◆2012年を振り返り、大晦日は間もなく零時
大晦日、八坂神社から戻り、本稿執筆時間は2300時過ぎ、今年もほんのわずか、いかがお過ごしでしょうか。
2012年を振り返りますと、劇的な政権交代があり、震災復興はようやく軌道に乗る端緒という印象ですが、北大路機関としては、防衛計画の大綱改訂がどう進むのか、弾道ミサイル防衛に注力しすぎた我が国防衛力の基盤がどうなるか、という不安を残しつつ、一方で観艦式の艦艇の偉容をみれば、これ以上舵取りを誤らないのならばこれまでの蓄積で何とか持つことができそう、と考えるところ。
しかしながら、海上保安庁は安易に削れば由とした予算体型が結果的にどういった問題を引き起こすか、というところを端的に見せてくれたように思います。今年初めてゆくことができた勇壮な海上保安庁観閲式は来年、尖閣諸島警備強化を理由として実施されないこととなりました。主権者へ装備の現状について受閲をうけ、その正当性を示す目的なのですから、規模が縮小しようと、一般非公開であろうと実施するべきなのですが、それすらもならない、という状況なのでしょう。
さて、我が国は国際関係の変動期というべき今日、世界政治にどう関与するか、という難題を前に、国際関係を俯瞰すれば我が国は国家と軍事を切り離した関係を構築しようとし、逆に諸国では軍事機構が政治と一体化することで主権者に管理されているという理解を前提としている中で、踏み込んだ国際関係を、特に憲法上の制約からなし得ずいまにいたります。本年はロシア海軍やインド海軍の親善訪問を見る機会に恵まれ、そもそも外交上で平和を維持する予防外交を展開せねばならないのに、その外交力が国際政治において国家機構の軍事機構包含が行われている結果、踏み込んだ関係を展開できないのは、立憲の主旨からみてどうなのか、とも考えた一年でもあります。
一方、我が国自衛隊を様々な行事にて見る機会があった本年ですが、政治の軍事への不理解は、機構破綻というべき状況が迫っていたとしても、この危機に気づくことができないという問題を抱えているのではないか、とも考えた次第で、これは即ち防衛計画の大綱が自民党時代を含め一貫して削減傾向であったことに対し、諸外国も正面装備を削減していることから余りに思慮を欠いて削減を行ってしまったのではないか、ということ。
諸外国、特にNATO加盟国では大胆な正面装備削減を実施してきていますが、その背景は二つあります、一つは情報RMA化に対応する共同交戦能力保持へ、通信基盤と情報優位への様々な装備改編を行う必要があったためで、通信ネットワークの構築と伝送能力強化、そしてこれらの運用基盤となる装甲戦闘車などへの選択と集中が行われており、もう一つはISAFを筆頭に非正規戦への部隊派遣に対応する耐爆車両の充実と普及に予算を投じたためでした。
美しい桜並木と観閲行進ですが対する自衛隊は、予算面で任務増大の中種k源が行われ、厳しい状況にあります。主として弾道ミサイル防衛に予算を投入したため、結果として装備体系は遅々として更新が進まず、防衛産業は破綻寸前、一部では撤退が進められ、離島防衛は装備不足、弾道ミサイル防衛という新しい任務に対し予算的措置を忌避し、もともと余裕なき防衛予算からスクラップ&ビルドを強行、新たに海上阻止行動給油支援や海賊対処任務、計画なきPKO任務の拡大、ここに南方の脅威増大が直撃しているわけです。
我が国は、専守防衛に太平洋以外の対岸からの本土侵攻の脅威が残り、一方で南西諸島での島しょ部防衛の必要性が高まるとともに、重要なシーレーンが新興外洋海軍国の海洋占有という脅威に曝され、本土は弾道ミサイルの脅威が残りつつ、広く世界では海賊対処という任務がのこり、実働部隊として、平時の運用とともに有事の対応を担うにはどれだけの防衛基盤が必要になるのか、討議はこちらも多く検討されませんでした、この中で、一方が足りなくとも他方から増援を得るという動的防衛力が機動力整備を蔑ろに続いている、ヘリコプターと装甲車が不十分という現状はこちらを危惧させられたというところ。
この点で、防衛計画の大綱に示された整備すべき防衛力があたかも予算上整備しうる上限のような、自己軍縮条約のように運用されてしまい、結果、この枠外防衛力をもって補完しようと様々な施策が巡らされたことで、逆に効率化から遠い結果になっているのではないか、という危惧も抱いてしまうところがあります。アメリカの国防権限法のように、どういう任務を平時に行い、いかなる運用を有事に行うかの準備を明示し、結果、大綱の主要装備定数と越えた装備体系の模索は必要ではないか、とも考えてしまいます。
また、平時と有事という概念をある意味で無視した政策は、普天間問題に代表される日米安全保障条約との関係にも表面化しているのではないか、普天間基地や嘉手納基地を回りつつ、考えたのはこの点です。日本本土防衛だけを考えるならば、普天間の海兵隊がなくとも、沖縄の防衛だけは日本の国力と嘉手納基地の能力で不可能ではありません、しかし、台湾という我が国シーレーンと国土に接する友好的な地域が、仮に隣国の攻撃を受けた場合、日本の独力で台湾を救援することは現状では不可能であり、そして政策上行う基盤もなく、憲法上も不可能である、という実状に鑑みれば、日米安保、ほかの対案はありません。
今年は海上自衛隊幹部候補性学校卒業式と、航空自衛隊幹部候補性学校記念行事に足を運ぶことができましたが、同胞である彼らの双肩に我が国への軍事上の脅威からの国民の生命と財産と尊厳がかかっているものであり、その国民がある種、非常に曖昧な防衛政策を続ける為政者を選出してきている現状は、その結果がかの方々一人一人の生命とも直結しているものであり、頼りきっていいのか、背負わせていいのか、これも深く考えてしまいました。
現在の我が国の平和は、ある意味で先の大戦での我が国の奮戦が、結果として我が国との戦争を行うことを大きく躊躇させているのだと思います。言い換えれば、かなり誇張され、近隣諸国の国定歴史教科書に記された内容が少なくない抑止力となっているのでしょう、しかし、これでは先人の蓄えを食いつぶすばかりではないでしょうか、この点、回答は見つからないところですが、来年以降も考え続けることとなるのでしょう、こうしたなか、皆さんもできれば一緒に考えていただけると幸いです。それではみなさま、よいお年を。
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