おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

本日第2回平和党近畿ブロック支部定期会合

2009年06月06日 11時15分52秒 | Weblog
【平和党近畿ブロック支部定例会】
●日時
平成21年6月6日16時~時間厳守
●場所
大阪市西成区
御堂筋線動物園前駅1番出口下車徒歩20秒ホーム薬局会議室


【平和党北関東ブロック支部・不耕起栽培有機農研修会】
●日時
1-平成21年6月20日
2-平成21年7月5日
●場所
埼玉県さいたま市岩槻区


【霜里・小規模バイオエンジン見学会】
●日時
平成21年7月11日
●場所
埼玉県


【平和党本部・栗駒視察会】
●日時
平成21年8月11~15日
●場所
千葉駅集合→香取神宮→鹿島神宮→茨城農家→栗駒自然学校→小岩井農場→石巻バイオディーゼル→早雲財務大臣邸→仙台→宇都宮


【平和党南関東ブロック支部定例会】
●日時
平成21年9月
●場所
神奈川県丹沢地域を予定


【平和党南関東ブロック支部武術研修会】
●日時
平成21年10月
●場所
千葉県東金市若しくは山武市


【平和党東京ブロック支部定例会】
●日時
平成21年11月
●場所
東京都府中市


【平和党九州ブロック支部設立仕切り直し会】
●日時
平成21年12月
●場所
福岡県福岡市・筑紫野市・久留米市、佐賀県佐賀市・武雄市、長崎県長崎市・佐世保市


【平和党近畿ブロック支部新年会】
●日時
平成22年1月
●場所
大阪市若しくは兵庫県内


【平和党南関東ブロック旧暦新年会】
●日時
平成22年2月22日22時22分
●場所
神奈川県横浜市


【平和党南関東ブロック選挙対策会議】
●日時
平成22年3月
●場所
千葉県東金市

三種の神器

2009年06月01日 19時39分25秒 | Weblog
三種の神器には、剣・鏡・勾玉[まがたま]があるという。それぞれ飾り物になるが剣と鏡には飾り物以外に実用性がある。しかし勾玉というのは飾り物にしかならない。これには非常に疑問を持つ。勾玉はかつては何らかの実用性があって道具として活用されていた可能性があるんじゃないだろうか。

この三種は政治にとって非常に重要なものであるが、今の政治にはその全てが失われているか、若しくは一つしか持ち合わせてない。そして勾玉については、どの政治勢力も持っていないと考えるに至った。

剣とは、国を治めるにあたって最初に重要なものである。世の中が経済優先社会に浸り、無秩序状態になると中心力が失われ、民は個を主張しはじめ、犯罪が増加し、生命と財産を争奪する世の中が生まれる。これを治めるのには剣を必要とする。また、生まれたばかりの乳幼児にとっては、言葉で教育をしても理解ができないため、身体を持って教えることにより、やがて剣のいらない教育や政治が成されるようになる。
昨今の右傾化は、無秩序状態から生まれた[剣バカ]の人々によって、カネの力に支配され、不当な理屈を並べたてられて平和が脅かされている。

剣を知ると次の段階を知ることになる。そもそも剣を必要としたのは、己の外部にある現象の世界が無秩序状態に陥ったからではあるが、実はそれに反応した己も外部と同様なのであって、それは鏡写しの状態であることに気づく。

今日、特定の民族を罵倒し、我が民族こそが優秀であるとして、他民族を物理的に攻撃することや言論で攻撃することは、鏡を知らない証拠である。彼は自分の嫌いなものにわざわざ反応し、それを攻撃するが、しかしそれは自分の中に存在する要素なのであって、彼の存在するレベルが、攻撃対象と全く同じ次元にいるのである。

したがって、剣を知ったならば鏡を知るべきである。

しかしながら昨今の平和主義者たちは剣を知らない。無防備であることが平和になるのだと固く信じているのだが、これは悪をのさばらせ、さらなる無秩序を作るのである。


これら平和主義者は、理論が先行し、実態の現場や、実際の問題に対応しようという考えに薄く、知の先走った情のないものである。彼らは鏡も剣も知らない。


剣も鏡も知ったならば次に勾玉を知る。剣において戦われるのは、善悪中毒ではあるのだが、その場の本人たちにおいては差し迫った問題であり、急迫不正を切り抜けるための正当防衛でもあるのだが、その急迫不正は己が呼び起こしたことであり、それは鏡を知ることによってその原因を知ることになる。

しかしながらこれら諸問題は、人間や政治にとって切り抜けられない問題で、常につきまとう問題である。

考えが違うものに対して、剣を持って制覇する。剣を持って制覇するのは鏡を見ればその原因は自分ないし自分たちにあることを知るが、では次にどうしたら良いかという問題が出てくる。

それが勾玉にある。勾玉はおそらく魂を表しているだろう。昔から[ヒトダマ]と言うが、これは人の魂ということではなくて、一つの魂ということではなかろうか。

全てが一つの魂であることを身体上、精神的に知るならば、考えの違ったものでも一つにまとまる。


養神館合気道の塩田剛三は、一つにまとめることのできる人だったと言われる。敵に見られるものも一つにまとめる。そこには境がない。つまり、剣と鏡の先には、勾玉がある。勾玉は違う考えを精神的に一つにまとめるものである。


だが、近年の保守・右翼を名乗るものは勾玉どころか、鏡すら知らず、剣に訴えることしかできない、器の小さな人間ばかりではないか。

一方、中道左派勢力は勾玉の平和を知らず、剣を持っているからと言って、彼らを罵倒し平和を乱しているのである。この原因は鏡を見ることによって知ることができるのだが、彼らは鏡を見ないで、一方的に右派勢力が悪いと決めつけている。

我が党がオールイデオロギーで行こうと言うのはこの勾玉精神である。ただし知的に理解しようとしてもこれは簡単に理解できるものではない。政治は政策を作るマシンではなく、飯を食い、歌を歌い、遊びながら、働く生き物であるから、ただただこれが正しいとかこれが悪いとか、そういうことを決めつけ、正しいことをやれば幸福が生まれるというものではない。

勾玉が重要なのであるが、これは全てに妥協するということではないのだ。私の一連の言動を見てもらえばわかると思うが、かなり剣を振り回しており、八つ裂きにされている人もかなりいる。しかしこれは鏡写しだということについては熟知しており、だからこそ善悪中毒という東郷潤氏の考えを広めているのであるが、次に勾玉の発想を心得、オールイデオロギーとして、考えの違うものについてまとめる必要があるのだ。戦後日本の政党でこの考えをしていたのは自民党のみである。しかし昨今の金権腐敗、そしてそこから脱却するための米国化、白黒つけろ型になってからは、この三種の神器を身につけた政党は存在していないのである。

そして重要なのは、勾玉だけでは現実的に存在できないということだ。勾玉を知った段階でも剣や鏡を忘れてはいけない。ただし現代は剣ばかり、鏡の理論ばかりなのが問題なだけであり、三種揃えることが重要なことである。

憲法無効論について

2009年06月01日 17時01分42秒 | Weblog
私が思うに、もしも憲法が無効だと言うならば、わざわざ無効を主張することなどはしないでしょう。無効だと騒ぐことは、なおさら憲法の有効性を前提に認めているわけで、本当に無効ならば憲法の能書きなどは無視すればよいのです。

彼らは、憲法が無効だ無効だというが、それは憲法を改正して自分たちが考える憲法案を実現したいという点では、憲法信者なのです。

つまり改憲派も護憲派も、憲法という紙切れにこだわり、憲法に書かれたことがイコール実態につながるとして信じて疑わない。

どうであるべきかよりも、今まさにどうやったかが重要であります。改憲とか護憲とかいう憲法大好き人間は、あるべき論が大好きなんですよ。しかし政治はいつでも実態、実行、実戦なのです。

森田知事の態度一転と千葉市長の逮捕

2009年06月01日 17時00分17秒 | Weblog
私の予想通り、森田健作知事は態度が一転した。急にエラソーな態度をとるようになった。知事になる前はヘコヘコしていたのに、まるで違う人物と思わせるくらい、言葉使い、姿勢、行動にそれがことごとく現れるようになった。


森田氏はタレントから参議院議員になるとき、東京選挙区で立候補したのだが、多摩エリアを担当する立川の選挙対策事務所を任された某都議がよく言っていた。「森田健作は国会議員になってから急に都議らをバカにする態度をとるようになった」と。


だから今の森田知事の態度は予想されたものであるし、守銭奴に仕える武人が、奴隷代表の堂本暁子知事の次に必ず知事になるので、歴史の法則にはかなっている。

森田知事が良い仕事をするならまだしも、おそらく下手をうつだろう。今のところ、保守右翼陣営は森田知事をベタ誉めし、左翼陣営をボロクソに叩くという、安倍内閣のときと同じ状態だ。これも堂本前知事のジェンダーフリーの行き過ぎから発している。


おそらく森田知事も安倍元首相と同じく、かなりヘタレ度を県民にさらし、失脚していくんではなかろうかと思う。


そして森田知事を応援する右翼陣営は言うだろう。「せっかく森田知事体制になったのにこれで後退してしまった」とか。


まさに安倍時代に逆戻りである。


ところで千葉市長が100万円の収賄容疑で逮捕された。市長の鶴岡氏は堂本前知事と不仲である。そこで助役をやっていた人物と堂本さんはツーカーであり、彼女は次期市長にその助役を出そうとしていた。鶴岡市長は疑惑だらけの政治家であり、いつでも堂本さんは鶴岡さんを追い落とすことはできたのだが、彼女はそういうことをする人ではない。彼女を操作する利権政治家らがいるのならばそれを画策するだろう。

以上のことは私が東京にいたときから知っていた。

だから多分、堂本引退後に鶴岡逮捕があると思ったが案の定。容疑は100万の収賄だが、これは別件逮捕であり本筋はもっと大きなところにあろう。たかだか100万ぐらいのことしかしていないわけがない。


森田―鶴岡ラインはどうなっているのかは知らないが、とにかく千葉県は千葉市から東京側が潤い、残りの農村部はしわ寄せが来ることは必至だ。

森田知事は農村の芝山町に住みながら、というか知事のためにその住所を名目にしているだけだが、今後は石原都知事の忠誠なる植民地総督として、都市経済優先型の県政をなすだろう。

千葉県千葉市

2009年06月01日 16時59分23秒 | Weblog
県名と県庁所在地の名前が同じなのは全然ダメだと思う。昔から千葉とは千葉市中央区近辺を指すのであって、近隣の船橋とか市原ですら、元来、千葉とは呼べない。

神奈川県と横浜市のような状態が望ましい。しかし、神奈川県横浜市神奈川区という名称はいただけない。

埼玉県は、浦和市が県庁だったのに合併して、さいたま市としたのも宜しくない。さいたま市の場合は、前代未聞で県名が埼玉だからさいたま市という名前にするという逆のことをやっている。

山梨県には山梨市があるが甲府市に県庁がある。栃木県も同じだが、「甲府に集まりましょう」と言えばすむが「山梨に集まる」と言った場合、我々山梨県外の人間は、当然山梨県のどっかに集まるんだろうと思うが山梨市民はどう思うのか。

千葉県と千葉市というのは、いちいちわかりにくい。東金市の人間は、「千葉」と言ったら千葉市を指しているようだが、我々移住人にとってみれば県内全体を指していると思ってしまう。

だから紛らわしくないようにいちいち千葉県だの千葉市だの言わなくてはならない。だいたい、我孫子を千葉と呼べるか?館山も千葉と呼べるか?

今や千葉県となっているから違和感は薄れているかもしれないが、これはおかしい。関東八洲でこんなことをしているのは千葉県だけだ。

茨城県→水戸市
栃木県→宇都宮市
群馬県→前橋市
埼玉県→旧浦和市
千葉県→千葉市
東京都→新宿区
神奈川県→横浜市

1998年1月11日その2

2009年06月01日 16時58分04秒 | Weblog
今、武雄市の織田さん所のブログ読んで思い出したけれども、和歌山カレー事件、あれも東久留米市長選挙と同じく11年前なわけだ。ということは来年なると12年だからまた選挙っつーことになる。

そう、今年都議選があるから東久留米市長選挙の前年には必ず都議選があるわけだ。だから初の供託没収選挙は東久留米じゃない97年7月の都議選だ。あれは思い出したくもない。

ところでさらに思い出したが、池田さんの早稲田の先輩で東久留米の稲門会の会長さんが、昔の人だから自民党のことをいっつも「自由党」「自由党」と言う。それで民主党のことを「民社党」と言うわけだ。

90年代に入ってからどんどん政党が様変わりしていくので、民主党のことを民社党という年寄りは多いが、自民党のことを自由党と言う人はまずいない。何しろ小沢自由党ができるのはこの年の初めからである。おそらく55年体制が初まってからずっと自民党のことを自由党と呼んできたんだと思う。私はこのおじいさんに何回も指摘するんだが、わかったわかったと言うけれども、またすぐ自由党と言うわけだ。しかしさすがに新進党がなくなって自由党ができてからはやっと理解したようである。小沢一郎が自由党の名前を使わなかったら、あのおじいさんは自民党のことを自由党と一生言い続けていたに違いない。


ところでこの97年末には、ポケモンの番組中フラッシュをテレビ画面で浴びて救急車に運ばれるということがあった。その頃ちょうど池田陣営は小坂陣営からの分裂を公表したので、北村さんという女性市議から「池田さんのやることはポケモンだわ」とか言われた。

更に思い出せば、私はこの頃、カラオケに行けば必ずダウンタウンの「エキセントリック少年ボウイ」を歌っていた。池田さんは、「エキセントリックといえば北村市議だ」と言っていた。


いろいろ思い出すが、こんなころに生まれた人が今いるんだから、そりゃあソコソコ生きてきたんだなと感じた。

1998年1月11日その1

2009年06月01日 16時57分29秒 | Weblog
38才ということは、高校二年16才のときのことが20年以上前だったということか。16才のときのことなど昨日のことのように覚えているから実に不思議で、まして26才なんてのは、今朝だったような感じもする。

そんな中、先日アメブロのゲストブックに、とある女性が、私の家の近所だと書いてあった。

ところが女性と言っても小学校六年生だった。何?小学生がネットを動き回って平和党にたどり着く、いい世の中になったものだと思ったところ、生年月日を見ると驚く。1998年1月11日と書いてある。この日は間違いなく日曜日である。東久留米市長選挙の告示日で池田治夫現市議を立てて戦った忘れもしない選挙戦であり、今までやった選挙の中で初めて供託没収をくらった屈辱の戦だった。

しかし以後、自由連合で供託没収を大前提とした戦をやることになろうとは露ほどにも思わぬ、民主党のエリート人生まっしぐらが見えていたような気もする。


この市長選挙は、ゴミ処理問題がテーマで、革新市長で現職の稲葉氏と戦うため、市民運動家たちは自治大学校の小坂紀一朗氏を擁立。私は新党さきがけ中村敦夫時代からの同志であった池田さんに誘われて小坂陣営についた。

その後、自民党は独自候補擁立を諦め、小坂氏の推薦を決める。自民党との共闘はそれほど問題なかったが、次第にゴミ問題のテーマが薄れていき、曖昧になった。当時、大量のダイオキシンの発生するゴミ処理施設を巡り、「共産党・社民党・新社会党」が与党である稲葉市長は、ダイオキシンの発生は微々たるものだとして存続を訴えた。この3党派は自分たちが野党である自治体においては見逃さないくせに、自分たちが与党になると自民党と同じことをやりだすのである。

だから池田さんは、稲葉市長のその他に渡る利権政治、癒着構造を暴くことによって、役所や革新与党から嫌がられていたわけだ。

それで小坂陣営がゴミ問題に触れなくなり、青木なち子元都議の元旦那である青木さんを首謀に、第三候補として池田はるお市長候補を誕生させる。それで私も元は池田さんに誘われた経緯及び政策スタンスの筋から考えて池田さんと心中するわけだ。

当時まだ大江戸線が東中野までつながっていないので西武池袋線までのアクセスがすこぶる悪い。東中野から東久留米までは、選挙が初まるころにつながったような記憶がある。しかし、ほとんど東久留米に泊まりこんだのだが、たまには布団で寝たいと言ったら、池田さんに自宅に泊まってけというので、泊まったんだが、市長選挙立候補に反対している奥さんにものすごく嫌な顔をされた。「市長選なんてとんでもない!なんで大坂君、あんた止めないのよ!」そんなん言われたんで宿泊はその日限りだった。

選挙中、1週間雪が降ってばかりで選挙終了後、一気に疲れてそれから半月ぐらい風邪をひいた。ものすごい高熱で、医者に行かないし薬も飲まないのでよくわからないがあれは肺炎だったのではないかと思う。

池田さんが立候補するとき、隣の清瀬市長選挙で供託没収をくらった元候補がさかんに池田さんの立候補をとめていた。また、さきがけに25才で清瀬市議にトップ当選し、その勢いで四年後の市長に出て落選し、苦境に立たされた人びとが北多摩にはたくさんいたので、ある程度予想されていたが、驚くほど大差があった。

百匹目の猿

2009年06月01日 16時55分40秒 | Weblog
いまだに百匹目の猿現象を信じている人が多いんだが、百匹目の猿現象を例えに出して物事を言われると、それまでどんなに正しいことを述べていても、一気に論理性を欠き、その後読む気がなくなる。


百匹目の猿現象を正しいと言う人は、物事を鵜呑みにしやすいという証拠である。この現象を発表した人が、実はあれは全部ウソだったと言っているのに、一度信じてしまって、突っ走っている傾向がある。船井幸雄の言うことはイチイチ確認しないと信憑性が欠く。だから船井説を鵜呑みにする人間は、科学的論理性よりも、宗教的盲信に傾く人がものすごく多い。


私が確認したのは、木炭を土中に埋めると宇宙エネルギーが出るというものである。

宇宙エネルギーかどうかはわからないが、確かに育ちがいい。それからこれを書くとパクられるので言えないが、あるモノは正しい。
それから、植物に話かけるとそれがわかるというのも経験的に正しいことがわかる。ピラミッドとかヒランヤパワーとかいうのも、子供の頃に試して正しいことを知っている。

だが百匹目の猿現象というのは、大規模な実験であるのでそんなこと試したこともないが、論文を書いた学者がでっち上げを告白したのだからそれで正しかろうと思う。それともあれからあのウソと発表した内容は実は本当だったという覆しになるようなものは何かあったんだろうか。

しかし、いずれにしても百匹目の猿現象を正しいと考える人は、霊感的に無能であるか、妄信的である場合が多い。

物事というのは、自分で確認する必要がある。しかし全てを確認することは不可能なので、人の言うことに耳を傾け、その人間が信用に値するかどうかが問われるのである。守銭奴の船井なんぞを信用している時点でもはや終わっている。

例えば私は、外国に行ったことがない。だからアメリカも中国も韓国も存在しないもんだと基本的には思っているが、アメリカから来ましたとか、ハワイのおみやげですとか、北京五輪見てきましたとか、行ってきた人を信用して初めて外国があることを知るわけだ。マスコミなんぞが流している国際ニュースなんかオオウソの可能性ありと思うぐらい疑わねばならんのだ。

資本主義と社会主義●平面から立体へ

2009年06月01日 16時54分00秒 | Weblog
資本主義と社会主義は、両極をなしてきたが、物質文明万歳という点において共通性を持ち、人々を心の内面に向かわせることよりも、心の外へ向かわせることとさせた。

そして、前世紀中盤以降には、政府による介入資本主義や、社会主義国家による市場開放など、右は左に寄り、左は右に寄る中道路線を進む政党が増え、実際の政権でもそれがなされた。

しかし物質文明万歳はあくまで物質文明万歳であって、中道であっても結局のところ「お金が支配する社会」であることには変わらないことが経験された。

つまり、この場合の中道とは、民間に資本を集中させるか政府に資本を集中させるかという、いわばどちらかにお金を配分するかという問題であるので、どちらにしても、人々はお金のことしか考えないわけである。

現代の政治家の討論を見よ。全て財源の配分ばかりを論じているばかりではないか。

命を大切にする政治や教育など、よく語られてはいるが、それをなすにも金がいる。結局のところ、政治は金に始まり、金に終わる。

したがって、民間か政府かあるいはその中道かというX軸を抜け出すことが必要だ。さらには「改憲・国際貢献積極的・軍拡」か「護憲・国際貢献消極的・軍縮」かというY軸をも抜け出すことも必要だ。今までの古い政治はみなこれに捕らわれている。政治学の教科書には必ずこの座標軸が示され、2次元上に政党が点在して示されているのである。明治以来、こんな政治思想しかないから政治は低迷しているのだ。

したがって我が党は、前人未到のZ軸を生み出した。この座標軸で立体が完成する。

平和党から見れば、既成政党は全て平面上に点在している。お釈迦様の手のひらの中だ。我が党がオールイデオロギーだというのは、自民党から共産党まで全ての政党が望む理念と政策をZ軸の発見によって達成してしまうからである。これら平面は全て我が党の範囲内である。

そのためには、彼らの狭い世界の言い分だけを考えていても永久に達成できないことをZ軸を知ればわかりうる。これら既成の2次元世界は、全て一つのものでしかない。彼らは2次元にしかいないので全然見えていない。上には空があり、下には地中があることを。

Z軸は、時間という要素であり、利子についての考え方である。平面上で苦しむ既成政党は、プラス利子を前提とした単一の政党と解釈できる。貯めておけるお金が軍事をも左右しているのに説明を要しない。


このことに気づいていないだけである。気づいてもプラス利子を正しいことだと既成政党や政治家・官僚は言い張るだろう。

それでよし。これにより平和党はすでに半分勝利を納めている。自民党から共産党まで一つの政党なのだから、二大政党の一方を取ったも同然である。

したがって、今後はこのZ軸が重要であることを世の中に知ってもらうということがとても重要なこととなろう。

続・武人の形態

2009年06月01日 16時53分18秒 | Weblog
もう一つ書き加えることあり。

政治武人は、土地を開拓し、町や国を作る。このとき、領土の中央ないし、海岸沿い等に城を築く。領土は武人によって運営されたものなので、農工商は進んで税金を払うと先ほど言った。これは土地基準のルールである。誰が持ち主かと言うと人々のイメージでは武人が思い浮かぶ。それは領土の境界線を彼らが守ってくれる有難い存在であると認識しているからである。そして農工商の中でも、商人は生産物を右から左に流しているだけだから最も卑しいものだとされる。額に汗して働くことが尊ばれる。(こういうことを言うと決まって「保険に入ってもらうため汗して営業に励んでおりますよ!」などと言う人がある。問題の本質を理解していない。)


経済武人の場合は、あくまでも、商人が実質的に支配を治めている中での存在である。したがって、貨幣基準のルールに則る。


貨幣基準社会では、領土の外側に貿易を求める。平和であると境界線は緩くなる。したがって境界線に武人を要しない。商船は頻繁に往き来する。そして「武人は野蛮である。カネで蹴りをつけるのが紳士のやり方である」とされる。だから出来ることなら、税金を払いたくない。防衛費など無駄だということになる。

しかし武人であっても、海外に開拓地を求めようとはするが、それは冒険心からであり、すでに市場と文明が成り立っているような地域には手を出さない。貨幣が通用しない地域での新規開拓を求める。

もしも、市場と文明が成り立つ社会に手を出そうというのならば、それは武人の上に商人支配の権力構造があるはずで、現在の米国はこの仕組みによって、世界で戦争をバラまいている。

武人の形態

2009年06月01日 16時52分45秒 | Weblog
武人の2形態とは、

●政治武人
●経済武人

であり、さらに政治武人は、

●末期政治武人
●新規政治武人

に分かれる。

今、思いつきで書いているのであとから変更を加えるかもしれない。

次に、経済武人は、


●守銭奴経済武人
●奴隷経済武人

に分かれる。



まず、政治武人とは、武力によって政治支配を治めたものを言う。この場合、必ずしも戦争や武力革命で勝ち上がるというのは条件ではなく、強い警察力を持って犯罪を撃滅したとか、大災害から民衆を救助したとか、未開の地を開拓したことによって、支配権を得たことも含む。しかも、今後人類が歩む武人政治は、核兵器という武器文明のマックス到達によって、戦争よりもそれ以外の方法での武力社会になることが考えられる。


経済武人とは、政治武人による支配が安定し、武力出動の機会が減少したことにより現れる。政治武人は不必要とされ、経済武人には武力そのものよりも高い学識が必要とされ、ホワイトカラー化する。実力よりも法律が優先され、これこそが進歩であると語られる。
現在、警察官の人員不足が言われているが、交番勤務や現場勤務が嫌われ、みな昇級試験のために、肉体労働よりも頭脳労働が尊くなったからである。これは再び、頭脳労働よりも肉体労働がいずれ尊くなる。

我々人類は、肉体労働から頭脳労働に一直線に進歩していると思っている人はたくさんいるが、実は肉体労働と頭脳労働のどちらが上に立つかということは、交互に繰り返しているだけである。

頭脳労働が尊いとされた世の中では、政治武人はいなくなり、政治は知識人に任される。このとき末期政治武人現象が起きる。末期政治武人は、平和な時代に政権にいるため、武芸のスポーツ化、文化化が起きて、緊迫感がない。武術がマニュアル化されているため、危機管理能力において、新規政治武人よりも劣る。

末期政治武人とは、現代で言う自衛官、警察官など政府に雇われる実力部隊の公務員である。彼らの元をたどると、江戸幕府の末期政治武人を倒した新規政治武人であった。あるいはGHQ支配によって、作られた新規政治武人であった。

新規政治武人は、現政権には雇われていない武人である。したがって、現政権から見れば賊の類いになる。

賊は常に官権の実力部隊に鎮圧されるはずなのだが、時の政権が守銭奴支配に陥り、貧困が暴動に出ようという時代のみ、鎮圧されずに政権交代を起こしてしまうのである。


知識人政治はやがて経済人政治を作りだす。経済人政治は、経済武人による治安を求める。

経済武人の二種類は、守銭奴経済武人と奴隷経済武人。

守銭奴経済武人は、民間の武人であり、しかもそのトップは武人ではなく商人である。海外で言えば傭兵を雇う企業、セキュリティ会社として、大企業のCEOをボディーガードする人や、現金輸送警備、金庫を見張る武人等。日本で言えば、SECOMやALSOK、セントラル警備などの大手警備会社。

あるいは、防衛省や警察庁の天下り機関である。交通安全協会などと称して、何も仕事をせず運転免許更新手続きのさいに勝手に手数料を引いている守銭奴団体である。


次に奴隷経済武人は、これら民間武人組織の中でも末端で業務に従事し、搾取主体になっている人たちや、ボランティアで治安を守りながら、本業が貧しいながらも生計をギリギリで立て、貧困のデッドラインにありながらも義勇が優れた人である。


守銭奴経済武人は、末期政治武人によって成り立っている。したがってぬくぬくしているので隙だらけになる。

奴隷経済武人は、守銭奴経済武人のオコボレで生きるが、圧倒的多数の民衆から支持され、いずれ新規政治武人になる。


次に政治武人と経済武人の比較をしてみよう。

政治武人は、自らの手によって土地を得ている。政治武人が土地を切り開いているので、そこで働く農工商は、自ら進んで税金を払いたがる。危険がひそんでいるため、安全を保証して欲しいからである。元々、政治武人たちの手によって開かれた、あるいは手に入れた土地であるから当然そうなる。したがって、売上に税金をかけるというよりかは、地代をもらっているのに似ている。


ところが、経済武人の場合は、無理やりに安全保障という市場、ビジネスチャンスを作り出しているので、農工商の民はカネを払いたがらない。何しろ、新規政治武人の支配している時代は終わり、世の中は平和なんだからそんなものにカネを払う必要はないと考える。したがって、経済武人はヘェコラ頭を下げて、商人のシタッパとして、取り扱われる。

すでに政治権力の中に警察や消防があるんだから、警備会社なんていらない。警察官は自動的に給与をもらう安泰さがあるが、警備員は商業施設が儲からないと保安警備は成り立たない。イベント会社が儲からないと雑踏警備はない。工業も栄んにならないと、道路工事の交通誘導や、危険な工場での常駐警備や消防警備は成り立たない。現金輸送警備も、商人が儲かってこそ必要になるし、大企業の社長も搾取搾取によって初めてボディーガードを付けられるわけだ。


だから警察官は尊ばれ、警備員は奴隷扱いされる。

しかし、親方日の丸は必ず没落し、生活に必死な人々によって逆転現象が起きる。

親方日の丸側は、常に中央集権と既得権の維持のため動く。巨大な富を持つからこそ巨大な赤字になりえ、巨大な実力部隊を持つがゆえに小回りが利かず、常に勝ってきたからこそ、いとも簡単に、時代の要請により崩れてしまうのである。

海の向こうに行くな!陸に戻れ!

2009年06月01日 16時52分12秒 | Weblog
金の力に依存すると、海外に全てを託すようになり、海外に貧しい労働と安価な資源を奪いとろうとしてくる。
日本からチョコマカと外に出て、貿易をすると、地球には大変な負荷がかかる。ごちゃごちゃにかき混ぜるというのは、エントロピーの増大を早めるわけだ。

この場合、早々宇宙に開拓地を求めないといけなくなる。

日本の歴史を見ても、世界の歴史を見ても、必ず共通するのは、貿易が栄んになり、海外に頻繁に出入りし、外国の金銀、貨幣などが流入してくると、守銭奴が強まる。そして時の政府は崩壊するのである。変わって、武力制覇をなしたものに政権を取られている。


現代で言うと、「国際社会を股にかけたスーパービジネスマン」とやらがステータスとされ、羽田空港の国際化やら、貿易自由化、外資の参入を促進する人々が主流となり、英語堪能、株・保険・銀行などの金融に精通し、そういう国際感覚優れたものこそ政治家や官僚にふさわしいという現代の気風。まさに今である。


彼らはいつも海の向こうにある陸地を貨幣価値として捉える。


しかし彼らの政権は崩壊し、陸に根ざした開拓武人によって政権交代がなされる。


現代では民主党も海の向こうの貨幣金融経済という考えに根ざしているため、歴史の法則は、民主党を自民党と同じ守銭奴とみなす。

武人は、モノをモノとみなす。それを交換して貨幣に変換したところで力を持たないことを熟知している。狩猟採集の生活は、その時その時が大事なのでありマニュアルはない。

商人は、モノをカネとみなす。カネにならないモノは必要ないと考える。安全が大前提の地において立つため、一切の産物を貨幣化して貯蔵をしようとする。これは社会が安定しているため、マニュアル化させることが効率良い運営になる。


次に武人の2形態について書き記す。

平和党の趣旨

2009年06月01日 16時51分01秒 | Weblog
1つの地域や1つの民族が、国家に支配されない自由というのが、今世紀になって認められていくのではないかなと思うことがあります。

国家が特定の地域や異民族を自らの統制下に置きたいのは、徴税という利権を専有したいからで、それを福祉や国防という正義をかざすことによって治めている、という現状があります。

国境の存在は、自らの国内の生命と財産を守るためにありますが、それは同時に、隣国を信用していないという印でもあります。

世界平和を達成するには、全ての国の人たちがお互いに手をとりあえばそれで終わるのですが、それがうまくいかない理由は、「貯めておけるお金」という一点につきます。

したがって、どのような税制をしこうとも、その税が資本としての貯蓄機能を持っている限り、経済は拡大路線と他人の生命を奪うということにエネルギーを割かなければなりません。

つまり、戦争の原因は税金である、ということが言えます。

したがって、この世から税金をなくすことが必要であり、公共の支出については、自然主義経済によって、余剰金を発生させたがらない方法をとろうというのが平和党の趣旨であります。

これが実現されると、地産地消は容易になってきます。年金問題も財政破綻も回避され、究極の小さな政府が可能であり、地方自治体主権を可能とするでしょう。

世界がこれを採用すれば資源争奪戦はなくなります。

自然主義経済は1自治体から試みる必要があります。そして、自然主義経済をなす自治体連合によって、中央政府と対峙することができるでしょう。

庶民・市民運動家・労働者・奴隷からみた自然主義経済

2009年06月01日 16時50分19秒 | Weblog
自然主義経済は、貧しき民から見れば、実に魅力的解決方法であり、彼らの労働によって、全ての経済生活は満たされましょう。

しかし懸念すべきことは、自然主義経済実現によって今まで虐げられたたまりにたまった鬱積を守銭奴に対し怨念をもって報復してやろうというのが、彼らの性質として存在しています。

王の首をとった市民、マルクス革命を達成した暁に、富める貴族たちを焼き殺したりする。こういう歴史を繰り返しています。

これは単に、権力者から富を移動しただけにすぎず、新たな権力者に富が集中しているだけであり、新たな権力者がまた私腹を肥やすということをやっています。

だからこの永遠の連鎖を断ち切るために自然主義経済があるのです。自然主義経済は、貯めることなく、流れることによって経済を生かすからです。

したがって、自分一人ぐらいの満足のために人生を送るコノテの人たちを決してリーダーにしてはなりません。彼らは手足となることで機能を果たします。しかしながら、己の損得次第で、いつでも守銭奴に乗り換えることがあります。これは初めから心構えをしておく必要があります。そして、裏切られても許せる度量が必要です。彼らは彼らなりに苦しいのです。ズル賢さもあるかもしれませんが、その勇気は武人に劣り、知恵は知識人に劣る軽微な範囲です。もしも武人や知識人にありながら、貴方の逆鱗に触れるようなことがあるのならば、それはリーダーの精神段階がまだ未熟なだけであって、労働者の裏切りはむしろリーダーの成長を促すものであります。

彼ら労働者は、社会に不平不満を言うのを生き甲斐としています。何にでも文句をつけ、解決法を楽しむよりは、現状を苦しみ、為政者を非難することを好みます。

そういう性格が骨の髄まで染みると、改革をやろうという同志たちにも文句をつけ始め、改革は破綻します。やがてその人は孤独になります。

つまり、リーダーはこれら身勝手な人間は世の中の八割はそうであると踏まえて、ことにあたる必要があるのです。次のリーダーを育てる場合、完全な奴隷性格の人を武人や知識人に育てる必要があります。これにはかなりの根気が必要です。あまりにも不平不満が強すぎる相手に対しては思い切って切り捨てることも必要です。

しかし、今、守銭奴が天下をとる時代、こうした不平不満民族による反乱は必要なのも事実です。しかし不平不満民族は結局のところ長続きしません。彼らは、一人一人が疑心暗鬼で、他人を叩くのを生き甲斐としているので必ず瓦解します。

今、保守を名乗りながら、労働者の味方であると主張する人が多くなってきました。貧富格差が拡大しすぎたために、共産・社民層ばかりか保守層にまで、反貧困の芽が出ています。これは奴隷人口の増加が原因です。物事の改革というのは、保守層に火がついてこそ開花します。三年以内に必ず爆発するでしょう。このとき、守銭奴政権は一時停止を迫られるでしょう。「君臨すれども統治できず」の国会と内閣になると思います。

あさっての内閣改造 訂正

2009年06月01日 16時49分33秒 | Weblog
●平和党あさっての内閣【発足2008年11月3日】



●総務大臣
大坂佳巨 千葉県
消防団員兼選挙野郎兼対行政戦闘員
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou

●法務大臣
ヤスナリ 東京都
法学部大学生
http://blogs.yahoo.co.jp/yasunari0214

●外務大臣
ろろ 埼玉県
塾講師兼国際社会学者http://roronotokoro.blog113.fc2.com/

●財務大臣
早雲 岩手県
晴耕雨読者・財政研究家
http://sun.ap.teacup.com/souun/

●文部科学大臣
I―R 神奈川県
児童指導員
http://doubleheadeddragon.blog41.fc2.com/

●厚生労働大臣
江戸川経史 大阪府
薬局経営・労働運動家http://blogs.yahoo.co.jp/kcedogawa

●農林水産大臣
KAZE 福岡県
飲食店経営・農業
http://blogs.yahoo.co.jp/hpwyn965

●経済産業大臣・環境大臣
花ブナ 愛媛県
自然科学者
http://blog.goo.ne.jp/banabuna

●国土交通大臣
Chee 東京都
主婦・住宅研究家・土木技術者
http://blogs.yahoo.co.jp/giantchee2

●防衛大臣
こばきち 大阪府
元自衛官
http://blogs.yahoo.co.jp/hfqpm746

●官房長官
しわ 東京都
党通信広報係

●国民公安委員長
大坂佳巨 千葉県
保安警備員


以上11名

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