おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

善悪の基準やその出所

2006年11月20日 20時04分23秒 | 法務
 
 
 
教育で他人に、一つの考えを植え付けたい根底には「もしかしたら自分は生き残れないのではないか?」という恐怖から、自分に反対する人間、自分の考えを認めて欲しいという欲望が生まれるのだと私も思います。

まさしく間違いに対する恐れから、素直になれない人がいるのも同感です。全く異論はありませんが、ただし、教育基本法改正や共謀罪の恐怖を言うと、必ず偏見がなされます。そして、こうした反対者の意見を言っている人というのは、なぜ支持が全国的に支持が広がらないかというと、その否定ぶりに皆がひくからではないでしょうか。そして、ムキになって賛美している人間も、その騒ぎ方に対して、一般的な日本人は熱狂的にはなりません。こうしたことに懸命になっている人というのは、一般的な市民ではなくて、特殊な方々ばかりです。

ほとんどの人が「う~ん、まあ賛成かなぁ」「う~ん、まあ反対かなぁ」というのが多いかと思います。日本人の性質は、こうした対立を好まない傾向にあるからかと思います。甘党さんが左派思考だと言っているのではなくて、そのような目が世の中にはあるからということです。

間違った判断をすることも悪いことではありません。だから、彼らの二極対立というのは悪いことではありません。ただし、一方の極にいる人というのは、中には相手の極を絶対に認めないために、儀礼に欠けたり、人間性の欠如がみられると思っています。自分の存在を常に確認したいがゆえに、他人の考えをつぶしたいというのがあるかもしれません。これが善悪中毒なのだと思います。

教育基本法改正や共謀罪が、日本を戦争に導くのだという恐怖を扇動する政党は、すでにありますし、そうしたところが、その指摘を続けていけばいいのだと考えています。そして、教育基本法改正や共謀罪が国をよくするのだという考えの政党もあり、彼らも頑張ればいいのです。彼らが存在していないと、平和党はなりたたないわけです。

この二極対立のものを越えた政治思想というのもあっていいのだと思います。その政治思想が平和党の理念です。

彼らの二極対立は、同次元の数直線で争われるわけです。だから政党・政治家・評論家・運動家をみつけては、この二つのどちらかの立場なのか、必ず聞きたがります。彼らの考えは、この数直線の中でしかないからです。しかし、私が言いたいのは、甘党さんの本質と同じで、「人々を分断する善悪の基準やその出所に人々が目を向けて貰える」ことなのです。

これを新しい基準と言ったつもりなのですし、甘党さんがそういう考えであろうと思っていますから、たぶん誤解はないと思うのですが、いかがでしょう。


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