おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

11.国際紛争の問題

2009年12月13日 15時28分53秒 | Weblog
戦争の要因は資源の奪い合いですが、食料・エネルギー・住宅・医療などが満たされている状態であるので、尖閣諸島・竹島・北方領土が日本の領土であってもその必要性はなくなると考えられます。

北方領土については日本人が居住していたことから必要かと思います。尖閣諸島は石油資源、竹島は漁業権の問題であるとするのなら、その必要はなくなります。しかし、これは資本主義経済が続いている以上は、譲ってはならない問題であると考えます。

中国の限りない欲望は食い止めないと国際社会全体に影響を与えるからです。

そのうち資源と関係なく宗教・思想・信条・かつての戦争の怨念などで国際関係に緊張状態が走ったとしても、国土がお金ではなくて実質的に豊かとなった日本にとって善悪中毒から脱却すれば戦争は起きませんが、この時点においては国防・軍備はまだ必要であると考えます。国民の多くの意思が武力の放棄を本当にしてもいいと判断したのであるならば、すべきであると考えますが、今のところではできないかと思います。


以上、平和党の基本理念について、初心者向けの概要について説明しました。

10.自然環境・防災の変革

2009年12月12日 02時34分02秒 | Weblog
自然環境・防災の変革

近年の台風被害の破壊力は以前よりも増していると言われています。また、人里には熊やサルなどが平気で出没するようになりました。これは経済の効率性から林業が敬遠され、農地も放置されていることからだと言われています。

自然主義経済では、東京一極集中は非効率になりますから、人口は分散されます。そうすればこうした問題も自然となくなるでしょう。

これまでは、経済の効率性を考えれば地球環境に負荷をかけることが当たり前でした。また環境に配慮した商品は経済コストがかさみます。技術の進歩によって、これは解決されないこともないとは思いますが、廃棄したものを再生産するにはやはりコストがかかってしまうのは、熱力学の法則です。

資本主義経済では、お金が尊ばれ、お金が徹底的に使われますが、自然主義経済の場合はモノをさまざまに形を変えて擦り切れるまで使おうとします。江戸時代のリサイクル文化と同じです。そうすると土にすぐには還らないような化学物質は非効率になりますので、製品の素材自体が変わっていきます。山川草木の自然を利用し、その物質がこなごなに分散されるまで使われるでしょう。

9.医療と福祉の自動改革

2009年12月11日 15時19分59秒 | Weblog
医療と福祉の自動改革

これまではお金によって子どもを保育園にいれ、一方で共稼ぎして保育園のためのお金をかせぐということをやってきていますが、これも家族が経済に利用されている典型的な姿です。

現状の資本主義ではいたしかたないことですが、自然主義経済になれば、共稼ぎの必要はなくなります。金を稼がなければならないので仕事をするという状況は改善されるでしょう。

家族の形態にも変化をもたらし、核家族よりも三世代家族で大きな家に住むことがなさます。現代の経済は、各々を個別の単位に細かく区切ることにより、大量消費の必要性を作り出し、その需要を埋めるために貨幣優位の社会を意図的に作っています。しかし自力生産・自力消費の世の中になると金融力は無力になります。


経済規模が大から小に向うことは、家族規模では小から大に向うでしょう。核家族がなぜ今の社会で効率的かというとお金によって効率性が図られているからです。

たとえば漬物をつけるのにも味噌を作るにも、現状ではその必要はなく買ってくればよい。ところが自然主義経済では、大量に前払いで買ってしまうことが得になるので家族は多いほうが効率的となる。さらには自力生産をさらなる効率的なものとするでしょう。

高齢者介護も保険を必要としてきたのも、この家族構成の問題と資本主義の効率性からです。家族を大切にした社会構成の上に、自然通貨による支払いでなされるホームヘルパーが増えていきます。

年金の問題は、民間のみの流通で高齢者福祉がなされるため、家族で十分高齢者を養っていけます。

財政の問題は、政府による財政出動がないので解決されます。残った財政赤字についてはマイナス利子になっていますので、時間とともに消滅します。というよりも、減価する通貨が激しく回ることにより、プラス利子による財政赤字でも返済可能でしょうが、今までのルールは馬鹿らしいという感覚が芽生えてくるのでもはや誰も財政赤字を気にしなくなるでしょう。


医療のありかたも根本的に変わります。本来必要でない薬を出すのも、薬価基準が薬九層倍なのも、入院を長くさせるのも、医療機器が日本は高すぎるのも資本主義経済が影響しています。

お医者さんは患者さんを治すというよりも、患者の肉を扱っているだけとの意識から生まれる弊害も、自然主義経済により解決します。

これまでは、病気になっている人は多いほうが医師界は儲かっていたのですが、自然主義経済になるとそうはいきません。患者がいたら早めに治ってもらったほうがいいわけですから、ちょこちょこっとやって「次は何曜日に来てください」なんてことにはならなくなります。患者側にとっては、お金は使いたいわけです。

全ての職業においてそうですが、今までのものとは逆になります。即ち、「嫌いな仕事だからしたくないけど生活のためにしょうがないからお金を稼ぐ」というのが「好きな仕事だからしたいけど生活のためにしょうがないからお金を稼いでしまう」となります。したがってお金のために医者になった人は当然辞めていくわけです。

8.家族社会と労働市場の変革

2009年12月11日 13時34分24秒 | Weblog
家族社会と労働市場の変革

倫理性の欠如、家族や儀礼を大切にする世の中を取り戻すためにも、これらの改革を必要です。自然主義経済によって、余計な生産・煽る消費は必要なくなり、労働時間は短縮され、全ての人が自営業に近くなることで、これらは改められます。職業に対しての評価は、この自然主義経済によって良いモノは高く、悪いモノは安く価格が選定されます。定年まで単純労働をしなければならない人はいなくなります。
自然主義経済では、直接生産が重要視されるため、食料も地域ごとに自給されます。都市部では食料の生産が推進されます。食料は自分の地域で作った方が効率がよいことになりますが、他の地域での名産品を手に入れることができないわけではありません。その点は今までどおりですが、日用に必要なものは地元で手に入れることになるでしょう。

7.エネルギー供給と地域

2009年12月10日 18時44分51秒 | Weblog
エネルギー供給と地域

例えば、原子力発電は資本主義の場合、経済上では効率的ですが、自然主義経済ではきわめて非効率となります。

自然主義経済は、つねに現地調達をしようとするためです。エネルギー源が遠くにいけばいくほど、或いはたくさんに大量のエネルギーを供給しようとすればするほど損をします。

当然に、太陽・風力など小さく、自家発電レベルでの分散型エネルギーを必要とします。原発を反対する前に、経済制度に切り込まない限りは永遠に不可能です。

そうなると地域主体の経済になるため、家族に目がいきます。今では地方にまで東京化された町並みがそろい、東京と同じように地域の目がなくなり、家族が崩壊しています。職住遠隔がなされているのも、企業中心の社会が作られ、愛もなくなり、近年の成人式で頻繁に見られるように、人を平気で馬鹿にするような若者も育っています。

6.地方分権の最良

2009年12月10日 09時30分26秒 | Weblog
地方分権の最良

お金は持っているよりも、使ったほうがよいという方法にするには、貨幣を減価させることです。例えば、一年でお金がすべて償却されてしまう方法をとることです。こうすることによって、お金を多く持つことに意味を無くす。すると、大資本よりも小回りのきく個人商店、東京よりも生産物の豊富な地方にも力が分散されます。

これなしで、地方分権も景気回復も財政再建も可能なわけがありません。自民党による道州制度や民主党による地方への中央財源分配政策は失敗するでしょう。

15年も前から日本新党や平成維新の会で言われていたありふれた改革に手をつけるだけなのですが、中身がほとんど15年前と同じなわけですし、単なる資本主義上での微調整改革ですから、平成の市町村合併にさほど意味がなかったのと同じような結果を生みます。

なんでも国が制度のあちらこちらを政策分野別に、部分的にいじれば改革されると思ったら大間違いです。大元の栓を取り替えない限り何をやっても無駄です。地域通貨に減価機能を加えた「自然主義経済」による「自然通貨」この方法は地域に目が向けられるようになります。

大資本は全国から、あるいは世界の貿易によって、つまり地球上の範囲を大きくすることによって利用価値が高まるのですが、減価貨幣を使う自然主義経済制度は、小さくまとまったものを好みます。

5.自称改革者たち

2009年12月08日 11時47分13秒 | Weblog
自称改革者たち

政治の世界では、ここにメスを入れなければならないのですが、既成政党や官僚は、既存の経済政策の土台で物事を計ろうとするゆえ、政策の限界が多く起こるのではないでしょうか。

既存の経済政策の土台とは、「競争に基づく市場経済悪く言えば弱肉強食経済」並びに「政府による調整経済悪く言えば利権誘導政治」です。この二つはすでに世界では試された事であり、これらの価値の限界に気付かないと手遅れになってしまいます。現在の政治勢力は、この二つのいずれかの立場をとるか、その中道です。いずれも資本を重要視するため解決にはなりません。
人類の精神文化を築くにも、人間がお金に執着しなくてもよい世の中を作る必要があります。

しかし、モノ・サービスを手に入れるのは、お金は便利なものであり、物々交換など不便きわまりないです。ようは、お金がストックされると力を持つことをやめさせるのです。

4.自然万物とお金の矛盾

2009年12月08日 08時22分29秒 | Weblog
自然万物とお金の矛盾


なのに人間は、お金がたまることによって力を持つ仕組みを作ってしまいました。最初のうちは、そのズレは微々たるものですが、これだけ金融が発達してくるとおかしなことにもなります。
お金はたまると増えていくのに、自然界のものはつねに分散しています。いずれ全ての人々は借金が返せなくなり、国・自治体の財政は破綻し、年金などもらえるはずもありません。ここに政策の全ての問題を片付けるヒントが隠されていますが、永田町や霞ヶ関の人々は、一つ一つの政策分野を専門化して、木を見て森をみないことが行われています。今世紀において片付ける問題とはたった一つの源をやればいいだけのことなのです。

お金の仕組みにより命を絶つ人もいます。貧者は富者に、怒り、ねたむ。富者は貧者を蔑む。貧富のいずれであっても、いずれでなくてもお金のために騙したり、殺したりする。こうして、できた世の中は命を尊ばなくなり、思いやりをなくし、人をおとしめようとする。弱いものはその努力が足りないんだと、またやり直せばいいと切り捨てるわけです。かつてはこのようなことは資本家や経営者が口にしていたものですが、やがて中流階級も言うようになり、アメリカのようなやり方が改革だという流れができてきました。日本人は周りを見て、誰かが新しそうなことを言うと飛びついてしまう傾向にあります。それだけ日本人としての心が失われた経済社会ができあがってきているのでしょう。
現実社会では、お金に捕らわれない生き方をしようにもなかなかそうはさせてはくれません。競争する経済であっても、談合型経済であっても、いずれにしてもお金に縛られているわけです。お金に無縁でいられるのは、保護者に守られた児童くらいのものでありましたが、最近はそれでもお金にとらわれるようになったくらいです。

3.お金はどこまで行っても人件費

2009年12月07日 09時59分59秒 | Weblog
次に労働について考えてみましょう。ラーメン屋で働いている人がいるとします。ラーメンを食べてお金を支払うお客さんがいる。お客さんのお金は、ラーメン屋に入る。お店は家賃、光熱費、水道料金、従業員の給料を払い、仕入先にも支払う。

家賃は家主に、光熱費は電力会社に、水道料金は自治体に移動しますが、ここから先も延々と仕入先か自社従業員の給与・役員の報酬などで使います。そこで使われた金はどこまで行っても、必ず人件費になります。ラーメンは食べて排泄物になるのに、お金は延々とお金でありつづけます。いずれ自然界とのバランスが崩れて、その矛盾から破綻するのは当然でしょう。

まして、このお金は交換機能としては問題ありませんが、貯蓄・増殖するためやっかいな問題を引き起こします。

人件費にすべてなると言いましたが、正確には人件費を経由して留まっていることもあります。それが大資本の場所であり、具体的には政府・金融機関・大企業等という力を持っているところになります。

これらの弊害により、次のようなことが生まれます。

●貧富の差
●返せるわけのない借金による苦しみ・自殺
●お金を中心として形にこだわり心を失う
●生命の尊さを知らなくなる
●自己中心主義社会・孤独
●社会病理現象・教育荒廃・児童福祉の衰退
●農林水産業の衰退
●医療の形骸化・高齢者福祉の衰退
●環境破壊
●財政破綻・年金破綻
●戦争


どこまでいってもお金は決してラーメンにはならず、チャーシューたる豚にも、卵たる鶏にも、土から育つねぎにもならない。お金を土に埋めて、ねぎは生えてくるでしょうか。
こんなことは当たり前なのですが、実際にやっていることは、当たり前でない事をやっています。自然界はお金を単なる紙か金属としてしかみていないはずです。

2.自然の恵みがお金の傘下という現状

2009年12月07日 09時07分52秒 | Weblog
自然の恵みがお金の傘下という現状

私の家の近所では白菜が、スーパーで160円でいつも売られていたのですが、この日は80円であったので昨日妻が買ってきました。いつも野菜が高いと言っていました。肉となる牛・豚は穀物を原料にして人間に食べられるのに、肉はなぜ米や野菜より安いのだと。そして、そのあと、全農が白菜とダイコンが供給過剰となったので1万トンほど処分するという話を彼女にしたら、「なんてもったいないことを!ただでくれたらいいのに」と言いました。
私は「そしたらそれを作って働いている人の生活はどうなるんだ。ただであげたらその人たちの収入がないだろう」と言いました。彼女はとりあえず納得したようですが、解せないものがあるらしいです。
肉が安いのは貿易の仕組みを利用しているからであり、国産の野菜もまた資本主義経済の仕組みに支配されています。お金が先にあって、その命令に従って食料がある・・・と今の仕組みはなっています。

1.お金に支配される人類

2009年12月06日 20時25分36秒 | Weblog
お金に支配される人類

あらゆる政策諸課題を解決するのには、財源というものが必要です。
また、民間の経済社会においてもお金というものは非常に重要なポジションにあります。政治というものは、つねに経済と一体です。
現代社会で生活していくかぎり、必ずこのお金がつきまといます。
「人間はお金のために生きているのではない」と言える一方、「お金がないと生きていけない」のもまた事実です。
が、しかし「お金がないと生きていけない」と定義したのは誰であろうか。神であろうか、自然の摂理であろうか。これは他ならぬ人間です。宗教団体は神の名の元にお供えを集めます。しかし、お金を使うのは実際人間です。その宗教団体の宗教家の給与や支払いに消えるのであって、神様に渡すわけでもないし、自然に帰すわけでもありません。宗教家は、神様にお金を差し出すことによって、差し出した信者に「これであなたも救われました」などと言うが、実際に救われるのは、その教団と宗教家です。教団活動資金としての献金と素直に言えばいいのですが、このような言い方をして募る教団ばかりです。
もともと自然の仕組みは、人間に衣食住を必要とするようになっていますが、お金を必要としていません。

【木】共生

2009年12月06日 20時24分59秒 | Weblog
「共生」というのは、全てを生かすことにある。

共生は柔軟さにより生まれる。共生は破壊を作り出す。

共生は基盤作りに打ち勝つ。木は土の栄養を奪い取るからである。

共生は堅実さにうち負ける。木は金属の斧に切られるからである。田中派の共生は、堅実さを思考する竹下派に奪われた。


このように、共生の性質、木の性質を知ることによって戦いを予測することができる。




以上、破壊・基盤・堅実・柔軟・共生の五つは陰陽五行の発想に基づくが、これは順番付けられる。

1.破壊
これは最も容易である。誰もが、今の政治についてボロクソに書き立てており、言うだけなら誰でもができる所業である。しかし実際に破壊という行為にまで至る人間は少ない。なぜ簡単かと言えば、破壊は無秩序を作り出すからで、エントロピーの法則にしたがえば、やってもやらんでも勝手に無秩序な世の中は放置しておけばできるものだ。それに輪をかけてグダグダ言っているに過ぎない。

これに対して、小沢一郎による竹下派分裂、非自民連立政権や小泉純一郎による橋本派解体工作は非常に手の込んだものである。こうした政治家が支えられるのは、文句グダグダの奴隷体質の人々であり、近年で言えばネット右翼や、労働運動などである。彼らを原動力として今後は、日本はバラバラにされていくであろう。これがないと先に進まないということを歴史は教えている。



2.基盤
破壊に加担することは誰でもができるが、基盤についてはやや難しくなる。この基盤とは、今までにないものが登場してくる。近年の論評は、今までにあるような政治思想や経済政策の蒸し返しばかりであり、自然主義経済のような未知なるものについては、世の中でほとんど提唱されていない。これには開拓精神が必要であり、今までの学問に縛られていると何もできないばかりか、旧来のものにしがみつき、新たなるものに対しての妨害を始めるのが世の常である。こうした妨害を克服するだけの武勇性が求められる。



3.堅実
いったん基盤作りができたならば、これを堅実なるものにしなければならず、その基盤に沿った新たな常識を固定化させる作業である。これは地道な努力を要する。


4.柔軟
中心力が堅固なるものに仕上がったならば、外周を柔軟にしていく。建物の耐震性は、地震が来ても揺れない作りをするより、地震の力をそのまま球を転がすように吸収分散させてしまうほうが地震には強い家作りが可能である。この柔軟さは堅固さにいつまでもこだわっているとできない。中心軸はしっかりしても、外側は柔軟であることが強さの秘訣となる。

5.共生
そして最終局面である共生だが、私は以上4つの点において実践してきたという自負があるが、この五番目については未だ到達しておらず、自らできていないことについて、いろいろと言う資格はないと考える。


このように以上の五つは段階を示すのではなかろうかとも考える。

一方、このうちのどれか一つか二つ以上かのタイプに属する政治家を今まで示してきたが、どのような状況にあっても対応できる自在性こそ求められるのではないか。

これから考えると、柔軟さは大事という本当の意味は、「柔軟さと堅固さ」を合わせもつ柔軟さが必要という意味に理解できよう。


そして共生の本当の意味は、破壊から柔軟に至るまでのものを全て包容するのが本来の共生であるという考えにも行き着くのである。

【水】柔軟

2009年12月06日 20時24分06秒 | Weblog
「柔軟」というのは、固さに対して克服できるものであるが、固さを知らない柔軟さは、単なる言いなりである。力を抜くというのは、単なるやる気なしとは違う。この辺がどうにも誤解されやすく、何もしないことがまるでいいことかのように解釈されることが多くある。

中心力なき柔軟は、単なる無気力である。

この柔軟さは、相手の固さをそのまま相手に返す技を持っている。


したがって柔軟の後、全てを生かす「共生」を生まなければならない。単に相手に攻撃力を跳ね返すだけでは、固さで立ち向かっているのと変わらなくなってしまうからだ。

柔軟さは水のように形を変え、柔軟さの結果、全てを生かす森林作り出すのだ。

小渕恵三内閣は柔軟の役割を担った。水によって養われた森林はまさしく森喜朗内閣を談合的共生により生み出した。

社会党とでも連立政権を組むという柔軟さも、のちに一致団結箱弁当の小渕派支配復興という共生路線を生み出したのである。



柔軟さはなぜ生まれるのか。

これは「堅実」が長きに渡り続き、その堅実さだけでは対応できなくなり、柔軟なる路線を求めるからだ。福田康夫内閣の後には麻生太郎内閣が、橋本龍太郎内閣の後には小渕恵三内閣ができるのは当然ということになる。


柔軟なる水は、形を変えて、ありとあらゆる場所に共生の種を蒔き、山川草木はよく育つ。

このように、柔軟さは堅実さから生まれる。柔軟さは共生を生む。


柔軟さは破壊に打ち勝つ。水は火を消すからである。柔軟なる自社連立に破壊王・小沢一郎は負けた。

柔軟さは基盤作りに打ち負ける。水は土にせき止められるからである。麻生太郎による自民党政権は鳩山由紀夫民主党政権に負けた。

このように、柔軟の性質、水の性質を知ることによって戦いを予測することができる。

【金】堅実

2009年12月06日 20時23分28秒 | Weblog
「堅実」というのは、作られた土台をしっかりとしたものにし、創世から成熟にし、安定性を作り上げることである。


堅実に固めた後は、そこから柔軟性を築き上げなければ力みすぎて倒れてしまう。よって堅実の後には「柔軟」を生まなければならない。


堅実さは金属のようにしっかりと固まり、金属には水滴が集まる。

中心力を据えた硬さは外周に柔らかさを持つことによって力を発揮する。

溶解して形を変えることのできる金属は水で冷やすことによってしっかりと固まるのだ。

福田康夫内閣は堅実さの役割を担った。これまで、破壊の小泉純一郎内閣と、不安定極まりない安倍晋三内閣によって、人々は安定性を求めた。


福田康夫首相が堅実さをアピールすればするほど、それ以前の過激な政権に比べると物足りなさは否めず、そこそこの柔軟な政権である麻生太郎内閣を欲するようになる。

橋本龍太郎という人も堅実なる政策を打ち出す人であり、その後は柔軟の鏡とも言える小渕恵三首相が誕生するのも当然である。



堅実さはなぜ生まれるのか。

これは「破壊」が長きに渡り続き、今までにない「基盤」を作ったことによって、安定性を求めるのだ。


基盤作りは、ついこの間まで沼地だったような場所に作ったわけだから、それを均し終えたという確証が欲しくなる。よって土作りの後は金属で固めたい。。


安倍晋三首相では年齢が若く、若いからこそ新たなものを作るのであるが、それが確かなものかどうかの不安がつきまとう。そこで福田康夫内閣を求めるのが自然な流れである。


では、堅実さをしようとしている勢力に対して、打ち勝つにはどうしたらいいのだろうか。

堅実さに打ち勝つのは「破壊」である。
宮沢喜一内閣という堅実さを求めた政権は、小沢一郎という破壊者によって砕かれた。竹下派という堅実さにより固めた派閥支配も小沢一郎という破壊者によって砕かれた。

しかし、福田康夫首相という堅実総理に対して、小沢一郎民主党代表は「大連立」という共生関係を求めたがゆえに失敗を招く。今まで通り、破壊で行けばいいのに共生の姿勢を見せたがゆえに彼は敗北していくのだ。


これは堅実なる金属は火力によってのみ溶かされるからである。共生という森林の発想は、斧という金属により切られてしまうからだ。


このように、堅実さの性質、金の性質を知ることによって戦いを予測することができる。

【土】基盤

2009年12月06日 20時22分47秒 | Weblog
「基盤」というのは、これから新しい土台を作り、将来育つもののための土壌を作り上げることである。

基盤作りの後、それを確かなものにするために「堅実」を生まなければならない。

基盤は土のようにしっかりと支え、土の地下には多くの金属が埋まっている。この金属を掘り出し、土地の上の建物をしっかりとしたものにするのだ。さらにはその金属を持って田畑を耕すのだ。

安倍晋三内閣は基盤の役割を担った。憲法改正や教育基本法改正など、国の基本法を作ると、人々は安定性を求めて福田康夫内閣が出来てくるのは当然である。
安倍晋三首相がいくら基盤を作っても、仲間を守りきれないという、頼りない彼では人々は不安に陥って安定性を求める。

基盤はなぜ生まれるのか。

これは「破壊」が長きに渡り続き、その破壊により疲弊し、新たな土作りをしたくなるのだ。


火力は全てを消し去る。消し去ったならば、何かを作らなければならない。


小泉純一郎内閣は今までの派閥政治を破壊し、利権政治を破壊し、無秩序を作った。人々は倫理観を求め、小泉純一郎内閣から安倍晋三内閣へと継承され、基盤を生むのである。しかし求めた先が安倍晋三首相であったことにこの国の不幸はあった。


では、基盤作りをしようとしている勢力に対して、打ち勝つにはどうしたらいいのだろうか。

基盤作りに打ち勝つのは「共生」である。

佐藤栄作内閣は、戦後復興から立ち上がり、沖縄返還をし、現代日本の基盤作りを終えた。佐藤栄作は堅実なる福田赳夫を後継に推したが、それを気に入らないとした田中角栄は、佐藤派を乗っ取り田中派を結成した。

田中派は、共生をモットーとし、政策云々よりも、とにかく全員が食べていけるという路線を何より重視し、野党にも金を配り、心を配った。

なぜこうなるかと言えば、土壌作りで豊かな基盤を作ると、その栄養を森林が吸収するからである。森林は共生を担う。土ばかりでなく、地表上の動植物全てを生かそうとするのだ。

では、基盤作りが打ち勝つ勢力は何か。
それは「柔軟」である。柔軟なものは基盤に負ける。柔軟さは、その柔らかが仇になり、優柔不断が露呈し、新たな基盤作りが支持されるようになる。

小泉内閣の時代、郵政民営化に消極的であった麻生太郎総務大臣は柔軟に対応し、郵政民営化を進めた。

しかし自身の内閣では、鳩山邦夫総務大臣という、郵政民営化に疑問を持つ参謀役を据え、なし崩しにしようとしたが、彼の優柔不断ぶりが災いし混乱を招く。
このようなものに対しては、新たな基盤を求めて、政権は交代し、鳩山由紀夫内閣が誕生するのである。

これは、水のような柔軟さは、川を見ればわかるように土によって遮られるからであろう。

このように、基盤作りの性質、土の性質を知ることによって戦いを予測することができる。