前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

教会探訪【File.058】:聖ヨゼフ病院聖堂

2020-08-20 22:25:08 | 教会など
都内近郊にある色々な教会を観て回っています。
旅行先でも観光地だけでなく、その地の教会を訪れたりしています。
それぞれに歴史と個性がありますね。

◎整理と備忘録を兼ねてアップしています。
★こちらは外出自粛前に撮り溜めたもので、去年のクリスマスの時期です。

※聖堂内は「祈りの場」なので、信者の方々の邪魔にならないよう
 可能な場合のみ撮影しています。


◆聖ヨゼフ病院聖堂
住所:神奈川県横須賀市緑が丘(横須賀中央駅)
創立:1952年



カトリック横須賀三笠教会近くの聖テレジア会・聖ヨゼフ病院。
その中にある聖堂です。



聖ヨゼフ病院は建て替え中でしたが入ることができました。



聖堂は現在も使われているようです。
小さいですが、とても綺麗です。



祭壇です。
きっちりコンパクトにまとまってますね。



聖ヨセフ像とプレゼピオ。



聖母マリア像。



後方(入口)です。
病院の中にある聖堂ですが、なかなか立派でした。

『透明少女』 by PEDRO

2020-08-09 21:22:26 | クラシック以外の音楽
音楽の繋がりというか、縁?というものは不思議なものです。


人生の後半戦というか終盤戦にさしかかり
「終活」というわけではないですが、少しずつモノを少なくしています。

CDの処分もその一つですが
「思い出」というか「青春」として、なぜか心に引っかかり続けていたのが
(改めて「心に引っかかっていた」ことに気づいた、という方が正確かも)
前にも書きましたがNUMBER GIRLです。

NUMBER GIRLがライブで『透明少女』を演奏する前
いつもボーカル・向井さんの短い、でも印象的な語り(独り言?)があります。


あるいはそう、そうだね
蝦夷の地に一人佇む江戸から来た女の子がいましたね
あの娘って誰? そう、それが例えば透明少女
(RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO)

最後の「透明少女」の言葉とももに、
田渕ひさ子さんのギターがかき鳴らされ曲が始まります。


THEE MICHELLE GUN ELEPHANT以降
久しぶりに「ライブを観てみたい」と感じさせてくれたのがBiSHでしたが
YouTubeなどでMVやライブ映像、インタビューなどを漁る中で
BiSHのメンバー、アユニ・Dさんのソロバンド・プロジェクト「PEDRO」に辿り着きました。


2018年9月に都内で開催されたファースト・ライブは
アユニ・Dさん自身がヴォーカルとベースを担当し
ドラムに毛利匠太氏、ギターに田渕ひさ子さんを迎えて行われました。


途中、アユニ・Dがまるで独り言のように語り出します。

そういえばわたし
目に焼き付いてずっと頭から離れない女の子がいるんですよ
わたしが思うに、例えばあの子は透明少女

そしてあの時と同じように
最後の言葉とともに田渕ひさ子のギター


『透明少女』のカバーです。
まさかこんな(BiSHからの)流れでNUMBER GIRLに再度出会うとは思いませんでした。


アユニ・Dの語りの途中で男性の歓声が聞こえます。何が始まるのか分かったのでしょう。
BiSHファン、アユニ・Dファンだけでなく、田渕ひさ子ファンもいたのだと思います。


BiSHやPEDROの作品すべてを知っているわけではありませんが
そこから見えてくる世界観は、明るくポジティブなものよりは
(彼女たち自身を含めた)同世代の人たちの"痛み"や"葛藤"、"闇"を
描いたものが多いように感じます。

私としては、この世界観の『透明少女』の方が好きかもしれません。



今日、整理が終わったCDを「ディスクユニオン」に送りました。
売るつもりだったNUMBER GIRLのCDは、まだ手元にあります。


ライブアルバム「シブヤROCKTRANSFORMED状態」

パンクとは何か?:BiSH『NON TiE-UP』

2020-08-05 00:01:05 | クラシック以外の音楽
アニメ「鬼滅の刃」の主題歌「紅蓮華」を歌っていらっしゃるLiSAさんが
先日「HEY!HEY!NEO! MUSIC CHAMP」に出演されました。

そこでLiSAさんは、
浜田雅功さんが音楽ユニット「H Jungle with t」名義で歌った
「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」が大好きだったという話の流れから
「パンクは攻撃しているように見えるが、守る音楽だと思う」
という趣旨のことをおっしゃっていました。

この捉え方が、LiSAさん独自のものなのか
どこかで語られていることなのかはわかりませんが「なるほどなあ」と思いました。


私も「パンク・ロック(Punk Rock)」という言葉からは
「保守的なもの、体制的なものを攻撃し破壊する(音楽)」というイメージを持っていました。

でも本当は
「他人や社会から自分の居場所や大切なものを守る(ために戦う)音楽」
というものなのではないか?
それがLiSAさんのおっしゃった言葉の意味なのかなと思います。

その「戦う相手」が、ときに権力や国家であるので
よりアナーキーで過激に見えるだけなのかもしれません。


BiSHは「楽器を持たないパンクバンド」と謳われています。

2018年にリリースされた『NON TiE-UP』の"大意"は
自分たちの意にそぐわないことを無理強いされるくらいなら
(自分たちが大切にしているものを奪われるくらいなら)
"タイアップ"なんかいらねえ、ということだと思います。

そしてそこには、単に商業上のこと、
いわゆる音楽業界などで使われる意味合いだけではなく
もっと広い意味での"交換条件"や"妥協"も含まれるのではと感じます。



あっち行ってくれよ
二度と構うな
ほっといてくれよ

これぞまさしく「パンク・ロック」です。カッコいい!

MVはCGを使った壮大な「絵」になっていますが
歌われる詩は唖然とするほど挑発的、具体的で刺激的です。
(私が今まで聴いたロックの中でも一番"過激"かも)

「楽器を持たないパンクバンド」の名に恥じぬ大傑作ですね。






日本語の「抱き合わせ」という意味で使う場合、
英語では「tie up」より「tie in」の方が一般的らしいです。
「tie up」だと「縛り上げる」や「動けなくする」という意味でも使われるそうなので。

でも、もしかしたら
「(作られた)一つのイメージに縛られる」
「(こうあるべきという)固定観念に捕らわれる」
ことを拒否するという"宣言"としての「NON TiE-UP」も含んでいるのかもしれません。

BiSH『My landscape』

2020-08-01 00:01:14 | クラシック以外の音楽
先日「ディスクユニオン」に売るためにCDを整理したことを書きました。

自分の「青春だった」THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
「青春ではなかった」NUMBER GIRLの思い出

最後にライブを観に行ったのはいつだったか、もう覚えてはいません。


THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
惑星
MACARONI
SORROW

どのバンドもすでに解散していますので生でライブを観ることはできません。
ミッシェルのギター、アベフトシさんはすでに鬼籍に入り
SORROWの川村カオリさんも永眠されました。
演奏や歌声はおろか、姿すら見ることができません。


ミッシェルの動画をYouTubeで観ると
たまに当時を知らない若い方がコメントを書かれています。
曰く「もっと早く生まれたかった」「生でライブを観たかった」等々

あのとき、私だけでなくファンの多くが、このバンドと同時代に生き
ライブが観られることを"奇跡"として感謝したはずです。


当たり前のことですが、今、この時代にもカッコいいバンド、素晴らしいアーティストは沢山いて
彼らと「青春時代」に出会えたこと、そのライブを「同時代」に体感できること
それを羨ましくも思うのです。


今の自分が彼女たちから感じるものは
もしかしたら若い人たちの感じ方と違うのかもしれません。

でも、BiSHの『My landscape』や『stereo future』を聴くと
ライブ映像やMVを観ると「いい曲だなあ」「カッコいいなあ」と思うと同時に
何故か切なくなり、いつも涙が出てくるのです。



それは自分の「青春時代」に出会えなかったことへの寂しさなのか
それとも単に歳をとって涙もろくなったせいなのか。

正しい表現ではないかもしれませんが
「不完全な直向きさ」とでもいうようなものに心が震えるのです。


長らく忘れていた衝動が呼び覚まされた感じです。
ミッシェルの動画にコメントした人たちの気持ちがわかります。
久しぶりに「ライブを観てみたい(体感したい)」と思いました。



いまさら"清掃員"に"再就職"するのは難しいですが
コロナ禍が過ぎたころには"アルバイト清掃員"くらいになれたらいいな。