➀南太平洋航海計画:予定航程、2005年2月から10月、約23000㌖
※2005年2月-4月 Ujung Pandang ⇒ Rabaulu 約4300㌖
Ujung Pandang(IND)港を出航→Maluku(香料列島)を抜け、New Guinea北岸を巡航しMadang(PNG)を経由、ラピタ民族発祥の地Bismark Archi. New Britain Rabaulに至る。
※2005年4月-5月 Rabaul(PNG)→Efate Vila(VUT) 約2500㌖
Rabaulを出航、南東風の季節風の吹きだしを確認後、逆風を突いてSolomon Islandsを抜けVanuatu Efate島Vilaに至る。
※2005年5月-6月 Vila→Tahiti(FRA)約3500㌖
Efateを出航→東よりの向かい風が吹き付けるPolyneshiaの海を東行。
Fiji島Suva→Nukualofa(TON)→Cook Is. Rarotonga→Tahitiへの航海はホクレア号の2度目の航海(Samoa-Tahiti間)を参考に南まわりの航路でタヒチに向う。
※2005年7月―10月 Tahiti(FRA)→Rapa(FRA)→Easter Is.(CHL)→Callao(PER) 約10000㌖
Tahitiを出港。今回の航海で最も困難が予想される航路に挑戦する。しかし、この航海を成功させれば、ポリネシア・ミステリー最大の謎とされるポリネシア人による南米大陸到達航海を実証することになり。オセアニア史に関し、コンティキ号の航海に比する世界的な評価を受ける航海となります。
航路は冬期(7月から9月)北上する偏西風を捉えるため、帆船時代の航路を取り、ポリネシアの辺境地「城砦の島」ラパ島(オーストラル諸島)へ向かう。
Rapa島及びRapaiti(小さなラパの意味)島取材の後、偏西風を捉えて、Easter島(ポリネシア名 ラパヌイ:大きなラパ)へ至る。イースター島からは、フンボルト海流に乗りつつ楕円を描くコースで南米大陸ペルーのCallao港に到着する。このカヤオ港は1947年4月コンティキ号が、ポリネシアへと出航した港として、冒険史にその名を残しています。
図はいる
➁南北アメリカ大陸太平洋沿岸航海計画
2005年10月-2006年2月:予定航程約8000㌖
ペルーのカヤオ港にて船体のメンテナンスを行い、その完了を待って出航。南東の順風を受けて北上。地球環境の聖域ともいえるGalapagos Is. San Cristobalに入港、Galapagosを出港→Acapulco(MEX)を経由してLos Angeles(USA)のMarina del Reyに到達する。当地においては参加国の協力を得てアジアから世界に向けての何らかのイベントを企画し、自然に対するアジアの心を世界に発信する予定です。
➂北太平洋航海計画
2006年2月-4月:予定航程約12000㌖
Los Angelesを出港。順風に乗り、Hwaiiに針路を取る。Honoluluでは、青年少年の教育に使用されている。ホクレア号と会合し、さまざまな交流や体験航海パフォーマンスを行う。
2006年3月、Hawaiiより南下し、貿易風をとらえ、Microneshia諸島へと向かう。環境の破壊により、美しい海と渚を奪われつつあるマーシャル諸島の現況や、今もなお、古代航海法を保持するサタワル島などを訪ね4月上旬、Philippines Cebuに到達し、環太平洋航海を完了する。
➃尚、ウィニングランとでも呼ぶべき航海、例えば参加国を巡る航海および使用したカヌーの展示国などは未定です。