■今年も一年間どうぞよろしく
みなさまいよいよ始まりました今年も一年間どうぞよろしくお願いいたしますね!。

日本の安全保障は劇的な転換点を経過中です。2022年というものは、武力紛争回避の努力というものを継続しなければ単に平和を願うだけでは大河に押し流されるような構図で終着点へ向かう構図から逃れることは出来ません。この点で手段としての平和主義を用いたこれまでの戦後リベラル思想は結果としての平和を勝ち取る事が出来るのか不安を感じる。

戦争を回避しなければならないことは確かなのですが、例えば十二月八日、例えば八月十五日、太平洋戦争の視点からこの論調を昇華させることは、やめるべきとまでは考えないのですが、果たして現実的なのでしょうか。戦争を行わなければ戦争には至らない、この視点は例えば1937年の中国に、1941年のアメリカにこれを問う勇気はあるのでしょうか。

太平洋戦争や日中戦争のような侵略戦争との決別、この視点ならば理解はできるのですが、日本が攻撃を仕掛ける以外の戦争というものは2020年代に入りますと現実の脅威として存在するもので、例えば1937年の中国に貴国が反撃したから日中戦争が起きたのだ、こう責任を問うことが筋違いであるのと同様です、日本自身も、戦争を防ぐ努力は必要なのです。

台湾海峡の問題で台湾が独立というよりも現状維持を望むならば中国は侵略しないのか、香港問題で民主化運動が起きなければ国家安全法は立法されなかったのか、ウクライナ東部紛争でロシア軍が侵攻したのはウクライナの欧州との関係強化を望んだ声に責任があるのか、こうした視点に昇華して考えますと、日本の滑稽さが際立ってしまうようにおもう。

高度経済成長思想からの脱却、もう一つは太平洋戦争のような戦争は日本から攻めることにより始まるものであり日本が戦争を望まなければ戦争は起きないという理念の延長線上にある、高度経済成長期の抜きんでた経済大国としての日本の平和外交という思想からも、そろそろ脱却すべきかもしれません、日本経済は巨大、だがいま世界を見れば最大でない。

経済力で戦争を防いでいた、これは皮肉でもあるのですが、少なくとも平成中期までは構造として成り立っていたローカルなパクスジャポニカの構造です、パックスロマーナと比較すれば実に局所的ではありますが、札束で緊張を緩和していた構図はありまして、これは中国の北宋が11世紀に北方民族と結んだ擅淵の盟ほど屈辱的な構図でもないものでした。

平和は高くなった。構図として安全保障の重要性を説くには、国民が示すべき軍事以外の手段での平和というものは値段が高くなり過ぎたともいえるでしょう。例えば日本の人口が三億ほどいて年率10%以上の経済成長、つまり7年以下で経済規模が倍になる成長を続けていれば、その経済大国が平和を望む限り、戦争はいまも回避でき得ました。しかし。

平和は国際公共財となり得ます、だからこそ圧倒的な経済力と人口規模を維持しているならば、願うだけで平和を選択する事は出来ました、ただそれが2020年代の日本には人口減少が叫ばれ縮小する労働人口を高齢者労働と若年非正規労働に依存し経済規模を維持するだけで精一杯の日本には、もはや買えない高嶺の花となってしまった構図があるのですね。

しかし、予防外交と安全保障、これを外交に反映させる政治力と、必要な最低水準を下回らない防衛力があれば、日本の場合には戦争を回避する、国際紛争に巻き込まれない体制を維持することは可能です、なぜならば世界中の国が日本のような経済大国の歴史を経ずとも均衡を維持する努力を怠らないことで平和を維持しているのですから。普通の国でも。

先ず知ること議論する事から始めるべき。わたしは日本のリベラルにもコンサヴァティヴにも一番知ることは、カントやアガンベンやカールシュミットやロールズやアレントやハーマンカーン、ガルトゥングやクラウゼヴィッツといった理論を知り、その上で平和構築や平和創造にはなにが必要か、という議論を始めなければ前に進まないようにも思います。

神川彦松や高坂正堯あたりを入れるべきなのでしょうが、世界の方々と意見交換する場合、オーカミカワヒコマツか学生の頃に読んだよ、というのは日本研究をしている方を含め在外邦人を除けば日本以外では出会いません、コーサカ先生にはお世話になった、という方はいた。堅すぎるとおもわれるならば例えば。塩野七生あたりは読んでおいても損はない。

日本の強みを一つ付け加えますと、海外文献のかなりの数が邦訳されていまして、相当専門的な又は最先端の理論研究を除けば膨大な文献の邦訳が入手できる点と、その専門分野を研究する層が一定数居る点です。まず平和を論じる、もしくは平和を実現するには、国民全体で知ることと議論することを躊躇わない覚悟の見識と理解が、必要なのでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
みなさまいよいよ始まりました今年も一年間どうぞよろしくお願いいたしますね!。

日本の安全保障は劇的な転換点を経過中です。2022年というものは、武力紛争回避の努力というものを継続しなければ単に平和を願うだけでは大河に押し流されるような構図で終着点へ向かう構図から逃れることは出来ません。この点で手段としての平和主義を用いたこれまでの戦後リベラル思想は結果としての平和を勝ち取る事が出来るのか不安を感じる。

戦争を回避しなければならないことは確かなのですが、例えば十二月八日、例えば八月十五日、太平洋戦争の視点からこの論調を昇華させることは、やめるべきとまでは考えないのですが、果たして現実的なのでしょうか。戦争を行わなければ戦争には至らない、この視点は例えば1937年の中国に、1941年のアメリカにこれを問う勇気はあるのでしょうか。

太平洋戦争や日中戦争のような侵略戦争との決別、この視点ならば理解はできるのですが、日本が攻撃を仕掛ける以外の戦争というものは2020年代に入りますと現実の脅威として存在するもので、例えば1937年の中国に貴国が反撃したから日中戦争が起きたのだ、こう責任を問うことが筋違いであるのと同様です、日本自身も、戦争を防ぐ努力は必要なのです。

台湾海峡の問題で台湾が独立というよりも現状維持を望むならば中国は侵略しないのか、香港問題で民主化運動が起きなければ国家安全法は立法されなかったのか、ウクライナ東部紛争でロシア軍が侵攻したのはウクライナの欧州との関係強化を望んだ声に責任があるのか、こうした視点に昇華して考えますと、日本の滑稽さが際立ってしまうようにおもう。

高度経済成長思想からの脱却、もう一つは太平洋戦争のような戦争は日本から攻めることにより始まるものであり日本が戦争を望まなければ戦争は起きないという理念の延長線上にある、高度経済成長期の抜きんでた経済大国としての日本の平和外交という思想からも、そろそろ脱却すべきかもしれません、日本経済は巨大、だがいま世界を見れば最大でない。

経済力で戦争を防いでいた、これは皮肉でもあるのですが、少なくとも平成中期までは構造として成り立っていたローカルなパクスジャポニカの構造です、パックスロマーナと比較すれば実に局所的ではありますが、札束で緊張を緩和していた構図はありまして、これは中国の北宋が11世紀に北方民族と結んだ擅淵の盟ほど屈辱的な構図でもないものでした。

平和は高くなった。構図として安全保障の重要性を説くには、国民が示すべき軍事以外の手段での平和というものは値段が高くなり過ぎたともいえるでしょう。例えば日本の人口が三億ほどいて年率10%以上の経済成長、つまり7年以下で経済規模が倍になる成長を続けていれば、その経済大国が平和を望む限り、戦争はいまも回避でき得ました。しかし。

平和は国際公共財となり得ます、だからこそ圧倒的な経済力と人口規模を維持しているならば、願うだけで平和を選択する事は出来ました、ただそれが2020年代の日本には人口減少が叫ばれ縮小する労働人口を高齢者労働と若年非正規労働に依存し経済規模を維持するだけで精一杯の日本には、もはや買えない高嶺の花となってしまった構図があるのですね。

しかし、予防外交と安全保障、これを外交に反映させる政治力と、必要な最低水準を下回らない防衛力があれば、日本の場合には戦争を回避する、国際紛争に巻き込まれない体制を維持することは可能です、なぜならば世界中の国が日本のような経済大国の歴史を経ずとも均衡を維持する努力を怠らないことで平和を維持しているのですから。普通の国でも。

先ず知ること議論する事から始めるべき。わたしは日本のリベラルにもコンサヴァティヴにも一番知ることは、カントやアガンベンやカールシュミットやロールズやアレントやハーマンカーン、ガルトゥングやクラウゼヴィッツといった理論を知り、その上で平和構築や平和創造にはなにが必要か、という議論を始めなければ前に進まないようにも思います。

神川彦松や高坂正堯あたりを入れるべきなのでしょうが、世界の方々と意見交換する場合、オーカミカワヒコマツか学生の頃に読んだよ、というのは日本研究をしている方を含め在外邦人を除けば日本以外では出会いません、コーサカ先生にはお世話になった、という方はいた。堅すぎるとおもわれるならば例えば。塩野七生あたりは読んでおいても損はない。

日本の強みを一つ付け加えますと、海外文献のかなりの数が邦訳されていまして、相当専門的な又は最先端の理論研究を除けば膨大な文献の邦訳が入手できる点と、その専門分野を研究する層が一定数居る点です。まず平和を論じる、もしくは平和を実現するには、国民全体で知ることと議論することを躊躇わない覚悟の見識と理解が、必要なのでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)