前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

情熱大陸 ~爆笑問題(田中裕二篇)~

2010-05-27 21:57:54 | テレビ番組
随分前のことで記憶が定かでない部分もありますが、
日本人映画監督が対談(もしくは鼎談)したTV番組だったと思います。

1980年に公開された、ロバート・レッドフォード監督作品
『普通の人々』(原題:Ordinary People)という映画について
とても印象に残ることを言っていました。

  タイトルが素晴らしい
  こんなタイトルを思いついたら、いくらでもアイデアが浮かんでくる

話していたのが誰だったかも、前後の会話の内容も全く覚えておらず、
この部分のみ記憶に残っています。
それは、その時に「なんで?」と疑問に思ったからでしょう。



TBSで放送されている「情熱大陸」は600回記念ということで、
爆笑問題がお一人ずつ、2週に分けて放送されました。

最初は田中裕二さんの特集です。
番組で行ったアンケートの多くが田中さんを「普通」としていましたが、
そんな中で、友人でもある伊集院光さんのコメントが秀逸でした。


時に周りの人々が引いてしまうほどに"暴走"する太田光さんを
切れ味鋭い「刀」に例えて

  <なんでも切れる刀>を収めておける<鞘>って凄い

と、田中さんの"普通度合い"を"異常の域"と評していました。
さすがは伊集院、と番組を観ていて思わず唸ってしまいました。
希に見る「名言」だと思います。


ニュースのように実際の事件・事故を伝える番組であっても、
「作り手側」は常に「普通ではない世界(異常な世界)」にいるのだと思います。
そこで「普通」でいることの難しさ(異常さ)について
改めて考えさせられました。



冒頭の"映画監督"が言ったことの意味もそこに繋がってくるのかもしれません。
「映画(という"異常な世界")に"普通"というタイトルをつけた」時点で、
すでに"勝負あり"ということでしょうか。


長い間、疑問に思っていたことに"解答"が得られた感じです。

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 のつづき?

2010-05-18 22:13:40 | クラシック音楽
随分前に、音楽雑誌(「レコード芸術」だったと思います)で
「好きな作曲家ランキング」みたいなものをやってました。
(この手のものは今でもよくやってるのかな?)

もう10年以上も前の"データ"ですが、
ブルックナーを好きと答えた人の9割が男性、との結果でした。


クラシックファンの"男女比"は半々くらいだとしても、
「あの指揮者がああだこうだ」とマニアックに語るのは
おそらく男性の方が多いのでは、と思います。
ですから、この手のアンケートに答えた"母集団"も
男性の割合がもともと多いと思いますが、それにしても9割とは・・・。



色々な名曲解説本にも書かれていることですが、
ブルックナーの作品は、他の作品と一線を画する「不思議な曲」だと思います。

前回も書きましたが、私自身は熱狂的なブルックナー信者ではありません。
それでも"演奏の好み"や"版"へのこだわりは多少あります。
(例えば交響曲第3番は初稿が好き、とか・・)


でも、「ブルックナーのどこがいいの?」と尋ねられても、
ブルックナーの交響曲の魅力を言葉で伝えることができません。
「同じような曲ばかり・・」とか「長くて退屈だ・・」という批判的な"感想"に対しても、
「その気持ちもわかる」と思ってしまうのです。


誰かに"魅力"を教えてもらうのではなく、自分で"魅力"を発見しない限り、
ブルックナーを好きにはならないのではないか、
と感じています。

だからこそ、その"魅力"を発見した人は、ブルックナーにのめり込み、
やがて「信者」へとなっていくのではないでしょうか。


一口にクラシックファンといっても、様々なジャンル、膨大な作品がありますので、
どの曲も多かれ少なかれ同じだとは思います。
でも、ほかの(好きな)曲ならば、その"魅力"を熱く語れるのに
ブルックナーだけは「自分で(その魅力を)掴み取るのだ!」
と言いたくなってしまいます。



本当に「不思議な曲」だと思います。

N響定期 ブルックナー 交響曲第7番ホ長調

2010-05-16 14:28:46 | NHK交響楽団
N響定期で、ブルックナーの交響曲第7番ホ長調を
聴いてきました。

指揮は今年からN響の正指揮者に就任した尾高忠明さんです。

ブルックナーを生で聴くのは久しぶりです。
尾高さんは2007年にもN響でブルックナーの8番を指揮していますが、
その時の演奏をTVで観て「いい演奏だなあ」と思っていたので
今回の演奏を楽しみにしていました。


とてもいい演奏でした。


ブルックナーに関しては"熱狂的な信者"と呼ぶべき人がいますが、
私はそこまでではありません。

指揮者が奇を衒うことなく、真っ直ぐにブルックナーへの想いを表現し
その熱い想いにオーケストラが応えてくれれば、
自ずと素晴らしい演奏になる・・・それがブルックナーの曲だと思います。

細かい"解釈"や"テンポ"の違いなど飲み込んでしまう、巨大な作品です。



N響オーボエ奏者で、エッセイなども書かれている茂木大輔さんは
著作の中で、

  シンフォニー・オーケストラの究極の目標は
  ブルックナーの交響曲を演奏することだ

ということをおっしゃっていました。


ブルックナーの曲は、
例えばベートーヴェンやブラームスなどの交響曲のように、
ある程度の「成功」が必ず約束されている曲ではありません。

"ひどい"演奏(指揮)の場合
これほどつまらない、冗長になってしまう曲は他になく、
それだけにオーケストラの力量が試される、という意味です。

"聴き手"としても、とてもよくわかる言葉です。



かつて日本には「朝比奈隆」という
世界に冠たる偉大な「ブルックナー指揮者」がいました。

指揮者としてのタイプは全く違うかもしれませんが、
今後も、N響で尾高さんの指揮によるブルックナーが聴けると思うと
とても楽しみです。