おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

「めんどくさいことを片付ける方法」

2006年07月12日 09時24分33秒 | Weblog
  
コンビニで買い物をしたとしよう。

その店は、あなたにとって一度も入店したことのないセブンイレブン。

店員さん誰一人あなたのことは知らない。

当然、あなたもこの店の店員も、この町のことも知らない。

でも、大丈夫。国家がなぜか知らないけど、これを使えといって発行している日本銀行券は、日本全国どこでも使える。それをみんながなぜか知らないがありがたがっている。

買い物もせず、家賃もいらないはずの神様や仏様にまで、人間はこの日本銀行券をお供えしている。

外国に行くような場合でも、世界を支配している米国様のドルに変えることもできる。

これが現代の常識である。

そして、人類はこれにより支配されている。鬼のようにこれに執着するのがこの星の決まりごとにいつからか知らないがそうなった。これを破ると異常者扱いされる。

金の切れ目が縁の切れ目。

人間関係で、いかにこの人は人間を大事にしているか、金のために生きているかはわかりやすい。

いかに親しい間でも、金をとる。

売買をする。貸借をする。べつにそれは悪いことではない。

それはただであげるという人もいる。あげた分以上のものを請求するものもいる。

金に支配されているのは、その人が悪いのではない。

小泉が悪いのでも、ブッシュが悪いのでもない。

今まで、これが正しいとされてきたことを覆さないことをしないのが悪いのだ。

でも、そんなめんどくさいことは誰もしたがらない。

だから、人間よりも金を信じる奴隷が増えていくのだ。

めんどくさいのなら、平和党がやろう。法案つくるのにも官僚の力はいらないから。

経済思想つくるのにも学者の力はいらないから。

理論などというものは、自己満足のため。

自然に生きれば、理論はあとから暇な学者がつくればよい。

アーティストでも、作家でも、スポーツ選手でも自由になれ、経済生活が満たされる世の中になる。

今やらなければならないことは、目の前の問題。それが政治。

みんなのめんどくささを、投票だけにすれば楽になる。

「少数派が革命をおこせるとき」

2006年07月12日 09時24分05秒 | Weblog
  
政治家というものは国民の中から選ばれるわけであって、
国民の大多数の信任により、議会やら執行機関の長に送り込まれる。
したがって、国民が求めていないような政策を打ち出して、それで選挙を戦うなどというのは民主主義国家に反する。

‥‥‥という言葉をよく耳にする。

いうなれば、平和党の政策はほとんどの国民が認めていない、求めていないもの、なにしろ経済学の教科書に書かれていない未知の政治経済の方法なので、現在の選挙制度という枠組みの中からは、絶対に這い上がってはこれないだろうということである。

江戸幕府から明治政府、大日本帝国から日本国という時代の転換期も、選挙によって行われたのではない。

つねに革命がおきることは歴史の流れではあるものの、必ず少数派が今までの常識をぶちやぶり世の中が変わっている。

これを選挙という方法でやるのにはどうしたらいいのであろうか。

冒頭の意見はある意味正しい。

これをなぜ今思い出したかというと、最近このようなことがあった。

女性の取締役A子は、23歳にして役員という立場に立たされ、彼女は詐欺師Sに頼らざるを得なくなっていた。A子の部下にI店長がいた。I店長はA子に惚れている。I店長の考えとしては、「A子がSに支配されている状況をなんとかしてやりたい」と思っていた。そのため、Sのマインドコントロールを受けているA子を解放してやりたいと切に願うのだが、とても怖くて彼にはそんなことはできない。

恋は高まるばかりである。その他、この会社内では、I店長のほかにも、なんとかしてA子とSを切り離せないかという試みがなされようとはしたが、不可能に終わっていた。A子はsの追放を望まないことから、彼女に惚れていたI店長は、「それがA子の考えであるから大事にしてあげよう」などと考えていた。

だから、その他のみんなは指をくわえてただ見ていただけであった。

その会社は結局、Sの横領により、多額の給与未払い、家賃など請求の踏み倒しがなされてめちゃくちゃとなった。

I店長は職場を去ったが、それを実にみごとに整理したスーパーヒーロー(実は俺)が現れたことによって、詐欺師S追放は成功する。

彼女は、今ではSに支配され、社内の命令系統をみだして邪悪なることにいつのまにか手を貸していたことに気づくことになる。

これはスーパーヒーローが社内の民意を無視して、新たなる方向性に道筋をつけたからであると思う。

詐欺師Sの支配は、みなが心の中で反発を覚えながらも、そういう会社の流れであるからとして逆らわずに生きてきた。

天の時、地の利のときに、変革は訪れる。


それは選挙でも少数派が、一時期の流れで大勝利を収めることもあるだろう。

いまでこそ、小泉純一郎氏は内閣総理大臣であり自由民主党総裁であるのが当たり前のように国民は感じている。もうすでに国民は忘れてしまっているが、彼が首相になることなど、森内閣以前では全く考えられなかったことである。

小泉氏が自民党総裁選挙で勝ったのは、郵政民営化を望んだわけではないが、歴史の要請により当選する。その後も国会では波乱万丈があったものの、郵政民営化など自民党の利権を崩すことを望まない組織をたくさん抱えている自民党が、それをある程度なした。(民主党からすればまだまだ足りないとか、むしろ逆のことをやっているなどというかもしれないが、それは妬みである。)

わが党は、郵政民営化についてはなんとも言わないが、少なくとも小泉氏が郵政民営化こそ、すべての政治の根本であると信じていることは間違いないと思う。その是非はともかくとして少数意見を実行することができたということは、大多数の人が認めていなくても、これが大多数の人々のためになるのだという思いやりの信念があれば実行可能なのではないかと思う。

「父の日をとうにすぎて」 

2006年07月12日 09時23分32秒 | Weblog
 

「団塊の世代」をみてて、常々思うのは情けない人が多いということ。

私の妻の父は、まさに団塊の世代。

親に承諾なく、結婚したため、彼女の親父の怒りはとてつもなくある。

まず彼は、私に何を言ったかというと、とにかく私のことが気に食わないので自分の知り合いに稲川会のやつがいるとか住吉会のやつがいるとかいう話である。

こうゆうことを言い出すだけで、暴対法違反なのだが、女房の親なんだからそんなこといってもどうしょうもない。

おめえんちの実家に若いもんつれていくだとか、のたまうので「まずはおめえがかかってこいよ」とは思ったが、とりあえず「どうぞ」と言った。

私の実家などというものは、かなりの複雑な家庭事情により存在しないのだが、私の母は仙台市で天理教仙台大教会の会長夫人であるので、若いもんをつれてっても、大勢の信者さんたちが笑顔で暖かく迎えてくれるだけであろうからあまり意味はないことだ。


とにかく彼の高校生レベルのハッタリにはがっかりした。

きょうび高校デビュー的な半端ヤンキーでも言わないことをよく言えたとの感想である。

おそらくこの世代の人々は、かなり厳しい父親の元で育てられたので、厳しい父親を自分でも演じてみたいと思うようになるのだが、なかなかうまくいかなくて困っているのではなかろうか。


彼らの世代は、生まれた頃に日本は米国に戦争で負けた第一人類である。

したがって、軽いノリ、米国的ハンバーガー文明の最初の人々である。

新しき政治理念、対立軸は資本主義と社会主義にあった。

そもそも日本や東洋には資本主義であるとか社会主義であるとかの対立軸概念はない。

ところが戦後のさらなる欧米化、というよりは米国化によってこれに巻き込まれることとなる。

全共闘世代は、大学時代のマルクス主義を経て、高度経済成長に乗るかのように右にシフトしていき、自民党支持、やがては、かつての大学時代の冒険のように新自由クラブや日本新党に期待を抱くような人が多い。

彼らに威厳がみられないのは、現代日本が向かうべき方向性を示せないからである。

社会全体に精神的目標があって進んでいるときは父親に威厳がある。それは父親がお手本となれるからではなかろうか。

社会全体に精神的目標がないとき、父親には威厳がない。戦後復興という精神的目標が達成されると、だんだんと、金だけを求める世の中になる。そうすれば共働きになりカギっこは生まれ、父親は単なる家計

の生産手段としての道具としてみられるようになる。父親が家にいるのは邪魔なだけという発想にもなろう。

こんな父親はこどもに何を言っても無駄である。

私自身は実父とは四歳のときに別離しているので、父親教育というものは一切受けてない。

おそらく、一緒に生活していたら幻滅していたのではないだろうかと思う。

政治に無関心なのもこの世代の特徴である。

かつては超革命的な、政治思想に支えられ、それがなくなった現代においては、あきらめ的な考えを持つ。政治などやろうものなら白い目でみる。

当然、その次に生まれてくる世代は、さらにさらに政治には無関心となる。

政治に無関心なのはかまわないが、このことによって生み出されるのは、自分が人生何をしたいのかがはっきりとわからないことである。

つまり社会に対して、何をしようということがないとこのようなことになるのではないだろうか。

フリーター、ニートについて、どうにかしなきゃなどとほざく政治家・官僚・評論家はアホみたいだ。なるべくして作り出した世の中である。

これをどうしていこうかという問題だが、いたって簡単。平和党政権にすればいいのである。

これだけ世の中経済優先なってくれば、出てくる問題は当然のごとくある。

この資本主義は、限界がやがてくるという決定的欠陥を内包している。それに気づいて手をうつか、うたない場合は、ぐちゃぐちゃになってから平和党の自然主義経済をやらざるを得なくなるかどちらである。ここには崇高なる理念がある。父親の威厳も復興してくるだろう。

ここからまた話すと、平和党の政策演説が始まってしまって、同じことの繰り返しになるのでやめておくが、現代においてはこの「父ちゃん問題」からして、いつも思うのである。

さきほど話した私の実母が再婚した人は、義父となるのだが、私が四歳のときから知っている。やがて二十歳のときに母と再婚したが、私は彼の養子にはなっていない。この父は大正生まれであり、団塊の世代の親の世代の人である。かなり厳しい親父である。

かつてはシベリアで抑留されていたらしい。随筆家と宗教家を兼ねており、地位も名誉もあるらしい。

いずれにしても、昔の父親でもおじいさんでも、空威張りしているような人はそんなにいなかったように思う。自分が偉いんだと振舞うことで、まわりからは馬鹿にされているような年配者が多くなってきたと感じる。