おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

鏡を知れ

2009年09月24日 03時26分21秒 | Weblog
今までリアル政治闘争をしてきて、そのうちインターネット内での政治闘争を見るようになって、私が思ったことは、ネットであるとリアル社会よりも引き付けが早いということがある。

現実社会には、政治運動をやっている人には、さほど極端な右翼とか左翼というのは少ないのだが、ことインターネットの世界では、一般世論とは極端にかけ離れた考えをしている人たちが、道の真ん中を堂々と歩いている。

しかも、リアル政治闘争に比べると桁違いの数で頻繁に右翼は左翼を気にし、左翼は右翼を気にしすぎであり、お互いに余裕が全くない。

お互いの悪いところをお互いによく目をつけ、その洞察力たるや天下一品である。自分のことはよく見えないが他人のことはよく見えるもので、実際問題、彼らは彼らの対局に対し批判・非難を加えるが、それはそのまま自分の姿なのである。

政治というのは、ともすると自己満野郎にもなるし、世のためにもなるが、己に余裕のない人間は、他者の欠点ばかりを気にし、結局その欠点は実は鏡映しであることを気づかない。

鏡を知らないと、どんどん小さな自分を作っていく。対極にあるものと波動が合い、実は調和しているからこそ彼らは対極同士で争う。そこには生成がない。


鏡を知っていると、己に余裕があるので、己の対局について飲み込んでしまう。仮に対極にあるものが自分に危険をもたらすものだとしても、鏡を知っていると相手にそのまま返って自滅してしまう。私は経験上、そういうことについて知るに至った。これは私が政治闘争の中で、相手を徹底的につぶしてやろうということを幾度もしてきたからである。

相手を潰す場合、自民党という器があったら、己にさほど力がなくてもつぶせる。民主党ならその次。みどりの会議や自由連合では話にならない。弱小政党、弱小組織が勝つパターンというのは合気を知ることであり、鏡を知ることである。

だから近年の私の政治人生は、鏡をよく見て、気にくわない考えがあったとしても、それは鏡であるから騒ぐ必要を感じなくなってきた。

危害が加わっても、その力は受け流し、相手に返せばよい。それを近年、実践してきたが、また新たなことがわかった。

先の魂合気の稽古で、杖を通じて大野さんが、こちらからの攻撃を流して返してくるのだが、私はさらにまたその気を返してみた。そうすると自分の体は後ろに反れるに留まり、倒れない。そういうことを二回ほど繰り返したが、三回目には大野さんは右に流して返した。

それで私はその方向へ倒れてしまった。

なるほど、力を一次元だけでなく、二次元で返すという方法について知ったわけで、よく考えてみると、日常的に私がしていることであった。要するに戦う人は、盲目になり、こういう方向が当たり前だと勝手に信じる癖がある。その癖を知れば、さらに力をつけることができるのである。

しかしこれはまず鏡を知ることである。現代はあまりにも鏡を知らず、対極思想を知力や筋力で倒そうという、余裕のない時代である。

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