減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

自然主義経済における納税の考え方

2009-01-06 18:55:59 | Weblog
平和党公式ブログの下記記事に関する考察です。

・産物課税時代
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/36459687.html

以前私が描いたチャート図を元に言うと、自然主義経済では『財やサービスをこれだけ生産します』という生産契約書を共同体(自治体やエコバンク)と交わして(生産するという‘信用’を担保にして)通貨を借り入れた時点で、共同体(地域市場)に対して契約した量の「生産物」を収めるというある種の「納税義務」が生じていると解釈できます(共同体に対する債務とも言えるでしょう)。基本的にこれが見かけ上‘金銭による納税’を消滅させるのであって、共同体に対する財・サービスの提供=労働力の提供という意味での‘納税’は消えていません。

なので、納税の形態としては、お金を回収するというより、むしろ何も「元手」がない人には自然通貨をまず’与えて’、それを元手に財やサービスを当人が作り出して、それを共同体の他のメンバーと取引して、新たに自然通貨を得たり、必要なものやサービスを得ましたという「取引書証明書」が納税証明の代わりになるような気がします。

一方、自然主義経済の初期では、自然通貨による市場が未熟なため、お金や財・サービスが必要なところに充分に行き渡らないと思います。これに対応するため、自治体の長の判断で、共同体のメンバーが作ることのできる・所持している財やサービス提供能(労働時間)の一部を「現物」や自然通貨で徴税して、公共投資の必要な分野に「現物」あるいは自然通貨の形で投資するというやり方が必要と思います。

共同体に対する投資が、自治体による徴税が良いか、地域市場にまかせた方が良いかは、共同体の特性や時期、地域市場の発達具合により柔軟に考えれば良いでしょう。

共同体内のメンバーや団体等が負う個々の納税「額」については、各人・各団体が所有する土地の広さ・質および労働ポテンシャル(メンバーの年齢や心身の健康状態、職種など)からみて、「このぐらいは財やサービスを生産できるでしょう」という目安をつくって、それに基づいた生産物・労働時間・自然通貨あるいは取引証明書の提出を義務付ければ良いと思います。


※「晴耕雨読」にあります下記の記事も参考になると思います。
「『無徴税課税国家』という新しい仕組みについて」 開かれた地域共同体
http://sun.ap.teacup.com/souun/2148.html

>>>>>>
税負担の形態には物納・労役・金納とあるが、突き詰めればすべて“労役”である。

税としての“労役”(=活動力の提供)に、物納・労役・金納という異なる形態があると考えるべきである。

自由貨幣(政府貨幣)制度で徴税が不要になるのは、“労役”の対価としてペーパーマネーを支払うことで国家が先取りした“労役”を他の人たちに付け回して広く薄く負担してもらう仕組みになるからであり、税そのものがなくなるわけではない。
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また、政府の発行する自由貨幣(政府貨幣)ではなく、自治体(≒地域共同体)の発行する自然通貨(減価する地域通貨)とすることで、上記の記事で議論されている問題点の多くを解決することができると思います。もちろん地域共同体においても社会が直接民主主義に近い形態で運営されることが前提となりますが、国の政府という’巨体性’や’抽象性’に比べれば、問題が生じる原因の認識・把握や問題解消に向けての合意がはるかに得やすく、運営のためのハードルは低くなるでしょう。

多少注意すべきは、『消費行動を煽るそのような政策は忌避すべき』と言う部分ですが、「自然通貨」の運用では、自らの消費行動の結果が、すぐに見えるようになりますから、その消費行動により実際に自らの生活の向上しなければ、多少金銭的に優利な条件でも消費行動として選好されないと想像します。つまり、地域の環境や人間関係を破壊してまで消費をしようという気持ちに心理的なブレーキがかかりやすい経済環境が自ずと現れるということです。また、もしそれでも(参加メンバーの愚かな振る舞いが多くて)環境破壊やデフレ・インフレ等が生じるのであれば、地域の自治体の長が判断して、公共利益を確保するために通貨量や徴税の方法・税の使用用途などを適切に調整・選択すれば良いということになります。

おまけ:共同体メンバーもその長もそろって愚かな地域共同体は、やはり自滅するしかないと思いますが、そうなる前に、隣接する地域共同体にまともなリーダー(君主)がいるのなら、いっそ征服してあげた方が風土にとっても民にとっても幸いだと思います。また、いずれ幕府が出来たら、不良なお家柄はさくっと「取り潰し」て、別途君主を指定するのも「エコ」な統治法だと思います。
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地域における必須サービスは目に見ない『コモディティ(標準化・交換可能な必需品)』

2008-11-14 16:00:27 | Weblog
Cheeさんからの質問にお答えする形で、最近の平和党ブログの記事紹介をします。

>エンデの遺言でも紹介されているIthaca Hoursの記事を書きました。
>この地域通貨は、コモディティの裏づけがありません。労働時間が単位になっています。
>公共への労働や物品提供に対して、このタイプの通貨を発行するところから始め、やがてそれを受け付けるビジネス同士のトレードに広げていくというのはどうでしょう?

住民にとって常時必要なサービスというのは、目には見えない形での「コモディティ」であると考えます。具体的には自分が(ほぼ確実に)出来るサービスと他人が(ほぼ確実に)出来るサービスを通貨担保たる「コモディティ」として、とくに地域で必須性の高いサービスの交換⇒自給自足を促していけば良いという認識です。

Ithaca Hoursは現行地域通貨としては良いアイデア・システムだと思いますが、仝魂舛垢覽’修ないこと(よって、流通力に乏しいこと)、交換リングという方法が一般になじみが薄く、使いづらそうに思えること、(すみません、Ithaca Hoursは精巧な紙幣(減価機能なし)でした。詳細はこちらhttp://www.ithacahours.com/)サービスの量や質を保証・維持するための合意形成は単にIthacaなどを真似するのではなく、日本なら日本の地域社会の事情にあったものにする必要のあること、などが課題と思います。

よって、まず,砲弔い討ちんとシステムを作るときに初めから織り込むことが重要です。言葉を変えていえば、これを理解・許容できる共同体から始めるということです。また△砲弔い討蓮何か新たなアイデアとそれを実現する具体的な技術系の確立が必要だと思っています。そういうことが得意な人材を自治体などにリクルートするか、キームガウアーのように地域の学校や専門家などが協力して実現できれば良いと思っています。さらに言えば、そのような『人材のネットワーキング』を可能とする人材がグループ内の企画中枢にいることが重要です。活性のある組織には必ず『人材を活性化させる人材』がいます。
但し、本当に防犯・防災・救急が必要とされる「危急時」には、利便性よりも必需性が優先されて、多少使いにくくても、取引は進む可能性があることを指摘しておきます。

が実は一番重要だと思っています。目に見えないサービスを担保とするわけですから、実態のあるコモディティを担保とするのに比べ、サービスを交換するための互いの信用が重要となります。また、1対1の信用だけではうまくまわらないのが「人の世」です。ですからとくに初期においては、共同体の代表が自然通貨の発行やその担保となるサービスおよび取引市場を「オーソライズ」する必要があると思っています(このオーソライズを与える部分が日本の場合NPO・NGO主導では色々と限界や問題があると感じています。但し、今回はその理由についての議論をするつもりはありません)。例えば以下で紹介する平和党ブログの記事に出てくる『減価する市税免除券』などは、市税制度というすでにあるサービスシステムを利用した自治体の長による自然通貨市場の「オーソライズ」であると言えます。

目に見えない「コモディティ」を通貨担保とする方式では、まず自治体やPTA・商工会とかの共同体単位で、きちんとサービスの供給量と質を確保するための準備や合意形成を図ることが必要と思います。つまり自然通貨を発行する前に、きちんと自分達の共同体内で自給自足きる「サービスのラインナップ」を確認することです。またその時に、あんまり希望的な企画やラインナップではなくて、まずはとにかく必要で、サービスの時間と質を確実に保証できるもの(=『コモディティ化』できるサービス)からリストアップして、職業分担もある程度決めておくことだと思います(人物の固定化ではなくて地域に必要な役割の明確化と考えてください)。将来的には、多様なサービスを自然通貨で取引できるようになると思いますが、まずは共同体という「体」の基礎である骨(=自治組織やその長による自然通貨市場のオーソライズ化・提供サービスの担保化)と必須臓器(サービスを生み出す人・グループの役割分担と信頼=債権保障)がないと共同体内の「経済」に生命性(持続可能性)が生まれません。一度生命性さえ生まれれば、赤ちゃんが大人になるように経済規模の拡大および取引される財・サービスの多様化、生活空間や取引空間の重なる他の共同体との連携が始まると思います。このあたりの発展はお稽古ごとの「守・破・離」のように順番を追った発展(経験的な積み重ねとそれに伴う規模と質の変化)を意識する必要があると思います。これを逆転させて理想から考えすぎるとやはり途中で活動が止まるか、崩壊すると思います。

平和党公式ブログ:市町村によるスモールディフェンス
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/35465000.html

大坂さんのいうように、まずは地域の治安対策として防犯・防災を分担する人々を自然通貨で雇用するシステムを作るのが良い案と思います。具体的には彼らが地域全体や受益者のために使った「時間×質(役割の困難度)」に応じて給料や賃金を支払い、地域で供給できる他のサービス(あるいは財)と交換できるようにすればOKでしょう(市税免除券というのも市が税金で提供している各種サービスの割引券と同義です)。ただ、ここで忘れていけないのはやはりサービスの「質」の確保だと思います。大坂さんが度々指摘しているように、きちんと心得を持ったプロに、本当に困難な役を請け負ってもらわねばなりません。と同時に、それ以外の人にも自分にできる範囲でなるべく仕事を分担してもらう必要があります。つまり役割(リスク)や技能(スキル)に応じた給金の違いが必要であり、その「市場性」が共同体のメンバーに納得できるよう民主化・透明化されている必要があります。よって、始めは人材雇用および賃金体系に関する取り決めを共同体内で行い、その長の権限でもって「オーソライズ」する必要があると思っています。そして共同体の長が共同体内で交換可能なサービスの量と質に見合った規模の「自然通貨」の発行を保障することで、通貨が担保される仕組みです。

最近の事情を鑑みれば、医療サービス、介護サービスなども地域での自給自足が強く求められると思います。スモールディフェンス構築のための自然主義経済がある程度軌道にのれば、上記の二つについても同じような方式で自給自足を促すことが可能と思います。

目に見えないコモディティを自然通貨の担保とする利点は、現在すでにスキルのある人材(ソフトパワー)をうまく雇用(利用)できればすぐに実効性を確保できるので、財の生産に必要な資源管理や生産・流通・加工手段、リサイクル(廃棄)処理の最適化を考えなくて良いところです。実際の財の生産・管理において最適化を怠ると、経済的にはどんなに理想でも、実生活面でのエントロピー(環境や食品の汚染、資源の枯渇etc.)が増大して、暮らしにくくなる可能性があります(減価する通貨による経済下であれば、最終的には持続・循環可能な思考や手法だけに淘汰されていくと思いますが、その初期には色々と技術的課題も浮上するでしょう)。要するに人材の活用以外に自然の力を活用するための知恵や技術や文化が必要ということです。

但し、本当の本質としては、人間の提供するサービス業は重農主義で指摘されるように非生産業です。至極当前の事実として「人間は食物を食べないと動けない」からです。人間活動も含め目に見える形での地球上の全ての活動力や創造力(系内で増大するエントロピーを減少させ、生命を持続可能にする根源的な力)は、『お天道様』に起源があります(石油だってそもそもはお天道様の力で育った生物が地層の中で化学的に変化してできたものと考えられています)。

ですから、自然主義経済の導入をどこからやるかという短期的目標(目の前の危機への対応)と手段(目に見えないコモディティーの取引)が達成された後に、中期的な目標・手段としての食物・エネルギーの自給につなげていく必要があると思います。その段階で、目に見えるものと目に見ないものが各種自然通貨の担保となり、通貨の流通量および市場がさらに広がっていくと思います。

お天道様の力をどのように受け止め、人間が利用可能な形にすれば良いか。これについてはまたぼちぼちと記事にしたいと思います。ポイントは、再生可能エネルギーの生産業は基本的に農林水産業と同じ一次産業であるということです。それから、微生物・植物から運搬用の家畜までなるべく生物を介在させた方が、太陽の光を人間が効率よく利用できるであろうということです。

また、誰もが比較的使いやすいような減価する通貨の導入・決済方法などについても調査したりアイデアを練ってみたいと思います。
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政府・企業・自治・家族(平和党ブログから転載+α)

2008-11-09 11:32:16 | Weblog
ネット復活へのリハビリを兼ねて、平和党ブログの記事「政府・企業・自治・家族」に図をつけてみました。
図を描いて「見える化」をするのが結構好きなんです。ちょっと手抜きですが、まずはこの辺から。

http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/35379657.html

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横軸X軸に左は「公」右に「私」をとります。縦軸Y軸に上は「大」を、下は「小」をとります。

そうすると左上は「政府」、右上は「企業」、左下は「共同体」、右下は「家庭」があてはまると思います。

現代社会は、政府と企業が重視されています。経済政策は、政府寄りにするか、企業寄りにするか。社会主義的か自由主義的か、これがいつも思案されています。

近代西洋の価値観というのは、X軸の上を目指そうとしてきました。平和党はこの軸の下に行けば、軸の上をも満たすという考えに則っています。
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たぶん、このあたりは人間が作る組織というものをある種の生態系として考えれば、そこに生じるエントロピーの増大を避ける方法として、Y軸下側、すなわち「多様化・分散型」に向かうベクトルが必要という答えがあると思います。

実際の生態系やさらに生物の個体「体」そのものも、多様な小さきもの(種や細胞の一つ一つ)が大きな系(生態系や体)を支えているという構造になっています。なぜそうなるかというとおそらく組織(オーガニズム)の安定性というものを複雑系の中で実現すると自ずとそうなるという自然のルールがあるからだと思います。

すなわち単一・巨大化するほど、系の安定度は下がり(エントロピーが上がり)、多様・分散化するほど系の安定度は上がる(エントロピーが下がる)。また、系全体も階層構造が階層構造を包み込むようなホロン構造(曼荼羅)となっている。

このような考え方は、東洋的な思想で経験的に得られているものであり、また最近の科学でも「複雑系の科学」として認知されてきているものです。

今世紀においては、政治的にもそのような「ベクトル」を意識することが必要になるのだと思います。

そして、そのベクトルの出力が現実化し、多様化・分散型社会が実現したとき、系全体が成長するためのエントロピー的余地が生まれますので、「作用・反作用の法則」のように新たに全体がまとまって統合・ハーモナイズしていくベクトルが生まれると予測しております。

究極的には、自らが含まれる「組織」の物質面・心理面での変化を、ある位相差をもって自ら作り出していくのが人間という「生物種=組織細胞」の特徴なんではないかな、と思っています。私たちが自分自身をコントロールし、系全体をより良きものにするために発見すべき、思い出すべき方法・法則は、まだまだたくさん埋もれていると思います。
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平和党ブログから転載「1.減価通貨特区制度 概略」

2008-05-11 16:05:09 | Weblog
先々からのコメント等にお返事しなければならないことや書き溜めた記事などもあるのですが、仕事が忙しく更新が滞っております。申し訳ありません。

そこでというわけではありませんが、本日は、平和党公式ブログから下記の記事を転載させていただきます。自然通貨(減価する地域通貨)の導入による自治体経営のビジョンとポイントが具体的にまとまっています。

これは今後、国による年金・保険・医療システムの破綻や国際的な食料・エネルギー危機、恐慌にあっても、市町村の各自治体において地域民の生活・健康・命を守り、同時に自治体自身の破綻を回避する上で非常に重要な指針になると思います。21世紀の「持続的な自治体経営」を考える多くの方々に見ていただきたい記事だと思いますので、ここに紹介いたします。

http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/38280460.html
1.減価通貨特区制度 概略


首都圏・名古屋圏・阪神圏を避けた地域、人口規模がおおむね10万人以上の市を複数箇所、特定し、自然通貨の利用を行う。

【自然通貨の規定】
●自然通貨は発行日を記載し、毎月15日に、その額面の8.3333%を減額するものとする。
●市は、その特定地域ごとにショッピングモールとなるウェブサイトを作り、減価機能を持つ電子マネーでの取引を可能なものとする。加盟店は、その特定地域で事業を行う資本金一千万円以下の法人若しくは個人とする。

【運営方法】
●当該市役所において、職員の給与を市特定の通貨(以下、「自然通貨」という)で半額を支払うものとする。また、民間に委託する公共事業など、一切の支出を自然通貨で支払うこととする。

●市は、その役所内において食堂、売店などで自然通貨を使用できるものとする。

●市は、市立小中学校の学校給食費等を自然通貨で使用できるものとする。

●市は、市民税を自然通貨で受け取るものとする。

●市は、当該自治体の管轄する地域の範囲内において社会保険庁の年金に関する業務を行う。国民年金は、自然通貨での受取を可能なものとする。

●市は、介護保険特別会計において支出されている国・道府県が負担する37.5%部分を現金で受け取り、市が支出すべき12.5%部分は自然通貨で負担するものとする。この市の負担は、市による発行ではなくて歳入によって得た自然通貨で支払わなければならない。また、65歳以上の第1号被保険者と40〜64歳の第2号被保険者による負担は自然通貨での支払いを可能なものとする。

●当該市を管轄する道府県は、当該市内に主たる事務所を持つ労働者派遣事業者に対して、当該市内で事業を営む派遣先を促進し、派遣先において自然通貨使用を促進することを要請することができるものとする。
詳細
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/19189932.html
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/19189936.html

●市内において自給圏を構築するため、市は農林水産業の生産・流通に力を入れる。地元産物は自然通貨で取引できるように推進する。

●市は、現在開店休業中若しくは大規模小売店などの進出により閉店状態にある小規模の地域商店に対し、自然通貨の利用を促進することとする。

●市は、自然通貨を使用する業者でソーラーシステム、風力発電など自然エネルギーに依拠する方法を用いて発電するものを積極的に取り入れるものとし、市が管轄する公共施設について自家発電につとめることとする。

●市は、農林水産業などから発生する有機質の廃棄物について自然通貨を用いた方法で資源のリサイクルを促進するものとする。

●自然通貨は民間同士で活発に取引がなされ、高齢者福祉・児童福祉・障害者福祉などに活用されるように市は支援をする。

●市立病院がある場合、自然通貨での使用を認め、市民である当該市立病院利用者はその申請をすることによって、毎月一定の金額を当該市立病院に保険料を自然通貨で治めることとし、発病・怪我などの場合、当該市立病院は無償で治癒する責任を持たせることとする。市立病院利用者は、おおむね30世帯を一単位として、その単位世帯の中から一人でも発病・けが人などが出た場合は、完全に治療されるまでその単位世帯全員が保険料支払い義務を免れることができるものとする。


http://heiwatou.web.fc2.com

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インフレ懸念への回答と経済サイクルから見た減価する通貨の必要性について

2008-04-02 21:47:31 | Weblog
先の記事でNSさんから頂いたコメントは、とても重要な内容が含まれていますので、新たにここでお答えします。
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/206357b1580d916a0abd50f11f62db3e

>「減価する通貨」という考え方はすごいと思いました(それとも、この様な考え方自体は、みんなも既に知っている常識の範囲内のことなのでしょうか?)。しかも1930年代に既に採用されていて、成功までした制度だったとは・・・将来の経済のあり方(枠組)はこれかな、と直感的に思いました(そして、直感を大事にしたいと思います)。

「減価する通貨」や平和党の目指す「自然主義経済」の可能性を語るようになってから、しばしば感じるのですが、この本質を知るには、知識から入った人ではなく、NSさんのように直感から入ってきた人の方が深い理解に到達しやすいと思っています(私も経済学の専門家ではなくて、自然科学・環境学専門の科学者です)。

・平和党:自然主義経済とはなにか
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/35476743.html

「減価する通貨」による経済が本気で将来の経済の枠組みになると信じて語っている人はあまり多くはありません。少なくとも今のところは、少数派です。

それでも、日本においてこのことが人々に認知されるようになったきっかけは、NHKが作った「エンデの遺言」という特番があったからでしょう。
http://vision.ameba.jp/watch.do;jsessionid=83F9D8C78571016CD4943288BDE517B9?movie=566211

これは本にもなっています。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140804963/
良い本なので、ご一読をお勧めします。

この中で、シルビオ・ゲゼルという経済学者が提案した「減価する通貨」が紹介されており、これが全ての始まりです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%BC%E3%83%AB

シルビオ・ゲゼルについては、やはり日本におけるこの分野の草分けである廣田氏のホームページで詳しく紹介されています。
http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/index-jp.html

また、以下の「日本人が知らない恐るべき真実」にある「忘れられた経済学者シルビオ・ゲゼル」も参考になるでしょう。
http://www.anti-rothschild.net/truth/part1/05/part1_49.html

廣田氏の著書である「地域通貨入門―持続可能な社会を目指して」には、ゲゼルの考えに基づき、減価する通貨を地域通貨として利用するためのビジョンや国内外の様々な活動が紹介されています(これも非常に良い本です)。

私のブログは、廣田氏が示したビジョンなどを参考に、今日的な問題の解決や日本文化の底に流れる「和の心」や「やおよろず」などの伝統的精神の復活を目的として、実践的な行動に移すための準備として立ち上げたものです。この思いは、平和党という日本で唯一「減価する通貨」による経済や世の中の抜本的改革を目指す政党と一致しているため、その賛助党員として活動しています。

現在の経済全体の流れから見れば、本当に小さい活動ではありますが、このブログのリンク先やトラックバック先などを見ていただければわかるように、「減価する通貨」による経済システムが将来社会の「コア」になると理解している人は着実に増えています。

また、今検索したところ掲示板「阿修羅」にも「減価する通貨」に関する情報や興味深い議論がありました。これも参考になると思います。
http://www.asyura.com/08/idletalk29/msg/123.html

今は少数派ですが、ここで展開されている議論は、将来きっと花開き、歴史に残るものであると「直感」しています。


>まず、「減価する通貨」を用いた場合、「インフレ」が制度の内部に自動的に含まれることになるのか

そうですね。減価する通貨というのは、一見緩やかなインフレを人工的に起こすようなシステムのように見えます。ただ、これは経済的デメリットを生じるようなインフレとは異なります。まずインフレの内容は、単に貨幣価値が減少するかどうかだけでなく、実際に財やサービスを生み出す力(経済成長率)がどのように変化するかで評価が大きく変わります。

通常インフレは貨幣価値に対する財やサービスの全面的高騰を意味しますが、貨幣が減価するというのは貨幣を保有している人に対してのみ影響します。つまり、「減価する通貨」で手持ちの貨幣が100円が90円に減っても、世の中の財やサービスの「価格」が変化するわけではありません。しかしインフレにおいては財やサービスそのものの価格が変動します。とくに社会の生産力が低下する状態(経済成長率がマイナスの状態)で進行するインフレが悪性インフレ(スタグフレーション)であり、今所有していない貨幣、すなわち将来得る予定の収入も減ってしまうことを意味します。しかし、減価する通貨を導入したからといって、そういう事が起こるわけではありません。地域の生産基盤が維持されていれば、労働者や生産者は以前と変わりなく収入を得ることができます(当然、生産力が増せば収入も増えます)。

参考:ウィキペディア「自由通貨」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%B2%A8%E5%B9%A3

さらに減価する通貨は、退蔵がまず起きませんので、地域内使用に限定すれば、その流通量が容易に把握できます。つまり、中央銀行が経済の状況(通貨の退蔵量や経済成長率の変化)を読みきれず、誤って市場に通貨量を増やすような政策を与えてしまってインフレを招くというようなことはおきにくいわけです。

参考:中立貨幣「流通が保障されたお金」
http://www3.plala.or.jp/mig/neutral/ideas.html

よって、減価する通貨は上記の参考にあるようにデフレを防ぐとともに、悪性インフレもおきにくく、また消費を促す効果もあるので、社会の生産力を伸ばしてやれば、伸ばした分だけ、素直に「好景気」となるのです。

また、消費が伸びると環境破壊が起きるのでは?という疑問については、以下のような記事が参考になります。
http://www.anti-rothschild.net/truth/part1/05/part1_57.html

基本原則として、減価する通貨による経済は『お金よりモノそのものが強い』ので、お金があっても、ないものは買えません。しかし、必要なモノがないというのは困りますから、人々は何とか地元の環境や人材を有効活用して、なるべく簡単(省資源)な方法で必要なモノやサービスを作りだそうとするでしょう(そうした必要な産業育成のために減価する通貨を使って投資ができるように「エコファンド」や「エコバンク」を作る必要があります)。当然、地元の環境を破壊してまで消費するような気持ちはおきにくいと考えられます。

そもそも海でたくさん魚を取ったり、畑で商品作物を大量に作るのは、主にそれを売ってお金に代えようという目的があればこそで、「減価する通貨」を用いれば、自分が食べたり、地元で必要なもの以上の魚や作物をわざわざ作る人はいなくなります。また、このような流れから禁欲を必要としない「エコ生活」が自然に生まれるのです。


むしろ今の日本の実態として厄介なのはインフレよりも、デフレ型の不況やそれによる恐慌および自治体の破綻の可能性です。私は減価する通貨の利用がそうしたデフレ型の不況や恐慌・自治体破綻の根本治療になると考えています。現在まで対処療法的には色々と実施されてきましたが、それが限界に近づいているからこそ、今日のような閉塞感が生まれていると思います。

今、日本にはモノやサービスを作りだすための生産基盤や労働力は実際にはたくさんあります。生産の能力的にはすでに満たされているといって良い状況です。一方でこうした状況というのは、終戦の荒れ野原から立ち上がる成長期に比べ、もうあまり経済的に『成長』できる余裕や必要性(人々が真に求める需要)は薄い状態です。仮にここではこの経済的に『成長』できる『余裕・必要性』のことを「伸びしろ」と呼びましょう。

先に荒っぽい結論を言ってしまえば、利子のある通貨でまともな経済成長(=誰もが富を実感できる成長)が達成できるのは、この「伸びしろ」がたくさんあるときだけなのです。つまり、安く良質な資源や労働力がすぐに調達でき、財やサービスが作れば作るほど売れる状態です。そして、この「伸びしろ」が小さくなったとき、本来「利子」のある通貨はもう使ってはいけない状況になるのです。なぜなら、資本主義経済で財やサービスを作りだすためには、まず『投資』すなわち銀行から『借金』をしないといけません(自身が企業を立ち上げる当事者になった気持ちで考えてください)。事業に投資した資金を回収し、銀行に返すためには、常にそれを上回る利潤を上げなければなりません。

しかし、「伸びしろ」が小さいということは、資源が足りなくて(価格あ上がって)、労働者の賃金も上がり、市場や社会にモノが溢れて需要が小さいということですから、いくら企業が頑張って「合理化」をしても、なかなかそれに見合った利潤が上がらない(モノが売れない)、借金だけがかさむという状況になってくるからです。

・見過ごされているお金の問題:その
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/8b6db4ed4e50a6a2b4148b1ad6e7e3fa

資本主義経済(および政府が民間企業にかわって経済活動をする社会主義等の修正資本主義経済)において、銀行や国が設定する金利は0%以下に設定できません(また現在の金利が0%になっても、過去の借金に対してはそれまでの利息はすでにカウントされていますから、結局借りた人は余計にお金を返さねばなりません)。結局実態のない借金金額だけが増加し、モノは溢れているのに、現実に社会に出回っているお金が足りないというアンバランスな状況(デフレ)になります。この状態を回避するためには、中央銀行がお金をバンバン刷って(あるいは個人の貯蓄口座から市場にお金が出てくるような金融政策を実施して)、市場にお金を供給(量的緩和)すれば良いわけですが、これも結構問題があります。なぜなら、経済実態とリンクしていない金融政策は、やはりインフレを起こすかもしれないし、その影響がどう出てくるか、完全に予測できないからです。

参考:国家破綻研究ブログ「量的緩和の解除(2) 経済成長率と物価上昇率で考える、インフレの足音」
http://gijutsu.exblog.jp/3311039/

上記のブログの図にあるように「景気」というのは物価の上昇・下落だけなくて、むしろ経済成長率の増減が極めて重要なのです

また、民間企業自身は、単にデフレ不況のような状況に甘んじていては倒産してしまいますから、マスコミや色んな方法を使って需要を掘り起こしたり、サービスを多様化させて「ニッチェ」を争ったり、手持ちの運用可能な資金を様々な「金融商品」に投資して、お金(利潤)を膨らませようとしたり、無理にでも産業の合理化・効率化を進めて、利潤を上げようとする流れになります。

よって、「伸びしろ」がなくなってくると、まず土地や金融商品など財やサービスの生産には全く関係のない「投機対象」に、お金が流れ込んで、バブルが起きるのです。バブル崩壊後は、いよいよ膨張する借金の圧力に押されて、無理に生産活動の「合理化・効率化」が進められ、労働者の収入(給料)は上がらないのに、市場にモノだけがあふれて「デフレ」の悪化が進みます(ついでに環境破壊の深刻化も起きます。今日本であんまり環境破壊が起きていないように見えるのは、中国その他の途上国に実質的な生産拠点が移っているからです。今中国等ですさまじい環境悪化や公害が進んでいることはご存知でしょう)。また、この間、マスコミ等を使って、今まで人々が必要を感じていなかった財やサービスを「欲しい対象」だと思わせる「洗脳」がこれでもかというほど起こります(この過程で色んなモラルハザードがおきます)。どれもこれも、相当無理をしたり、いかがわしいことをやらないとお金を増やす(投資に見合う利潤を得る)ことができないという状況なのです。

しかし、利子のあるお金(借金)は指数関数的に増えますが、現実に存在する人間の労働力や資源量は有限であり、技術革新も、指数関数的には増えません(IT技術のように初期にそう思えるものはありますが、それもすでにバブルがはじけました)。

最終的に「安全な金融商品」も全くなくなり、生産基盤の合理化・効率化もこれ以上はできないということになれば、生産設備や市場に財が余ったまま、人員削減すなわち人々の労働価値が暴落して、結果として失業者が多発したり(過剰な能力主義が唱えられて人心が荒んだり)、生産拠点が人件費の安い外国に移って、ついにじりじりと経済成長が落ち込んできます。そうなると企業の利潤も、国家の税金収入も、全て減ってきますので企業・国家・自治体の借金が返済不可能な状態で増えていきます。この状態が恐慌・破綻です。

で、この状況をリセットする手段は実際のところ二つしかありません。一つは馬鹿馬鹿しいことですが、わざと過剰な生産設備を壊し、財を消費しまくるということです。これは、人々のたまりまくった不満を利用して戦争や内紛を起こせば可能です。つまり戦争・内紛で過剰な設備は破壊され、財の消費だけが進むので、インフレが出現し、さらに進むとお金が全て紙くずとなって、通貨および借金がリセットされます(当然「伸びしろ」も復活します)。

別の道は、国家や自治体自身が破綻を宣言して国民や企業や外国勢に借金帳消しを求めて、通貨価値をリセットすることです。つまり、ある日通貨に「-1000%」のようなべらぼうなマイナス利子を設定して、関係者全員にそれを納得させるようなものです。(そんなことなら、初めから緩やかなマイナス利子をつけておけば良いのだ。という発想も「減価する通貨に」つながります)。

結局わざと破壊的なことをやるか、短期的にべらぼうなマイナス利子を関係者全員に鵜呑みにさせるかしないと「振り出し(伸びしろの大きな状態)」には戻れないのです。

そんなバカな、と思うかもしれませんが、資本主義経済というのはこうしたバカバカしい「サイクル」から基本的に逃れられない「ルール」になっているのです。実際に経済サイクルと歴史上の事件の連動を解析すれば、以上の通りにサイクルが進行していることがわかるはずです。

・国家破綻研究ブログ「預金封鎖の実例(1)アルゼンチン」
http://gijutsu.exblog.jp/5109823/
・国家破綻研究ブログ「戦争は最後の不況対策」
http://gijutsu.exblog.jp/2501924/

もちろん以上は非常に荒っぽい説明です。詳しくは述べませんがケインズ型の政策やマクロ経済=個々の企業体の利益より、国全体を経済発展させるための視点に立って、お金の流れを政府や企業が適正化し、「内需」を拡大させれば、このサイクルの美味しい部分だけを長引かせることはできます。しかし、こうしたことを行うには政府も企業も、自らのみが儲かるであろう「部分最適」の解を捨てて、国民全体の所得を上げるような賢明な政策を選択せねばなりません。私は今の状況でそれを実施するのはなかなかに難しいと考えています。企業や国が完全に「部分最適」な行動を捨て去ることはできないと思っているからです(これは彼らがアホなだけでなく、やはり利潤を上げるという即物的な魅力の前に完全に打ち勝てる企業や政治家がいないと思うからです)。よって、これも「根本解決」に繋がらないと考えています。

結局、根本解決への道筋を見つけていたのは、ケインズではなくて、「ゲゼル」だったというのが我々の認識です。ゲゼルは、現在の「1サイクル前」に以上の実態に気がつき「減価する通貨」を提案したのです。そして実際に世界恐慌においてオーストリアのヴェルグルでその成功例が生まれたのです。

大戦後、彼は忘れ去られました(戦争による破壊およびその他の理由により「伸びしろ」が復活したからだと思います)。しかし、先に述べた「エンデの遺言」により、復活し、現在の閉塞的な状況を打破するための道しるべとなっています。


減価する通貨による「自然主義経済」を導入することにより、我々は以上のような危険なサイクルを繰り返す「お金の圧力」から解放され、財やサービス、それらを生み出す『人』の価値が正しく評価され、本当に人々に必要で望まれる財やサービスだけが行き渡るような経済システムになります。

また、自然主義経済は市場経済です。良いものが高く売れ、悪いものは安くなります。何が良いか悪いかは消費者が決めます。神の見えざる手というのは「自然主義経済」において初めて実現されるものです。なぜなら、通貨も自然物と同じように減価する(腐る)ことによって、初めて「自然な振る舞い」を示すからです。また、これを地域で管理することで、自主自立の経済が可能となるのです。


最後に少し話しはそれますが、公教育で習う近代史では、ここで指摘したような経済と社会の変遷をまともに教えていません。一番隠されている部分は、間違った経済システムが多くの悲惨な戦争の誘導要因になっていたということです。軍国主義や軍拡競争がどうこうというのは、実は戦争の「本当の要因」ではないのです。それらはむしろ間違った経済システムが引き起こした「結果の一つ」という見方が正しいでしょう。

また資本主義経済のばかばかしいサイクルになぜ多くの人が気付かなかったのかというと、おそらく以下の要因が複雑に絡んでいたためです。

1) 初期のインフレから始まって、最終的に恐慌を起こして振り出しに戻るサイクルの周期が10年間隔以上あり、短期的な揺らぎもある。
2) 「システムの原理」がわかっている側(銀行や大資本家)から見れば、直接的にお金の出し入れを調整したり、政治家を通して間接的に政策を動かせば、上記のサイクルを早めたり、遅めたりもできる。つまり意図的な景気の演出が可能。その結果、大きなトレンドを隠し、細かな変動に人々の目を縛りつけることができる。
3) 近代化により技術革新や輸送力の向上が起きたため、生産効率が大きく伸びたり、新たな資源供給や市場の拡大が進んだ。これによって、閉じた系を仮定する静的な経済モデルなどでは上記のサイクルが最終的に破壊を伴うものであることをきちんと予測できなかった(上記で私が指摘している「伸びしろ」が時間的、地域的に大きく変動した例がたくさん起きた)。
4) 教育やマスコミによる歴史改竄・隠蔽・責任転嫁(経済的理由ではなく、軍事や民族主義に偏ったリーダーにより戦争が起こったなどとする「知識」の刷り込み)。また教育・マスコミによる新たな価値観の植え付けは、「需要」の変化を起こすため、これも静的なモデルが成立しにくい条件となっている。

このような条件にも係らず、やっと判る人には判るようになってきたのは、「グローバル化」が進んで、その極相が現れようとしているからだと思います。簡単にいうと世界が「閉じた系の静的なモデル」に近づいているため、資本主義経済がこのままではにっちもさっちも行かない状態に突入することが多くの人に「感じれる」ようになってきたのです。

そして、今後、世界や日本はデフレ不況や恐慌・スタグフレーションを迎える可能性が高くなります。ただ、このこと自体は、見方を変えればあまり深刻に捉えすぎる必要もないことです(むしろそうした危機を煽って、人々を間違った方向に導こうとする似非指導者にこそ注意すべきです。例えば、小泉氏がやった郵政改革などがその代表です)。国や自治体の借金が積み重なっているからといっても、実はそれはバーチャルな数字が増えているだけです。最も大切なことは破綻や金融危機などが起こっても、生産基盤や社会基盤がしっかり維持されていることです(そして何より自分が健康体であること)。そうであれば、国家や自治体が破綻して、少々貯金がパーになったとしても、すぐに復活することができるはずです。少なくとも戦争に利用されて、命を失うより100倍マシです。

そうした状況を乗り切るためにも減価する通貨による地域経済の自立が必要となるのです。

長くなりましたので、その他のご質問にはまた後日お答えいたします。
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エコ経済システムを作るきっかけは、地域がロスト・ジェネレーションの痛みを共有することからはじまる

2008-02-02 12:40:34 | Weblog
以下は関さんのブログ「代替案」の記事
「廃県置藩後の社会」および「赤木さんの「希望は戦争」について一言 ―新年のあいさつに替えて―」に関連するお答えです。非常に興味深い記事ですので、はじめての方はまずはそちらをご一読下さい。

私も基本的に「廃県置藩」を進め、州の導入は必要ないと思います。ただ、私は三層構造「村・藩・くに」の中で「村」を一番重要視しています。これが地方自治の最も重要な単位です。規模としては中学校の校区相当をイメージしています。この規模であれば、「身の丈」の直接民主主義がなりたちます。親も子も老いも若きもそれぞれに役割と責任を負います。「村」は、「藩」がなくてもぎりぎり自給自足できる最小の「自立」共同体です。ここでいう「自立」とは、『防犯・防災・祭(武人役)』『教育・立法・司法(賢人役)』『経済・行政・保険(商人役)』の全てを共同体内の住民が分担して自給自足できるという意味です。それぞれの分野にリーダーの「かしら」をおき、「としより」「おとな」「わかて」「こども」の4世代が全分野に関与します。また各世代に「まとめ役」をおきます。もちろん各分野のかしらと村長、まとめ役は民主的方法で選ばれます。

藩は基本的には村間の調整機関であり、各村が連携して対応すべき課題(大規模防災・防衛体制・村間利害調停のための司法・立法、地域インフラ整備・産業高度化等に係る行政指導)を担当します。「くに」は同様に藩間の調整機関となります。究極の小さな政府指向です。通貨も藩札からではなく、まず「村札」を発行します。各村の「村札」経済が活発になって、各村のリーダーが「藩札」があったほうがよいと思う合意ができてから、藩札を発行するという流れです。しかし、藩札の使用で何か問題が起きたときは、すぐに「村札」で経済鎖国ができる能力と権利を共同体は有することとします。

組織というのは、大きく仕切っても、小さく仕切っても、大抵そのうち2割がよく全体をみて働いて、残り8割程度は、その2割メンバーの働き・指導に依存して生活するという形になります。これはありんこから人間までおおよそ「社会」を形成する生物に特有の「法則」です。ですからなるべく、構成メンバーどうしが互いの「顔」がわかるような小さな組織(役)に分けることで、どの分野でも2割の人(かしら・まとめ役とその候補)が良く働くようになり、8割の人が2割の人を尊敬しながら、安心して生きる社会になる、という考えです。つまり「鶏口となるも牛後となるなかれ」で、各村・各分野・各世代に、大勢のリーダーやリーダー候補が生まれる環境を作ります。もちろん村長とかしらは、「寄り合い」を作って、互いのコミュニケーションを厚くします。一方、村は平時には外に対して開いており、人々の移動は基本的に自由です。また、情報やモノもITネットワークを活用して、村外からいつでも手に入れることができます。以上が私の想定する「開かれた地域共同体」です。

参考リンク
・「開かれた地域共同体」についての粗雑なイメージ (晴耕雨読)
・国民の八割(平和党公式ブログ)

ちなみに有利子である「日本円」と「地域通貨」をバランスさせるには、後者は無利子ではなくて、マイナス利子であることが重要です(陰陽の貨幣の力をつりあわせるイメージです)。無利子であっても、貨幣の「退蔵」は可能です。そうなるとモノと貨幣の交換速度が遅くなり、地産製品の再生産や労働力需要を押し上げません(現在導入されている多くの地域通貨に社会を変革する力がないのはマイナス利子でないことが一因でしょう)。このあたりは、ちょっとすぐには想像できないかもしれませんが、実際に導入すればすぐ判明することと思います。かつて、オーストリアのヴェルグルでは、マイナス利子の紙幣(月初めにその額面の1%のスタンプを貼らないと使えなくなるシステム)を労働証明書として出して成功しましたが、今ならIT技術とネットを使って、「自然通貨ポイントカード」などとして導入すればずっと使いやすくなるはずです。

参考リンク
・ヴェルグルの労働証明書(アンチロスチャイルド同盟)

私は以上のようなシステムを作るきっかけとしても、財政赤字や少子高齢化で苦しむ地方の自治体、「村」にあると考えています。まず、村民の自主改革意識を前提として、自治体が「エコ・介護事業人材派遣業」を、組合・地元企業・自営業が「エコ公社」「介護公社」を立ち上げて、最低限の日本円と地域通貨の「ハイブリッド給料」でワーキングプワー等の「金融被災者」を雇います。村民は、働き手を確保し、地域の自然環境維持・活用と老後の安心を手に入れ、「金融被災者」はやりがいのある仕事と安心・安全な食べ物・住処が保証されます。上手くいけば、自治体の赤字を増やさずに、これまでお荷物だった産業が、地域環境と社会を復活させる産業となり、都会の賃金労働者が地方に移住したロスジェネ世代を「うらやましく」思う日々が来るかもしれません(当然ながらエコ事業を進めれば、温暖化対策にもなり、CDMで都会の企業との取引も可能となります)。ポイントは、地元が一体となって自主改革へ向かう気概を持つこと、そして地方の良質な自然環境こそが実はひとを養う大きな「資源・資本」であったことに気付く(思い出す)ことだと思います。

参考リンク
・ネットカフェ難民などの失業問題(平和党公式ブログ)
・「日本には資源がない」などという勘違い(平和党公式ブログ)

あとは政府が地方に持続可能な内需産業を造り、それを伸ばすことこそが、最終的に日本を救い、世界を救うということに気が付くだけです。
また良く勘違いされるのですが、自然主義経済・エコ経済システムは資本主義経済やケインズ的政策を否定するものではありません。並存が可能なシステムです。相手の不完全さを補完しつつ、包み込まれると同時に、包みこむ関係です。これは以前示したこちらの図を見ていただければ、消費者・生産者・労働者・住民は日本円(外部市場)とEマネー(エコマーケット)のどちらを選ぶことも自由であることがお分かりいただけると思います。

自然の豊かな地方に「エコ経済システム・開かれた共同体」を包摂すると同時に、世界市場で通用するハイテク製品と芸術作品(サブカルチャー含む)を作る国家、これが近未来の日本の姿ではないでしょうか。

参考リンク
・世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL188(復活!三輪のレッドアラート)

すでに条件は揃いつつあると思います。
しかし、そこに生まれ変わるには、ワーキング・プワーやいわゆるロスト・ジェネレーションの痛みをもっと多くの人が切実に味わう必要がある。世の古びた「既得権」にしがみつく人々、次の世代を育てる本来の責務を忘れ、保身とごまかしに染まった人々、あなた達こそが「痛み」を味わう必要がある。己が地面に叩きつけられる前に、ロスト・ジェネレーションと心象を重ね合わせることができたものだけが、トランス・モダンな変化を幸せへと導くことができるだろう。

参考リンク
・「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。

参考リンク引用
・ロスト・ジェネレーションに捧げる詩(『海舌』the Sea Tongue by Kaisetsu)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
心配しなくて良い。
もうすぐ、周囲の皆が、あなた達の隣人になる。
じっと、しているだけで良い。
決して、他人、特に政府を頼っては駄目だ。
自分の頭で考えて、自分だけでできる暮らしをしている、あなた達は先駆者だ。
アジア通貨危機後の東南アジアで、私は現地で多くのロスト・ジェネレーションと生活を共にした。それより前、韓国の光州事件の時も、私は、やはり、当時のロスト・ジェネレーションと共に、ソウルに居た。南米の苦悩は、多くのNGO活動家から見聞きしてきた。
過去の戦争を引きづった人生を続けておられる方々も、誠実に直視する方こそ、やはり、ロスト・ジェネレーションだ。
日本のロスト・ジェネレーションの皆さん。
皆さんは、国際連帯している。
あなた達の心象風景は、アジア、アフリカ、南米の民と共に在る。
ホリエモンも無一文、いや、早く借金を背負って、ロスト・ジェネレーションの仲間達と暮らすことだ。ロスト・ジェネレーションと共に暮らすことが、唯一、ホリエモンの知性が輝く時だ。
タイの貧民街から外交官テストに合格した少女が居ることを私は知っている。姉から貰ったボロボロのマレー語の教科書で勉強している中国人の小学生を私は多く知っている。家にテレビも無い子供が、金持ちの家でCNNに噛り付いている光景をインドネシアやフィリピンで見たことが大いに在る。
エジソンも、あなた達の同胞だ。アインシュタインも、あなた達の隣人だ。ライス国務長官も、あなた達と同じ心象風景を共有できるだろう。
もうすぐ、80%の日本人が、あなた達の同胞となる。
世界を席巻するフラット化の結末だ。
庶民は、世界中、皆、同じ背の高さで暮らすんだ。
いや、今は歓楽街でソファーに踏ん反り返っている連中や朝昼晩と馬鹿げたテレビに興じている御夫人達が、今度は、あなた達に頭を垂れる時が迫っている。
今度は、あなた達が慈悲深い目で、この新しい同胞に接してあげて欲しい。
勿論、これまで、やられた付けは、きっちり、返してもらえよ。
ロスト・ジェネレーション!
良いネーミングじゃないの。
あなた達には未来がある。辛さを経験する時間が在った。
でも、新しく来る日本人の80%の連中には、「未来も無いのだ。」
だから、温かく迎えてあげようよ。
生贄には、しないであげて欲しい。


(注:朝日新聞の特集記事を読んで。)
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近代の「超克」(ポスト・モダン)から「包んでこえる」(トランス・モダン)世界へ

2008-01-31 22:06:43 | Weblog
参考リンク

・Theories for the Platonic Synergy Concept.
「質と量との関係を数的に表現する。」
http://theory.platonicsynergy.org/?cid=31404

・未来からの風
「風の便り」
http://www.hiroshitasaka.jp/tayori/

・人として生きる!
田坂広志「風の便り」 第83便 「ゲーテのすべて」
http://plaza.rakuten.co.jp/ozawaseiji/diary/200801220000/
田坂広志「風の便り」 第82便 「知識人の落とし穴」
http://plaza.rakuten.co.jp/ozawaseiji/diary/200801150000/

・松岡正剛の千夜千冊
宮澤賢治『銀河鉄道の夜』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0900.html

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気になる理論・法則

2008-01-18 17:41:58 | Weblog
最近、不連続的差異論、あるいはプラトニック・シナジー理論というのがあることを知りました。

はてな-Diary-Keyword:不連続差異論
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%D4%CF%A2%C2%B3%C5%AA%BA%B9%B0%DB%CF%C0

はてな-Diary-Keyword:プラトニック・シナジー理論
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D7%A5%E9%A5%C8%A5%CB%A5%C3%A5%AF%A1%A6%A5%B7%A5%CA%A5%B8%A1%BC%CD%FD%CF%C0

不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論入門講座
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913

Platonic Synergy from Economics to Platonics
http://main.platonicsynergy.org/

Theories for the Platonic Synergy Concept
http://theory.platonicsynergy.org/?cid=30509


私も一応科学者の端くれなのですが、数学にはそれほど強くありません。その道にはその道の天才がいるものです。だから、上記の理論的な妥当性に言及したいとは思わないし、その資質も(たぶん)ない。

ただ、これは直感なのだけれども、上記の理論が、人類が自然主義経済へ移行する必然性とその意味を説明する可能性があると思います。また、サルカールの社会サイクル論は、この理論から導かれるマクロレベルの答えではないかと思う。
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/tachibana/post_295.html
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/batracycle.htm

自然主義経済の根本には、『即非』や『-1の生む豊穣性』がある。
http://theory.platonicsynergy.org/?eid=693367
欠損が豊穣を生み、豊穣が次の豊穣のための欠損を生む。
これは物質と精神が奏でる振動・律動の進行だろう。
美しいオイラーの公式が、社会化されていくことに感動する。

これで「千と千尋」で片道通行だった電車が、実数世界と虚数世界を往復できるようになる。

(蛇足ですが、拙論『商取引の根源的な意味から問いかける「増殖する通貨」の危険性』
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/846d2ac28ecdfad403de3f15f1efeb48
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/1c47d937efa2251b0d60d4d09ab698c2
は「欠損の生む豊穣性」を指摘するために、現実とすり合わせるための思考実験でした)

ただ、私は、哲学者や科学者の描く理論が新たな現実を生むのではなく、現実に起きつつある事象に基づいて、後から気が付いた人が説明可能な理論を構築するのだと思う。これらの「プレ」理論がさらに成熟し、一般的化・実用化されるには自然主義経済という実践が必要だと思う。実践は理論からではなく、庶民の直感から生まれる(例えば、このようなプレ理論からは、東洋と西洋文化の融合、あるいは新たな東洋思想による西洋思想の『包み込み』が想起されるが、そうした現象はすでにサブカルチャー分野で先行し、大衆に支持されている。坂本龍一の音楽などがその代表だろう)。

また先日、平和党ブログで議論した自己組織化の理論がこれらと統合される日も近いような気がする。
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/29837196.html
http://ameblo.jp/renshi/entry-10063397929.html
http://blog.kaisetsu.org/?eid=521428

もっと言えば、現在、スピリチャルな領域で扱われている「引き寄せの法則」や「鏡の法則」ですら、いずれこうした新理論の発展の中ですんなり説明される日が来るような気もする。
http://blog.sbcr.jp/hikiyose/000854/
http://coaching-m.co.jp/payforward.htm

これらは、みな今はまだ科学以前なのかもしれない。オカルトだと一笑されるかもしれない。しかし、自分の直感を重視してここに記述しておきたいと思う。

なぜかというと「ああ、やっぱ俺って先見性あったなぁ」と数年後〜数10年後に自己満足でムフムフしたいからです(笑)

うん、あとは「創造の成果を行動で楽しむ」ことにしよう。
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「一神教」の問題と近代の超克

2008-01-08 21:43:49 | Weblog
下記のろろさんのエントリーへのコメントなのですが、話が非常に大きくそれてしまうのでこちに描いておきます(素晴らしい内容のエントリーで、コメントも充実していますので、はじめての人はまずそちらをごらんください)

『日々是勉強』【情報操作】メディアリテラシーというものを教育できるのか
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-89.html

>>>>>>>>>>>>>
>本来のPublicというのは、共同体内のPrivateな経験の積み重ねの
>中で育まれ、言語だけに頼らない「合意」として蓄積されていくものだと思います。

  転倒しているんですよね。具体的な生活なり感情なり経験があって、それに言葉をつけるというのではなく、言葉が先にあって、これに生活や感情を隷属させようとしているのです。そういう点では、右翼と左翼は全く同類です。
  聖書に「初めに言葉ありき」というくだりがありますから、彼らは実は一神教信者なのではないでしょうか?
<<<<<<<<<<<<<<

いわゆる言葉で書いてある理想に隷属してしまう教条主義的な右翼・左翼は確かに「一神教的」ですね。

ただ、一神教そのものについては、少し元から考えてみる必要はあると思います。

まず、素人ながらに一神教の根本は何かということを考えるのですが、おそらくそれは「明示的な万能の理性」を権威とする父権的な共同体文化なのだと思います。言葉というのは理性の明示化であり、宇宙の諸相は(究極的には)「全能の理性=父なる神」の言葉で言い表すことができるし、「実際に」そうなのだと。で、これは良い悪いではなくて、そういう自然条件にある共同体には自然にそういう文化・宗教が発生するのだと思います。

つまり、食糧生産に向いた土地が限定的で、広い地域に点在する共同体どうしが互いに交易等を通してなんとか生きていけるようなところでは、どうしても家族や個別共同体を越える超越的・抽象的でかつ明示的な存在にジャッジを委ねる必要がある、すなわち取引上の正当性を皆が認める「一つの神」に保証してもらうという必要があったのだと思います。また、そのために使われる「言語」にも、嘘偽りのない厳格さと「力」が備わっていると同意形成をする必要があったでしょう。また、この延長上に普遍的な取引媒体である「貨幣」が発明されたのも自然な流れだと思います。

ここで、貨幣が単なる交換手段であるなら問題ない。父権的な一神教の教義そのものも、抽象的な概念・契約の範囲にあれば、実際の取引、すなわち共同体どうしの存続を維持するものである限り、何の問題もない、というよりも必要な文化であった。

これが問題化するのは、父権的教義が特定の人物や組織、あるいは貨幣のような形で実態化・固定化してしまったからだと思います。本来、伝統的宗教はそういう概念の固定化・実態化(仏教用語でいうところの『法執』)を抑えるために様々な制御機構を有しています。例えば特定人物・組織あるいは偶像崇拝の禁止であり、利子取得の禁止であり、万物の流転・循環を意味するメメントモリ・無常観であったはずです。西洋の宗教に問題があるとしたら、伝統的宗教から「誰か」が巧妙にこの制御機構を無効化または「逆転」させて、大衆支配のために悪用した部分だと考えています。

私は、このアイデアを思いついたのは、ローマ時代の「被差別民」だったと推定します(あまり大きな声では言えませんが、キリスト教がローマで国教化された頃に活躍した教父たちの背後がとても怪しいと思っています)。その実際の仕掛け人が、カルタゴ後のフェニキア人か、ユダヤ人か、その特定はともかくとして、『彼ら』が積年の恨みと自己の身の安全を守るために先祖代々に渡って人間支配のノウハウを練り上げたと推定しています。これにより、かつての被差別民が、宗教闘争により「選民」となり、その後また新たな被差別民が多大な犠牲を払って次の「選民」になることを繰り返してきました。その度に宗教が本来守るべき共同体が崩壊し、滅亡した過去の民族の「怨念」が「狂った父」に注ぎ込まれたのだと思います。すでに守るべき共同体のない「狂った父」は、ただただ地球上の生命を去勢し、服従させるだけの存在になっていきます。

つまり、現在我々が、「一神教」や「科学万能・唯物思想」として否定的に見るものの根本は、本来の伝統的一神教ではなくて、以上のような過程を経て父権性があまりに肥大化した「破壊カルト」なんだと思います。その父権的力の象徴が指数関数的に増殖する貨幣であり、国際金融資本は、共同体を失った人間が狂った父の力にとても強く惹かれることを知っており、それ利用している、ということだと思います。このような心性を持つ人が増えれば、あとはなるべく民衆が分裂するような教義・理念・法を与えて、それぞれに狂った父を掲げて(自称)「被差別民」であるという認識の下に、互いに憎しみあって殺しあい、その結果として『彼ら』に利益と安息の時を提供するという仕掛けが完成します。

以上は私の極めて大雑把な推察です。ただ、この推察が正しければ、すべての始まりに、宗教の制御機構を「逆向き」にすることで自らが得をする方法を思いついた人間嫌いの大天才がいます。そして、なぜ彼がそういうことをしたかというと抑圧の歴史の中で、心に大きな「トラウマ」を抱えていたから、だと思っています(私が嵐の湖の底に垣間見た船は、この「トラウマ」でした。要するにカルトに染まったり、○○思想に染まって、自殺したり、仲間を殺すような人には、深い「トラウマ」があるということです)。

さらにその後、「狂った父」の象徴であり力である貨幣を増やすための様々な発明が生まれ、多くの人にトラウマが増殖し、世界規模での「うねり」となっていったのが「近代」でしょう。だから、この流れを断ち切る最もシンプルな方法は、「狂った父」と直接戦うことではなく、そういうトラウマを持った人間をなるべく生まない社会にすることです。またはそういうトラウマのない人々がよく活躍できる社会にして、その中で自然にトラウマを持った人々がそれを消化するのを待つことだと思います。

最近、私は日本人や伝統的な共同体感覚が残っている人々に期待されている役割があるとしたら、そのような世界に広がる「トラウマ」の増殖を抑え、ゆっくり溶かしていくような「セラピスト」になることではないかと思うことがあります。

宮崎駿は、映画「千と千尋」の中に登場する「カオナシ」を死の世界(沼地)からやってきた過去の欲望やトラウマに縛られる哀れな亡霊として書いていますが、あれは実際のそういった人間の(悲しくもどこか同情できるような)弱い心性を描いたものでしょう。弱い心性であるからこそ、他人に対して過剰に服従を強いる態度にでてしまう。ニーチェは近代のキリスト教が抱える「ルサンチマン」に気が付いたけれども、それを昇華する方法として、やはり父性的な発想しか持てなかったのが彼の限界ではないでしょうか。人々の心の中に広がる「カオナシ」のトラウマに、どのように対応していくのか。一つの方法としては、母性的な心性を持ちつつも、父性・母性双方の価値観を行きする勇気を持ったセラピストの育成であるように思います。

「千と千尋」を含め、最近のアニメやマンガで「戦う少女」や「普段頼りないけどやるときはやるみたいな少年」が多くでてくるようになっているのは、そうしたセラピストが現れてくることを待ち望む民衆の潜在的意識の現われだと私は思っています(ろろさんの好きな、というか私も好きだったサザンアイズのパイや八雲もその典型例であると思います)

映画「千と千尋」では、頼りない少女が人生の守・破・離を見事に成し遂げて、崩壊しかけていた世界のセラピストとなる様子が明快に描かれています。もちろん、現実の解決をはかるためには、映画とは異なった「守・破・離」のプロセスを個々人が成し遂げる必要があります。

そこでまずは『守』として、我々はなぜ日本が、明治維新という選択をしつつも、近年まで、そして現在でも、なんとか耐えてこれたのか、ままならない現実に憤るだけでなく、自らの存在と今日の気付きを支えてくれた有形無形の背景に想いを馳せる必要があると思っています。

私は単なる東洋的アニミズムの他に、我々の日本には多くの民族的な悲劇とそれを乗り越えてきた歴史があり、それに伴う深い心性の進化があったと思っています(先の大戦における犠牲というものもおそらくそうした歴史の中に位置づけてはじめて昇華できるものではないかと思っています)。民族としての蝦夷、氏族としての物部は滅亡してもその心性は後の世に引き継がれ、広がりました。すなわち鎌倉仏教として後の世に花開き、さらに江戸文化の繁栄にもつながりました。日本列島という風土が、様々な民族や文化の受け皿となり、東と西で大きく律動してきた歴史には、(多くの犠牲を生みながらも)縄文の心性が消えることなく、様々なものを溶かし込む「溶媒」へと進化(自己変革)してきたことが感じ取れます。日本人の心の底には、滅びの美学があると、指摘する人もいます。確かにそういう面はあるかもしれない。ただ、もう少し正確には「たとえ身が滅ぼうとも我が精神は生きる」という気持ちが強かったのではないでしょうか。自他の「共苦」を受け止め、それを昇華する何かがそこに感じます。

私たちの先人が、狂った父である「一神教カルト」に相対しても、日本の文化が完全に崩壊しなかった理由の一つにそのような心性の深さ・柔らかさがあったと思うのです。明治の頃から物事が見えていた人々というのは、日本が近代化するにあたって、そのような日本人の心性に、ある種の「賭け」をしたのではないでしょうか。昭和天皇が南方熊楠を愛していたのは、彼の中に日本人が近代を超克する光を感じたからではないでしょうか。ただ、一方でその苦しみの中で亡くなっていった知識人も大勢います。先の大戦に関連してなくなった多くの将兵さんやその他の方々もある意味近代超克のための尊い犠牲のように思います。近代超克のための作業は、アカデミズムや文壇などではなく、実際の戦場や戦前・戦後の経済において行われてきたと思います。そして、その戦いは今現在も形を変えて続いています。また、この戦いは、日本だけで展開しているわけではなく、世界各地で継続中であり、戦いに負けないためにはそれぞれの連携も大切だと思います。


今後、多くの人々が協力して、「死のみやこ」からどんなカオナシがやってきても、自然とトラウマが抜けるような社会を作ることが望ましいと思う。

そうした社会の構築に必要な材料は意外と自分の足元や心の中に転がっているように思う。

そして、以上の過程で最後まで我々が負けたと思わなければ、いずれ「必ず」近代は超克される。
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新年の挨拶にかえて

2008-01-07 22:14:53 | Weblog
以下の絵本を贈ります。

平和の絵本「嵐と湖」
http://www.j15.org/Picturebook-Mind/index.html


嵐の中だからこそ、じっと目を開ける意味がある。

私はこれを読んで、目頭が熱くなり、そして癒されました。

本年も色々なことがあるかもしれませんが、ことしもなにとぞよろしくお願いします。


で、たまには肩の力を抜いたエントリーをあげてみようということで、最近気になったマンガを一冊紹介。


いがらしみきおの「かむろば村」です。
http://www.s-book.com/plsql/com2_detail?isbn=9784091818102

これはビッグコミックに連載中のマンガです。
簡単に言えば、お金アレルギーで銀行員を辞めた(ヘタレな)青年が、農村に引越しして全くお金を使わずに暮らそうとする物語。

文字で書くと単なる脱サラストーリーのように見えるけど、内容は相当に異色で湿度が高い不思議な展開が続く。それでいて、なぜか自然に納得してしまう話の数々。

例えば、青年が銀行を辞めた(辞めさせられた)理由を語る中に以下のようなセリフがある


  まるでお金が酸素のようで、
  それを止められて窒息死する人を
  ジッと見ているみたいな感じでした

  それからですね、オカネ怖くなったのは


このセリフ自体に強い説得力があると思う。

しかし、この作者がさらにすごいところは、この青年の話しを聞いた村人の態度を『ぜんぜん同情して』いないように描いているところだ(こちら)。

そしてそれにつづく女性の肉感的なお尻の描写。


うーん、自然主義経済の始まりを感じる(笑)

(このあたりは上手く言葉に出来ない部分なので、興味がある人は実際にマンガを読んでください)


シュールギャクをやっていた頃から、いがらしみきおは「常に時代を先取りしすぎる」マンガ家だ。彼のセンスは確かに「神がかっている」。
http://www.ztv.ne.jp/keiko/comic_lab/sakusha/a/i/igarashi_mikio.html


近年エロスを失ったアカデミズムに代わり、次世代を担う哲学というのは、まず感度の高い芸術家がキャッチし、サブカルチャーとして表現されている、と思う。

「かむろば村」も、おそらく宮崎駿の「千と千尋」同様、深い隠喩に富んだ名作になるだろう。
http://miruyomu.cocolog-nifty.com/blog/2004/09/post.html


そして両方ともそこに示された隠喩は、近い未来に相応の形で現実化するような気がする。
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