■南洋噴火,また崩れた安全神話
トンガのフンガトンガフンガハアパイ火山噴火に伴う津波、実際には高潮の真逆に近い事象でしたが気象庁の津波予測は確実という一つの安全神話が崩れました。
本日は兵庫県南部地震、阪神淡路大震災27年目の慰霊の日です。27年目ともなりますと、自衛隊の装備で阪神大震災災害派遣へ派遣された装備は既に退役しているものが大半、とわだ型補給艦、あさぎり型護衛艦や一部のトラックなどでしょうか、多用途ヘリコプターの大半と観測ヘリコプターは代替わり、改めて27年という期間を長く感じるものですね。
RF-4偵察機全廃から間もなく二年、後継のRQ-4配備はまだ開始されず、いま災害が起きたならば、一昔は現実でも映画でも巨大災害と云えば偵察機という描写、いまはやはり戦闘機であるF-15から目視で偵察するのか、映像伝送器を積んだUH-1Jヘリコプターの離陸を延々待つのか、報道映像が入るのをNHKを視聴して待つのか、少々不安になります。
朝早かったものですから驚いた、驚いたというのはあの日偶然朝早く目覚めまして、少し好きな読書でも愉しめそうだとしていたところに、こう、地鳴りとともに揺れ始める、いや建物が揺れる軋みとともに揺れを実感し、不気味なのは徐々に揺れも音も大きくなり、このまま大きくなり続けるのか、建物が倒れるのか、恐怖した数秒は数分に感じるほど。
神戸があんなことになっているとは夢にも思わず、テレビを急いで点けましたが情報などなく、報道では大阪か奈良が震源の様な印象を受けつつ、神戸からの情報が無い事は神戸に何も無かったからだろうと誤解させるような、現実には被害を伝える手段が何も無かった訳ですが、そしてどうやら被害が神戸に集中、甚大と分かるのはもう少し後の事でした。
震災の記憶が、と語られるところではありますが神戸市を散策しますと不思議な空き地や街路一角の画一的な建築物群と、復興を思い出させる風景は実のところ多い事に気付かされます。しかし福井地震や伊勢湾台風、風化してしまった巨大災害も数多い事も事実です。ただ、災害の際にどのように行動するか、発災直後は瞬間の数秒が生命を左右するという。
災害文化、巨大地震に際しては誰一人として冷静ではいられないが前部の人々が一斉に理性を失う数秒間の間に多くの決定的な事が起こり災厄は増大へ向かう、戦前まではこれを回避する為の文化が在ったものだと、災害文化と云う表現をかのSF大家小松左京氏は“日本沈没”の東京大震災においてこう表現しています。震災の記憶、こう伝承されて欲しい。
災害に直面した際に知識では無く反射的に何を行えば生命が助かるのかという仕草、防災技術が一定以上進みますと危機感というものは技術により危機を回避できるであろう、という認識に置き換わるのかもしれません。例えば、震災では日本の耐震技術は、京阪神では摩耶水害を念頭に屋根が頑丈で重心が高い家屋が多い中、盤石だと信じられていました。
安全神話というものは正常性バイアス、自分は大丈夫だろうからパニックに陥らないよう落ち着こう、こうした認識にも置き換えられるようですが、例えば2011年の3.11東日本大震災までは日本の原発は炉心溶融のような大事故を起こさないという安全神話、いや昨日未明までは日本の津波警報システムは確実という、安全神話が在ったのもまた事実です。
トンガの火山噴火に際して、規格外の巨大噴火であるである事は衛星写真により判明していましたが、津波は無いという気象庁の発表はほぼ全国民が鵜呑みにしています、北大路機関も含めて。しかし実際に津波といいますか潮位変化が顕著な規模で観測され、気象庁は後追いのように津波観測後に警報が発令された。津波予測は確実という安全神話が、また崩れた。
フンガトンガフンガハアパイ火山噴火に伴う津波もっとも、津波と云うよりは火山爆発ブラストによる気圧変化が海面に圧力を加えて巨大な波のように津波のような被害を及ぼす、火山性高潮というべき新しい災害が世界で初めて観測されたのですから、厳密には津波ではないという点で津波予測の安全神話というようにみるのは、却って違うようですけれども。
考えたくはない事にも正面から向き合う必要がある、これを危機管理という。そして考えたくない事に向き合うには、何が起こり得るのかを調べるところから始めなければなりません。日常生活やビジネスと健康では意外と定着している事のようにも思いますが、災害に際しては、これはCOVID-19のような非日常を含めて、及び腰であるようにも思える。
防災も考えすぎますと“中二病”といいますか、SFチックになり現実味がない、起こりうることを地学や歴史から学んだとしても精々思考体操で終わる事が多く、生きている間に、“世界規模の致命的感染症大流行”や“巨大津波の遡上高さ数十メートル”や“巨大噴火による国家危機”などは起きない、考え過ぎ、と受け流し、危機が玄関に来るまで続く。
世界規模の致命的感染症大流行は二年前の習志野空挺降下始めでは開門待ちの冗談で語っていましたし、巨大津波の遡上高さ数十メートルなんてものも2011年3月11日までは隕石が落ちる映画の話と思っていましたし、巨大噴火による国家危機というものも南洋の人々は一昨日まで中々可能性はあっても現実に生活に取り入れる事は無茶だったでしょう。
防災も個人防災には限度がある。阪神大震災はこの視点をもう一つ突き付けられた事例でもありました。個人防災の限界はそのもう少し後、間もなく11年を迎える3.11東日本大震災においても突き付けられるのですが、沿岸部の戸建て住宅は最高度の強度を誇ったとしても津波には、トーチカのように半地下でコンクリート耐爆風構造でなければ無力です。
社会全体で、これは自衛隊による道路啓開や架橋と輸送支援、消防の機能強化、自治体の平時手続簡略化など有事危機管理体制への転換迅速化、情報収集基盤の強化、防災インフラ整備、必要な施策というものは個人では限界と云いますか現実的ではなく、社会全体で取り組まねばなりません、しかしそれは、“お上”の政治であってはならないようにも思う。
関心を持つ事を恐れない、知る事に壁を造らない、提案する事に躊躇しない。災害文化というものを示しましたが、巨大な災害、規格外の災害というものを正面から受け止める事は難しいことではあります、ところがその上で考える習慣や知る習慣というものを身につけるというか意識するという事は、実のところ次の災害に備える上で要諦の一つと考えるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
トンガのフンガトンガフンガハアパイ火山噴火に伴う津波、実際には高潮の真逆に近い事象でしたが気象庁の津波予測は確実という一つの安全神話が崩れました。
本日は兵庫県南部地震、阪神淡路大震災27年目の慰霊の日です。27年目ともなりますと、自衛隊の装備で阪神大震災災害派遣へ派遣された装備は既に退役しているものが大半、とわだ型補給艦、あさぎり型護衛艦や一部のトラックなどでしょうか、多用途ヘリコプターの大半と観測ヘリコプターは代替わり、改めて27年という期間を長く感じるものですね。
RF-4偵察機全廃から間もなく二年、後継のRQ-4配備はまだ開始されず、いま災害が起きたならば、一昔は現実でも映画でも巨大災害と云えば偵察機という描写、いまはやはり戦闘機であるF-15から目視で偵察するのか、映像伝送器を積んだUH-1Jヘリコプターの離陸を延々待つのか、報道映像が入るのをNHKを視聴して待つのか、少々不安になります。
朝早かったものですから驚いた、驚いたというのはあの日偶然朝早く目覚めまして、少し好きな読書でも愉しめそうだとしていたところに、こう、地鳴りとともに揺れ始める、いや建物が揺れる軋みとともに揺れを実感し、不気味なのは徐々に揺れも音も大きくなり、このまま大きくなり続けるのか、建物が倒れるのか、恐怖した数秒は数分に感じるほど。
神戸があんなことになっているとは夢にも思わず、テレビを急いで点けましたが情報などなく、報道では大阪か奈良が震源の様な印象を受けつつ、神戸からの情報が無い事は神戸に何も無かったからだろうと誤解させるような、現実には被害を伝える手段が何も無かった訳ですが、そしてどうやら被害が神戸に集中、甚大と分かるのはもう少し後の事でした。
震災の記憶が、と語られるところではありますが神戸市を散策しますと不思議な空き地や街路一角の画一的な建築物群と、復興を思い出させる風景は実のところ多い事に気付かされます。しかし福井地震や伊勢湾台風、風化してしまった巨大災害も数多い事も事実です。ただ、災害の際にどのように行動するか、発災直後は瞬間の数秒が生命を左右するという。
災害文化、巨大地震に際しては誰一人として冷静ではいられないが前部の人々が一斉に理性を失う数秒間の間に多くの決定的な事が起こり災厄は増大へ向かう、戦前まではこれを回避する為の文化が在ったものだと、災害文化と云う表現をかのSF大家小松左京氏は“日本沈没”の東京大震災においてこう表現しています。震災の記憶、こう伝承されて欲しい。
災害に直面した際に知識では無く反射的に何を行えば生命が助かるのかという仕草、防災技術が一定以上進みますと危機感というものは技術により危機を回避できるであろう、という認識に置き換わるのかもしれません。例えば、震災では日本の耐震技術は、京阪神では摩耶水害を念頭に屋根が頑丈で重心が高い家屋が多い中、盤石だと信じられていました。
安全神話というものは正常性バイアス、自分は大丈夫だろうからパニックに陥らないよう落ち着こう、こうした認識にも置き換えられるようですが、例えば2011年の3.11東日本大震災までは日本の原発は炉心溶融のような大事故を起こさないという安全神話、いや昨日未明までは日本の津波警報システムは確実という、安全神話が在ったのもまた事実です。
トンガの火山噴火に際して、規格外の巨大噴火であるである事は衛星写真により判明していましたが、津波は無いという気象庁の発表はほぼ全国民が鵜呑みにしています、北大路機関も含めて。しかし実際に津波といいますか潮位変化が顕著な規模で観測され、気象庁は後追いのように津波観測後に警報が発令された。津波予測は確実という安全神話が、また崩れた。
フンガトンガフンガハアパイ火山噴火に伴う津波もっとも、津波と云うよりは火山爆発ブラストによる気圧変化が海面に圧力を加えて巨大な波のように津波のような被害を及ぼす、火山性高潮というべき新しい災害が世界で初めて観測されたのですから、厳密には津波ではないという点で津波予測の安全神話というようにみるのは、却って違うようですけれども。
考えたくはない事にも正面から向き合う必要がある、これを危機管理という。そして考えたくない事に向き合うには、何が起こり得るのかを調べるところから始めなければなりません。日常生活やビジネスと健康では意外と定着している事のようにも思いますが、災害に際しては、これはCOVID-19のような非日常を含めて、及び腰であるようにも思える。
防災も考えすぎますと“中二病”といいますか、SFチックになり現実味がない、起こりうることを地学や歴史から学んだとしても精々思考体操で終わる事が多く、生きている間に、“世界規模の致命的感染症大流行”や“巨大津波の遡上高さ数十メートル”や“巨大噴火による国家危機”などは起きない、考え過ぎ、と受け流し、危機が玄関に来るまで続く。
世界規模の致命的感染症大流行は二年前の習志野空挺降下始めでは開門待ちの冗談で語っていましたし、巨大津波の遡上高さ数十メートルなんてものも2011年3月11日までは隕石が落ちる映画の話と思っていましたし、巨大噴火による国家危機というものも南洋の人々は一昨日まで中々可能性はあっても現実に生活に取り入れる事は無茶だったでしょう。
防災も個人防災には限度がある。阪神大震災はこの視点をもう一つ突き付けられた事例でもありました。個人防災の限界はそのもう少し後、間もなく11年を迎える3.11東日本大震災においても突き付けられるのですが、沿岸部の戸建て住宅は最高度の強度を誇ったとしても津波には、トーチカのように半地下でコンクリート耐爆風構造でなければ無力です。
社会全体で、これは自衛隊による道路啓開や架橋と輸送支援、消防の機能強化、自治体の平時手続簡略化など有事危機管理体制への転換迅速化、情報収集基盤の強化、防災インフラ整備、必要な施策というものは個人では限界と云いますか現実的ではなく、社会全体で取り組まねばなりません、しかしそれは、“お上”の政治であってはならないようにも思う。
関心を持つ事を恐れない、知る事に壁を造らない、提案する事に躊躇しない。災害文化というものを示しましたが、巨大な災害、規格外の災害というものを正面から受け止める事は難しいことではあります、ところがその上で考える習慣や知る習慣というものを身につけるというか意識するという事は、実のところ次の災害に備える上で要諦の一つと考えるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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