山の頂から

やさしい風

指輪

2012-01-18 23:39:47 | Weblog
 
 退職を数カ月後に控え後期人生を楽しまんとしていた義兄が、
癌であっけなくこの世を去って早12年が過ぎた。
大学病院へ定期的に通院している夫の予約日が、
偶々、義兄の正命日だったので病院へ付きあって帰りがけに、
寺が近いので墓参りをしようと出掛けた。
して驚いた。墓地は広大な敷地なのだが僅かな場所を除いて、
びっしり墓石で埋め尽くされていた。
この12年間にこれほどの人々が逝ってしまわれたのかと心底驚いた。
夫と二人、時の流れと命の儚さに言葉少なになり墓地を後にした。
薄曇りの、時折白い太陽が顔をのぞかせる寒い日であった。

 「姉さん、母さんの形見の指輪よ。好きな方を取って・・・」
康代(仮名)は姉の前に翡翠の指輪を二つ差し出した。
姉と言っても腹違い、母と言っても継母だった。
康代は1カ月程前にこの母を見送った。96歳だった。
実母のミチ(仮名)は康代と二つ違いの弟を残し病死した。彼女が5歳の時だった。
公務員だった父の与一(仮名)は躊躇することなく1年後に再婚した。
そうして迎い入れたのが継母の聡代(仮名)だった。
再婚の身だった。戦死した夫の間に娘があったが、
その子を子無しの縁者に託し、人を介して与一のもとに嫁いで来たのだ。
残してきた娘は康代より3つ年上だったと、
物心ついた頃に親類の者から康代は聞いた。
恐らく、聡代は生涯に渡って心の隅で託してきた娘に詫びていたに違いない。
気丈な性格だっただけに誰にも気持ちを吐露することはなかったし、
新家族に心を砕き康代や弟を育て、やがて与一との間に女の子を設けた。

 このように複雑な家族構成であったにも拘らず、
どの子も皆、ひねくれもせずグレもせず健康に育ったのは、
父・与一が真面目だったことと、
聡代が真っ直ぐな性格であり誠実な女であった所為だ。
皆成人して、たま々康代が両親の傍近くで家庭を持ったために、
父を送り、独居生活を厭わぬ聡代をサポートした。
まるで実の母娘のような絆を持って・・・
後年病に倒れた聡代を献身的に介護し最期を看取った。
康代は、ほんの数回程度しか姉には会うことがなかったが、
臨終の折には知らせ母との最後の対面の場を作った。
通夜の晩、姉がしみじみと、「母が迎えに来てくれるかと
どんなに待っていたろうか・・・」と語った時は声をあげて泣いた。
しかし、姉は恨みがましいことは一切言わず、
「康代さん、本当に御苦労さまでした」と深々と頭を下げ礼を述べた。
形見の指輪は、もう少し先気持ちの整理が出来てから頂くと辞退した。
他のきょうだい達も、続いて康代を労い一切の権利を放棄し、康代に全てを託した。
 これは母の知人の実話である。
最近、あまりにも肉親間の惨たらしい事件や話題を聞くが、
この話を聞いて、ひとって心持次第で恥じない人生が送れるんだと、
清々しい気持ちになった。
多分、かの皆さんは真のきょうだいの強い絆でもって、
今後の人生を付きあっていかれることだろうと確信している。

 【心持】・・・私は一切知らない、関知しない。秘書任せ。
4億円など端金、天下国家を想い云々・・・
あぁ、なんとムズ痒くなるような言葉を発するご仁だろうか!?
【国民の生活が第一】・・・もう一度民主党に任せろ!って~
冗談は休み休み言い給え!! きみ、君だってば、キミ等だよ~~

不老不死

2012-01-10 15:19:17 | Weblog
 今から2200年ほど前、中国は秦の始皇帝の時代に徐福という学者がいた。
徐福はある時「遙か東の国にあるという不老不死の薬を求めに行きたい」と、
始皇帝に申し出て三千人もの人を伴い船出。東を目指すが一度は失敗。
二度目に辿りついた先が日本であったとされる。

 新春そうそう・・・
夫は夕方モモの散歩を日課としている。
昨夕、陽が落ちてすっかり暗くなってしまった道を、
いつも通り懐中電灯を片手に大曲駐車場まで出掛けて行った。
程なく夫が少し上気した顔つきで戻って来た。
なんでも駐車場の片隅で排ガスを車内に引き込んだ軽自動車を発見。
中にいた男に、「何をしているんだ!」と言いつつホースを引き抜いたという。
ドアーに手をかけると鍵は掛かっておらず開け放つと車内は酷く熱かった。
「寒いから・・・」と力のない声で男は言った。
しかし、ホースをテープで固定しているからには只事ではない。
「何言ってんだ、こんな事してたんじゃ死んじまうべ!!」
夫がきつく言い放つと男は押し黙ったまま俯いたという。
「つまらん真似はよせ!」と夫。「分かった・・・」と男は頷いたそうだ。
犬を連れたままでの押し問答では儘ならぬと家に戻って来た夫が、
様子を見てくると言って再び車で引き返していった。

 小一時間も経ったろうか夫は戻って来た。
果たして軽自動車は、そのままの位置にあった。
ドアーはロックされ男はシートを倒してあおになっていたという。
ノックすると男は顔を向けた。
「どんな事情があるのか知らんが警察を呼ぶか?」と問うと、
「俺は酒を飲んでいる。酒酔い運転になるから警察はごめんだ。
それともアンタが責任を取ってくれるのか?」さらに、
「俺の人生だ。自分でどうしようと勝手だろう。ほっといてくれ!!」
男は、そう口走った。しかし酒に酔っている風には見えなかったと夫は言った。
悲しそうな眼をしていたという。
「勝手だろう?!じゃぁ、言うがな、正月早々、神聖な公共の場で迷惑だ!」
人目につきやすい場所で自殺を図ろうとする人間は、
結局は早く発見して欲しいという心理が働いているといわれるが、
夫は何とかつまらない事を仕出かさずに済んで欲しいと思ったので、
しばらく様子を見ていたようだ。すると、男は小さく手を上げて車を発進。
テールランプをピコピコさせて行ってしまったという。
車を見送りながら、「折角の命がもったいないぞ・・」と言いたかったと・・・

 秦の始皇帝が求めて已まなかった≪不老不死≫
徐福が東国にあると信じた≪不老長寿≫の薬。
昔も今も権力者や独裁者が得ようとした未来永劫。
だがしかし、いまだ嘗て、この世に永久などはあろうはずがない。
いずれ金持ちも、悪党も、誰もかれも【お迎え】がくる。
その日まで何としても生きねばならない。
歯を喰いしばって生きねばならない。 
【お迎え】がくるその日まで・・・

負けまいぞ~~

2012-01-07 23:15:53 | Weblog
 
  愛犬モモが急速に老化している。
立ち姿がバァさんなのだ。腰が引けている。
あれほど好きだった散歩を嫌がるようになった。
当然石段など上がろうとはしない。
で、仕方なく毎朝モモを随神門で待たせて、
私めは200段の石段を一往復している。
金毘羅山の石段を楽に上がれたのは、
毎日のこの石段上がりの成果だと思う。
金毘羅神宮案内人は80歳だと言っていたが、
日によっては2往復するというから、
その健脚ぶりは日頃の積み重ねであろう。
何といっても人間年を取ったら足腰が丈夫でなくてはいけない。
最近とみに≪山ジイジ≫・≪山バアバ≫が増えた。
リュック、帽子、スティック、トレッキングシューズ等、
山行一式で身を固めた幾つものグループが当店の庭を横切って行く。

 ヌルヌルドジョウが呟いた。「ネバネバ・・・」と。
増税に命をかけ、バブル崩壊寸前のシナから人民元の国債を390億円購入し、
2012年には7800億円に増額する(宮崎正弘の国際ニュース・早読み)という。
何という狂気! 日本国民をギブアップさせるきか~~
政治の貧困で不安な老後。それを乗り越えるには健康しかない。
こんな言葉を見つけた。
≪人生深くするよりも、長くする方が難しい。
味わい深い人生を送るのは、寿命を延ばすよりも易い≫
負けまいぞ!日本。 負けまいぞ!中年世代。