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前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

J.S.バッハ『マタイ受難曲』(日本語・オペラ版)

2019-02-25 23:49:35 | クラシック音楽
バッハ大先生の『マタイ受難曲』(日本語・オペラ版)を観てきました。

オペラ版とは何ぞや?ということですが、
ソリスト・合唱者が衣装を着け、役を演じながら(動きながら)歌います。
(福音史家は、いわばナレーターなので、衣装や動きはありませんが)

指揮:黒川和伸
東京オペラ協会管弦楽団
東京オペラ協会合唱団

福音史家:藏田雅之
イエス:石多エドワード(構成・演出・訳詞)
ヴィオラ・ダ・ガンバ:櫻井茂
会場:カトリック目黒教会御聖堂




「日本語訳」のオペラ、というコンサートはたまに見かけますが、
「どうせ観るならオリジナル(原語)で」という人がほとんどではないでしょうか。
(私もそうですが)

ただ、偉大な作品は、そのような"アレンジ"などものともしない
"強度"を持っています。
バッハ大先生の『マタイ受難曲』は、まさにそういう"偉大な作品"で、
言語の違いなど問題ではない、と感じます。


大まかなストーリーはわかっていますが、
「受難劇」ですので、日本語で演じられると、
イエスや弟子たちの「叫び」「嘆き」「苦悩」「後悔」が
"日本語"でダイレクトに伝わってくるので、また別の感慨があります。
(オペラの歌唱法だと、日本語でも聞き取り辛い点はあるのですが。
 あと、普段ドイツ語で歌い慣れている人にとっては、かえって歌い辛いのかも)


ゲツセマネの祈りの場面では、イエスが苦悩を語っている後ろで、
弟子たちが眠りに落ちていく"演技"があって、微笑ましいです。
(大事な時になに寝てんだ!・・・でも人の肉体は弱いもの)

ペテロの否認の場面では、
有名な「憐れみ給え、わが神よ」のアリアが歌われている間、
ペテロ役の方が、目に涙を浮かべて"後悔"していました。
(席は一番前だったので、目の前で)

美しい「憐れみ給え、わが神よ」のアリアに落涙。


イエス役の石多エドワードさんはまさに迫真の演技。
(ひげを蓄えた風貌が"イエス様"っぽいんですよね)

全体の演奏レベルは、正直すごく高いというわけではありませんが、
すぐ目の前で演じられる臨場感と、教会内という"舞台設定"とが相まって、
感動も増します。

あまり知らなかったのですが、教会では宗教音楽などの演奏会を
いろいろやっているようなので、チェックしようと思います。
(教会で聴く宗教曲は格別ですね)


それと今回の会場となった、カトリック目黒教会は前に見学していますので、
そちらは後日、アップする予定です。

『アマデウス』(LIVE シネマティック・コンサート)

2019-02-24 12:22:03 | クラシック音楽
東京芸術劇場で映画『アマデウス』を観て(聴いて)きました。

劇中で流れる曲を、同時に生オーケストラと合唱で演奏する
「LIVE シネマティック・コンサート」です。

演奏:オーケストラ・アンサンブル金沢
   居福健太郎(ピアノ、オルガン、チェレスタ)
合唱:アマデウス特別合唱団
指揮:辻博之




『アマデウス』は、公開当時には観ていませんですが、
その後、テレビ放送やDVDなどで何度も観返しており、
ストーリーはよくわかっています。

かなり昔のことですが、自分と同じく楽器は全く弾けないのですが
クラシックが大好きな"聴き専門"の友人とこの映画について話したとき、
「(自分たちのような)"聴き専門"のクラシック好きにとって
"グッとくる"シーンが幾つもある」という感想で一致しました。

例えば、

サリエリが、密かに手をまわして、
「ドン・ジョバンニ」を5回で上演打ち切りにさせたが、
その5回ともすべて観た
自分だけがこの曲の本当の意味を理解できた、というシーン

モーツァルトが書いたオリジナルの楽譜を見て、
書き損じのない完璧な様に打ちひしがれるシーン
(楽譜をめくる度に、頭の中で次々と音楽が鳴り響く)

など。

自分では永遠に手の届かない高み、天才のなせる技、
でも、その凄さだけはわかる、本当の凄さを理解できる・・・という描写。


ちなみに後者の場面は、精神病院の中でサリエリが神父に対して、
モーツァルトの音楽を「absolute beauty」と表現するのですが、
字幕では「至上の美」(だったと思います)と訳されています。
(確か今のDVDもそうだった気がします)

ですが、自分が最初にテレビ?で観た時は(恐らく吹替ですが)、
「absolute beauty」を文字通り「絶対的な美」と訳していました。

「至上の美」は「この世のものとは思えない美しさ」という感じで、
間違っていないとは思いますが、
「絶対的な美」の方が「人間技とは思えない完璧な美」
というニュアンスが出ていて好きなのですが・・・。


この作品の白眉は、サリエリが記譜を手伝いながら、
モーツァルトが「レクイエム」を作曲する場面だと思います。

(この映画の中の設定では)
「レクイエム」はもともとは、サリエリがモーツァルトを殺害した後に、
モーツァルトを追悼するために自分が書いた曲として世に出そうと画策し、
作曲を依頼したものです。

そして上記の場面も、
衰弱しているモーツァルトに対して、嘘の報酬(ボーナス)をちらつかせ、
自分が手伝うという親切心を装って、早く曲を完成させようとします。


ですが、モーツァルトの「天才」を誰よりも理解しているのが
誰あろう、サリエリ自身です。

指示内容がわからず、頭を抱えるサリエリに対して、
なんとか意図を伝えようとするモーツァルト。
そして、その意図を理解し、嬉々として筆を走らせるサリエリ。

ここは、モーツァルトに対する嫉妬や恨み、狂気も消え去り、
ただ純粋に、天才の頭から迸るものを形にしようとするサリエリの姿が、
天才と、それを理解するもう一人の天才との心の繋がりが見える場面で、
本当に感動的です。

サリエリ役のF・マーリー・エイブラハムは、
この役でアカデミー主演男優賞を獲得しましたが、納得の名演です。


映画の場面に合わせた演奏は、大変だと思いますが、
やはり生の迫力があり、とてもよかったです。
(合唱が入る場面は特に)

劇中、モーツァルトやサリエリが自作を指揮する場面がありますが、
その部分は、実際にオケを指揮していた辻博之さんの指揮ぶりも、
役とシンクロしていました。

つい、つられて、というよりは、
画面と生演奏、両方同時に観ている我々が違和感を感じないよう、
役を演じているようで、これもよかったですね。


大変貴重な映画鑑賞・コンサートで、大満足、堪能しました。

オルフ『カルミナ・ブラーナ』(インマゼール指揮)

2018-06-02 23:44:51 | クラシック音楽
ヨス・ファン・インマゼール指揮の
オルフ『カルミナ・ブラーナ』を聴きました。


インマゼールは何かで名前を見たことがある程度で演奏を聴くのは初めてです。

古楽器、ピリオド奏法、弦楽器奏者28名、合唱36名、少年合唱15名という
少数精鋭の『カルミナ』です。


インマゼール曰く

「昨今の慣例では、カルミナ・ブラーナは弦楽器過多の
 巨大編成オーケストラで演奏されるのが常ですが、
 オルフの楽譜をよく読み解いてゆくと、弦楽器の役割は
 むしろ控えめであったことに気づかされます。」
 (ライナーノーツより)

もともと管楽器、打楽器が目立つので、弦楽器は意識していませんでしたが、
古楽器のせいか全体に澄んだ音で、普段気づかない楽器の音まで
よく聞こえます。

何よりピアノが目立ちますね。もともと2台あるわけですから。


「血沸き肉躍る演奏じゃないと『カルミナ』じゃない!」
という方にはお勧めできませんが、私は結構気に入りました。

ソリストは、特にバリトンの表現力が素晴らしい!
ほとんど「演技」のような、動きながら歌っている姿が目に浮かぶ。



指揮:ヨス・ファン・インマゼール
管弦楽:アニマ・エテルナ・ブリュッヘ
合唱:コレギウム・ヴォカーレ・ヘント
少年合唱:カンターテ・ドミノ

ソプラノ:ソ・イェリ
テノール:イヴ・サーレンス
バリトン:トーマス・バウアー


『カルミナ・ブラーナ』は好きな曲ですが、
どこか「素人向けの、わかりやすい音楽」という、
ちょっと"見下した感"が正直ありました。

インマゼールは解説の中でそのことにも触れており、
単純か難解かが曲の良しあしを決める判断基準ではない、
ということを語っています。
逆に、管弦楽の組上げ方は桁外れに素晴らしいとも。



『カルミナ・ブラーナ』のCDは、レヴァイン&シカゴ響盤のほか、
室内楽版(ツェツィリア・リディンエル=アリン指揮)、
ピアノ独奏版(エリック・チュマチェンコ)など持っているのですが、
どのように聴いても、やはりいい曲です。

もっと大胆なアレンジ版とかがあってもいいかもしれませんね。
そういったチャレンジに耐えうる"傑作"ですから。


それから、何度聴いてもレヴァイン&シカゴ響盤のテノール、
フィリップ・クリーチの第12曲「かつて私は湖に住んでいた」は
本当に素晴らしい!!
CDのレビューとかでもあまり触れられていないのですが、
この1曲だけでも、十分聴く価値がある。


生演奏を聴きたくなってきました。

J.S.バッハ『マタイ受難曲』

2018-05-03 00:35:53 | クラシック音楽
4月30日、バッハ大先生の『マタイ受難曲』を聴いてきました。


指揮・イエス(バス):中川郁太郎
福音史家(テノール):大島博

ソプラノ:金持亜実、隠岐彩夏
アルト :志田理早、谷地畝晶子
テノール:鳥海寮、宮下大器
バリトン:菅谷公博

演奏:K.M.C管弦楽団(柏メサイア・クワイア)
   通奏低音(チェロ) :田崎瑞博
   通奏低音(オルガン):堤ゆり

合唱:K.M.C合唱団

場所:鎌ヶ谷きらりホール


バッハ大先生の『マタイ受難曲』を生で聴くのはニ回目です。
(前回はラ・フォル・ジュルネでコルボ指揮)

演奏時間は2時間30分くらいだったかな?と思っていたのですが、
実際は3時間強でしたね。(妻よ、嘘ついてごめん)
第一部と第二部の間に休憩あり。


演奏のK.M.C管弦楽団(柏メサイア・クワイア)は、
名前の通り、ヘンデルの「メサイア」を過去何度も演奏しているそうで、
『マタイ受難曲』も二度目だそうです。

オケも合唱もアマチュアかな?と思って、それほど期待はしていなかったのですが、
予想以上に素晴らしい演奏でした。
(元々、演奏自体はマーラーやブルックナーのような難しさはないのでしょうが)


加えて特筆すべきは、パンフレットが大変よかったこと。
歌詞に加えて、場面ごとの大まかなストーリー解説や聴きどころが
挿入されており、家でCDやDVDを鑑賞する際にも大いに役立ちます。


さてさて、演奏開始。

冒頭、「導入の合唱」で早くも落涙。
「ああ、マタイだ。マタイ受難曲が始まった」という万感の思い。

第一部の最初と最後の曲に子供たちの合唱が入るのですが、
あの清らかな歌声もやばいですね。


最近、故あって、聖書についていろいろ勉強?しているので
前回聴いたときよりも、物語の流れや登場人物についてわかってきたので、
余計、内容を味わうことができました。

ピラトとかカイファ(カイアファ)といった名前、
どういう人かがなんとなくわかってきたので。

前の日に「Son of God」という、
イエスの誕生から十字架にかけられたのち復活するまでを描いた、
ドキュメンタリー風?の映画を見ていたのも、
「予習」(復習)として功を奏しました。


舞台正面の席で観られたので、二組に分かれたオケの動きや、
ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏もよく見えましたし。


独唱も皆さんよかったですが、福音史家のテノール、大島博さんが特に素晴らしかった!

『マタイ受難曲』の聴き所の一つといえば「ペテロの否認」の場面。

音楽評論家・吉田秀和氏はかつて
「ペテロの否認の部分で泣かない者は音楽を聴く必要がない人である」
といったそうです。

この言葉の真意や是非はともかく、以前は聴いても正直ピンときませんでした。
(音楽を聴く必要がない人だった?)

ですが、今回の福音史家・大島博さんによるペテロの叫びは、真に迫っていて思わず涙。
(吉田先生、音楽を聴く必要がある人になれました)


いかんせん長い曲ですので、
正直、途中で眠くなりそうなときもまだまだあるのですが、
それでも「マタイ全曲」を生で聴く喜びは大きいです。


今年(2018年)は、バッハ大先生、ヘンデル、スカルラッティ共に
生誕333年だそうです。

もう一回くらい、『マタイ受難曲』聴きたいですね。



合唱の子供たちは、ステージ左端の雛壇で歌ったのですが、
「導入の合唱」が終わると一旦ステージを降り
客席(ステージ下すぐの位置)で座って待機して、
第一部の最終曲の時にまたステージに登壇。

出番のない中、1時間半ステージに立っているのはさすがに酷ですからね。

第二部の最終曲が始まったとき、一人の子が後ろに座っている子に、
「終わりだね」と言っていたように見えました。長いもんね。
よく頑張りました。



C.P.E.バッハ『ヨハネ受難曲』(日本初演)

2018-03-17 22:28:54 | クラシック音楽
バッハ大先生の次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの
『ヨハネ受難曲』(H785 1772年版)を聴いてきました。
(日本初演だそうです)


ヨハネス・カントーレス第13回演奏会

合唱・管弦楽:ヨハネス・カントーレス
指揮・アルト:青木洋也
福音史家:中嶋克彦
イエス:浦野智行
ソプラノ:藤崎美苗
テノール:石川洋人
バス:藤井大輔

ウェスレアン・ホーリネス淀橋教会





エマヌエル・バッハのことは曲も含めてほとんど知りませんでしたが、
物知りウィキさんによると、
モーツァルトやハイドン先生、ベートーヴェンなどにも多大な影響を与えたそうで、
和声の色彩感、旋律の美しさと親しみやすさによって、前古典派の作曲家の中で重要な先駆者
とのことです。

ようやく手に入れたCDを聴いてみると、
確かに第5曲のアリアなど、バッハ大先生の受難曲とは違い、
ロマン派の曲のような親しみやすさ。

なるほどなるほど、と思い、「予習」もそこそこに演奏会に。
(結局、出張の際の新幹線の中で1回通して聴いたのみ)





で、本日の演奏会だったのですが、衝撃的?な出来事が3回。


まず第1の衝撃。

頂いたプログラムにエマヌエル・バッハおよび受難曲のことが
詳しく書かれていたのですが、彼の作った受難曲21曲は全て、
「パスティッチョ」(寄せ集め)の作品であったということ。

1745年に作曲された、テレマンの「ヨハネ受難曲」をベースに、
当時人気のあった、ホミリウス、シュテルツェルなどの曲を
組み合わせたものだそうです。
(歌詞や楽器編成などは変更されているそうだが)

自分が聴いて、ロマン派っぽいなあと感じたのはシュテルツェルの曲のようです。
(原曲を聴いてはいないので、楽器の伴奏とかまで同じなのかは不明ですが)


そのような作曲形式(作曲と言えるかどうか微妙ですが)になった理由は
時代背景や、彼が音楽監督を務めたドイツ・ハンブルク市の音楽事情など
色々あったようですが割愛します。

まあ、18世紀の優れた教会音楽のコンピレーション盤?てとこでしょうか。


さてさて演奏が始まったのですが、ここで第2の衝撃。

指揮者(青木洋也)も独唱者として歌うのですが、なんと女声部(アルト)担当。

そう、パンフレットにも「指揮・アルト」てはっきり書いてある!
完全に見落としていた。

青木さんはもともとカウンターテナーの歌手だそうです。
で、先ほどの第5曲アリアを、客席に向かって実に美しい歌声で歌いました。



演奏の途中で、教会の天井近くの三角窓から午後の陽が差し込んできました。
隣の妻は眩しそうにしていましたが、私は陽を浴びながら昇天するような気分。
悪くなかったです。



で、曲も大詰めになって、第3の衝撃。

第23曲の合唱「聖なる御からだよ、やすらかに」。
これはバッハ大先生(パパ・バッハ)の作品(「ヨハネ受難曲」)なのですが、
その声部の入り組みの、まあ複雑なこと。

明らかにそれまでの曲と響きが違う(格が違う?)。

やっぱり父にはかなわないか。バッハ大先生の凄さを改めて実感。


演奏、独唱、合唱、そして教会という環境も含めて、大満足の演奏会でした。



追記
エマヌエル・バッハの楽譜は第二次世界大戦の際に行方不明になり、
1990年にウクライナで発見されるという数奇な運命を辿っています。
この辺りもパンフに詳しく載っており、大変ためになりました。