すべての国家が一国平和主義を貫けば世界平和は達成される。
そうもいかなくさせているのが資本主義の仕組み。
これを自然主義経済として、少なくとも日本だけは自給自足をまかなうことができるようにするのが平和党の目標であります。
これまでの日本の一国平和主義は、日米安保条約による核の傘によって、ぬくぬくと経済発展を続けられてきたのでありますが、これは日本が米国に戦争で降伏したからであり、チャカを捨てるよう言われ、カタギに転じたからできたことであります。
しかしながら、再び銃を持てというわけです。ただし米国は自由の国ですから、日本に対して決して強制などはしません。やったらどうかと優しく助言してくれているわけです。
さて、こうなってくると日本は国際紛争に駆り出されることになるでしょう。日本には石油がありません。食料も他国に金玉を握られています。だから、国際社会で協調しましょうなどという言葉がポンポンと、頭のいい方々から出てくるわけです。
一方、格差社会は広がるばかりで、都市と地方、富裕と貧乏、大企業と零細企業、チェーン店と個人商店、経営者と派遣労働者・アルバイト、働ける人と働けない人、金融業と農業などなど、山と谷が大きくあらわれています。
これらはすべてお金の仕組みにその要因があり、ほとんどの政治家や官僚は気づいていないわけですが、当面この土台でしかみな考えられないので、政府主導経済と民間競争経済という二つのイデオロギーが冷戦よろしくいまだに続いているわけです。
これらもすべて、日本が国際社会で生きていくというテーゼを達成するために、多くの人々が犠牲になっているのです。これをいささかも知らず、議論されているのが昨今の政治です。
こうしたものを片づけるには自然主義経済が有効ですが、そのためには日本を一国平和主義に戻す必要があります。しかし先述したように、すでに日米関係、国際関係をみてもそのような状況に持ってくることは不可能であります。
我が国が一国平和主義をなすにあたって、必要なのは日米安保条約による庇護されている状態だけだったかというと、そうではありません。
江戸時代の歴史も、ペリーが来るまでは一国平和主義であります。幕末にはやはり現代と同じように平和ボケしており、軍事において他国に劣っていたから開国せざるを得なかったのです。
幕末に平和ボケが始まった理由はこうです。
●戦国時代が終わり、世は平定され、武術は武芸化して文化となった。
●大名行列は儀式化して、刀を差せども使用せず、刀袋にいれており、いざ斬りかけられても対応できないところまでになっていた。
●幕府初期は何石という石高によって価値基準があった。これは武士が田畑を守るために武力を発揮したからであり、それが武士を抱えるための標準であった。しかし幕末には株仲間を解禁し、商人の力が強まって武士は形骸化した。
このためヨーロッパには軍事面で後れをとり、西洋化の波に敗北するわけです。
鎖国当初の江戸幕府の軍事力は、当時のヨーロッパ一国の兵力よりもはるかに勝っています。藩一つでヨーロッパの一国分の兵力にも相当します。
関ヶ原の戦いでの東西両軍の兵士は、30万人と言われていますが、ヨーロッパの場合10万人を超える兵力をもっていた国は一つもありません。桁がちがいます。
だから徳川政権が「鎖国します」といっても逆らえる国はなかった。したがってこの軍事大国ぶりが日本を一国平和主義にして280年の平和を保てたということです。
ただ280年ものほほんとしていると、他国には遅れをどうしてもとってしまう。そこでうさぎと亀のように追いつかれて開国することになったわけです。
したがって現代でも、これをお手本として考えてみる必要があると思います。
そうもいかなくさせているのが資本主義の仕組み。
これを自然主義経済として、少なくとも日本だけは自給自足をまかなうことができるようにするのが平和党の目標であります。
これまでの日本の一国平和主義は、日米安保条約による核の傘によって、ぬくぬくと経済発展を続けられてきたのでありますが、これは日本が米国に戦争で降伏したからであり、チャカを捨てるよう言われ、カタギに転じたからできたことであります。
しかしながら、再び銃を持てというわけです。ただし米国は自由の国ですから、日本に対して決して強制などはしません。やったらどうかと優しく助言してくれているわけです。
さて、こうなってくると日本は国際紛争に駆り出されることになるでしょう。日本には石油がありません。食料も他国に金玉を握られています。だから、国際社会で協調しましょうなどという言葉がポンポンと、頭のいい方々から出てくるわけです。
一方、格差社会は広がるばかりで、都市と地方、富裕と貧乏、大企業と零細企業、チェーン店と個人商店、経営者と派遣労働者・アルバイト、働ける人と働けない人、金融業と農業などなど、山と谷が大きくあらわれています。
これらはすべてお金の仕組みにその要因があり、ほとんどの政治家や官僚は気づいていないわけですが、当面この土台でしかみな考えられないので、政府主導経済と民間競争経済という二つのイデオロギーが冷戦よろしくいまだに続いているわけです。
これらもすべて、日本が国際社会で生きていくというテーゼを達成するために、多くの人々が犠牲になっているのです。これをいささかも知らず、議論されているのが昨今の政治です。
こうしたものを片づけるには自然主義経済が有効ですが、そのためには日本を一国平和主義に戻す必要があります。しかし先述したように、すでに日米関係、国際関係をみてもそのような状況に持ってくることは不可能であります。
我が国が一国平和主義をなすにあたって、必要なのは日米安保条約による庇護されている状態だけだったかというと、そうではありません。
江戸時代の歴史も、ペリーが来るまでは一国平和主義であります。幕末にはやはり現代と同じように平和ボケしており、軍事において他国に劣っていたから開国せざるを得なかったのです。
幕末に平和ボケが始まった理由はこうです。
●戦国時代が終わり、世は平定され、武術は武芸化して文化となった。
●大名行列は儀式化して、刀を差せども使用せず、刀袋にいれており、いざ斬りかけられても対応できないところまでになっていた。
●幕府初期は何石という石高によって価値基準があった。これは武士が田畑を守るために武力を発揮したからであり、それが武士を抱えるための標準であった。しかし幕末には株仲間を解禁し、商人の力が強まって武士は形骸化した。
このためヨーロッパには軍事面で後れをとり、西洋化の波に敗北するわけです。
鎖国当初の江戸幕府の軍事力は、当時のヨーロッパ一国の兵力よりもはるかに勝っています。藩一つでヨーロッパの一国分の兵力にも相当します。
関ヶ原の戦いでの東西両軍の兵士は、30万人と言われていますが、ヨーロッパの場合10万人を超える兵力をもっていた国は一つもありません。桁がちがいます。
だから徳川政権が「鎖国します」といっても逆らえる国はなかった。したがってこの軍事大国ぶりが日本を一国平和主義にして280年の平和を保てたということです。
ただ280年ものほほんとしていると、他国には遅れをどうしてもとってしまう。そこでうさぎと亀のように追いつかれて開国することになったわけです。
したがって現代でも、これをお手本として考えてみる必要があると思います。