■賀茂御祖神社に安寧祈る
下鴨神社として親しまれる賀茂御祖神社では拝殿に二つの大きな絵馬が並び参拝者を迎えてくれます。

丑年から寅年へ。遊びタイガーというような言葉が恰も2020年から続くコロナ禍下の緊縮生活とともに響いてきそうな最中ではありますが、ここ下鴨神社では干支の絵馬が引き継ぎ式を行っているようでした。さてさて2022年はどのような一年となるのでしょうかね。

京都市左京区下鴨泉川町。京阪電鉄の本線終点は出町柳駅から鴨川をわたり広がる山道は高い木々に包まれていまして、一線の先に楼門、ここを糺の森という、ここは京都に鎮座します数多寺社仏閣の中でも歴代最長の歴史と信仰を湛える下鴨神社が鎮座しています。

崇神天皇年間七年。西暦にしますと紀元前90年となりますが、社伝によれば下鴨神社の創建は紀元前90年にまで遡るとのことでして、もちろん社伝というものは正確な歴史、科学的な検証とは限らないと思ってはいたのですが、縄文時代には当地に営みが在ったとも。

縄文時代、実際に当地からは縄文時代の土器さえ発掘されているといいますので、縄文土器を愛用する頃には人々の営みが、そうした場には祈りの場がありますので、社伝も案外科学的裏付けがあるといえ、鴨川のせせらぎとともに歴史につつまれた信仰を湛えている。

糺の森は寒いのです。寒いのは人が少ない故に風が通る為なのですね。人が少ないのはCOVID-19による自粛機運が再び、という訳ではなく単に参拝の時機を思い切って動かした為でして。一年の無病息災をここまで真剣に祈るというのが、いまの日本と世界という。

山城国一宮であり二十二社は上七社の一社、もともとは上賀茂神社こと賀茂別雷神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社でしたが、奈良時代の頃より朝廷の崇敬を集め、参拝者の集いと共に氏神の社殿から国の安寧と大衆民衆町衆の祈り長いの社殿へ移ろってゆきました。

賀茂氏の氏神、京都の平安京としての始まりは今の二条城掘割の水源、神泉苑から首府が造営されましたが、平安遷都前には鴨川の流れこそが当地に人の営みを広める事となりました、そして賀茂氏こそが鴨川の名その由来となりまして、賀茂御祖神社由来となります。

神武天皇が当地を僥倖した際、洛北は御蔭山の地に祭神が降臨したことが当地に創建されました所縁となっていまして、このあたりは社伝と氏神の祠としての歴史との不思議な二つの歴史が並ぶようにも見えます。そしてその本殿は東西に二つの本殿が並ぶのですね。

東殿と西殿と。東殿には玉依姫命と上賀茂神社の祭神賀茂別雷命の母神。西殿には賀茂建角身命と玉依姫命の父神で賀茂別雷命祖父は祀られる向かい合う独特の社殿様式で、そして干支の方位神が東西のその本殿前に並ぶという厳かながら不思議な安心がひろがります。

二十二社は上七社の一社といいますが、この二十二社といいますのは国家存亡の危機に際し、朝廷の勅使を受けて国家安寧の祈祷を行う社殿といいます、現代日本ではこうした政治的な祈祷は政教分離により隔てられていますが、その分個人毎に厚く深くいのりたい。

祈るのはCOVID-19感染拡大の沈静化で、2021年9月の急激な鎮静化から平和とさえおもえる緊張下の蠢動が2022年1月から突如牙を剥きはじめたような感染拡大を続けており、見知らぬ明日といいますか、先行きの見えない時代の流れがまたしても始まっています。

初詣。菅総理大臣が政権と相討ちで抑え込んだCOVID-19が日本国内にて再拡大が際限なく広がる最中となっていまして、ちょっとこれは大変な事になったものだと考えさせられるところです。こうした中ですが当面は安寧を写真の社に祈っていただければと思います。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
下鴨神社として親しまれる賀茂御祖神社では拝殿に二つの大きな絵馬が並び参拝者を迎えてくれます。

丑年から寅年へ。遊びタイガーというような言葉が恰も2020年から続くコロナ禍下の緊縮生活とともに響いてきそうな最中ではありますが、ここ下鴨神社では干支の絵馬が引き継ぎ式を行っているようでした。さてさて2022年はどのような一年となるのでしょうかね。

京都市左京区下鴨泉川町。京阪電鉄の本線終点は出町柳駅から鴨川をわたり広がる山道は高い木々に包まれていまして、一線の先に楼門、ここを糺の森という、ここは京都に鎮座します数多寺社仏閣の中でも歴代最長の歴史と信仰を湛える下鴨神社が鎮座しています。

崇神天皇年間七年。西暦にしますと紀元前90年となりますが、社伝によれば下鴨神社の創建は紀元前90年にまで遡るとのことでして、もちろん社伝というものは正確な歴史、科学的な検証とは限らないと思ってはいたのですが、縄文時代には当地に営みが在ったとも。

縄文時代、実際に当地からは縄文時代の土器さえ発掘されているといいますので、縄文土器を愛用する頃には人々の営みが、そうした場には祈りの場がありますので、社伝も案外科学的裏付けがあるといえ、鴨川のせせらぎとともに歴史につつまれた信仰を湛えている。

糺の森は寒いのです。寒いのは人が少ない故に風が通る為なのですね。人が少ないのはCOVID-19による自粛機運が再び、という訳ではなく単に参拝の時機を思い切って動かした為でして。一年の無病息災をここまで真剣に祈るというのが、いまの日本と世界という。

山城国一宮であり二十二社は上七社の一社、もともとは上賀茂神社こと賀茂別雷神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社でしたが、奈良時代の頃より朝廷の崇敬を集め、参拝者の集いと共に氏神の社殿から国の安寧と大衆民衆町衆の祈り長いの社殿へ移ろってゆきました。

賀茂氏の氏神、京都の平安京としての始まりは今の二条城掘割の水源、神泉苑から首府が造営されましたが、平安遷都前には鴨川の流れこそが当地に人の営みを広める事となりました、そして賀茂氏こそが鴨川の名その由来となりまして、賀茂御祖神社由来となります。

神武天皇が当地を僥倖した際、洛北は御蔭山の地に祭神が降臨したことが当地に創建されました所縁となっていまして、このあたりは社伝と氏神の祠としての歴史との不思議な二つの歴史が並ぶようにも見えます。そしてその本殿は東西に二つの本殿が並ぶのですね。

東殿と西殿と。東殿には玉依姫命と上賀茂神社の祭神賀茂別雷命の母神。西殿には賀茂建角身命と玉依姫命の父神で賀茂別雷命祖父は祀られる向かい合う独特の社殿様式で、そして干支の方位神が東西のその本殿前に並ぶという厳かながら不思議な安心がひろがります。

二十二社は上七社の一社といいますが、この二十二社といいますのは国家存亡の危機に際し、朝廷の勅使を受けて国家安寧の祈祷を行う社殿といいます、現代日本ではこうした政治的な祈祷は政教分離により隔てられていますが、その分個人毎に厚く深くいのりたい。

祈るのはCOVID-19感染拡大の沈静化で、2021年9月の急激な鎮静化から平和とさえおもえる緊張下の蠢動が2022年1月から突如牙を剥きはじめたような感染拡大を続けており、見知らぬ明日といいますか、先行きの見えない時代の流れがまたしても始まっています。

初詣。菅総理大臣が政権と相討ちで抑え込んだCOVID-19が日本国内にて再拡大が際限なく広がる最中となっていまして、ちょっとこれは大変な事になったものだと考えさせられるところです。こうした中ですが当面は安寧を写真の社に祈っていただければと思います。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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