前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ローザス 『 ツァイトゥング Zeitung 』 (さいたま芸術劇場)

2009-11-29 10:05:38 | 舞台・映画など
大学の選択体育で空手を習いました。
その時の先生が実習の時
次のようなことをおっしゃいました。

「相手に触れずに"気"の力で人を倒したりするのは、
不思議とその"仲間"同士でないとかからないんだ」

私はその言葉にとても共感しました。

別に"インチキ"だとか"やらせ"だとかいう
意味ではありません。
ただ「奇跡」はそれを信じる者にしか、
「奇跡」として姿を現さないということです。


どのような集団であれ、結束が強くなる過程で
「思想」や「哲学」が生まれます。
あるいは、同じ「思想」や「哲学」を持った者達が
強い結束で結ばれるというか。


芸術集団の場合も同じだと思います。
ただ、その「思想」や「哲学」が
創作の原動力となる分には構いませんが、
「思想」や「哲学」そのものを舞台上で表現されても、
それが芸術的に価値があるとは思いません。

それを別の形に昇華させることが重要ではないでしょうか。


「難解」というのではなく「理解不能」です。
何か意味有り気な振り付けや仕草も、
私にとっては全くの無意味です。

閉じた、内向的な世界を見せられたようで、
「発散」されるものは何も感じ取れませんでした。
(仲間内だけで分かり合っている世界というか)


何かを表現するということは、
究極的には「自己満足」だと思います。

「作者の自慰行為が見たいのではない」
と言った人がいますが、
それを見せることが創作表現だとも言えます。

ただ、お互い自慰行為を見せ合い、
それを見て自慰を行っている姿をまた見せる・・・
それは最早、
「自己満足としての表現」ですらないと思います。


DVD(『ファーズ』)は素晴らしかったですが、
この作品に関しては、
コンテンポラリー・アート(現代音楽等を含む)の
嫌な一例だと感じました。
身体表現力が飛び抜けて素晴らしいとも思えませんし。

休憩無しで2時間弱の舞台を創り上げたことだけは
評価すべきと思いますが。


<注>
文中で"意味"という単語を使っていますが
話したり書いたりする段階では
「言葉」(=意味)に変換せざるを得ないからであって、
作品が「ダンス」という身体表現である以上、
本来そこに"意味"や"言葉"は必要ないということは
追記しておきます。
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『ゼータ関数』とは?

2009-11-27 12:27:04 | 
『リーマン予想は解決するのか?』
読み終わりました。

面白かったです。
ほとんど理解できませんでしたが。


「リーマン予想まであと10歩」という章で、
「ゼータ関数」の発展の道程が解説されています。

この章を読んで、
今まで全く理解できなかったものが
ほんの少しだけわかったというか、
今後どういった本を読めばより理解が深まるか、
という一筋の光明が射してきました。


今さらですが、「リーマン予想」とは

『ゼータ関数の非自明な零点は全て実部が1/2の直線上に存在する』

というものです。

この中で唯一わかる言葉は
「直線上に存在する」だけです。
何かが一直線上にキチンと並んでいる、
という予想です。


すごい世界ですね、「数学」は。


ところで、
この「ゼータ関数」という言葉の響きが
なんともかっこいいんですよね。

発展形として、発見した人の名前を付けた
「リーマン・ゼータ」
「セルバーグ・ゼータ」
などの呼び方もあり、これらもグッときます。


いまのところ
「日常会話で使ってみたい専門用語ランキング」の
第1位です。



「ゼータ関数をP進数に拡張する時さあ・・・」
ってな感じでね(↑意味不明)。
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リーマン?

2009-11-26 21:33:14 | つぶやき


リーマン?

く~まん
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リーマン予想は解決するのか? を読む

2009-11-26 12:03:39 | 
『リーマン予想は解決するのか?』
(黒川信重・小島寛之)
を読み始めました。

買う時にパラパラと頁をめくってみると
縦書きだったのでちょっと安心。

この手の本は計算式が出てくるので
横書きの場合が多いんです。
それが縦書きということは、
計算式が少ないことを意味します。


それに前書きに
「高校生レベルから読めるけど、
プロ級の人が読んでもスリリングな本」
とありました。

本当ですね?信じていいですね?
この手の謳い文句には何度もだまされてますので。
こっちは三角関数でつまづいて以来、
文系一筋ですからね。


で、実際の中味ですが・・・。

第1章は
「現代数論の戦略」
「絶対数学の戦略」
と題されており、
いままでのリーマン予想攻略方法と
最先端の攻略方法の紹介でした。

これが 「わらないにも程がある!」
というくらいわかりません。
(最先端の数学の話ですから当然で、
次章は少しやさしくなってます)


でも、同じ「わからない」でも
哲学系の本の「わからなさ」とは
ちょっと違うんですよね。

哲学は哲学者本人の「疑問(問題)」の発見と
それとの「格闘」の記録です。
ですから、その人が囚われた「疑問(問題)」
を共有できない限り
「何を言っているのかさっぱりわからない」し、
「何を問題にしているのかもわからない」
ということがしばしば起こります。


本書のような科学系の本の場合は、
「何が凄いのかよくわからない」けど
その問題と格闘している人々の
興奮や驚きみたいなものは伝わってきます。


果たしてこの先どうなるか・・・。
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NHK-hi 『素数の魔力に囚われた人々』

2009-11-25 12:28:57 | テレビ番組
NHK-hiで『素数の魔力に囚われた人々』
という番組を見ました。


数学界の未解決問題の中でも別格の存在とされている、
今から150年前に提出された「リーマン予想」。
その「リーマン予想」と数学者との格闘を紹介した
科学ドキュメンタリー?番組です。

NHKではたまにこの手の番組を放送しますが
いつもとても楽しみにしています。


私は文系人間ですが、
物理や数学の解説書・入門書などを読むのは
とても好きです。

数学の分野では、
 フェルマーの最終定理
 ゲーデルの不完全性定理
 ポアンカレ予想
 ケプラー予想
 四色問題
 無限論

物理・科学の分野では、
 相対性理論
 量子力学
などの本をたまに読んでます。 


もちろん、内容はほとんど理解できません。
哲学系の本の場合は「10%理解」を目指していますが、
これらの分野はよくて5%くらい、
あるいは1%くらいしか理解できていません。

それでも「なんか凄い事がおこってる!」
という面白さが伝わってきます。


昔読んだ『素数の音楽』
(マーカス・デュ・ソートイ/冨永星訳)
というリーマン予想の本を引っ張り出して
ペラペラとめくってみましたが、
やっぱり難しい。

ということで、新聞の切抜きをしておいた
『リーマン予想は解決するのか?』
(黒川信重・小島寛之)
を買ってきて読み始めました。


内容は「衝撃的」でしたが、つづきはまた後日。
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