北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

トンガ大規模噴火,VEI火山爆発指数ではピナトゥボ1991年噴火を下回り"火山の冬"は回避か

2022-01-19 20:22:23 | 防災・災害派遣
■フンガトンガフンガハアパイ山
 巨大噴火に見舞われたトンガについてニュージーランド空軍のP-3哨戒機が無事を確認しオーストラリアは救援へキャンベラ級強襲揚陸艦派遣を大車輪で準備中です。

 ピナトゥボ火山を下回る、火山爆発指数では1991年に噴火したフィリピンピナトゥボ火山噴火を下回るとともに、1980年のセントヘレンズ火山噴火や欧州の航空航路を混乱させた2010年のアイスランドにおけるエイヤフイヤトラヨークトル火山とも同程度かそれ以下の可能性もあるという。これは必然的に世界の気象への影響も極めて限定的となる訳です。

 トンガ国内では首都の火山灰堆積などにより飲料水の汚染が続き、また空港に航空機が発着できない為に降灰の除去が必要となりますが、降り積もった火山灰は10センチ程度、もちろんトンガの一部の島には更に大きな火山灰被害が生じている、火山性津波も15mであったなど、大変な状況ではありますが、火山の冬や全国民退避の必要はなく復興可能です。

 フンガトンガフンガハアパイ火山の山体崩壊。火山爆発指数がVEI7に及ばないのは勿論、VEI6以下かVEI5程度に留まる可能性があるのは、山体崩壊に至った最初の大規模噴火を最後に現地では大規模な火山活動が続かず、17日にAFP通信が再度の大噴火を報じましたが誤報であったと訂正されています、要するに噴火が持続しなかった為、噴出量も少ない。

 山体崩壊に至った背景として、水蒸気爆発と隆起した海底火山という二つの特性が挙げられます、これは地下のマグマ溜まりに海水が触れたという、内陸部の火山では発生しにくい構造があります。ピナトゥボ火山噴火などは山頂の火山湖に蓄積した雨水が火山性地震により生じた亀裂に浸透し水蒸気爆発を誘発しましたが、その噴火まで三カ月を要した。

 前駆噴火、15日の既にトンガ当局などから発表されている大規模噴火前日の火山噴火がありますが、これにより標高149mに達していた火山は大部分が吹き飛んだと衛星写真により判明しています、そして前駆噴火により亀裂が生じた、この際にマグニチュード6規模の地震も発生していますので、ここでマグマ溜まりへ一挙に海水が浸透したと考えられる。

 水蒸気爆発、日本へ津波を到達させたブラストはこの水蒸気爆発により生じたものですが、火山湖に溜まる雨水などとは総量が違います、前駆地震により生じた亀裂に海水が浸透した事で一挙に全部弾けてしまった、これば強烈なブラストの正体です。そしてこの噴火が持続していたならば、火山爆発指数は増大したのでしょうが、七時間ほどで終息に転じた。

 VEI火山爆発指数は火山からの噴出物により算出されます、これには火山灰も火砕流も岩屑雪崩も含まれるのですが、フンガトンガフンガハアパイ火山は海底火山ですが海底に在るカルデラとは距離を隔てた外輪山の一つでしかありません、例えば、すると海面上に出ていましたフンガトンガフンガハアパイ火山の標高149mは伏見稲荷大社の稲荷山より低い。

 火山爆発指数とは火山性排出物の総量で計算される、0.001立方キロメートル以下ではVEI1であり0.01立方キロメートル以下ならばVEI2,そして0.1立方キロメートル以下だとVEI3,更に1キロ立方メートルを超えるとVEI4で、VEI7となると100立方キロメートルの排出物となります。富士山が根こそぎ噴火の規模ではなく、伏見の稲荷山より低い山だ。

 岩屑雪崩、山体崩壊により生じた岩屑雪崩の総量もVEI算定の火山性堆積物には加算するのですが、上記の通り山そのものが小さく、そして火山活動が持続しなかった訳ですので、火山灰もメートル単位で積み重なる状況は避けられています。今後は日本を含めた世界からの支援で、どのようにトンガが火山灰の被害から復興するかという点が重要でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】下鴨神社(賀茂御祖神社),阿礼少女-斎院御杖代巫女置き安寧願った祈りの社

2022-01-19 20:00:08 | 写真
■賀茂大神に願う安寧
 賀茂御祖神社こと下鴨神社の様子を前回に続き写真の上にて巡ってゆきましょう。

 下鴨神社、京都市左京区下鴨泉川町の神社は楼門、これも荘厳であると共に重要文化財に指定されていると聞き納得するのですが、参拝へ歩み進めますと、そこに拝殿と本殿、というような広がりだけではなく、糺の森へ続くせせらぎの源流があり、空気の流れが。

 京都にも広い様で多くの営みが広がる街並みに活況といいますか、三密の常態というような風情となっているところですけれども、実のところ静寂というものはひろがっているものでして糺の森もこうしたところであるよう思うのです。マンション建ちそうでしたが。

 御手洗川、みたらし池、ここ下鴨神社は鴨川の流れに隣接していますので、考えれば水の流れには豊かなものはあるのですが、気温差と水の動きというものは空気の流れを生みます、水面は音を立てると共に雑多な音を内部化しますので、水音がある種の静寂を生む。

 みたらし池というのは餅菓みたらし団子を思い出す響きですが、みたらし池のこの小さな祠が御手洗川の源流となっていまして、真夏の暑い盛りに湧水が泡立つ様子を見立てたの餅菓子が、いまやコンビニのレジ横にも並ぶ美味しいみたらし団子の原点の始まりという。

 茶屋で一つ御団子でも、こう風情を味わいたいところですがご時世故になかなか風情を味わおうにもCOVID-19と感染対策という、楽しさに冷水を吹きかける様な時勢がありますので、寂しいものです。初詣には健康を祈るというところですが、街の活気、健康も祈る。

 みたらしまつりといいまして、夏の暑い盛りにこの池に歩み進めてつま先浸りますと無病息災になるという、ただ、冬の寒い盛りに歩み進めますと寒中水泳の心得なければ大病満載となりかねませんので、人も少ない頃合いとの機に、流れゆく様子を眺めていました。

 斎院。静かな空気の流れを湛える社殿は平安朝の頃、斎王として内親王女王を賀茂神社での御杖代巫女として仕えさせた平安朝初期の制度、その聖地である故という。斎王はここ下鴨神社と伊勢神宮へ斎院が置かれたといいまして、清涼冷涼な境内空気はこうしたため。

 御杖代巫女。実は平安遷都の後に一度ここ平安京から遷都の動きがありました、東京遷都かと問われるとその前、弘仁元年こと西暦810年、薬子の変での出来事です、平城京復帰を求める平城上皇と嵯峨天皇との対立がありまして、場合によっては京都廃都もありえた。

 阿礼少女、嵯峨天皇は薬子の変鎮定にあたり王城鎮守の神たる賀茂大神への戦勝祈願に際し祭礼を司る巫女である阿礼少女を斎王として内親王女王に当らせると祈願しまして、実際戦勝となりましたので有智子内親王を斎王として仕えさせた、こうした歴史があります。

 葵祭。今年こそはと想う京都三大祭ではありますが、昨年とおととしとがCOVID-19により中止となっています賀茂祭ともいうこの祭事はまさに斎王代の神事を今に伝えるものでして、例えば平安朝より続く禊の儀はまさにここのみたらしの池にて執り行われています。

 伊勢神宮に次いで賀茂別雷神社と並んで官幣大社筆頭となっていますのは、こうした歴史があるためでして、また平安朝の頃から式年遷宮という21年ごとの本殿改築を、建物が国宝や重要文化財へ指定されるまで連綿と続けていた事でも、大きさが分るところでしょう。

 王城鎮守の神たる賀茂大神。東京遷都の後ではあるのですけれども、三年目に入りましたCOVID-19コロナ禍下の京都と日本、街も社会も疲れてきています段階を通り越している印象、安寧を改めて祈りつつ社殿に一礼し、みたらし団子も探しつつ帰路へと就きました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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