼らであるから、なるべく早めに切り上げることです。

彼らの攻撃に対して真正面からぎりぎりまで受け止め、打撃直前にかわすのがもっともよい方法です。または、彼らの攻撃に対してそのエネルギーを回転させる。こうしたことが求められます。

基本的に自然主義経済は九割の人が足を引っ張ります。それは自分の利益のための人もあるし、長年の思い込みの人もたくさんいます。知や財に支配されている人たちは必ず阻止しようとします。

でもそれはそれでいいのです。われわれには技があるからです。力に勝る技です。

http://heiwatou.web.fc2.com

漢民族の崩壊が新国家観を作り出す

2008年04月11日 22時59分09秒 | 外務
「大きいことはいいことだ」とされたのは前世紀で終わりです。
産業も重厚長大から軽薄短小に移りました。

今度は国家が、重厚長大から軽薄短小に移るでしょう。

国家にとって、重厚長大が利益をもたらすのは、より多くの資源、より多くの食料、より多くの貨幣獲得の機会に恵まれるからです。

したがって、先の大戦ではより多くの植民地、より多くの領土を求めて争われました。

その後、植民地のほとんどは独立しましたが、今でもお金の力、大資本によって植民地と同じ状態です。

自然主義経済が各国で導入されると、楽して得たお金の力によって、遠くの生産物を買う・・・ということがなくなります。この結果、格差社会は国内・国外を問わず解消されます。

これはつまり国家政府にとってみれば、徴税利権が薄くなるということです。政府にとって徴税利権がないのであれば、宗教や思想の要因を除けば、戦争をする必要もなくなります。

自然主義経済は、貨幣所持が損害をもたらすため、余剰金は公共の福祉に回されます。したがって、徴税によって政府が公共事業をなす必要性も、社会保障を調整する必要もなくなります。

ならば、国家政府というものは大きくて損、小さくて得ということになります。

この「小さくて得」という国家制度が自然に調和したありかたなのです。

インドという国は、我々彼らをインド人と呼びますけれども、そもそもは彼らは「インド」であるという意識がない。インドと名付けたのは英国です。あの半島を一挙に植民地にしたときにそのような名称として認識させたのであって、インド人自体はあれだけ広い最北端から最南端まで、同じ国家であるとは考えていなかったのです。「インド」国内は言語も多数存在するし、民族も違う人たちです。

それが植民地から独立することによって、同国としての認識ができただけの話です。したがって、インド以外でもすべては、西洋諸国の価値基準によって国境がひかれただけの話です。

これはインドだけではありません。インドネシアは二億人の人口がいますが、島が何百もあり、言語も何万とある。民族の数もけた外れに多い。ところがここも植民地支配によって一国と勘定されるようになったのです。

タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーみなそうです。たとえば、ミャンマーにはミャンマー語があるけれども、それはあくまでも首都で使われていた言語を国家として統一しただけのことであって、ミャンマー語が話せない住民も奥地にいます。

地図に書いてある国境線というのは、彼らを支配した西洋諸国が勝手に引いたものであり、日本の右翼の人たちが言っている「国粋主義」というものも、西洋諸国が作った価値観なのであって、日本の本来の民族意識にあったものではないのです。

だから、誰もかれもが、この西洋の価値観に立たされているのです。

しかし、自然主義経済という価値観が生まれることによって、世界の国家観が変わります。

この国家観が定着すると、アジアがもともと持っていたアイデンティティに帰結することになるでしょう。すなわち、それぞれの国家において、民族単位・自治単位で政治運営が図られるということであり、本来に帰るということです。

インドネシアは一国にあらず、インドは一国にあらず、そして一国でないのに、経済的に発展ができるという素晴らしいシステムです。

「馬鹿なことを言うな。中国はアジアでありながら、清時代以前から大国であったではないか」と言う人もありました。


現在の中華人民共和国から、国内の自治区や台湾をすべて独立させたとしても、それでも漢民族の数は多いです。しかし、彼らは西洋近代化によって一つの国にさせられているという面があります。

以前ならば、北京語・広東語・上海語となっていたものですが、今では北京語に統一されている。彼らが一国でなければならない理由というのは、経済的な強さを求めるからです。

しかし、もし紙幣を求めず、資源そのものを求めることが、真の経済発展であると気が付いたならば、彼らのやっていることは、いかに逆行しているかということがわかるでしょう。

ダライラマ14世は、チベットの独立ではなくて自治を求めています。しかし北京政府は
彼らに自治権を確立させるのではなく、チベット独立を認めないととんでもないことになります。自治などとして自分の国の一部だなどとすることは中国の崩壊を招いていることに等しい。

膨張しきったものは、必ず崩壊します。バブル政治です。

そして、彼らは他民族にまで手をつけたために、自国の漢民族自体の分裂をも引き起こすでしょう。それが積極的に政策としてやるか、それとも引きつられた結果、いやいややるのか、ここに大きな違いが出るでしょう。

積極的にやるならば自然主義経済を導入することによって、毒入り餃子などという問題はおきません。なにしろ、自分たちで食べるのですから、安全に注意するでしょう。そして漢民族は分割することが効率のいいことだと気付きます。

消極的にやるというのは、今のまま資本主義でも社会主義でも、貨幣主義であることは同じなのでどっちでもいいのですが、その場合は漢民族の崩壊を意味し、戦乱を作ってからまた資本主義でやり直すか、自然主義経済を考えるか、どちらかになるでしょう。

いずれにしても中国は、自治区以外の本体が崩壊するということです。こうなってくると、なぜ今まで台湾は国連に加盟できなかったのか・・と国際世論は考えます。

そのときに、国家というありもしない呪縛から解放されるでしょう。

平和党公式サイト http://heiwatou.web.fc2.com

遠距離グローバルから近距離ローカルのための自然主義経済

2008年04月11日 22時58分31秒 | 財務金融
私は毎週日曜日の夜九時に、道場で銃剣道を個人指導していただいています。

この時間帯に、車を走らせると、途中二か所ほど学習塾があるのですが、その塾の周りは保護者達の車でいっぱいになっているのを見かけます。

この道場においても同じです。親御さん方が子供たちを迎える。これらは東京で生まれ育った私にとっては、実に見慣れない光景でありました。

東京区部ならばたいがい皆、歩くか自転車でしょう。三多摩のほうはまた違うかもしれないが、大都市部では、塾や稽古帰りに、親が車で送り迎えすることなどほとんどないのではないでしょうか。

でも東金市のような田舎では、車がないと生きていけません。そしてこれが全国的には一般的なのだろうなと感じました。

私は全国一自動車の保有台数の少ない中野区にいましたが、この東金市に引っ越してしばらくは徒歩と自転車で頑張りました。しかし、あっち行って次の時間までにこっち行くということが絶対に不可能であるために、ついに車を買い、車での交通手段ばかりになりました。レーサーを断念して以来、車を買うのは実に18年ぶりです。人生の18年ごとに車を買うのだろうか。

今は女性でも老人でもドライバーになっています。かつてはそれほどなかったはずです。まして「アクセルとブレーキを間違える」などという馬鹿な事故もなかった。今は、誰でもが手軽に車に乗るようになった。これはいったい何を意味しているか。


都市部では人口が密集しているため、自宅と塾が近い、農村部であると遠い。ただそれだけのことですが、では車がさほど普及していなかった時代に農村部の子供はどうしていたかというと、やはり歩くなり自転車を使っていたのではないでしょうか。

だから私が子供のころなんかは、地方から転校生がやってきたりすると、たいがい喧嘩が強い。足腰がよく鍛えられているからでしょう。

ところが自分が大人になってみて、私が不動産業を営んで、よく気づいたのですが、地方から東京に上京するためにアパート探しに来る人たちに物件を案内すると、すぐに彼らは疲れてしまう。

当社では、物件案内に車を使わず電車と徒歩で案内します。地方から出てきた若者はすぐにバテてしまうのです。

東京の人間は、ふだんから電車に乗り降りしていますが、地方で育った現代の子供や若者は、小学生時代は学校まで歩くけれども、あとは皆、親が車で送り迎えする。18歳ですぐに免許をとって車での交通手段が多くなる。だから東京の人間よりも地方の人間は足腰が弱いのです。

そんな東京の中でも、世田谷区・練馬区・足立区などは、駅から遠いところもあって車での移動が多い地域もあるので一概には言えませんが、とにかく都市農村問わず、車社会になっていることは事実です。

一方で、東金駅の商店街を見ると実にさびれている。旧道沿いの商店街もさびれている。40歳くらいの東金の地元の人に聞くと、彼らが子供のころはこの商店街が栄えていたんだと言います。

そう言われば、私の地元である総武線東中野駅も、自分が子供のころはもっと栄えていた。でも今では、近所で買い物すると高いので、電車で五分しかかからない新宿や二分で着く中野に出る。みなそこで買い物をすませ、レジャーをすませる。家の近くのお店には一度も行ったことのない人が増える。そして地域コミュニティは崩壊し、地域教育が忘れ去られる。

そして勤務形態もそうです。中野区民の半分以上は新宿をはじめとした他区に出ています。練馬区民は池袋近辺、目黒・世田谷あたりは渋谷でしょう。地元のアイデンティティが衰退するのも当然です。新宿駅で署名運動したことがありますが、200人集めて新宿区民は一人もいませんでした。

大資本による大量生産・大量消費の経済システムが地元商店を食い荒らし、人々の交通を遠くにさせているのです。

東金市や山武郡、茂原市や長生郡で考えてみると、新しい店はすべて国道沿いに位置し、すべてがフランチャイズであり、大規模小売店であり、チェーン店です。すべて店内は画一化された規格にのっとって大量生産された省コストで建てられています。

ガソリンスタンドというものも、かつては路地にもあったのですが、現代では幹線道路でしか成り立たなくなっています。

小さな居酒屋もこじんまりしてたくさんあったものが、どんどんつぶれていく。チェーン店の安さにはかなわないからでしょう。飲酒運転が問題になってくるのもここに原因があります。歩いていける距離に飲み屋がなく、車で移動しなければならないところにある。

商店は商店の集中するところ、住宅は住宅の集中するところ、こういう都市計画をやってきた。そしてそれは大資本にとって有利であった。これが資本主義を加熱させた。人々にとって移動手段の自動車を必要とさせた。

多くの諸問題は街のコンパクト化によって解決されるということです。

しかし大資本によるものは強い。これに対抗できるのか自然主義経済というわけです。

小規模の商店は、その店ならではのものができます。しかし、全国共通のお金・目減りしないお金では、必ず大資本に負けます。コストがかかるからです。

しかし地域通貨・目減りするお金ではどうなるでしょうか。

地元産のものを直に売ります。そのためには緑や自然が必要です。木材の加工も必要になってきます。廃れた林業を再生できます。金属品はリサイクルするしかありません。しかし通貨が時間とともに減価するので、石油を使わない限りはこちらのほうが得です。そして石油は輸入に依存していますから、自分たちでエネルギーを生産するでしょう。太陽光発電が必要になるし、バイオ燃料が必要になります。

医療は西洋科学よりも、地元産の薬草・ハーブあるいは予防治療を中心とした東洋医学になっていくでしょう。

どこに廃棄されるかわからない化学薬品も、地元で限定されれば自然に還るものを選ばざるを得ない。

そして、近距離において経済圏が成り立ちます。

グローバルに対してローカル経済を作るのが自然主義経済であり、これが格差社会を生き抜く、貧者たちの光となるでしょう。

愚者は環境に支配され、賢者は環境を道具に使う

2008年04月11日 22時57分54秒 | 安全保障
江戸時代の日本人は、優れた身体の状態であったと言われています。
 ほとんどの人がオリンピック選手並の身体能力を持っていたようです。
 江戸時代の浮世絵を見てみましょう。絵に描かれている人物は、身体運動の専門家から見れば、とんでもなくハイレベルな身体の使い方をしているということです。



江戸時代の人の身体使い
http://www.sinpi.org/03/

では、今なぜ江戸時代の文化にこだわっているのか。
それは、すばらしい文化が日本にあったということを誇りにしていただきたいし、またその良いところをなくしてしまわずに今後も引継ぎさらに発展させていくことが必要なのではと思ったからです。
自然と調和したこの日本文化は、環境汚染や環境破壊で問題になっている現代こそ学ぶべきところでしょう。

http://www.eonet.ne.jp/~uresi/edo.html


江戸文明を捨てたものを現代では保守政治と呼ぶようだ。

西洋科学を基準としたものを保守と呼び、平和党のような考えはトンデモとされる。

どうしてこのようになるかというと、物質にばかり目がとらわれるからである。

物質は意識にコントロールされている。

戦後、アメリカの画策により、「日本人には動物性蛋白質が足りない」として、マクドナルド戦略に乗せられたのも一因。

江戸時代までは、日本人はごはんとたくあんと味噌汁で、オリンピック選手になれたのである。


だが、現代人はこれがわからないのだ。

あれがなければダメ、これがなければダメ・・・と物質や制度、環境などに限定されてしまう。理想の実現のためにはまずはこれ・・・などと、自らが狭い自分を作ってしまう。己で条件を悪くさせてしまっているのである。

愚者は環境に支配され、賢者は環境を道具に使う。

意識がすべてに優先する。後ろ向きの考えが浮かぶ人には、後ろ向きのことしかできない。前向きの考えが浮かんだ人によって、前向きのことが実行される。

塩田剛三十段取得の経緯について

2008年04月11日 22時57分08秒 | 法務
タイトルからして、塩田剛さんが三十段なわけではないです。念のため。でもそれに近いような話です。

http://www.geocities.jp/aikidokayama/kawaridane/kawaridane4.htm
によれば、

合気道の植芝盛平開祖と、養神館の塩田剛三宗家との逸話が書かれてある。

植芝翁やその他の人々が「岩間の奥ノ院」というのは、茨城県岩間町にある盛平翁の住居である。

 翁がここに千坪あまりの原野を買って、その松林の中に、はじめ仮小屋のような家を建てたのは昭和十五、六年であったが、そこへこもって修行のやり直しに専心したのは日本敗戦の年であった。

 その時から「力にほこる者はほろぶ」「合気道は戈(ほこ)を止める道だ」「その道を完成しよう」との大悲願を立てて、一心不乱の幾年となった。

 したがって、岩間時代の初期には、翁は至って悲観的で、自分のそれまでの合気をほとんど否定し、新しい道を模索していた。

 だから門弟の塩田剛三などがたまたま岩間を訪れて、

「先生は高齢で衰弱し、隠居してしまった。合気道の二代目はオレだ」とばかり、都民銀行の工藤昭四郎や国策パルプの南喜市の後援で、新宿区築土町に養神館道場を建て、合気の元祖のような態度で多くの門弟をあつめたのは、いささか短慮であった。

 塩田は植芝子飼の男で、道場長吉祥丸などといっしょに育った男だが、翁の真の精神を体得したとはいいがたい。

 若松町の本部道場が吉祥丸や藤平光一のこん身の努力で、隆隆と発展してくると、塩田のパトロンの南喜市が「本部道場と養神館を対等にしてくれ」「塩田に十段の段位をくれ」と申し入れてきたのに、

 「おう、おう、好きなようにさしたる。十段でも百段でもやる」と笑って答える翁であった。

 あとで翁は著者に語った。

「合気は段位でも道場の格でもない。そんなもんとはおよそ無関係や。南はんはシロウトやさかいしようがないが、塩田が、そないな世間のミエにこだわっているかと思うと、かわいそうでならん。ハダカ一貫になってわしのところへかえり、もう一ぺん修行をやり直したらええのやけど、あきまへんかなあ」

武道に段位というものが設けられているが、私自身は全く意味のないものだと思ってきた。政治家のプロフィール欄によく何道何段とか書いてあるのをみて、かつては「あ、こいつ馬鹿だ」ぐらいの認識があった。まあ、はっきり言って給与を払わなかった山本譲司元衆議院議員のことなのだが、ここまで思う必要はないけれども、ある程度の目安としては必要であると同時に、これにこだわるのはどうかと今は思う。

合気道の初段は、柔道三段・剣道三段ぐらいに取得が厳しい。通常の武道よりも二、三段上のようだ。・・・・と言っていること自体、気にしているのかもしれない。

逆に森田健作氏などは自分で剣道何段だとは言わないので、それが気になったりする私自身を買垣間見るに、やはり段位にこだわっているのかもしれないなとも思い反省する。

ちなみに私が山本さんと立川で飲んだ時、山本さんは「森田健作は史上最大のバカ候補者」であると言っていたことをここで暴露しておきます。

柔道・剣道で知る段位の認識としては、通常は八段までがその極めるところであり、よほど特別な場合に九段があり、さらに特殊な場合とか、新たに分家できるほどの場合は十段なのだろうなという認識がありましたが、植芝翁においては、百段でもくれてやるという。

現実に百段なんてもらったら、それこそ、よくあるふざけたクイズ番組で、
「それでは最後の問題は、得点が十倍です」
「おいおい、じゃあ今までのは何だったんだよ」的な突っ込みも出なくもないですが、

植芝翁にしてみれば、それと同じような感覚だったのではないかと考えられます。

このリンク先では、どうも塩田氏について下に見ている様子があるようですが、やはり晩年の塩田氏は植芝的宇宙レベルまでにはいたらなかったけれども、やはり武道というものは戦闘ではなく、平和のためにあるということを悟りながら、現実武道の方法を多くの人たちに教授したのではないかと私は思います。