沖縄「集団自決」訴訟 史実に沿う穏当な判断 日本軍の関与を認める/沖縄タイムス・社説

2008-03-30 09:05:25 | 沖縄
座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決(強制集団死)」に旧日本軍はどのように関与したのか。戦隊長の自決命令はあったのか、なかったのか。沖縄戦の「集団自決」をめぐる史実論争に初めて、司法の判断が示された。

 判決は、体験者の証言を踏まえた穏当な内容であり、今後この問題を考える上で里程標になるだろう。

 ノーベル賞作家の大江健三郎さんの著作「沖縄ノート」などの中で集団自決を命じたように書かれ、名誉を傷つけられた、として元戦隊長と遺族が大江健三郎さんと出版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁の深見敏正裁判長は、請求を棄却した。

 判決は、戦隊長による自決命令について「伝達経路が判然とせず、(あったと認定するには)ちゅうちょを禁じえない」と指摘した。

 戦隊長命令の存在までは断定しなかったものの、「日本軍が深くかかわった」と認定。戦隊長が「集団自決に関与したことは十分に推認できる」との判断を示した。

 また、大江さんらの著述について「真実であると信じる相当の理由があった」ことを認め、名誉棄損に当たらないと結論付けた。

 今回の判決でもう一つ注目したいのは、体験者の証言の重みを理解し、さまざまな証言や資料から、島空間で起きた悲劇の因果関係を解きほぐそうと試みた点だ。

 一九八二年の教科書検定で文部省(当時)は、日本軍による住民殺害の記述にクレームをつけ修正を求めた。記述の根拠となった「沖縄県史」について「体験談を集めたもので研究書ではない」というのが文部省の言い分だった。あしき文書主義というほかない。

 文書は貴重な歴史資料である。だが、文書だけに頼って沖縄戦の実相に迫ることはできない。軍の命令はしばしば、口頭で上から下に伝達されており、命令文書がないからと言って自決命令がなかったとは言い切れない。

 今回の判決は、沖縄戦研究者が膨大な聞き取りや文書資料の解読を基に築き上げた「集団自決」をめぐる定説を踏まえた内容だといえるだろう。


「住民殺害」も根は一つ


 戦後世代の私たちは、ごく普通に「集団自決」という言葉を使う。だが、この言葉は戦後に流布したもので、沖縄戦の際、住民の間で一般に使われていたのは「玉砕」という言葉である。

 座間味でも渡嘉敷でも、島の人たちは、折に触れて幾度となく「米軍が上陸したら捕虜になる前に玉砕せよ」と軍から聞かされてきた。

 「軍官民共生共死」―軍はそのような死生観を住民にも植え付け、投降を許さなかった。部隊の配置など軍内部の機密がもれることを心配したのである。日本軍がどれほど防諜に神経をとがらせていたかは、陣中日誌などで明らかだ。

 実際、米軍への投降を呼び掛けたためにスパイと見なされて殺害されたり、投降途中に背後から狙撃されて犠牲になった人たちが少なくない。

 「集団自決」と「日本軍による住民殺害」は、実は、同じ一つの根から出たものだ。

 座間味や渡嘉敷では、住民に手りゅう弾が手渡されていたことが複数の体験者の証言で明らかになっている。今回の判決もその事実を重視し、軍の関与を認定した。「沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、日本軍のいなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生していない」とも判決は指摘している。


犠牲者と向き合えるか


 大江健三郎さんの「沖縄ノート」が発行されたのは復帰前の一九七〇年のことである。なぜ、今ごろになって訴訟が提起されたのだろうか。私たちはここに、昨年の教科書検定と今回の訴訟の政治的つながりを感じないわけにはいかない。

 高校教科書の検定作業真っ盛りの昨年八月、安倍晋三前首相の側近議員が講演で「自虐史観は官邸のチェックで改めさせる」と発言したという。文部科学省の教科書調査官は、係争中の今回の訴訟を引き合いに出して軍の強制を否定し、記述の修正を求めた。昨年の検定が行き過ぎた検定であったことは、判決でも明らかだと思う。

 ところで、名誉回復を求めて提訴した元戦隊長や遺族は、黙して語らない「集団自決」の犠牲者にどのように向き合おうとしているのだろうか。今回の訴訟で気になるのはその点である。
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大江訴訟判決 体験者の証言は重い 教科書検定意見も撤回を/琉球新報・社説 

 「集団自決」の構造的な問題に言及できるかが焦点だった岩波・大江訴訟で大阪地裁は28日、体験者の証言や、これまでの沖縄戦研究を重く見て「日本軍が深くかかわったと認められる」と判断。訴えた座間味島の元戦隊長梅澤裕氏らの主張を全面的に棄却した。この日は63年前に渡嘉敷島で「集団自決」が起きた日である。同島では慰霊祭が行われ、島は深い悲しみに包まれた。惨劇を証言した体験者は、証言を重視した判決に報われた思いを抱いているに違いない。座間味・渡嘉敷両村長も判決を納得し、評価しており、「沖縄戦」の本質を理解した妥当な判決だといえよう。
◆軍の関与は明白

 梅澤氏らは、沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、岩波書店と作家の大江健三郎さんに、出版差し止めなどを求めていた。
 最大の争点は座間味島、渡嘉敷島での「集団自決」であるが、判決は、日本軍の深いかかわりを認めた。「元守備隊長らが命令を出したとは断定できない」としながらも、「関与したと十分推認できる」と指摘。「その事実について合理的資料、根拠がある」として(1)多くの体験者が、兵士から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)を配られた(2)沖縄で「集団自決」が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、駐屯しなかった渡嘉敷村前島では「集団自決」が発生しなかった―ことなどを挙げた。
 岩波側の証拠として提出された女性の証言には「『自決しなさい』と手榴弾を渡された」とある。「軍官民共生共死」の意識を徹底させられた住民にとっては、軍民は一体であり「命令」と受け取るしかないだろう。判決にもある通り、この女性だけでなく多くの住民が同じような証言をしており、軍関与を認めた判決は妥当といえよう。
 さらに判決が「集団自決」の要因として、前島の事例を挙げたのは分かりやすい。住民を守るはずの軍隊が駐屯した島で惨劇が起き、その一方で無防備の島では多くの住民が救われた。「集団自決」の本質にかかわる重要な指摘だ。
 原告側の「激しい戦闘で追い込まれ、死を覚悟した住民の自然の発意によるもので、家族の無理心中」という主張は、県民の思いとあまりにも懸け離れている。
 被告側の大江さんは「非常につらい悲劇についての証言が裁判に反映された。心から敬意を表したい」と語った。
 戦時の極度の混乱状況では、書類など物的証拠が残されることはほとんどない。それ故に、戦争体験者の証言は貴重である。地裁がその証言を重視したことは、沖縄戦の史実の真偽について争う今後の議論にも影響を与えるに違いない。

◆史実継承の重要性増す

 今回の判決はここだけにとどまらない。高校歴史教科書検定問題である。昨年3月、文部科学省の教科書検定で、高校の歴史教科書から「集団自決」の「軍の強制」記述が修正・削除された。検定意見の根拠の一つとなったのが、梅澤氏が訴訟に提出していた陳述書である。判決ではその陳述書が否定された。修正・削除は教科書検定審議会の慎重さを欠く突出した対応であり、いっそう批判を浴びることは免れない。司法判断を受けた今、検定審議会は検定意見を速やかに撤回するべきである。
 原告側は週明けにも控訴することを表明した。「軍の関与をもって、隊長命令に相当性があるとすることは、明らかに論理の飛躍がある」という主張である。
 ここで問題にすべきは、大江さんの言うように「個人の犯罪」ではなく、「太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の第32軍、島の守備隊をつらぬくタテの構造の力」による強制であろう。
 戦争の体験者は「人が人でなくなる」と繰り返し語る。国家の思想が浸透され、個人の意思を圧倒する。タテの構造により命令が徹底され、住民は「軍官民共生共死」を強要される。
 この裁判によって、沖縄戦史実継承の重要性がいっそう増した。生き残った体験者の証言は何物にも替え難い。生の声として録音し、さらに文字として記録することがいかに重要であるか。つらい体験であろう。しかし、語ってもらわねばならない。「人が人でなくなる」むごたらしい戦争を二度と起こさないために。

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集団自決判決―司法も認めた軍の関与/朝日新聞・社説

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍が最初に上陸したのは那覇市の西に浮かぶ慶良間諸島だ。そこで起きた「集団自決」は日本軍の命令によるものだ。

 そう指摘した岩波新書「沖縄ノート」は誤りだとして、慶良間諸島・座間味島の元守備隊長らが慰謝料などを求めた裁判で、大阪地裁は原告の訴えを全面的に退けた。

 集団自決には手投げ弾が使われた。その手投げ弾は、米軍に捕まりそうになった場合の自決用に日本軍の兵士から渡された。集団自決が起きた場所にはすべて日本軍が駐屯しており、日本軍のいなかった所では起きていない。

 判決はこう指摘して、「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。

 この判断は沖縄戦の体験者の証言や学問研究を踏まえたものであり、納得できる。高く評価したい。

 今回の裁判は、「沖縄ノート」の著者でノーベル賞作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店を訴えたものだが、そもそも提訴に無理があった。

 「沖縄ノート」には座間味島で起きた集団自決の具体的な記述はほとんどなく、元隊長が自決命令を出したとは書かれていない。さらに驚かされたのは、元隊長の法廷での発言である。「沖縄ノート」を読んだのは裁判を起こした後だった、と述べたのだ。

 それでも提訴に踏み切った背景には、著名な大江さんを標的に据えることで、日本軍が集団自決を強いたという従来の見方をひっくり返したいという狙いがあったのだろう。一部の学者らが原告の支援に回ったのも、この提訴を機に集団自決についての歴史認識を変えようという思惑があったからに違いない。

 原告側は裁判で、住民は自らの意思で国に殉ずるという「美しい心」で死んだと主張した。集団自決は座間味村の助役の命令で起きたとまで指摘した。

 だが、助役命令説は判決で「信じがたい」と一蹴された。遺族年金を受けるために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けられた。

 それにしても罪深いのは、この裁判が起きたことを理由に、昨年度の教科書検定で「日本軍に強いられた」という表現を削らせた文部科学省である。元隊長らの一方的な主張をよりどころにした文科省は、深く反省しなければいけない。

 沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は子どもから老人まで根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そうした異常な状態に追い込まれて起きたのが集団自決だった。

 教科書検定は最終的には「軍の関与」を認めた。そこへ今回の判決である。集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。
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その他の新聞社説は、次のブログで・・

toremoko

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判決要旨 沖縄集団自決訴訟


 沖縄集団自決訴訟で大阪地裁が28日、言い渡した判決は次の通り。

 「沖縄ノート」は座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長を原告梅沢及び赤松大尉だと明示していないが、引用された文献、新聞報道などで同定は可能。書籍の記載は、2人が残忍な集団自決を命じた者だとしているから社会的評価を低下させる。

 「太平洋戦争」は、太平洋戦争を評価、研究する歴史研究書で、「沖縄ノート」は日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直した書籍。原告に関する記述を掲載した書籍は、公共の利害に関する事実にかかり、公益を図る目的で出版されたと認められる。

 原告らは、梅沢らの命令説は集団自決について援護法の適用を受けるための捏造だと主張する。しかし、複数の誤記があるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置く戦記として資料価値を有する「鉄の暴風」、米軍の「慶良間列島作戦報告書」が援護法の適用が意識される以前から存在し、捏造の主張には疑問がある。原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言は、経歴などに照らし、宮村幸延の「証言」と題する書面も、同人が戦時中に村にいなかったことや作成経緯に照らし採用できない。「母の遺したもの」でも捏造を認められない。

 座間味島と渡嘉敷島では集団自決に手りゅう弾が使われたが、多くの体験者が、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に交付されたと語っていること、沖縄に配備された第32軍が防諜に意を用いていたこと、米軍に保護された2少年、投降勧告に来た伊江島の男女6人が処刑されたこと、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載にも日本軍が、住民が捕虜になり、軍の情報が漏れることを懸念したことをうかがわせること、第1、第3戦隊の装備から手りゅう弾は極めて貴重な武器で、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難だったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯していたことなどを踏まえると、集団自決に日本軍が深くかかわったと認められ、島で原告梅沢らを頂点とする上意下達の組織だったことから、集団自決に原告が関与したことは十分に推認できるが自決命令の伝達経路などが判然としないため、書籍に記載された通りの自決命令自体まで認定するのはためらいを禁じ得ない。

 原告梅沢らが集団自決に関与したと推認でき、2005年度までの教科書検定の対応、集団自決に関する学説の状況、判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断、家永三郎及び被告大江の取材状況などを踏まえると、原告梅沢らが書籍記載の内容の自決命令を発したことを真実だと断定できないとしても、その事実は合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、書籍発行時に、家永三郎及び被告らが記述が真実と信じる理由があったと認めるのが相当。被告らによる原告梅沢及び赤松大尉への名誉棄損は成立せず、損害賠償や書籍の出版などの差し止め請求は理由がない。

 沖縄ノートは赤松大尉へのかなり強い表現が用いられているが、意見ないし論評の域を逸脱したとは認められない。


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