山の頂から

やさしい風

認識

2012-05-25 23:19:19 | Weblog
  間もなく70に手が届く男は若くしてグレて家出した。
或る【組】の幹部となり放蕩贅沢三昧の生活を数十年。
が、大病を患うと同時に≪抗争≫で追われる身となった。
年老いた両親と家を継いだ姉一家の住む実家に転がり込んだが、
相次いで両親が亡くなったのを機会に、
今後一切きょうだいの縁を切ると義兄が宣言。
彼は実家を追い出された。
まともに働いたこともなく生きる術のない現実から生活保護を申請したようだと、
彼の近所に住むという或る人物が語った。
「散々好き放題に生きてきて最後は公的保護に縋るのか・・・」と、
近所の誰もが囁いているという。

 生活保護法とは,
【憲法25条に基づく最低限の暮らしと自立を保証する制度】とある。
生まれ持った障害や突然の病気やけがで働けなくなったり、
離婚や死別で配偶者を失って収入が無くなった時や、
急な解雇、不当な解雇で職を失ったり、
就職難やいくら働いていても収入が少なかったりする状態で、
医療費を捻出することができない状況になった時に活用することができる制度だ。
これは権利として憲法第25条で保障されていて、
申請の際、福祉事務所が決定した生活保護の内容が納得できないものだった場合、
不服申立ても可能であり原因は問われず要件をしっかりと満たしていれば、
誰にでも利用できる権利があるという。

 ごく最近、生活保護の受給者の数が200万人を突破したとのニュース。
リーマンショックにより一気に失業者が増えた事、
また2011年3月の東日本大震災という自然災害によっても、
生活保護を受給する人が増加したことは否めないと聞く。
そしてTVで毎日顔を見ないことのない売れっ子芸人の親族が、
生活保護を不正受給していたという事実を指摘された。
過去に於いて様々なTV放映場面で安易な方言を発していた彼は、
今になって認識が甘かったとの会見をしていたが、
涙を見せながら神妙にコメントを発するのを視て何故か同情は出来なかった。

 3月の国会審議で片山さつき氏が生活保護に関して質問をしていたが、
「<パンドラの箱>を開けたね」と言われたと記者のインタビューで答えておられた。
本当に援助せねばならない人に手を差し伸べられないことは悲しいことだ。
しかし生身を持つ人間、誰もが明日どうなるかは分からないのも現実である。

 経営するアパートの住人でギリギリの生活をする母子家庭の母親を見かね、
生活保護の申請を勧めたという大家さんがいる。
しかし彼女はもう少し頑張ってみると言って、
更に安い家賃のアパートに越して行ったが・・・と案じておられた。
国債のランク格付けが云々などと更に日本を追い詰める様な国際社会。
ナニクソ、負けるもんか!!
日本人ヨ奮起せよ~~と大きな声を張り上げたくなる。

    【老鶯や神住む山を根城とし】  初桜

おん あぼきゃ・・・・

2012-05-17 00:25:01 | Weblog
 知人の御主人は多趣味な方で最近は写真に凝りだしたとか。
先日のこと、知人が仕事を終え帰宅すると家の前に数台の車が・・・
訝りつつ家の中の夫に向かい声を掛け居間に上がると、
見慣れぬ数人の男性客を目にした。
「警察の者です」と頭を下げられドッキリとしたそうな。
何をやらかしたかと不安げな顔を見せると、
「俺、第一発見者・・・」神妙な顔で夫が答えた。

 知人の家は辺り一面畑が広がり自然に恵まれた場所。
そして道路を挟んで目の前に里山がある。
四季折々きれいな山野草を見ることが出来、
花の好きな彼はそれらを写真に収め楽しんでいるという。
いつものように山道を登って行く途中でナップサックを目にした。
だが傍に多量の血の広がった衣服が脱ぎ捨ててあった。
彼はギョッとしたが大きな声で、「オ~イ」と辺りに呼びかけた。
が、返事はない。どうも様子が只事に思えず急いで家に引き返し警察に連絡。
駆けつけた刑事数人。現場を見て直ぐ様取った行動に驚いたという。
何とそのうちの一人の刑事が盛んに辺りに向かい鼻をクンクンさせ始めた。
そうして二手に分かれ捜索開始。3~40分後、
「オ~イ、あったぞ!」と一方方向から声がした。

 知人の夫は、勿論仏は見なかったが割腹自殺者らしいということだった。
それからが大変。第一発見者ということで色々尋問が始まって、
その最中に知人が帰宅したという次第だ。
帰宅した知人もまた、ナンタラカンタラと尋問を受け、
いやはや参ったと苦笑いをし一部始終を話してくれた。

 日本は14年連続して自殺者が3万人を超えているという。
確かに新聞で毎日自殺の記事を目にする。
その度に何とも言えぬ気持ちになる。
最近は就活に失敗した若者の自殺者が増えているというが、
残された家族の気持ちを想うと深いため息が出る。

 【おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら
まに はんどま じんばら はらばりたや うん】光明真言、23文字の短い御経だ。
~~心からお願い致します、宇宙に遍満し常住であられる大日如来よ、
その偉大な誓いを示す悟りよ、智慧と慈悲の掬いの光明を差し伸べて下さい。
是非ともお願い致します~といったほどの意味らしい。
モモが死んでどうにも悲しみから抜け出せないでもがく日々の中、
般若心経と共にその意味を知り毎朝唱えている。
ここ数年の内に父をはじめ沢山の知人の死に遭遇し命の儚さに拉がれた。
誰もが命尽きる日を迎えるが、
せめて、その日が来るまでは何としてでも心豊かに過ごしたい。
そんな風に思う今日この頃である。

妻も敵なり!?

2012-05-09 00:31:32 | Weblog
  先日、シナのメディアが日本人女性が若く見える理由を5つあげていた。
➀ 顔の彫が浅い ➁ 体がやせ型 ③ 化粧上手 ④ 肌がきれい
➄ 子供っぽいモノに抵抗が無い・・・なるほど、言われてみればその通りかも。
だが、今ひとつ欠けている。優しさだ。
北京の女は世界一気が強い!と或る男性が言っていたが、
確かに支那人の女性の顔の表情はきつい。ニコリともしない。
超個人主義の支那の社会では、
たとえ女房であっても100%気を許すことがないのだと、
東洋史の歴史学者・宮脇淳子氏は語っておられる。

    【寂しさのなほ深くなり黄苧環】  初桜

 モモが死に家中で悲しみの塊を抱きつつ日を送っている所為か、
つまらぬことで心がチクチクする。
先日、山の様な洗いものに奮闘している夫に些細なひと言いったら、
えらい剣幕で言葉が返って来た。 ん?普段であれば聞き流す私だが、
言葉尻が激しいだけでなく毒を感じた。 そう、まるで敵に言い放つように。
で、手伝いの皆が帰ってから冷戦がはじまった。
日本女性である故に、大変疲れていたにも拘らず夕食は用意した。
黙々と食し静々と後片付けを済ませ怒りを腹に抱えたまま就寝。
翌日も翌々日も必要最小限(客商売のため)の単語を発し、
情ニモマケズ小細工ニモマケヌ非情ナハートヲモチ・・・・
ソシテ怒リノマグマヲオサメルタメニ【バッハ】ヲキキ・・・・
アハ、やっぱり妻は【強敵】だったか~~

    【雨風ニマケズと賢治母子草】   初桜

 気を落し元気を失くしている私を心配し妹が何度もメールをくれる。
年老いた母が元気を出せと慰めの電話をかけてくる。
また義姉はきれいな色の花束を贈ってくれた。
みなが気にかけてくれる幸せ。
たかがペットというが15年の余の存在は大きく、
何よりも慰めになった。
家族を失った深い悲しみは≪時の経過≫という薬のみが取り除く。

 今年は桜が美しかった。
そして今、若葉が清々しい。生命の息吹がそこ此処に溢れ輝いている。
あぁ、なんて自然はすばらしい!!
だが6日の竜巻は大被害を及ぼした。
どうかどうか自然よ、これ以上日本を苦しめないでくれ!と祈るばかりだ。
そして現政権による日本破壊が起こされないよう・・・カミクズ国債を買うという。
≪韓国経済の中枢を占めていた大手4銀行が破綻し、
取り付け騒ぎが起こったようである≫ クワバラ、クワバラ~~

雨の連休後半

2012-05-03 23:32:49 | Weblog
 
 出るにも入るにも憚れるほどの篠突く雨だった。
昨日5月2日は友引きということで、
モモの火葬は今日3日の予約であった。
狭い切り通しを入って直ぐの場所に動物専門の火葬場がある。
約束の時間に到着すると昨日預けてあったモモの亡骸は、
小さな台の上に置かれたあった。
家族で線香を一本づつ手向け最後の別れを済ませると、
モモの亡骸は釜に収められ程なく火が入った。
娘は声をあげ泣いた。私は声を殺し滂沱の涙。
外の雨脚は激しく屋根を叩く。
家から般若心経の教本を持って出た私は、
モモが火葬されている間中低い声で経を読み続けた。

 重い腎不全と肝硬変を併発していたモモ。
早く気付いてあげていたら、もう少し長生きが出来たのかも・・・と、
悔やまれる思いがこみ上げる。
神棚に水を捧げ祈る日課。その度にモモの快癒を願ったが、
その一方で神の奇蹟など起こ得るはずはないとの思いが頭を持ち上げた。

 アメリカやトルコでは大衆の二割が、
世界の終末が訪れると信じているというニュースを聴いた。
そんな予言や奇蹟を信じるのが信心なのかと不思議でならない。
多分私が不心得者の所為なのかもしれないが、
この世に神も仏もあるはずはないと感じつつ、
一方で見えない何かは在り得るか・・・な?とも思っている矛盾。
支那や朝鮮の価値のない国債を買う莫迦な政府が舵取る日本。
アメリカの戦後押しつけ憲法を由とする愚民。
大型連休が天候不順で儘ならぬ商売。
誰に持って行きようのない不満と苛立ちや諦念。
一瞬にしてこの世が消えてしまうなら、
それも亦、いいかもなどとハチャメチャな思考を巡らす一日であった。

 小さな骨壷に収まったモモ。
10日まえに撮った写真が涙で歪む。
「莫迦を御云いでないよ。元気を出して頑張りな!」って言っている様な気がした。
父もそうだが、モモの思いが何となく背中を後押ししているようでならない。
風かな?それとも見えぬ何かかも・・・


    【犬死して経読む鳥の鳴くばかり】
    【火葬場へ続く切り通し春驟雨】
    【桃散りて老犬天寿全うす】     初桜

モモがいた日々

2012-05-01 23:44:49 | Weblog
  モモが死んだ。
15年と3ケ月、我が家に存在した愛犬モモが今朝死んだ。
こんな日は来て欲しくなかった・・・

 15年前みぞれの降る中、2匹の仔犬が庭先をうろついていた。
腹を空かせている様子をみかねた夫が飼い猫の餌をやると、
2匹は忽ちに平らげた。小柄な1匹ともう片方は少し体格が良かった。
満腹し身体を寄せ合って眠る仔犬が憐れであった。
柴犬と甲斐犬が混ざったメス。生後2ケ月位だった様に思う。
翌日から里親探しが始まったが、中々引き取り手はいなかった。
10日ほど経った或る日、
甲斐犬を飼っている方が小柄な1匹を貰ってくれた。
そうして残ったのがモモだった。
飼い犬登録や予防接種を済ませ我が家の一員となったモモ。
さほど賢くはなかったけれど皆に愛された。

 日がな少し高台の物干し場の木陰に陣取り、
山行く人々を睥睨しつつ日中を過ごし、
夜ともなれば物置の一角の犬小屋に寝起きした。
散歩が何より好きだった。
朝は私。神社の周りを写真を撮りながら楽しんだ。
夕方の散歩は夫と晃石山まで約1時間。
時には山中に放たれ飛ぶように駆けずり回った時期もあった。
何故か自転車を嫌い、カウベルを付けた人を吠えたてた。
夏にヤマカガシと闘ったこともあったっけ。
なんちゃって甲斐犬ながら猟犬の血は騒いだのだ。
寂しがりやで食いしん坊。
叱ればショゲルし、褒めれば図にのってドヤ顔を見せた。
思い出は尽きることなく走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

 あぁ、この喪失感と悲しみ。心が苦しく痛い。
ペットとはいえ、家族の一員だったモモ、モモ、モモ、モモよ。
家族にくれた癒しと慰めと優しさをありがとう。
モモがいた日々を忘れない。
ありがとう~~モモ。 そして、さようなら・・・