日本人傭兵斎藤昭彦氏、19年前東京新聞が取材

2005-05-11 20:06:53 | イラク
イラクの武装勢力に拘束されているとみられる斎藤昭彦さん(44)は、フランスの外国人部隊に所属していた一九八六年七月、パリで本紙の取材を受けていた。 

 斎藤さんは当時、コルシカ島の第二空挺(くうてい)部隊所属の伍長。入隊してからの三年間でアフリカのチャド、中央アフリカ、ジブチ、地中海のコルシカ島に駐屯していた。

 取材では「田中昭彦」と名乗っていたが、部隊では身分を隠している者が多いこともあり「本当の名前は言っていない」と打ち明けている。

 十一日に本紙記者が当時の写真を弟の博信さんに見せたところ、「本人です」と確認した。

 記事によると、斎藤さんは「日本で喫茶店に勤めていたとき、知人に教えられて」と入隊のきっかけを説明。「十五歳のころ、ろくに学校へ行かず、親を随分てこずらせてね。そんな自分がどこまでやれるか試したいと思って、日本を出たんです」と志願に至った心情を語っている。

 部隊の契約期間は五年間。入隊時に同僚の日本人が三人おり、経験の一番長かった「ワタナベさん」は、部隊を辞めた後にベルギーにある雇い兵のあっせん組織に入ってイスラエルに行ったという。斎藤さんは「残りの二年間を勤め上げたら、ぼくも雇い兵組織へ入るつもりです。外国人部隊よりずっといい金になるそうですからね」と話している。

 取材した当時のパリ特派員の青島宏本紙論説委員は「本名は明かさなかったが、話の状況から斎藤さん本人だと思う」と指摘。

 「外国人部隊の制服姿の日本人は珍しかった。声を掛けたら日本語が懐かしいと取材に応じてくれた」と当時の状況を説明した。

 また、「当時、ほかに日本人が三人も部隊にいると話していたが、今はもっと多くの日本人が参加しているかもしれない。今回も危険であることは分かっていたはずだが」と話している。

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拘束の斎藤さん「銃撃戦で被弾」 同僚が目撃、証言(朝日)
2005年05月11日16時55分

 イラクの武装勢力が犯行声明を出した邦人拘束事件で、斎藤昭彦さん(44)ら英系警備会社ハート・セキュリティーの一行が襲撃された際、斎藤さんが銃弾を受けたという目撃情報が、ハート社から日本政府に伝えられていたことが明らかになった。ただ、政府は斎藤さんの安否は依然として判明していないとして、確認作業を急いでいる。

 この情報を証言したのは、一行の車列で斎藤さんより後ろの車に乗っていた南アフリカ人の同僚。証言では、襲撃を受けた際、最初に大きな爆発があった。前方の車に乗っていた斎藤さんは、爆発時は無事で、車から降りて道路脇の物陰から同僚とともに銃で応戦した。身を乗り出して銃を撃とうとした際に、相手の銃弾を受けた。

 証言した同僚は、斎藤さんがぐったりしたのを見て、斎藤さんの銃から銃弾を抜き、これを使って応戦を続けた。斎藤さんが武装集団に連れ去られたかどうかは分からないという。その後、この同僚はバグダッドに戻った。

 生存者らの証言では、斎藤さんらは8日、イラク西部のアルアサド米軍基地に物資を運ぶ車両を警護し、同基地に到着。荷物を下ろしたあと、同日午後、帰途につき、ヒート近郊で車列が襲撃を受けたという。

 一方、外務省幹部は11日午前、「現場から回収された遺体の中に、斎藤さんとおぼしき遺体はないと思われる」と述べた。

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参考:産経新聞「産経抄」から

歴史は時として、皮肉で血なまぐさい風を吹かす。モスクワで開かれたナチス・ドイツに対する連合国側の勝利を祝う対独戦勝六十周年記念式典。その掉尾(ちょうび)を飾るガラコンサートが始まろうとしたとき、小泉純一郎首相にメモが渡された。「イラクで日本人拘束の情報」は、未明の首相官邸と外務省を走らせた。戦争はまだ終わってはいなかった。

 ▼拘束されたとみられる男性は、陸上自衛隊で「最強」といわれる習志野の第一空挺(くうてい)団での勤務歴をもつ。除隊後は仏外国人部隊にも所属し、イラクでは民間警備会社で「コンサルタント」という名の武装警備を担当していたという。“平和ボケ”ニッポンに背を向けた「剣客商売」だけに覚悟はできているだろうが、日本政府は解放に向け全力をあげてほしい。

 ▼だが、こう書いてもむなしい。憲法の制約もあって、自衛隊が海外で人質奪回作戦を実施できないことに加え、日本政府の情報収集能力のなさがまたも露呈してしまったからだ。

 ▼今回も政府が動き出したのは、武装組織がウェブサイトに掲載した犯行声明を通信社が報じてから。その時点ですでに戦闘が行われてから丸一日たっており、事実関係の確認も大幅に遅れた。イラクで殺害された奥克彦大使の穴はいまだ埋まっていない。

 ▼六十年前の「古い戦争」では、日本もインテリジェンス(情報)収集に力をいれてはいた。だが、対日戦への参戦を決めていたソ連に和平の仲介を求めるなど、根本的なところで判断を誤った。

 ▼二十一世紀の「新しい戦争」では、情報の価値が格段に高まっているのに、収集もおぼつかない。イラクだけでない。北朝鮮は核実験に踏み切るのか。残念ながら、この問題にも的確に答えられる外務官僚はいない。

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