前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

フランク 『ヴァイオリン・ソナタ (管弦楽伴奏版)』

2021-01-29 23:26:02 | セザール君の作品
セザール・フランク『ヴァイオリン・ソナタ (管弦楽伴奏版)』を聴きました。

ヴァイオリン:レオニード・コーガン
指揮:パーヴェル・コーガン
ソ連国立交響楽団(1980年1月9日ライブ)



前から「コーガンが演奏していた」という情報は知っていたのですが
CDは手に入らず、ずっと聴けず終い。と思ったら動画サイトにアップされていました。


好きなクラシック作品の編曲版を聴くのが好きです。
編曲の仕方にもいろいろありますが、大きく分けると三種類?ですかね。


①「平行移行版」(勝手に名付けています)
ヴァイオリン曲をピアノに置き換えたり、チェロで演奏したものです。
バッハのシャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン曲)のピアノ編曲が有名ですかね。

②「ダウンサイジング版」(勝手に名付けています)
オーケストラ曲(交響曲等)をピアノ(ソロまたは連弾)や弦楽四重奏で演奏したもの。
ベートーヴェンの交響曲は九曲全部、リストがピアノ用に編曲してます。

③「アップサイジング版」(勝手に名付けています)
ピアノ曲や室内楽曲をオーケストラで演奏するケースです。
ブラームスの「ハンガリー舞曲集」は最初ピアノ連弾用として書かれて
後に管弦楽用に編曲されています。


②も③も作曲者自身が編曲している場合がありますね。
オーケストレーション前の草稿として、先にピアノ譜として書かれたり
オーケストラ曲を「普及版」(家庭で楽しむ用)として出版したり
ということもあったのだと思います。


今回聴いた曲は③「アップサイジング版」の1曲です。

フランクのヴァイオリン・ソナタには、既にいろいろな編曲版があります。

有名なのは、ヴァイオリンをチェロに置き換えた「チェロ版」です。
結構多くの演奏(CD)が世に出ていますね。

弦楽器同士ですから、まあ普通といえば普通なのですが
第一楽章の初めの方に、ちょっと"気持ちの悪い"オクターブの読み替えがあって
そこがどうにも好きになれず、あまり聴きたいとは思わない編曲です。

そのほか、ヴァイオリンパートを管楽器で演奏したものを
いくつか聴いたことがありますが、まあそれなりに、というところでしょうか。
(これらは前記の分類でいうと「平行移行版」になりますね)


バリトン・サックス版


変わり種は以前にもご紹介した「ピアノ独奏版」(コルトー編曲)です。
ヴァイオリンとピアノの曲を、わざわざ「ピアノ単独」で演奏するという力業!
(2人⇒1人というこれ以上ないダウンサイジング)


ピアノ:永井幸枝


前置きが長くなりました。
ヴァイオリン・ソナタとしては珍しい、管弦楽への「アップサイジング版」ですが
結論からいうとかなり「残念」な仕上がりに。
※編曲の出来不出来とは別にコーガンの演奏自体に魅力がないのも残念な理由ですが。


それほど激しい曲ではないので「協奏曲風」になるわけでもなく
オーケストラ演奏の部分(本来のピアノパート)は、ちょっと安っぽい映画音楽のよう。
(編曲者は誰でしょう?)


この「アップサイジング」という編曲
原曲作曲者以外が手を出すのは、結構"危ない"代物だと思います。
往年の名指揮者ストコフスキーが編曲した
バッハ大先生のオルガン曲「トッカータとフーガ」の管弦楽版も"ゲテモノ感"が否めない・・・
(結構、コンサートでも演奏されますが)

私の最も好きなフランクのピアノ曲「前奏曲、コラールとフーガ」にも
実はフランクの弟子、ガブリエル・ピエルネが編曲した管弦楽版があるのですが
正直いうと「何のために・・・誰得なの・・・」です。

そもそもオリジナルが、オケで"映える曲"なのかどうかの見極めも大事ですね。


今回の「管弦楽伴奏版」。ようやく聴けたという喜びはあるのですが
あまり(というかほとんど)認知されていないのも当然かなと。


そう考えると「アップサイジング版」の大傑作
ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」を管弦楽曲に編曲したラベルの凄さが際立ちますね。
(もはやこっちが"オリジナル"のようです)

「これは"映える"!」と直観したのでしょうか。


NHK総合 『ここは今から倫理です。』

2021-01-25 22:52:47 | テレビ番組
私の高校時代、一年時の社会科には、日本史、世界史、地理のほかに
現代社会1・現代社会2という科目がありました。

現代社会1は
主に第二次世界大戦後から現在にかけての歴史や国政などを学ぶ授業だったと思います。

そして、現代社会2は「倫理」の授業でした。


当時は生徒数も多く
一クラスに40人以上、一学年に8~9クラスくらいあったと思います。
ですから、同じ教科でもクラスによって担当する先生が違うこともありました。

私のクラスの現代社会2を受け持った先生は、ちょっと変わった人でした。
(仮に「T先生」とします)

古代ギリシャの哲学者、ゼノンのパラドックスについて議論したり
「パパラギ」(はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集)という
本の一節をテキストに使ってみたり
井上陽水や中島みゆきの歌(歌詞)について考えてみたり・・・


都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
(井上陽水「傘がない」)


私 本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で
ころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です
ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ
(中島みゆき「ファイト」)


あの時(高校一年の時)
私よりも少しだけ早熟で大人だった同級生達は「青臭いことを」と
馬鹿にしていたのかもしれません。
私よりも少しだけ幼かった同級生達は「意味わかんない」と
退屈に感じていたのかもしれません。

でもあの時、こういう"世界"が強烈に心に突き刺さる人達もいました。
そしてそれは(大袈裟ではなく)生涯に渡ってその人に大きな影響を与え続けます。
正に"あの時"に出会ったからこそ。


1月16日からNHK総合で『ここは今から倫理です。』というドラマがスタートしました。
(雨瀬シオリさんの漫画が原作のようですが未読です)

主役の山田裕貴さんが演じる「高柳先生」に、あの時の「T先生」の姿が重なります。

あの時と同じように
このドラマ(漫画)の言葉が強烈に心に突き刺さる人達がいるのでしょう。
それらは決して多くはないかもしれませんが、必ず。


だから、物語の生徒達と同じように
16歳の時にT先生と出会い、あの授業が心に突き刺さった生徒は
30年以上経って中年になってもなお、このドラマを観て「高柳先生」の言葉に涙するのです。



刑事コロンボ 『殺しの序曲』

2021-01-09 15:28:15 | テレビ番組
NHK-BSで「刑事コロンボ」が毎週再放送されていますが
先日、コロンボシリーズで一番好きな作品『殺しの序曲』が放送されました。
(一番好きといっても全作品観ているわけではないですが)


(オリジナルは1977年放送・第40話)


人口上位2%の知能指数(I.Q.)を持つ者だけが入れる国際的なクラブ
「シグマ協会」の会合中に起きた殺人事件。

犯人の会計士は、自分の不正を暴こうとした共同経営者の友人を殺害。
メンバーと談笑中に殺人が行われたようなトリックを用意していますが、
その天才が考えた巧妙なアリバイ工作をコロンボが解いていきます。


日本語版の『殺しの序曲』というタイトルは
チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」のレコードがトリックに使われ
作品中も頻繁に曲が流れるからですが、なかなか"粋"なタイトルですね。


物語に出てくる「シグマ協会」は、高I.Q.団体「メンサ」がモデルだと思いますが
犯人役を務めたセオドア・ビケル(バイケル)さんもメンサの会員だったようです。


彼は作中で「I.Q.が高いこと(天才)」故の苦悩(十字架)について吐露し
彼ら(シグマ協会会員たち)を「退屈でエキセントリックなだけだ」と評します。
しかし、そんな彼ら(天才たち)の中でも"自分が一番だ"というプライドが垣間見れます。

コロンボがトリックを一つ一つ暴いていき、最後に犯人を追い詰める場面では
正にその"プライド"を利用して、彼から「自供」を導き出します。


この辺り、他の作品とは違った犯人との丁丁発止も、この作品が好きな所以であります。
(そして自分のトリックを見破ったコロンボに対する感嘆の言葉も)


ちなみに、物語途中に出てくる
秤を1回だけ使ってニセ金貨を見つけ出す問題とかも面白いですよ。