山の頂から

やさしい風

アンポンタンのトンチンカン

2010-10-24 23:11:51 | Weblog
 
 今朝、開店準備のところに母子連れがみえた。
85歳になられるという母親は、少し足がお悪い。
昭和26年に、今は既に亡くなった御主人と来て以来のこととか。
何度も懐かしい、懐かしいと目に涙を浮かべながら口にされた。
「生きることに必死で中々来ることも出来なかった」とも。
ひとは思い出の中を何度も巡りつゝ生きる力を貰うものだ。

 拉致被害者・横田めぐみさんの母が講演で「子供を奪還するのだ!」と、
その為に政治家よ、もっと行動を~~と訴えておられた報道を視た。
しかし、現政権はおそらく心の片隅にも拉致問題を考えてはいないのではと感じる。

 10月22日の法務委員会に於いて、
自民党の稲田朋美議員は岡崎トミ子国家公安委員長の辞任を求めた。
というのも、岡崎民主党議員が2003年韓国にて行われた反日デモに参加の折、
日本国に対して、≪いわゆる従軍慰安婦≫等に個人補償をせよ!と、
演説をしたのであるのか否かを、稲田女史が質問をされた。
しかし岡崎議員は質問には一切答えず挙句に、
被害者とされる女性等の人権ならびに人間の尊厳の回復の為に訴えたと、
そしてそれは国益に沿ったものであるとまで言い切った。
が、聴いていて全く質問の答えにはなっておらず逃げ口上。
実に呆れた人物であると怒りがこみ上げた。

 あのような人物が日本の公安のトップにいること自体が異常である。
稲田議員は理路整然と正論を述べ、鋭く指摘し岡崎議員の辞任を求めた。
当然であり、また、そのような人物を大臣として任命した現首相の、
任命責任も問われるべきと正常な神経の人間は感ずると思う。

 日本の国会議員であるなら、尊厳や人権の回復というなら、
先ずは北朝鮮によって拉致された被害者の救済に奔走すべきだ。
又、その他にも戦後、
満州に於いて不当に侵略してきたロシア人に乱暴された日本人女性達の存在もある。
その方達の尊厳や人権蹂躙を何故叫ばない。
だが、どうしてもそれら朝鮮人女性の為に働きたいのであるなら、
日本の国会議員を辞めて朝鮮の国会議員となり反日活動をされたらいい。
天に唾吐くごとくに、公人の立場でありながら反日活動とは言語道断だ!!
まさに、アンポンタンのトンチンカンな人間が国会議員のバッジをしている。

 今朝の老婦人の涙や横田幸恵さんの悲しい顔が胸に堪え、
いたたまれなさに苦しくなった。
それにしても稲田朋美議員の正当な主張を張る姿勢に胸が空く。
奄美大島の大変な被害には心からお見舞い申し上げたい。
頑張ろう~~日本、奄美大島のみなさん! がんばれ、稲田朋美女史!!

焼おにぎり

2010-10-20 22:49:37 | Weblog
 ご飯を炊き過ぎたので沢山の焼おにぎりを作った。
なんと!28個も出来た。 家族では食べ切れそうにない。
さてと困った~~

 「車の中で食べたいのでパックに入れて下さい」
男性はそう言って、焼鳥と玉子焼きを一人前づつ注文した。
病人を乗せていること。20年ぶりに来たことなどを口早に続けた。
同乗者が母親なのか妻なのか聞きそびれた。

 この地から約70数キロ離れたところに建設中のスカイツリーが見えるのだ。
新宿副都心のビル群も11月になれば見える日が多い。
しかし、この秋は10月になっても湿度が高く、
遠く地平線が定かではない。判別しにくいのだ。
だが、遠目の利く人たち誰もが指を示して見える見えると言う。

 パック詰めが出来上がったと、お客さんに声をかけた。
そして、「お口にあったら召し上がってください」
焼おにぎりも2つ添えた。

 知人が病気で倒れた兄弟を見舞う途中だと言って寄った。
先を急ぐ御夫婦に焼おにぎりを差し出し、
くれぐれも気をつけるよう見送った。
まだまだおにぎりが減りそうにない。
 すると若いカップルが入店。ザルそばの注文だったので、
本日の特別サービスと断わりつつ食べて頂いた。

 今年の米は夏の暑さの為に品質が落ち、一等米が少ないそうだ。
当店もご飯が美味しいことが自慢なのだが、どうもいけない。
食糧危機が始まりつつあるなどとの情報もある。
炊きたての新米の塩結び、想像しただけで涎が出る。
日本人はもっと米を食さねばいけない。

 今夜は十三夜。十五夜は無月(僅かな時間、月は出た)だった。
八月十五夜の月見だけして、九月十三夜の「後の月見」をしないと、
災いが来るといって昔は忌まれたそうだ。
十五夜も出来なかったから十三夜も見送った。
どうか、災いが倍になりませんように~~

    【あまつ国雲に止めし後の月】   初桜

哀しい目

2010-10-19 23:30:06 | Weblog
 その方はずっと笑わなかった。
なにか心の中に怒りを抑え込んでいるように見えた。

 遥々東京の、と或る場所から老人施設の方達がみえた。
利用者は五人。職員三人が介助していた。
車いすの方がお一人。あとの方は杖をついて歩けた。
皆70代後半。軽い認知症を患っているようだった。
しかし、遠出が出来るのだからお元気なのだろう。
誰も食欲は旺盛で、ゆっくり楽しそうに会話をしながら完食された。
一人を除いては・・・

 痩せぎすでスラッとした80歳くらいの女性は、
店に入ってきてもニコリともしなかった。
そして誰とも一言も口を利かない。
少し眉間にしわを寄せ、背筋を伸ばして座った。
誰とも目を合わせずバッグをギュッと握りしめたままでいる。
が、認知症が重い様子でもない。きっと何時ものことなのだろう。

 食後の薬の水をお持ちしても全く表情も変えない。
でも他の皆さんは屈託なくお喋りを楽しんで、
いよいよ帰り支度を整え立ち上がった。その方もゆっくり立ち上がる。
職員の一人がそっと手を差し伸べると、邪険に手を払い除けた。
そして黙って外に出た。
出口に野良猫のタミコが蹲っているのを見て、
その方は手を差し出しながら、「チッ、チッ」と声を出した。
「ノラちゃんだからなつかないんです」と言うとニッコリと微笑んだ。
その笑顔があまりに優しい。
 
が、又、きつい目を見せ歩み去った。

 昔はきっと幸せな人だったのだ。でも、何かが狂ってしまったに違いない。
バスを見送りながら、あの優しい笑顔の目が瞼に残り胸の奥に重いものを感じた。

まだ、青々とした庭は日暮れて寂しそう・・・
多分紅葉は遅れそうだ。

アワワ・・・

2010-10-18 17:00:41 | Weblog
 パソコンに集中していたら半歩前を何かが蠢いてゆく。
目の疲れの所為もあって焦点が定まらないのだが、
15センチはあろうかと思われる細長いもの。 ムカデだ!!
10月とはいえまだまだ蒸し暑ささえ感じるこの季節に、
出た~~~  久しぶりの大物。
長いものが、どうも苦手な私は道端の紱さえギクッとしてしまうのだ。

 この夏は酷暑の為、蛇やムカデの出没は少なかったように思う。
ムカデに刺されると、その痛さに大人でも唸ってしまうと、
刺された友人がそう言っていた。
しかし、自然界に生息する彼等は災害の予知の能力に優れているようだ。
或るところの情報を視て鳥肌が立った。

 白頭山麓(白頭山は、別名を長白山といい、
中国吉林省と北朝鮮両江道の国境地帯にある標高2,744mの火山。
頂上には「天池」と呼ばれるカルデラ湖がある)に位置する、
中国延辺朝鮮族自治州の安図県で9日、地震が2回発生し たらしい。
地震発生2日前の7日白頭山に隣接した吉林省白山市と、
インチョンツージンを結ぶ道路5km 区間に数千匹の蛇の群れが出現したという。
通行車両に踏まれ圧死した蛇だけで700匹余 り、また、その道路周辺に、
蛇の群れがうようよしているというのを想像しただけで卒倒もの。
住民らは地震などの大災難を予告するのではないかとの不安に怯えているそうだ。
白頭山一帯で発生した地震が過去に比べ10倍以上頻繁になり、
頂上にある天池の地形が少しずつ盛り上がり、
天池と近隣の森で火山ガスが放出されている。
その事は恐らく近い将来、白頭山が噴火する恐れがあり、
噴火すれば航空大乱を招いたアイスランド火山より被害がはるかに大きいとの、
警告も発せられているようだ。
生物の行動に詳しい研究者によると、地震の約一カ月前くらいから、
動物の異常行動がみられるらしい。

 日本でも最近地震が繁茂に感じられる。
災害がいつ何時起こってもおかしくはない状況にあることは確かである。
しかし、今、日本が混乱するような状態に陥ったら、
【及び腰or柳腰政権】では目も当てられまい。困ったもんだ~~


戯け者を逮捕!! だが・・・

2010-10-15 22:28:15 | Weblog
 1台のワゴン車が店の脇に止まった。中途半端な止め方だった。
少し強面の、が、中々イケメンの青年が降り立った。
彼は胸に下げたカメラで店の全景を撮った。 「ムム、何者?」
フムフム・・・車の中に何人かひとがいるようだ。
奥の駐車場へと促すと、青年は「警察です」胸ポケットから出した手帳を指し示した。
「ゥワオー~」 まるでドラマの一場面のようなシュチエーション!

 泥棒に入った人間を逮捕したので現場を確認していると彼は言った。
私は思わず、「すご~い、警察は優秀!!」と言いながら拍手をした。
逮捕された男は45歳。栃木県人ではなかった。
派遣社員として関東一円を転々とした人間だという。
麓の日立製作所にも勤務経験があるというから土地勘もあったようだ。
「盗まれたお金は返りません」と年かさの刑事が済まなそうに言った。
なれば一発殴らせて!と思うくらい腹が立つ。
刑事は、「まっ、たっぷりと刑務所で努めて貰いましょうねぇ~」と笑った。

 恐らく派遣切りにあい、お決まりの転落人生を歩み始めたに違いない。
思えば憐れさを感じないわけでもない。
『一にも雇用、二にも三にも雇用を!』と青筋を立てた、
首相として能力も器もない【及び腰内閣】よ、この先の日本をどうする気だ!?
外国のオガキメラにも大盤振る舞いの【子供手当】
金をドブに捨てるような政策よりも、もっと他にやることがあろうが!??と、
国会中継を視ながら腹が立つ。自民党や野党の迫力に欠けた追及姿勢。
稲田朋美議員や西田昌司議員の追及の【正論】が際立つ。
寝とぼけ集団によって、日本は日に日に朽ちていきそうだ。

あの道、あの角・・・

2010-10-14 23:30:27 | Weblog
   当店が長年に渡り御贔屓にあずかったОさんは、
機械部品メーカーの小さな町工場から出発し、
従業員200人余もの会社に発展させた努力の人だった。
その陰には肝っ玉の据わった奥さんの内助の功も大きかったと聞いた。
お二人は太平山神社への月参りを欠かさなかった。
御参りを終えると、いつも同じ席に腰をおろし焼鳥や玉子焼きを注文された。
大食な奥さんは、玉子焼きは必ず二人前を召し上がり、
「満足、満足」と言うのが常だった。
そして御帰りの際には沢山の御土産を買って下さった。
Оさんは金縁の眼鏡が良く似合い、気力が漲っていた。
大きな高級車で乗りつけ、しかし、成り上がりの厭らしさが無かった。
すべて順風満帆な人生と誰もがそう感じた。

 が、パッタリ姿を御見かけすることがなくなった頃、
奥さんが亡くなった。息子さんに譲った会社が危ないらしいなどの噂を聞く。
どうやら力量にそぐわない経営で背伸びをした息子さんが躓いたようだ。
更に女性問題から離婚、一家はバラバラになった。
身体をこわしたОさんは施設に入居したとも。
そうして数年が経った或る日、
 「久しぶりで来たよ、施設で一緒の女(ひと)なんだ」店先に立ったОさん。
すっかり面変わりをされた別人であった。
それからОさんは2回来店された。

 雨が続いた日だった。何時もОさんが座ったテーブルを拭きながら、
ふと、Оさんはどうされているかしらと思った。
雨の中、あまり御見かけしない御客さんがみえた。
食事が済んだお客さんの口から思いがけずにОさんの名を聞いた。
そして、「彼はジェットコースターのような人生を終えた」と・・・

 ひとは誰でも、あの道へ行くべきだったとか、
あの角を曲がれば良かったのにとか、
過去を振り返って悔んだりする瞬間があるものだ。
果たして自分も・・・
実に生きるということはしんどいものだ!!
だが寿命を生き抜かばならない。 

しあわせって・・・

2010-10-13 23:06:54 | Weblog
 
  「こんにちは~八百屋ですぅ」少しハスキーな女性の声がした。
時折、那須から来たと野菜を売りに来るひとがいる。
小柄で真っ黒に日焼けし前歯の欠けた中年の女性が入って来た。
人懐こそうに笑う顔に見覚えがあった。が、咄嗟には判らなかった。
Sさんだ!と判別した時、ハッと息を呑んだ。
余りの変貌ぶりに声が出なかった。

 彼女は娘が小4年生の時に夫と離婚した。夫の女性関係が原因だった。
それから二年ほどして、小規模の事業をしている男性と再婚した。
互いに子連れ同士、周りは心配して反対したが押し切ったという。
色々と大変なこともあったが、それでも必死に努力をし、
夫を支え事業も順調にいったようだ。十年が過ぎていた。
娘は結婚をし家を離れた。
不思議と義理のなかの息子と良好な関係を保てた。安定した時間が流れた。
老後はきっと幸せになれる! 彼女は心からそう思ったという。

 が、一生懸命働く彼女を尻目に夫は女を作って家を出た。
またもや二番目の夫にも裏切られたのだ。
そしてお決まりの如く、順調だった事業の歯車が狂い始めた。
しかし、歯を喰いしばって我慢をし舅を見送った。健康も損ねた。
残された姑と義理の息子との奇妙な家庭を細々と続けたが、
1年前に仕事を通して十歳以上も離れた男性と知り合い、
愛し合うようになったという。相手には家庭があった。
だが、家庭は崩壊しているという同じような境遇にあったそうだ。
彼女が言うに、「本当に穏やかで優しくて、何でも出来る人だった・・・」
彼は人とのつながりを大切にし、面倒見の良い性格だったらしい。
「人生の初めの頃に出会いたかった・・・」 遠くを見つめて彼女は言った。

 「その彼が死んだの。癌だった・・・」
今日が初七日だが、相手の家族から葬式はもちろん一切関わることを拒否された。
二人で野菜や花を作り、それらを販売した僅かな日々。
その思い出だけが彼女に残されたものだった。
「死ぬ間際まで精一杯尽くしたから悔いはないわ。しあわせだった!」
彼女はきっぱりと言って胸を反らせた。自分に言い聞かせているようにも思えた。
胸につかえていたことを全部吐き出したのだろう、
「だいじょうぶ!私はへたれないよ。大丈夫!!」
鳥蕎麦を食べ終えて振り向かずに帰って行った。
しあわせって、いったい何だろう・・・小さなモヤモヤが消えずに残った。

幸せな女(ひと)

2010-10-10 23:54:12 | Weblog
  夕方、60代後半位の女性が漬物を買った。
釣銭を財布にしまいながら1枚の新聞紙を取り出し、
「ちょっと話を聞いてくれ」と言った。
新聞は【公明新聞】であった。8月25日付けのそれを翳しながら、
「現在一番働いている政党は公明党だ!」と言う。
: ド素人の民主党に任せているから日本が駄目なんだ。
  と細木さんも言っているよ。
  だから選挙になったら是非、公明党を応援してくれ~~
そう言いいながら早口でまくしたてた。
「貴女は創価学会員なのね」と問うと、黙って頷いた。
: あ~ら、大丈夫じゃない、数十万人の学会員が応援しているんでしょ!?
  それに、もうすぐ民主党とも連立するのでは??
すると彼女は、そんな話は聞いてないと少し気色ばんで応えた。
「貴女に何も話さなくても、お偉いさん達は手を結んでいるわよ、きっと!!」
せっかく買って貰った漬物を返却されないように気遣いながら、
店先で押し問答することを憚った。
政策面で連携することはあるけれど・・・と、グダグダ喋り続ける女性を、
どうにか御引き取り願って、その後ろ姿に「幸せな人だわ」と溜息をついた。

 政策面ねぇ・・・外国人参政権の付与や人権擁護法、いわゆる闇法案だわ。
まったく、政教分離も何もあったもんじゃない。
恐らく彼女は髪振り乱し、行く先々であんな風にまくしたてるに違いない。
自民党や民主党、公明党、共産党、それよりも私は今、
頂いた美味しい【かりん糖】をあと少し食べるべきか否かが問題なのだ。

居眠りしたのね、い~つか♪

2010-10-06 23:53:43 | Weblog
 菅直人首相の所信表明演説に対する代表質問は、
自民党・谷垣禎一総裁から始まった。
いつもの如くに鋭さに掛ける。
何かどことなく遠慮がちに感じるのは私の気のせい?
質問する方もされる方も迫力不足。
そのせいか居眠り議員が目立った。

 そして次なる質問者が、
自民無所属会派・稲田朋美議員。待ってました~貴女の出番を!!
初頭から、そのあっぱれな切り込みに思わず拍手をしてしまう。
「民主党が掲げたマニフェストはウソだらけの、
詐欺とも言うべきマニフェストでした。
その間抜ぶりを挽回するために友愛の海などと、
寝とぼけたことを言っていたのです」と述べ、
さらに、「総理になる資格のない小沢さんと、
総理を続ける能力のない菅さんが、
コップの中の醜い権力闘争を繰り広げていた、その政治空白期に起きました。
検察に政治責任と説明責任を押しつける、
ひきょう者内閣であること」と厳しく批判した言葉は正に痛快。
これに対し、菅首相は「わたしも野党時代、かなり厳しい言葉を使っておりました。
しかし、これほど汚い言葉は使わなかった」と述べていたが、
菅さん、貴方はボキャブラリーの不足なのでは・・・
稲田議員の迫力ある突っ込みこそ、庶民が言いたいことの全て。
実に的確であり、いったいそのどこが汚い言葉なのか!?
氏の質問に対して的外れの誠実味に欠けた答弁、
都合の悪いところは早口で読み飛ばす狡さ。
それにより国家観や理念欠如を如実に表していた。
【反日国家侮辱女議員】の国家公安委員長人事などはどう考えてもおかしい!!

 が、しかし、こんな重要で内容の濃い質問の間中も、
うつらうつらと居眠りしている議員の姿を目にする。
全く以ってもったいな~い!!
次の【無駄仕分け】の対象にするべきではないか!?
がんばれ~~稲田朋美議員。
もっと、もっと我らが言いたいことを感じていることを、
【けっして汚くはない】本日そのままの言葉で追及してほしい。
心から応援している一人である。

 そうそう、TV中継を視ていて何か非常に気になった事があったけ。
稲田氏の質問に答弁する前に菅総理はコップに水を注いだ。
そしてそれを飲む際、コップを隠すように手を添えて飲まれた。
あんな所作を初めて目にした。
日本人は楊枝をせせる時にする所作であるが、
コップで水を飲むときにねぇ・・・日本人がねぇ・・・する?

秋日和~コスモス

2010-10-04 15:22:09 | Weblog
  最近、ごく近くで縊死騒ぎがあった。若い男らしかった。
どこの人間か、何が原因なのかは知らない。
生きている中で消えてしまいたい事は山ほどあるものだ。
もちろん、死んでしまいたい時も・・・
だが、後の事を思う時、大方の人間は踏み止まる。
そして歯を食い縛って乗り越えようと足掻く。
若い命・・・『勿体ないな』と感じた。

 暫くみえなかったお客様が久しぶりにお越しになった。
『はっ!』と息を吞んだ。時季にそぐわない毛糸の帽子を被っていた。
放射線治療をしておいでと理解した。
そしてつい先月、また御主人と食事にみえた。
帰り際、「またね!」と微笑まれた。
そして一昨日、お悔やみ欄にその方の名前を見た。67歳とあった。
果たされない、「またね!」となった。

 たった一人の息子は事故死。後を追うように奥さんが病死。
そして88歳になる御自身は癌と診断された。
送られてきた手紙に、『生きるのが面倒になった』と書かれていた。
私に出来ることは何だ!?・・・・
パソコンで絵を描き、そこに我が家の周辺を撮影したものを組み入れ加工。
明るいタッチのそれに一言を添えるハガキを出し続けた。
『葉書を有難う。もう100枚以上になった。命の限り家族の供養に励みます』と、
クリに添えて手紙が届いた。茹でたクリは甘かった・・・

 昨日、夫は86歳、妻は93歳の御夫婦が来店された。
月に多い時で三度。少なくとも毎月はみえる御夫婦だ。
身体が少し不自由な奥さんに代わって、夫が全ての家事をこなしているという。
娘夫婦は近所に住まわっているが、互いに同居を拒んでおられるとのこと。
『いつまで来られるかねぇ。でも、死ぬ日まで来るよ』と、
茶目っ気たっぷりに笑いをふりまいて帰って行かれた。
どうぞ、『またね!』が来月も果たされますように~と心に思った。

 秋は言の葉がピンピンと心に響く。
夕暮れが早いせいなのか。それとも秋の侘しさのせいなのか。
遅いといわれる紅葉は間もなく日光を賑わせる。

  『秋至り人混みにある孤独かな』   初桜