薔薇幻視

2010-12-31 23:59:59 | Weblog

西洋
バラは農耕文明の始まりとともにあった。紀元前2000年以前の、シュメール人の『ギルガメシュ叙事詩』に、「この草の刺(とげ)はバラのようにお前の手を刺すだろう。お前の手がこの草を得るならば、お前は生命を得るのだ」という意味のくだりがある。ここにあるバラは野生または栽培バラ、あるいは、一般に刺のある植物をさしているものと思われるが、この叙事詩に出ている女神イシュタルについては、マリ出土の「花をかぐイシュタル」の塑像(前1800以前?)の花はバラの花であると推定されている。
 古代エジプトでは、石器時代の発掘物にはバラらしいものは見当たらないが、古い書物には記載があり、バラは東方からも移入されたと考えられる。これらには、ローザ・フェニキア、ローザ・サンクタ、ローザ・モスカータなど四季咲き性を含む芳香種もあった。
 前3000~前2000年のバビロニアでは、隣国ペルシア、トルコなどがガリカ系などのバラの原種自生地であるうえに、バラなどを原料としたと思われる香料も加工されていたので、バラの栽培は盛んであったと考えられる。すなわちバビロン宮殿にはブドウやイチジクの果樹園とともにバラが栽培され、香料や薬用とされていたと推定される。
 エーゲ海文明期、エーゲ海諸島がバラ栽培にもっとも適した気候であったこともあり、バラが栽培され香料や医薬用として利用された。クノッソス宮殿のフレスコの家とよばれる洞窟(どうくつ)内の壁画にバラらしい絵が発見されている。古代ペルシアでもガリカ系やフェティダ系も豊富に自生し、ペルセポリスの彫刻にはバラを頭に飾ってあるものや、大建築の円柱にアカンサス模様のようにバラの模様が残されている。
 ヘブライ王国では、ソロモンの栄華にバラが出現しているが、ソロモン詩篇(しへん)や『旧約聖書』にあるバラは、現在のバラの祖先であるか否かは明らかではない。
 古代ギリシアでは、多くの詩人によってバラが詠まれており、ホメロスは若い人の美しさを「バラの頬(ほお)」と表現しており、バラ水(バラ油)も記述している。またサッフォーは「花の女王バラ」と歌っている。さらにアナクレオンは「恋の花なるバラの花、いとしき花のバラの花」と詠んでいる。ビーナス(アフロディテ)のバラの花は愛と喜びと美と純潔を象徴していると信じられた。バラの英語名ローズroseは、古アルメニア語のバールドvardに発し、古いギリシア語ブロードンbrodonがロドンrodonになり、ローズになったとされる。バラを意味するロードス島に当時のものと思われるバラ模様の硬貨が伝えられ、オリンピア競技の人々の頭の装飾にバラと思われるものが使われていた。
 歴史家ヘロドトスは「ウラニア」のなかに八重のバラを記載している。マケドニア地方のミダス王の花園にバラが栽培され、「60枚の花弁を有し」とあるのはローザ・センティフォーリアで、「他をしのぐ芳香」とあるのはローザ・ダマスセナである。これが歴史書に現れた正確なバラとして最古のものである。
 ギリシアのテオフラストスは、「バラには花弁の数と粗密さ、色彩の美、香りの甘美さなどの点でいろいろな相違があるが、普通のものは5枚の花弁をもっている。しかしなかには12~15枚あるいはそれ以上、なかには100枚の花弁をもつものさえある」と述べている。また、「そのころギリシアにあったバラは大きさはスイレンの半分くらいで、ローザ・ダマスセナ、ローザ・アルバ、ローザ・センティフォーリア」とその種類を記載している。
 エジプトでは、プトレマイオス王朝の織物や壁画にバラの花が描かれている。クレオパトラがアントニウスを迎えるため、室内をバラで飾ったのは有名で、アントニウスは死にあたって、墓場をバラで飾るように遺言したという。
 ローマのプリニウスは『博物誌』のなかで、当時栽培されていたガリカ、ダマスセナ、アルバ、センティフォーリアなど12品種をあげている。当時ローマでは「バラの中に暮らす」ということがいわれたが、これはぜいたくに暮らすという意味である。
 シルク・ロードを通して盛んに東西交易が行われたが、正倉院宝物にある尺などに現れる宝相華(ほうそうげ)の類はシルク・ロードを経てもたらされた文様で、それらにはローザ・シネンシス、ローザ・ギカンティア、ローザ・モスカータの仲間が描かれており、バラ栽培が広く普及していたことを知ることができる。
 ルネサンス期、とくにボッティチェッリの『春の寓意(ぐうい)』『ビーナスの誕生』『バラのマリア』に描かれたバラは、ガリカ系のダマスク、アルバ、センティフォーリアなどの品種の特徴がはっきり描かれている。また「ばら戦争」としてよく知られているヨーク家とランカスター家の王位継承戦争は、それぞれ白バラ、赤バラを紋章に用いたのでその名がある。このほか、宗教画やミニアチュールにもよく描かれている。
[鈴木省三]
中国
ローザ・シネンシスすなわち中国のバラ(月季花、庚申(こうしん)バラ、長春花などといわれる種類)は、遣隋使(けんずいし)や遣唐使によって日本にもたらされたが、当時すでに多数の園芸品種があったらしく、絵画には長春花とみなされるものが多数描かれている。栽培の起源は明らかではないが、ボタンやキクと同様、かなり古くから栽培されていたと思われる。しかも、西欧のバラ栽培が香料や医薬、装飾用であったのに対し、中国では観賞用としての栽培が最初であった。
[鈴木省三]
日本
日本でバラが最初に記されているのは『万葉集』で、「うまら」「うばら」とある。『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』では「さうび(薔薇)」と記されているが、これらはローザ・シネンシスの類であろうと思われる。また『明月記』や『栄花物語(えいがものがたり)』にもバラの記述がみられ、源義経(みなもとのよしつね)の兜(かぶと)にもバラが描かれていたと伝えられている。『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』には明らかに長春花と思われるものが描かれている。また、室町時代には各種の装飾にバラが描かれている。江戸時代、岩崎灌園(いわさきかんえん)の『本草図譜』には長春花、月季花が描かれており、当時すでにバラ栽培がかなり普及していたことを知ることができる。
[鈴木省三]
--------------------------------------------------------
”バラ(薔薇)”, 日本大百科全書(ニッポニカ), から


よろしければ、下のマークをクリックして!
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さくら)
2011-01-12 12:37:53
そんなに昔から日本にも薔薇は咲いていたんですね。私は黄色い薔薇が好きです。いろいろなことがある毎日、薔薇を眺めながら、ゆっくりしたいなって思いました。


返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。