前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
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(一服ざる)

ゴルトベルク変奏曲:ファジル・サイ

2024-02-23 19:59:26 | ゴルトベルク変奏曲
ファジル・サイ(Fazil Say)が弾くゴルトベルク変奏曲を聴きました。



トルコ出身のファジル・サイは
いわゆる有名なチャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールなどで
優勝、入賞して華々しくデビューという感じではありません。
(ニューヨーク・ヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝、らしいですが)

コンクール出身でない場合
若い頃からすでに"神童"、"天才"と呼ばれてデビューしている方もいます。
また一方で、"奇才(鬼才)"などという惹句がついて紹介される方もいます。

ゴルトベルク変奏曲つながりでいうと
グレン・グールドは"神童"として子供の頃から演奏活動を行いつつ
レコードデビュー以降は、その独特な演奏スタイルから"奇才"とも呼ばれていましたね。


私がファジル・サイの名前を知ったのは、ストラヴィンスキー「春の祭典」(ピアノ・ソロ版)です。
(聴いてはいません)
「春の祭典」はアシュケナージとガブリーロフによるピアノ・デュオ版はかなり愛聴していましたが
そもそも4管編成の大オーケストラ用の曲を、さらに一人で?と思いましたが、なんと多重録音!
まあ"奇才(鬼才)"といわれるのも当然かと。

最初に聴いたグールドの印象が強すぎるせいか、他のピアニストの演奏はあまり聴いていません。
また聴いても愛聴するまでにはなりませんでした。
ですので、塚谷水無子さんの「ブゾーニ編曲版」は"例外"でした。


前置きが長くなりましたが、ファジル・サイ盤『ゴルトベルク変奏曲』は
実は(予想に反して)全ての繰り返しを行っているので、聴くのを躊躇っていました。

前半はかなり軽快なタッチで、しかもジャズのような即興的雰囲気もあり楽しいのですが
すべて繰り返しの76分はやはり飽きてくる。
正直ちょっと期待外れでした。
ところどころ、変わった強弱のつけ方やリズム、声部の強調は、おっと思うのですが・・・
(特に第20変奏など出だしの部分はまるで違う曲のよう)

ピアノによるゴルトベルク変奏曲は、楽しさ、面白さがないときついですね。
だからどうしても編曲版に手が出てしまう・・・


こうしてみると、グールドのピアノによる演奏が
曲全体として統一感を持たせるというアプローチは"画期的"である一方で
いかにスムーズに各変奏が連なっていくか、いかに聴き易いかが改めて分かりました。