随分前のことで記憶が定かでない部分もありますが、
日本人映画監督が対談(もしくは鼎談)したTV番組だったと思います。
1980年に公開された、ロバート・レッドフォード監督作品
『普通の人々』(原題:Ordinary People)という映画について
とても印象に残ることを言っていました。
タイトルが素晴らしい
こんなタイトルを思いついたら、いくらでもアイデアが浮かんでくる
話していたのが誰だったかも、前後の会話の内容も全く覚えておらず、
この部分のみ記憶に残っています。
それは、その時に「なんで?」と疑問に思ったからでしょう。
TBSで放送されている「情熱大陸」は600回記念ということで、
爆笑問題がお一人ずつ、2週に分けて放送されました。
最初は田中裕二さんの特集です。
番組で行ったアンケートの多くが田中さんを「普通」としていましたが、
そんな中で、友人でもある伊集院光さんのコメントが秀逸でした。
時に周りの人々が引いてしまうほどに"暴走"する太田光さんを
切れ味鋭い「刀」に例えて
<なんでも切れる刀>を収めておける<鞘>って凄い
と、田中さんの"普通度合い"を"異常の域"と評していました。
さすがは伊集院、と番組を観ていて思わず唸ってしまいました。
希に見る「名言」だと思います。
ニュースのように実際の事件・事故を伝える番組であっても、
「作り手側」は常に「普通ではない世界(異常な世界)」にいるのだと思います。
そこで「普通」でいることの難しさ(異常さ)について
改めて考えさせられました。
冒頭の"映画監督"が言ったことの意味もそこに繋がってくるのかもしれません。
「映画(という"異常な世界")に"普通"というタイトルをつけた」時点で、
すでに"勝負あり"ということでしょうか。
長い間、疑問に思っていたことに"解答"が得られた感じです。