政府は、米軍普天間飛行場の移設先をめぐって名護市のキャンプ・シュワブ陸上案を見送り、同市辺野古の浅瀬埋め立て案で調整する方針だ。 ローレス米国防副次官が、陸上案を主張する大野功統防衛庁長官に言い放った「それなら米軍は普天間から動かない」との県民感情を逆なでする発言が日本側への圧力となり、浅瀬案を求める米側に譲歩した格好だ。
だが、日米両政府が浅瀬案で一本化するにせよ、辺野古沖、陸上、浅瀬案と二転、三転したその方針には、県民を蚊帳の外に置いた「県内移設ありき」の傲慢な姿勢が透けて見える。
稲嶺恵一知事は、現行計画(辺野古沖)を見直す場合は「県外移設」を求めると再三述べており、浅瀬案が在日米軍再編協議の中間報告に盛り込まれる前に「沖縄の意思」として県外移設を正式表明すべきだ。
浅瀬案は、地元から出た案であり、岸本建男名護市長も容認している。来年一月には名護市長選を控えており、地元の理解を得られるかどうかも普天間移設実現を左右する鍵となろう。
しかし、浅瀬案で滑走路を二千メートルから千三百メートルに縮小しても、建設場所は住宅地に近接しており航空機騒音や環境への被害は免れない。ジュゴンやさんご礁などの生態系の破壊にもつながるはずだ。
それによって、浅瀬案を推す地元の経済界など建設促進派と、国際環境保護団体を含めた建設反対派が対立するのは目に見えている。
日米両政府は、こうした地元調整の困難なハードルが浅瀬案にも待ち構えていることは承知しているはずだ。
だが、事態は名護市長選も絡んで地元住民の対立に拍車をかける危うさをはらんでいる。県民同士がいがみ合い、反目し合っては悲しいことだ。それだけは、何としても避けなければならない。
それでも、政府は普天間飛行場の「代替施設なしの即時閉鎖は考えていない」(外務省)とし、「ぐるっと回って、結局危険な普天間が現状のまま残る事態もあり得る」(防衛庁)と言う。語るに落ちるとは、このことだ。
振興策と引き合いに、普天間代替基地を沖縄に押し込めたい本音が見え隠れする。
「なぜ、本土は引き受けぬ」と問いたい。
県民は、憲法で保障された「平和に生きる」権利を米軍基地によって、長年、さまざまに侵害されてきた。
もはや、沖縄の将来は県民自らの手で決定されるべきだ。
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大弦小弦 (2005年10月10日 沖縄タイムス朝刊 1面)
沖縄に何かあるごとに、思い出す一枚の写真がある。それには、一人の青年が衛視に羽交い締めにされて、口を塞がれている姿が写っている。場所は衆議院本会議場。議員席には、見覚えのある名前もある。
一九七一年十月十九日、沖縄返還協定に異議申し立てする沖縄青年が国会で爆竹を鳴らした直後の様子だ。取り押さえられた後も青年が「返還協定反対」などと叫んだため、その声を封じるため口を塞いだのだ。
百数十年来、沖縄は米国政府と日本政府の「共犯関係」に翻弄されてきた。琉球に外国で最初に軍事施設を置き、明治政府の琉球国併合を真っ先に追認したのも米国。明治期の琉球分割条約案にはグラント元米大統領が関与した。
人命だけでなく、多くのものを奪った沖縄戦では、日米の兵士が小さな島を踏み荒らした。そして、その後の二十七年間の米軍統治と、今なお居座り続ける米軍基地。二つの政府の共犯関係は、姿を変えながらも本質的には変わらない。
普天間基地の移設をめぐり、その両政府が慌ただしい。県民はこの十年で、九六年の県民投票や九七年の名護市民投票、その後の稲嶺県政誕生、そしてヘリ墜落などを体験。今は多くが「県外移設」を望む。
口を封じられたまま、負の連鎖を生きる暮らしはもう終わりにしないか。十年間が仕切り直されている今だからこそ、声を封じる手を振り払い、そこに沖縄社会の意思を反映させたい。(後田多敦)
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反対運動を危惧、地元調整が焦点に(産経新聞)
在日米軍の再編で焦点となった沖縄の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、日本政府は米提案の辺野古浅瀬案を受け入れる方向にカジを切った。「現行計画と同じ失敗を繰り返す」(防衛庁首脳)という拒否姿勢を翻したのは、米軍再編を停滞させた“戦犯”との烙印(らくいん)を押されることへの焦燥感の表れといえる。
◆密使
「米政府は絶対に引きません。このままでは手遅れになります」
今月初め、ある防衛庁幹部が“密使”として米国に派遣された。指示は「普天間の移設先について米側の真意を探ってこい」という一点だった。
九月末、ワシントンで開かれた外務・防衛当局の審議官級協議は、普天間問題で決裂。米軍キャンプ・シュワブ(名護市など)寄りの浅瀬での代替施設建設を主張する米側は、シュワブ内で施設を建設する陸上案に固執する日本側を「罵倒(ばとう)して席を立った」(閣僚経験者)。ラムズフェルド米国防長官が訪日を見送る方針を伝えてきたのも、その直後だった。
「『いつか米側は折れてくる』との報告を受けていたが、読み違えているのではないか」(防衛庁幹部)。極秘に派遣された幹部は数日間にわたり、ホワイトハウスや国防総省で高官と協議。「米側は浅瀬案を取り下げない」との感触を得て防衛庁首脳に報告。ここから、陸上案を主導してきた防衛庁が浅瀬案受け入れにシフトした。
◆残るハードル
「米軍再編は日本だけが決着していない。米国のいらだちは相当だ」。外務省首脳は七日、記者団にこう強調し、米側と亀裂を深めていた防衛庁の姿勢を暗に批判した。
外務省内では普天間の移設先について、「浅瀬案も陸上案も一長一短がある。米側に譲歩して浅瀬案で地元調整に入るのが得策」(外務省筋)との意向が強く、防衛庁が方針転換を迫られた一因となった。米政府は欧州の同盟国のほか、韓国との再編協議を終え、政府内では「核となる在日米軍の再編が遅れれば、世界規模での構想に影響する」(政府筋)との危機感も強まっていた。
ただ、日本政府にとっては、地元調整が次のハードルとなる。
名護市の岸本建男市長は浅瀬案を容認しているが、沖縄県の稲嶺恵一知事は「(現行計画を)見直す場合は県外移設しかない」との立場。浅瀬案では知事が掲げる代替施設の軍民共用化も撤回され、反発は大きい。
また、浅瀬案も海上を埋め立てることでは現行計画と同じで、環境保護団体などによる反対運動が再燃する危険がある。防衛庁が陸上案にこだわったのも、「海上では反対派が四方八方から建設現場に近づき、阻止行動を起こしやすい」(幹部)という懸念が最大の理由で、これらをどうクリアするかが焦点だ。
だが、日米両政府が浅瀬案で一本化するにせよ、辺野古沖、陸上、浅瀬案と二転、三転したその方針には、県民を蚊帳の外に置いた「県内移設ありき」の傲慢な姿勢が透けて見える。
稲嶺恵一知事は、現行計画(辺野古沖)を見直す場合は「県外移設」を求めると再三述べており、浅瀬案が在日米軍再編協議の中間報告に盛り込まれる前に「沖縄の意思」として県外移設を正式表明すべきだ。
浅瀬案は、地元から出た案であり、岸本建男名護市長も容認している。来年一月には名護市長選を控えており、地元の理解を得られるかどうかも普天間移設実現を左右する鍵となろう。
しかし、浅瀬案で滑走路を二千メートルから千三百メートルに縮小しても、建設場所は住宅地に近接しており航空機騒音や環境への被害は免れない。ジュゴンやさんご礁などの生態系の破壊にもつながるはずだ。
それによって、浅瀬案を推す地元の経済界など建設促進派と、国際環境保護団体を含めた建設反対派が対立するのは目に見えている。
日米両政府は、こうした地元調整の困難なハードルが浅瀬案にも待ち構えていることは承知しているはずだ。
だが、事態は名護市長選も絡んで地元住民の対立に拍車をかける危うさをはらんでいる。県民同士がいがみ合い、反目し合っては悲しいことだ。それだけは、何としても避けなければならない。
それでも、政府は普天間飛行場の「代替施設なしの即時閉鎖は考えていない」(外務省)とし、「ぐるっと回って、結局危険な普天間が現状のまま残る事態もあり得る」(防衛庁)と言う。語るに落ちるとは、このことだ。
振興策と引き合いに、普天間代替基地を沖縄に押し込めたい本音が見え隠れする。
「なぜ、本土は引き受けぬ」と問いたい。
県民は、憲法で保障された「平和に生きる」権利を米軍基地によって、長年、さまざまに侵害されてきた。
もはや、沖縄の将来は県民自らの手で決定されるべきだ。
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大弦小弦 (2005年10月10日 沖縄タイムス朝刊 1面)
沖縄に何かあるごとに、思い出す一枚の写真がある。それには、一人の青年が衛視に羽交い締めにされて、口を塞がれている姿が写っている。場所は衆議院本会議場。議員席には、見覚えのある名前もある。
一九七一年十月十九日、沖縄返還協定に異議申し立てする沖縄青年が国会で爆竹を鳴らした直後の様子だ。取り押さえられた後も青年が「返還協定反対」などと叫んだため、その声を封じるため口を塞いだのだ。
百数十年来、沖縄は米国政府と日本政府の「共犯関係」に翻弄されてきた。琉球に外国で最初に軍事施設を置き、明治政府の琉球国併合を真っ先に追認したのも米国。明治期の琉球分割条約案にはグラント元米大統領が関与した。
人命だけでなく、多くのものを奪った沖縄戦では、日米の兵士が小さな島を踏み荒らした。そして、その後の二十七年間の米軍統治と、今なお居座り続ける米軍基地。二つの政府の共犯関係は、姿を変えながらも本質的には変わらない。
普天間基地の移設をめぐり、その両政府が慌ただしい。県民はこの十年で、九六年の県民投票や九七年の名護市民投票、その後の稲嶺県政誕生、そしてヘリ墜落などを体験。今は多くが「県外移設」を望む。
口を封じられたまま、負の連鎖を生きる暮らしはもう終わりにしないか。十年間が仕切り直されている今だからこそ、声を封じる手を振り払い、そこに沖縄社会の意思を反映させたい。(後田多敦)
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反対運動を危惧、地元調整が焦点に(産経新聞)
在日米軍の再編で焦点となった沖縄の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、日本政府は米提案の辺野古浅瀬案を受け入れる方向にカジを切った。「現行計画と同じ失敗を繰り返す」(防衛庁首脳)という拒否姿勢を翻したのは、米軍再編を停滞させた“戦犯”との烙印(らくいん)を押されることへの焦燥感の表れといえる。
◆密使
「米政府は絶対に引きません。このままでは手遅れになります」
今月初め、ある防衛庁幹部が“密使”として米国に派遣された。指示は「普天間の移設先について米側の真意を探ってこい」という一点だった。
九月末、ワシントンで開かれた外務・防衛当局の審議官級協議は、普天間問題で決裂。米軍キャンプ・シュワブ(名護市など)寄りの浅瀬での代替施設建設を主張する米側は、シュワブ内で施設を建設する陸上案に固執する日本側を「罵倒(ばとう)して席を立った」(閣僚経験者)。ラムズフェルド米国防長官が訪日を見送る方針を伝えてきたのも、その直後だった。
「『いつか米側は折れてくる』との報告を受けていたが、読み違えているのではないか」(防衛庁幹部)。極秘に派遣された幹部は数日間にわたり、ホワイトハウスや国防総省で高官と協議。「米側は浅瀬案を取り下げない」との感触を得て防衛庁首脳に報告。ここから、陸上案を主導してきた防衛庁が浅瀬案受け入れにシフトした。
◆残るハードル
「米軍再編は日本だけが決着していない。米国のいらだちは相当だ」。外務省首脳は七日、記者団にこう強調し、米側と亀裂を深めていた防衛庁の姿勢を暗に批判した。
外務省内では普天間の移設先について、「浅瀬案も陸上案も一長一短がある。米側に譲歩して浅瀬案で地元調整に入るのが得策」(外務省筋)との意向が強く、防衛庁が方針転換を迫られた一因となった。米政府は欧州の同盟国のほか、韓国との再編協議を終え、政府内では「核となる在日米軍の再編が遅れれば、世界規模での構想に影響する」(政府筋)との危機感も強まっていた。
ただ、日本政府にとっては、地元調整が次のハードルとなる。
名護市の岸本建男市長は浅瀬案を容認しているが、沖縄県の稲嶺恵一知事は「(現行計画を)見直す場合は県外移設しかない」との立場。浅瀬案では知事が掲げる代替施設の軍民共用化も撤回され、反発は大きい。
また、浅瀬案も海上を埋め立てることでは現行計画と同じで、環境保護団体などによる反対運動が再燃する危険がある。防衛庁が陸上案にこだわったのも、「海上では反対派が四方八方から建設現場に近づき、阻止行動を起こしやすい」(幹部)という懸念が最大の理由で、これらをどうクリアするかが焦点だ。