習主席の顔に泥塗った退役軍人デモ
編集委員 中沢克二
概略
- 2016/10/19 6:30
- 情報元
- 日本経済新聞 電子版
北京中心部の要人執務地である「中南海」から西に4、5キロ。「八一大楼」と呼ばれる大きな建物の前に戦闘用の迷彩服姿の男たちが大挙して集まり、軍歌を唱うなど気勢を上げた。
そこには、中国人民解放軍を指揮する中央軍事委員会の弁公室や国防省がある。
10月11日から12日にかけての事件だった。
民主化を要求する学生運動ではない。
彼らは、れっきとした退役軍人らである。年のころは中年以上。
白髪頭も目立つ。とはいえ、元軍人だけに口は重い。
取材に訪れた外国メディアに直接、不満をぶちまけるような行為はない。統制は取れている。
現場の異様な状況は、一般市民がスマートフォンで撮影した様々な映像や写真が中国内でも出回った。だが、監視当局により順次、削除されていった。
■あり得ない「中央軍事委員会」包囲
断続的に続いた示威行為は数百人規模で、一時は1000人を超えた。
そこは「軍事禁区」といわれる一般人の立ち入りを厳しく禁じる地域だ。
過去にも北京の他の軍関係施設前で小規模な陳情行為はあったが、「八一大楼」に迷彩服の元軍人が大挙して押し寄せたのは前代未聞だ。
彼らの多くは、今世紀初頭までに退役した軍人らだという。
退職に伴う手当は少なく、再就職も厳しかった。医療保障も不十分だ。
今世紀に入って中国経済は大きく伸び、軍人の待遇も少しずつ改善された。彼らは取り残された人々でもある。
徴兵制ではない中国の軍は、退役軍人、予備役、民兵を含めた運命共同体だった。
軍人は庶民の尊敬を一身に集める存在だった。鉄道料金は無料で、専用席が設けられていた。
病院、幼稚園、カラオケなど娯楽施設も無料。給与は安めだが福利厚生は完璧だった。
今は違う。給与は少し上がっても大半が自費となり、退役後の福利厚生はかなり削られた。
中国人民解放軍は1989年6月、民主化を要求する学生や民衆のデモを武力鎮圧。
この「八一大楼」に近い場所でも、多数の学生が犠牲になった。
当時、デモ鎮圧の役割を担った軍関係者も今回の抗議行動に参加したとの情報がある。
もっと古くは79年の中越戦争の功労者もいたという。
軍は共産党の一党独裁体制を支える「暴力装置」である。その内部問題だけに、ことは深刻だ。
簡単に処分できない。やり方を間違えれば大規模な騒乱につながりかねない。
北京で中央軍事委を取り囲んだのは、全国の不満分子の代表で、背後には2万人以上の賛同者がいるもようだ。
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