前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

C.P.E.バッハ『ヨハネ受難曲』(日本初演)

2018-03-17 22:28:54 | クラシック音楽
バッハ大先生の次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの
『ヨハネ受難曲』(H785 1772年版)を聴いてきました。
(日本初演だそうです)


ヨハネス・カントーレス第13回演奏会

合唱・管弦楽:ヨハネス・カントーレス
指揮・アルト:青木洋也
福音史家:中嶋克彦
イエス:浦野智行
ソプラノ:藤崎美苗
テノール:石川洋人
バス:藤井大輔

ウェスレアン・ホーリネス淀橋教会





エマヌエル・バッハのことは曲も含めてほとんど知りませんでしたが、
物知りウィキさんによると、
モーツァルトやハイドン先生、ベートーヴェンなどにも多大な影響を与えたそうで、
和声の色彩感、旋律の美しさと親しみやすさによって、前古典派の作曲家の中で重要な先駆者
とのことです。

ようやく手に入れたCDを聴いてみると、
確かに第5曲のアリアなど、バッハ大先生の受難曲とは違い、
ロマン派の曲のような親しみやすさ。

なるほどなるほど、と思い、「予習」もそこそこに演奏会に。
(結局、出張の際の新幹線の中で1回通して聴いたのみ)





で、本日の演奏会だったのですが、衝撃的?な出来事が3回。


まず第1の衝撃。

頂いたプログラムにエマヌエル・バッハおよび受難曲のことが
詳しく書かれていたのですが、彼の作った受難曲21曲は全て、
「パスティッチョ」(寄せ集め)の作品であったということ。

1745年に作曲された、テレマンの「ヨハネ受難曲」をベースに、
当時人気のあった、ホミリウス、シュテルツェルなどの曲を
組み合わせたものだそうです。
(歌詞や楽器編成などは変更されているそうだが)

自分が聴いて、ロマン派っぽいなあと感じたのはシュテルツェルの曲のようです。
(原曲を聴いてはいないので、楽器の伴奏とかまで同じなのかは不明ですが)


そのような作曲形式(作曲と言えるかどうか微妙ですが)になった理由は
時代背景や、彼が音楽監督を務めたドイツ・ハンブルク市の音楽事情など
色々あったようですが割愛します。

まあ、18世紀の優れた教会音楽のコンピレーション盤?てとこでしょうか。


さてさて演奏が始まったのですが、ここで第2の衝撃。

指揮者(青木洋也)も独唱者として歌うのですが、なんと女声部(アルト)担当。

そう、パンフレットにも「指揮・アルト」てはっきり書いてある!
完全に見落としていた。

青木さんはもともとカウンターテナーの歌手だそうです。
で、先ほどの第5曲アリアを、客席に向かって実に美しい歌声で歌いました。



演奏の途中で、教会の天井近くの三角窓から午後の陽が差し込んできました。
隣の妻は眩しそうにしていましたが、私は陽を浴びながら昇天するような気分。
悪くなかったです。



で、曲も大詰めになって、第3の衝撃。

第23曲の合唱「聖なる御からだよ、やすらかに」。
これはバッハ大先生(パパ・バッハ)の作品(「ヨハネ受難曲」)なのですが、
その声部の入り組みの、まあ複雑なこと。

明らかにそれまでの曲と響きが違う(格が違う?)。

やっぱり父にはかなわないか。バッハ大先生の凄さを改めて実感。


演奏、独唱、合唱、そして教会という環境も含めて、大満足の演奏会でした。



追記
エマヌエル・バッハの楽譜は第二次世界大戦の際に行方不明になり、
1990年にウクライナで発見されるという数奇な運命を辿っています。
この辺りもパンフに詳しく載っており、大変ためになりました。