当地にも福島県はいわき市から避難された方達が来ている。
散歩されていた御家族と立ち話をした。
「ここはいい所ですね。ここに住みたくなっちゃった。」と母親は言った。
小学校3年生くらいの女の子が不安そうに目を上げた。
或る日突然、日常生活が急変し生命の危険に晒されての避難生活。
多勢での窮屈な空間で不安を囁き合う大人の会話は、
幼い彼女たちにどれほどのストレスとなるだろう。
あの日、2時46分はちょうど子供らの下校時間だったという。
海沿いの町の多くの園児や児童が津波の犠牲になったと、その方は言った。
身元も確認されぬまま、今、大勢の子供たちの遺体は土葬されるという。
聞いていて何ともいたたまれぬ思いになった。
「この街で働けたらいいんだけどねぇ」と力なく笑う母親。
私には返す言葉が無かった。
住み慣れた故郷を離れたくはないだろう。誰もが故郷を恋しく想う。
が、余りにも惨い自然の暴力に心が萎えてしまったのだ。
「でも4月6日に学校が再開されるのよ。本当に大丈夫なのかなぁ」と、
力の無い声で呟く家族。女の子は声も発せず下を向いた。
地元の教育委員会には問い合わせや非難が殺到しているという。
2時間おきに余震がある街・いわき市。
帰りたいけど帰れない人達の望郷の念と不安は募るばかりだろう。
「頑張って!なんて容易く言ってごめんね。でも、きっといい日が来るから・・・」
言ってから、何だかすごく申し訳ない気持ちになって、
帰っていく家族の後ろ姿が涙で曇ってしまった。