山の頂から

やさしい風

心に、そして耳に痛い話

2009-05-13 18:42:26 | Weblog
 

             死ぬということは
           もう会えないということだ
           それから上でもなければ下でもない
           だから悲しいんだ・・・・

                 <ぬやまひろし・誄詩より>

 毎朝欠かさず、山歩きを楽しんでいるAさんが昨日姿を見せなかった。
訝っていたら今朝、笑顔で挨拶をされた。
御主人の月命日で来られなかったのだそうだ。
「一年経ったのに些細なことで、主人を思い出し泣けてしまう。駄目ねぇ」
薄っすらと涙を浮かべ話された。

 四川大地震から丸1年を迎えた中国各地の被災地では、
レジャー施設や、「地震遺跡記念公園」を造り、
都市部からの観光客を呼び込もうとする動きが広がっているそうだ。
その被災地で、、記念撮影などして無邪気にハシャグ観光客らの姿が、
被災民に新たな心の傷を与えているとのこと。

 死んでしまった人には、 
三年経ても、十年経っても…もう会えない。 だから悲しい。

 そんな中、神戸の震災を経験した40代の日本人の男性が、
いま現在まで四川の地でボランティア活動を続けているそうな。
彼の誠実な態度は、反日教育で日本を敵視している人々の心を開き、
日本を見る目を改めさせているとネットで知った。

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       【人は環境を作る】

  環境が人を作るということに捉われてしまえば、
  人間は単なる物、単なる機械になってしまう。

  人は環境を作るからして、
  そこに人間の人間たる所以がある、自由がある。
  即ち主体性、創造性がある。

  だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。

  人間が出来ないと環境に支配される。


                『安岡正篤 一日一言』より

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 誤まった教育は人の心を歪め、垣根を作る。
人が人らしく主体性をもって生きる権利を奪ってしまう。
そして、憎しみと濁った瞳には真実は映らない。
耳に痛いことである。