今日放送された、テレビ朝日『題名のない音楽会』で取り上げられたのは
「名曲百選14 生命(いのち)を謳え!究極の人間賛歌!」と題された
オルフのカルミナ・ブラーナでした。
バラエティ番組のBGM?などでもよく使われるので、
クラシック音楽を聴かない人でも第1曲「おお、運命の女神よ」の冒頭は
知っているかもしれません。
編成が大規模ですので、生で聴く機会はあまりありませんが、
演奏の出来・不出来にかかわらず「感動」が約束された曲でもあります。
「人間賛歌」といっても、ベートーヴェンの第九の「賛歌」とは異なります。
「世俗カンタータ」の名のとおり、人間の本性や欲、男女の愛などを謳った、
ちっぽけで普通な、でも、だからこそ愛すべき人間(人生)への賛歌です。
(歌詞はドイツ、ボイレン修道院に保管されていた古い民衆の歌が元です)
シンプルな和声と力強いリズムの繰り返し。それによってもたらされる圧倒的な迫力と感動。
それこそ音楽本来の姿なのかもしれません。
CDでは、ヨッフム盤が名盤として名高いですね。
確かに強烈にスタッカートをかけた合唱団の歌唱は、それだけで異様な雰囲気を醸し出してますし、
フィッシャー・ディスカウの歌声が聴けるのもポイントが高いのですが、
私が長年愛聴しているのは、レヴァイン・シカゴ響盤です。
シカゴ響の(相変わらずの)迫力もさることながら、なんといってもソリスト、
特にフィリップ・クリーチ(テノール)のソロ!
ソプラノ(ジューン・アンダーソン)の有名な第23曲の超高音も凄いのですが、
テノールソロ(これも超高音)が活躍する第12曲「かつて私は湖に住んでいた」を
ファルセットではなく実声?で歌いきるあの迫力。
丸焦げにされて皿の上にのせられた白鳥の、嘆きではなく恨みの絶叫のようです。
この1曲だけでも聴く価値があると思います。
番組では要所々々端折りながらの紹介でしたし、オリジナルにはないナレーションも加わってましたが、
最終曲(第1曲の繰り返し)を聴いていて涙がでてきたのは、単に迫力ある曲だからというだけではなく、
「人間賛歌」ということの意味が琴線に触れたからかもしれません。
「名曲百選14 生命(いのち)を謳え!究極の人間賛歌!」と題された
オルフのカルミナ・ブラーナでした。
バラエティ番組のBGM?などでもよく使われるので、
クラシック音楽を聴かない人でも第1曲「おお、運命の女神よ」の冒頭は
知っているかもしれません。
編成が大規模ですので、生で聴く機会はあまりありませんが、
演奏の出来・不出来にかかわらず「感動」が約束された曲でもあります。
「人間賛歌」といっても、ベートーヴェンの第九の「賛歌」とは異なります。
「世俗カンタータ」の名のとおり、人間の本性や欲、男女の愛などを謳った、
ちっぽけで普通な、でも、だからこそ愛すべき人間(人生)への賛歌です。
(歌詞はドイツ、ボイレン修道院に保管されていた古い民衆の歌が元です)
シンプルな和声と力強いリズムの繰り返し。それによってもたらされる圧倒的な迫力と感動。
それこそ音楽本来の姿なのかもしれません。
CDでは、ヨッフム盤が名盤として名高いですね。
確かに強烈にスタッカートをかけた合唱団の歌唱は、それだけで異様な雰囲気を醸し出してますし、
フィッシャー・ディスカウの歌声が聴けるのもポイントが高いのですが、
私が長年愛聴しているのは、レヴァイン・シカゴ響盤です。
シカゴ響の(相変わらずの)迫力もさることながら、なんといってもソリスト、
特にフィリップ・クリーチ(テノール)のソロ!
ソプラノ(ジューン・アンダーソン)の有名な第23曲の超高音も凄いのですが、
テノールソロ(これも超高音)が活躍する第12曲「かつて私は湖に住んでいた」を
ファルセットではなく実声?で歌いきるあの迫力。
丸焦げにされて皿の上にのせられた白鳥の、嘆きではなく恨みの絶叫のようです。
この1曲だけでも聴く価値があると思います。
番組では要所々々端折りながらの紹介でしたし、オリジナルにはないナレーションも加わってましたが、
最終曲(第1曲の繰り返し)を聴いていて涙がでてきたのは、単に迫力ある曲だからというだけではなく、
「人間賛歌」ということの意味が琴線に触れたからかもしれません。
この曲で1枚となれば、やはりこのシカゴ交響楽団の演奏をとるでしょうが、ここ数年の愛聴盤はデ・ブルゴス指揮のEMI盤です。ヴィルヘルム・ピッツ率いる合唱団による音だけの「演技」に酔ってしまいます。
カルミナはハルサイ同様、どの演奏でもそれなりに楽しめますね。
レヴァイン盤以外の私のお気に入りは、ちょっと変化球ものですが、室内楽版とエリック・チュマチェンコのピアノ独奏版です。
室内楽版(手元にCDがなく演奏者不明)のテノールソロもなかなかです。
ピアノ独奏版は当然歌唱なしなのですが、ピアノで聴くと第23曲のソプラノの最高音が如何に高いかがよくわかります。