おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

北方領土

2006年09月09日 11時05分09秒 | Weblog
http://seiji.yahoo.co.jp/area/hokkaido/index.html

北方領土というのは、衆議院北海道7区に含まれるのだそうだ。

日本漁船がロシア国境警備艇に銃撃され乗組員1人が死亡したことを受け、麻生太郎外務大臣は、ロシアのガルージン駐日臨時代理大使に「到底容認できない」と強く抗議した。

北方領土は、その歴史的経緯から考えても日本国の領土である。

尖閣諸島もまた、日本国の領土である。

これがあるからこそ、国際紛争の要因にもなっている。

こういう事件がおきてくると、国境とはいったいなんなのかということをいつも考えさせられる。

北方領土も尖閣諸島も、近代以前・明治維新前から日本人が住んでいるということで国際常識の面からすると、日本の領土といえる。

樺太、朝鮮半島、台湾が日本の領土であったのは、戦争で勝ち進んできたからであり、第二次世界大戦に敗北した日本は、それを返還した。

しかしながら、台湾に関しては、清国がいらないといったから日本が得たということもある。

では、北海道はどうか。

江戸時代に蝦夷地が開拓されるが、それまではアイヌ民族の領土といってよい。

では、そのアイヌの人々はどうしているかというと、今では少数民族になっている。

北米大陸はヨーロッパ人が侵略してできたのが、アメリカ合衆国である。ここでのインディアンはアイヌ人と同じ立場である。

つまりは北海道自体が日本ではないということも言えなくもない。

また、一説によると縄文時代以前までにさかのぼっていくと、日本列島は北から南までアイヌ人が住んでいたが、中国大陸・朝鮮半島からやってきた人々に、北へ追いやられたというのもある。
人類の歴史から見ると、現代の領土紛争・領海紛争は、近代国家という歴史的な一瞬の正当性で考えすぎている。

北方領土の場合は、日本人が住んでいたから、故郷としての思い入れもある。竹島の場合は、とても住めるような環境にはないが、それでも国土として主張しなくてはならないということになるのは、領海の問題だ。
すなわち、魚をとるという利権である。尖閣諸島の場合は石油資源である。
人間はこうした経済的な問題に束縛を受けるのである。

戦争の要因は、宗教の場合を除いて、経済的なものにある。
ここにメスを入れずして、反戦や反核を叫んでみても何の意味もなさない。

では、ここでなぜそんなに多くの魚をとらなければならないかということを考えなければならない。
ここに泳いでいる魚は、自分が日本の領海にいるかロシアの領海にいるかなどと考えているわけではない。自然は人為にまさるのである。だが、人間は今までの決められたことに縛られる。

その漁師さんは、魚を腹いっぱい食べたくてわざわざ遠くまで船を出しているわけではない。

その魚介類を売って、日本銀行券を得る事によって生活を安定させたいのである。

現代は飽食の時代。大量に残飯が排出され、それを処理するのにもお金を必要とし、廃棄物処理の産業が成り立ち、それがまた循環する。

つまり、世の中はお金を循環させる事が目的となっている。そのための環境破壊もいとわないし、国際紛争がおきようとも、お金がなければ生きていけないというただそれだけのことから始まっている。
平和党は戦争をなくすために、武力の放棄を提唱しない。
お金の放棄を提唱する。

そこで実現すべきが自然主義経済なのである。自然主義経済実現後に、国家に武力が必要なのかどうか、はたまた国家そのものが必要なのかどうかを考えればよい。

とにかく、現代の全ての政策課題はお金に起因している。

先週、青森・六ヶ所村の原発に反対する人々の映画会・パネルディスカッションがあり、それに参加したが、これも原子力という恐怖をいくら喧伝してもまったく意味はなく、お金のありかたに問題があり、経済的活動から始まってきている。ここにスポットをあてるべきである。

先月末は、山梨・山中湖で食料自給率を上げようというイベントにも参加した。だが、やっていることは、大量の残飯を出して赤字を出して、産業廃棄物をたくさん出しただけだ。

これもまたお金に起因している。

お金というものは、蓄えていくと減らない。だがモノは減ったり腐ったりする。お金は政府以外は発行できないから、モノをたくさんとってきて早くお金に換えようとする。

自然主義経済を行えば、遠方までいって漁獲量を無理に増やさなくても、経済生活が成り立つ。

自然循環型社会を形成できるからである。

これは江戸時代にモデルがある。

江戸は100~150万人の人口を有する世界最大の都市であった。当時、どの世界でも百万人都市をつくることができなかったのは、近代以前の都市は廃棄物によって汚染されるからせいぜい十万人程度である。江戸はそれができたのは、極めて精巧なリサイクルシステムができているからである。

中心過密部に政治機構、商人がいてその人々の糞尿が、売買され中心過密部の周縁である田畑に利用され、中心部は食糧自給がなされていた。また、不要なゴミはありえず、すべてが利潤となる経済活動にまわされた。川の水は山から下り、田畑に水を注ぎ、町の人はその水を飲み、下流では排水し、その排水は江戸(東京)湾に注ぐ。現代と違って、合成洗剤も有害な化学物質もないわけだから、東京湾の海水が富栄養化になるといっても、この時代の富栄養化は魚のえさになる。遠方の魚もみなえさを目当てに東京湾に集まってくる。だから東京湾でも鯨がとれたわけだ。その魚を江戸前としてみなが食べ、サイクルができていたのである。

これを全国の各地に築いていく。これこそが平和の活動である。



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