北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

新年防衛論集二〇二二,陸上防衛力の統合運用-機械化部隊と策源地攻撃巡航ミサイルの一視点

2022-01-02 20:22:03 | 北大路機関特別企画
■専守防衛と周辺情勢の変容
 日本の周辺情勢変容を俯瞰しますと、これは日本一国が平和を望んだとしても相応の抑止力というものを構築せねば戦争が一方的な蹂躙かどちらかが生じかねない状況です。

 防衛について。抑止力というものを真剣に考えなければたんなる専守防衛の枠組みと、その実効性への変革を躊躇していては成果としての平和を維持することは出来ない懸念が、かなり現実味を帯びてきました。その背景には米ロ対立と米中対立に台湾海峡問題と朝鮮半島危機、どれも今に始まったものではありませんが、脅威として現実に顕在化している。

 陸上防衛については、日本は海洋国家であるために云々、という陸上防衛軽視論は実のところ意味を持ちません、なぜならばそこには抑止力という概念が欠落している。もちろん、数年内に日中開戦の政治的決定があり、この為の準備をするというならばその限りではない、しかし、今は未だ手前に在り、抑止力により当面の戦争を回避することが優先です。

 ミサイル。例えばアメリカ海兵隊は海兵隊二〇三〇構想として、戦車を全廃し水陸両用作戦能力の一部を削除しつつ、地対艦ミサイルと警備部隊からなる海兵沿岸連隊、要するにミッドウェー海戦におけるアメリカ海兵隊の役割を再現するような編成への回帰を進めています。この歴史的といえる転換点は今後、日本の防衛にどう影響を及ぼすのでしょうか。

 ロシア軍のウクライナ国境での緊張状態をかいま見ますと、やはり陸上防衛力は抑止力としての意味を、これは島国の日本であっても高く有していると痛感せざるを得ません。そして、地対地ミサイルなど、INF全廃条約の事実上の失効による550kmから4500kmまでの陸上発射ミサイルが今後日本周辺で増大することとなりましょうが、それは不変です。

 INF全廃条約は核兵器国である米ソが冷戦時代に締結した、西欧が射程となり西欧からソ連中枢を狙える中距離核戦力の地上発射型運搬手段を、全敗するべくソ連とアメリカが締結し、トランプ政権時代にロシアのカリブルやイスカンダルなどが既に違反しているとしてアメリカが脱退した条約で、アメリカは陸上型の中距離ミサイルの実用化を急いでいる。

 しかし、普通科部隊と機甲科部隊を近接戦闘部隊とし、特科部隊と施設科部隊が通信や航空との支援下で運用する従来型の陸上戦力の位置づけは不変であり、安易な地対地ミサイル増強は逆に不具合のほうが大きいのではないか、とも考えるのです。もちろん、策源地攻撃能力などの必要性は理解するのですが、未だ本質的に陸上防衛と等価交換はできない。

 ミサイルであれば、中国は日本を射程とする中距離弾道弾を大量に保有していますし、先島諸島など南西諸島南部を射程とするものについてはけた違いの保有数を誇ります。これに対して海岸線に戦車を反斜面陣地に展開させる手段は一見して時代錯誤的な運用と映るのかもしれませんが、それでも、ミサイルに対して抑止力を公使させる限界の方が顕著だ。

 通常弾頭以外の弾頭を保有する覚悟、国際的批判から孤立を跳ね返す覚悟があるならば別ですが、ミサイルの数で抑止力を構成したとしても、周辺国には核兵器国を含めた核保有国が数多くあり、届く破壊力での比肩を試みますと、天文学的なミサイルの保有、自衛官の数と同数でも保有しないかぎり、通常兵器で核抑止を代えるのは無理があるでしょう。

 そして、一定数の中距離ミサイル、つまり5000km前後までのミサイルを保有することは、逆にこれが地上発射型である場合、地対地ミサイル連隊の展開する戦域が核攻撃を誘発する懸念があり、これは保有する数が多ければ多いほど口実に正当性を付与させることとなります。これでは戦力であってもシステムとして戦争への抑止力として機能していません。

 機械化部隊を主軸とする伝統的戦力、これは相手に上がってくるかもしれないという選択肢の誇示を含めて、保持するには意味があるでしょう。そして、一見物々しい装備である戦車や装甲車は、実のところ戦争は政治の延長との古典的な認識を体現するように、その配置と演習と国際協力の在り方が、形を変えた国家の意志を示すものともいえるのです。

 策源地攻撃。しかしではその必要性は皆無ではないと前述した通りですが、これはある意味、海上防衛力への一体化、対空疎開という意味も含めて海上自衛隊へ統合化するのが一つの選択肢であるように思います。具体的には今後、海上自衛隊が整備を進める哨戒艦などに射程の比較的長い巡航ミサイルを搭載する運用が思い浮かぶところではないか、と。

 有事の際に遊兵を作らない、これが限られた予算での防衛への鉄則です。すると思い浮かぶのがこれから海上自衛隊が一定数を建造する哨戒艦、平時には限られた護衛艦を補完するべく警戒監視にあたりプレゼンスを行使する任務がありますが、有事の際にはどうするのか。汎用性の高い設計ならばセンサーノードや輸送艦用途が浮かぶのですが、さてさて。

 プレゼンスというものを考えますと、例えば最小限の人員で運用する哨戒艦に必要に応じトマホークミサイルの運用能力を付与するならば、有事の際には警戒監視として敵対艦艇に接近すればたちどころに撃沈されますので、例えば戦線から離れた小笠原諸島近海や沿岸部の錯綜海岸線などを遊弋し、ここから海上から、策源地攻撃能力を行使すれば良い。

 哨戒艦の運用としてはいきすぎているように思われるかもしれませんが、これは2010年代以降のロシア海軍運用を参考として居るものです、ブーヤン級やシュテグレチ級コルベット、非常に安価で小型な水上戦闘艦へ射程2500kmのカリブル巡航ミサイルを搭載し、有事の際には戦略兵器として運用できる設計としています、これを踏襲する構図といえるもの。

 VLS方式で後部甲板などに搭載区画を置き、カバーをかぶせておけば平時には搭載の有無を曖昧とするだけでも巨大な抑止力となります。そして哨戒艦は目立つ装備が機関砲だけでは哨戒任務にも侮られる懸念がありますが、護衛艦よりも強力な巡航ミサイルを搭載し得る前提があれば、侮られることはないでしょう。この結果、平時にも有事にも有用です。

 策源地攻撃能力として哨戒艦に有事の際には巡航ミサイルを搭載する方式は、哨戒艦は自動化を進めることで居住性を大きく向上させ、任務に対応する日数を最大限確保するとしています、これは有事の際にも策源地攻撃命令が発令されるまで無寄港の長期間のミサイルパトロールを行う上でも好都合で、敵の策源地攻撃にも生存性を確保できるのですね。

 突飛ともいいうる選択肢ですが、海兵沿岸連隊のように右に倣えで戦車を捨てて核兵器国を相手に通常弾頭ミサイルを並べて安堵するよりは余程現実的な選択肢です。また、日本は島国という認識が先行し、島国の割には防衛政策や外交政策が大陸的である点を無視して折角高い戦車国産能力と工業基盤を無駄とするのも、これは防衛上真逆の施策でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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謹賀新年二〇二二!Weblog北大路機関-転換期の日本安全保障へ知る事論じる事への一助期す

2022-01-02 14:14:01 | 北大路機関特別企画
■今年も一年間どうぞよろしく
 みなさまいよいよ始まりました今年も一年間どうぞよろしくお願いいたしますね!。

 日本の安全保障は劇的な転換点を経過中です。2022年というものは、武力紛争回避の努力というものを継続しなければ単に平和を願うだけでは大河に押し流されるような構図で終着点へ向かう構図から逃れることは出来ません。この点で手段としての平和主義を用いたこれまでの戦後リベラル思想は結果としての平和を勝ち取る事が出来るのか不安を感じる。

 戦争を回避しなければならないことは確かなのですが、例えば十二月八日、例えば八月十五日、太平洋戦争の視点からこの論調を昇華させることは、やめるべきとまでは考えないのですが、果たして現実的なのでしょうか。戦争を行わなければ戦争には至らない、この視点は例えば1937年の中国に、1941年のアメリカにこれを問う勇気はあるのでしょうか。

 太平洋戦争や日中戦争のような侵略戦争との決別、この視点ならば理解はできるのですが、日本が攻撃を仕掛ける以外の戦争というものは2020年代に入りますと現実の脅威として存在するもので、例えば1937年の中国に貴国が反撃したから日中戦争が起きたのだ、こう責任を問うことが筋違いであるのと同様です、日本自身も、戦争を防ぐ努力は必要なのです。

 台湾海峡の問題で台湾が独立というよりも現状維持を望むならば中国は侵略しないのか、香港問題で民主化運動が起きなければ国家安全法は立法されなかったのか、ウクライナ東部紛争でロシア軍が侵攻したのはウクライナの欧州との関係強化を望んだ声に責任があるのか、こうした視点に昇華して考えますと、日本の滑稽さが際立ってしまうようにおもう。

 高度経済成長思想からの脱却、もう一つは太平洋戦争のような戦争は日本から攻めることにより始まるものであり日本が戦争を望まなければ戦争は起きないという理念の延長線上にある、高度経済成長期の抜きんでた経済大国としての日本の平和外交という思想からも、そろそろ脱却すべきかもしれません、日本経済は巨大、だがいま世界を見れば最大でない。

 経済力で戦争を防いでいた、これは皮肉でもあるのですが、少なくとも平成中期までは構造として成り立っていたローカルなパクスジャポニカの構造です、パックスロマーナと比較すれば実に局所的ではありますが、札束で緊張を緩和していた構図はありまして、これは中国の北宋が11世紀に北方民族と結んだ擅淵の盟ほど屈辱的な構図でもないものでした。

 平和は高くなった。構図として安全保障の重要性を説くには、国民が示すべき軍事以外の手段での平和というものは値段が高くなり過ぎたともいえるでしょう。例えば日本の人口が三億ほどいて年率10%以上の経済成長、つまり7年以下で経済規模が倍になる成長を続けていれば、その経済大国が平和を望む限り、戦争はいまも回避でき得ました。しかし。

 平和は国際公共財となり得ます、だからこそ圧倒的な経済力と人口規模を維持しているならば、願うだけで平和を選択する事は出来ました、ただそれが2020年代の日本には人口減少が叫ばれ縮小する労働人口を高齢者労働と若年非正規労働に依存し経済規模を維持するだけで精一杯の日本には、もはや買えない高嶺の花となってしまった構図があるのですね。

 しかし、予防外交と安全保障、これを外交に反映させる政治力と、必要な最低水準を下回らない防衛力があれば、日本の場合には戦争を回避する、国際紛争に巻き込まれない体制を維持することは可能です、なぜならば世界中の国が日本のような経済大国の歴史を経ずとも均衡を維持する努力を怠らないことで平和を維持しているのですから。普通の国でも。

 先ず知ること議論する事から始めるべき。わたしは日本のリベラルにもコンサヴァティヴにも一番知ることは、カントやアガンベンやカールシュミットやロールズやアレントやハーマンカーン、ガルトゥングやクラウゼヴィッツといった理論を知り、その上で平和構築や平和創造にはなにが必要か、という議論を始めなければ前に進まないようにも思います。

 神川彦松や高坂正堯あたりを入れるべきなのでしょうが、世界の方々と意見交換する場合、オーカミカワヒコマツか学生の頃に読んだよ、というのは日本研究をしている方を含め在外邦人を除けば日本以外では出会いません、コーサカ先生にはお世話になった、という方はいた。堅すぎるとおもわれるならば例えば。塩野七生あたりは読んでおいても損はない。

 日本の強みを一つ付け加えますと、海外文献のかなりの数が邦訳されていまして、相当専門的な又は最先端の理論研究を除けば膨大な文献の邦訳が入手できる点と、その専門分野を研究する層が一定数居る点です。まず平和を論じる、もしくは平和を実現するには、国民全体で知ることと議論することを躊躇わない覚悟の見識と理解が、必要なのでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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