前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

『セザール・フランク』(ヴァンサン・ダンディ著)

2023-07-08 19:20:12 | 
ヴァンサン・ダンディ著(佐藤浩訳)『セザール・フランク』を読みました。




ヴァンサン・ダンディはフランクの弟子で「フランスの山人の歌による交響曲 」が有名ですね。
本著『セザール・フランク』は1906年に出版されたようです。


2022年はフランク生誕200周年にあたりましたので
それに合わせた企画物のCDは気にかけていたのですが本は盲点でした。
1953年(昭和28年)に出版された本の加筆・復刻版になります。

最も近くでフランクに接していた人による伝記であり作品の解説・評論です。
近すぎるが故の多少の"身贔屓"もあるとは思いますが、やはり説得力がありますね。


フランクについて書かれた評伝等はあまりありません。
ですのでフランク自身についてはCDのライナーノートや
ポケットスコア(楽譜)などに書かれたものが数少ない情報源でした。

でもそれらで知っていたこと、例えば
交響曲について同時代の作曲家グノーに全否定されたがフランク自身は「思った通りのいい音楽だった」と満足げだった
弦楽四重奏曲の初演は珍しく大成功で「ようやく私の音楽が理解された」と喜んだ
などのエピソードは、全てこの著書が原典であったことがわかりました。


著書の中盤は
第1期(1841~1858)
第2期(1858~1872)
第3期(1872~1890)
に分けた、かなり専門的な作品解説なので正直難しいのですが
弟子だったからといって全ての作品を盲目的に褒めるのではなく
特に第1期などは(晩年の斬新さ崇高さと比べて)かなり厳しい意見も述べています。

ただ、その第1期の中で以前にも紹介した、晩年の特徴である"循環形式"を用いた
ピアノ三重奏曲嬰へ短調」については
当時のフランス音楽界に現れた「音楽史上の一重大事件」として高く評価しています。


「訳者あとがき」で佐藤浩さんは、この著書がフランクの研究書として「比類ない意義を持つ」
と書かれていますが、それは「フランクの直弟子が書いた」というだけではなく
フランク、ダンディともにカトリック信者であった点に注目しておられます。

純粋な器楽曲以上に
第1期:聖書による牧歌「ルツ」
第2期:交響詩「贖罪」
第3期:オラトリオ「至福」
という宗教音楽作品が各時代の代表作品として取り上げられています。

フランクが、作曲家、教育者であると同時に
カトリック信者、教会のオルガン奏者として生涯を過ごしたことは知ってはいましたが
改めて宗教作品ももう少し聴いてみようと思います。


MOSTLY CLASSIC 2020年3月号

2020-02-01 00:09:07 | 
雑誌「MOSTLY CLASSIC 2020年3月号」
【シンフォニスト(交響曲作曲家)の時代 ブルックナー】
を買いました。



学生時代は「レコード芸術」や「音楽の友」といった
クラシック専門雑誌をよく買っていましたが、最近はとんとご無沙汰でした。

何気なく立ち寄った本屋さんで、こんな特集を見てしまうとつい手が出てしまいます。
とりわけ熱心なブルックナー・ファンというわけではありませんが、
曲だけでなく、その人自身を知りたいと思わせる作曲家です。


そういえば、最初に買ったCDはブルックナーの第7番か第3番だったと思います。


交響曲第7番ホ長調
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(写真は後に出たドイツ・レクイエムとのカップリング盤)
すでにLPで持っていましたが買い直したもの。



交響曲第3番ニ短調
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
衝撃の「第1稿」世界初録音!当時、凄い話題でしたね。


熱心なカトリック信者で、教会のオルガニストだったあたりは、
セザール・フランクと共通するところでもあります。

評論家の解説によると、
彼の交響曲にはオルガン奏者としての影響が多くみられるそうです。
管弦楽全体を休止させる「ブルックナー休止」や
オーケストラ全体が同じ旋律を奏でる「ブルックナー・ユニゾン」、
同じ音型を音の高さを変えながら繰り返す「ブルックナー・ゼクエンツ」など。


さらに今回買った「MOSTLY CLASSIC」には、
ブルックナーの交響曲は宗教音楽だったのでは、との解説が載っていました。

ミサ曲(宗教音楽)は教会以外では演奏されず、
また交響曲(世俗音楽)が教会で演奏されることもあり得ない時代に作られた、
劇場で演奏される宗教音楽、教会内で演奏されてもおかしくない世俗音楽。

う~ん、なるほど~。これがブルックナーの交響曲の神髄かも。


ところで、ブルックナーという人物、
どうしても"冴えない田舎者"というイメージがあります。
("田舎の分校の校長先生"とは誰の言葉だったか・・・)
若い女性に求婚しては振られ、生涯独身だったとか。

失礼ながら、放浪の画家、山下清画伯(いわゆる裸の大将)や、
"たまのランニング"ことミュージシャンの石川浩司さんを思い出させます。


アントン・ブルックナー



"たまのランニング"こと石川浩司さん
ちなみに石川さんはドラマで山下清役を演じたことがあるそう。

写真の風貌からの印象も大きいのですが、
そんな"人となり"と作品のギャップも、魅力の一つかもしれません。

よこみぞゆり 『すみっコぐらし』

2014-08-24 08:03:45 | 
宮田珠己さんの『いい感じの石ころを拾いに』を買った際、
一緒に『すみっコぐらし』も買いました。
(どっちかというとこっちがメインかも・・・)



しろくま、ねこ、とんかつ、たぴおか、などなどいる中で、
お気に入りは、みどりいろの「ぺんぎん?」です。

昔は頭にお皿があったような・・・自分がぺんぎんか自信がない・・・。




我が家のすみっコは、結構増えています。

宮田珠己 『いい感じの石ころを拾いに』

2014-08-23 18:13:52 | 
宮田珠己さんの『いい感じの石ころを拾いに』という本を読みました。




宮田珠己さんは、いろいろな旅行記を書いておられるようですが、
今まで全く存じ上げませんでした。

それらのタイトルも、

  「だいたい四国八十八ヶ所」
  「ときどき意味もなくずんずん歩く」
  「ジェットコースターにもほどがある」
  「日本全国津々うりゃうりゃ」

などなど・・・。

そしてこの新刊が、『いい感じの石ころを拾いに』です。
もう、読む前から「面白いに決まっている」って思い買いました。


水晶のような美しいものや、希少価値のある鉱物結晶、
観賞用の水石ではなく、普通の(でもなんかいい感じの)石。
それらをただただ拾う、という"趣味"は、
一般にはなかなか賛同されにくいようですが、
「なんかわかる!」という人も結構いるのではないでしょうか。

かくいう私もそう思ったから思わずこの本を買った次第で。


その「いい感じ」は私と宮田さんとでは違うでしょうし、
人それぞれみんな違うでしょうけど、でもなんかいい感じ。

すぐにでもそんな「いい感じの石ころ」を川原や海辺に拾いに行きたくなります。
諸々の理由で即刻、妻に却下されましたが(T_T)

宮田さんをはじめ、ほかの石拾いメンバーも、石を拾っている間は皆、
無言。無心。いいなあ。

穂村弘 『絶叫委員会』 (ちくま文庫)

2013-06-30 22:04:45 | 
穂村弘さんの『絶叫委員会』(ちくま文庫)を読みました。

穂村さんの作品では過去に
  『短歌ください』(メディアファクトリー)
  『世界音痴』(小学館文庫)
の二冊を取り上げました。

デビュー作『シンジケート』以来の"ファン"ですが、
かといって新刊が出るたびにすぐに買って・・・というわけでもなく、
たまに本屋で見かけた際に買う、といった程度なんでんですが、読めば必ず"大満足"です。


本書『絶叫委員会』は、街中などで出会った印象的な言葉たち、
不自然な、奇妙な、致命的な、でも圧倒的に力強い、"リアリティ"のある言葉たち。
それらを紹介したものですが、
「あとがき」に書かれているとおり「偶然性による結果的ポエム」の考察となっています。


今ではその存在自体、ほとんど見かけなくなった駅の伝言板。
その伝言板史上(穂村さん史上)最も忘れがたいメッセージ。

  「犬、特にシーズ犬」

誰から誰宛のものなのか、そもそも意味は、シーズ犬(シーズー犬?)・・・

この"奇妙な真剣さ"を穂村さんは「天使の呟き」と評します!


駅の伝言板といえば、
私が学生時代に出会った(私史上最高の)メッセージ?を思い出しました。

  <ブス二人へ。先に行ってます。美人二人より>

まだ携帯電話などない時代。
おそらくは実際の容姿に関係なく、時間通りに来た方が優位(=美人)に、
一方遅れた方は自動的に劣位(=ブス)になる、というその即時的ルール!



『絶叫委員会』に戻ります。
たまたま入った蕎麦屋の貼り紙。読んでいて思わず声を出して笑ってしまいました。

  「当店のカツ丼はこだわりカツ丼ではありません。」
  「普通のそば屋のカツ丼です。」

貼り紙から声がきこえる、と穂村さんはいいます。
「こだわりカツ丼」から肉声めいたものが、
「普通のそば屋のカツ丼です」からは諦めとも誇りともつかない存在感が、と。


私がとある街で見かけた食堂の看板には次のようなコピーが。

  <想い出す味>

「思い出の味」ではなく、「想い出す味」・・・。
清水義範さんの小説に出てくる「時代食堂」のような「特別料理」を出してくれるのでしょうか。
私は怖くて?入れませんでしたが。


思えば自分自身、
若い時は街中などの"印象的な言葉たち"にもっと敏感だったような気がします。
この本を読んで、もう少し「街中に溢れている詩」に目を向けてみようと思いました。