東京都知事選で、連合東京は26日、都副知事の猪瀬直樹「支援」を決めた。
雇用・労働者政策について定期的に意見交換する場を設けることで一致した。
連合の大野博会長は「帰宅困難者対策など、5年半の副知事の実績を評価した・・・と言う事らしい。
連合東京は26日、知事選で副知事の猪瀬直樹氏(66)の支援を決め、大野博会長が猪瀬氏に推薦状を手渡した。
連合東京は、民主党都連の最大の支援団体。民主党は特定候補を支援しない自主投票を決めたが、連合東京はその後に幹部が協議し、独自に猪瀬氏を推すと決めたというと、毎日新聞報道。
なお、会長・大野博は 電力総連(東京都)出身であります。
傘下の組合幹部諸氏は これで共同共謀正犯ですね。
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雇用・労働者政策について定期的に意見交換する場を設けることで一致した。
連合の大野博会長は「帰宅困難者対策など、5年半の副知事の実績を評価した・・・と言う事らしい。
連合東京は26日、知事選で副知事の猪瀬直樹氏(66)の支援を決め、大野博会長が猪瀬氏に推薦状を手渡した。
連合東京は、民主党都連の最大の支援団体。民主党は特定候補を支援しない自主投票を決めたが、連合東京はその後に幹部が協議し、独自に猪瀬氏を推すと決めたというと、毎日新聞報道。
なお、会長・大野博は 電力総連(東京都)出身であります。
傘下の組合幹部諸氏は これで共同共謀正犯ですね。
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2005年に行われた政府税制調査会における所得控除議論のなかで、何もせず、子供も産まない専業主婦が多くなっているとし、そのような人を「ごろごろしている主婦」「パラサイトワイフ」「変な生命力のない人たち」などと評した。また、そのような人が淘汰され、前向きな人が支援されるような「政策誘導的なもの」が必要になっているとの意見を展開した。一連の発言を女性蔑視発言と見做した日本共産党都議団から公開質問状を受けたが、猪瀬側は、女性蔑視発言はしていない旨回答している AERAの取材には、『育児をするわけでもなく、仕事をするわけでもない主婦、「ニート主婦」、「趣味も子育ても仕事も何もしない主婦」を問題とし、税制優遇をするとしたら、むしろ働きながら子育てする人や子育てが終わってから働く人たちをきちんと対象にしなくてはいけない。言いたかったのは、働く女性が子どもを産み、育てるような環境を税制の面からも整えるべきだということ。2010年6月『東京の副知事になってみたら』(小学館101新書)刊行。東京都副知事就任から3年、永田町・霞が関との戦いから都職員との触れ合い、東京発の政策提言に到るまでを記している。刊行によせて猪瀬は「副知事になって初めて都庁の内幕を描きました。結局、東京が成長戦略を描けばよいということがわかりました。東京水道の海外進出、メトロと都営地下鉄の一元化、羽田空港のハブ化、東京湾の民営化、高齢者のケア付きすまい。東京はこれからもドーンと成長する」としている。
同月『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)を再刊。太平洋戦争前夜の昭和16年夏、「日米もし戦わば」という命題で、石油備蓄量や国際情勢などのデータをもとにシミュレーションを行なった「総力戦研究所」をテーマにしている。自由民主党の石破茂は2010年8月2日の衆議院予算委員会にて、同書を手に、文民統制の重要性を菅直人首相に説いている(以上ウィキペディアから)
要するに、生産力主義者、民営化論者、であり、専業主婦の敵である。何で連合がそんな人推すの?
総評の解体の上になりたった労働者の敵の労働団体だから当然か。民主等も連合ありきの党だから労働者の敵になって当たり前か
連合について。1960年代後半から繰り返し志向されてきた社会党右派系の日本労働組合総評議会(総評)、民社党系の全日本労働総同盟(同盟)、全国産業別労働組合連合(新産別)、中間派だった中立労働組合連絡会議(中立労連)の労働4団体の統一を目指す「労働戦線統一」の動きは、1982年12月14日の全日本民間労働組合協議会(全民労協。初代議長は竪山利文・電機労連委員長)の結成により大きく進展した。 全民労協が1986年11月の第5回総会で翌年秋の連合体移行を確定したことを受け、まず同盟が1987年1月の第23回年次大会で解散方針を決定。 総評、中立労連、新産別の3団体も秋までに「連合」への合流を決定した。
1987年11月19日、同盟と中立労連が解散し、 翌日・11月20日に55単産、組合員539万人を集めた全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」。 初代会長・竪山利文)が発足した。 新産別も1988年10月に解散して合流。 総評は翌1989年9月の第81回定期大会で11月解散を最終的に確認した。
1989年11月21日、東京厚生年金会館で日本労働組合総連合会の結成大会を開き、初代会長に情報通信産業労働組合連合会(情報通信労連)委員長・山岸章を選出。 総評系単産を加えて78単産、組合員約800万人を結集させ、労働4団体の統一を完成させた。なお、山岸は“労働戦線統一の功績”により2000年4月に勲一等瑞宝章を受章した。
正社員のみを組織対象とした組合が多く、雇用形態の多様化に対応した対応が十分でなかったため、労働省(当時)調査で最大時762万ほどだった組合員は、2006年6月現在で665万人足らずとなるなど、永らく組織人員数の減少に歯止めがかかっていなかった。しかし、2007年12月発表の、同年6月現在の組織状況では、組合員数675万、対前年比10万1千人の増加となり、久方ぶりの純増を達成した。
結成当時「労働戦線の全的統一が完成されれば、社会的影響力が発揮される」と言われていた。しかし結成以来の組合員数、組織率の減少は連合の社会的地位を低下させた。
ホワイトカラーエグゼンプションへの対応については、集会や厚生労働省での審議会で反対の意思表示をしているが、広範な反対運動を組織するには至っていない。恒例で行われる春闘やメーデーで集会を催す以外は現状では広範囲な活動が行われておらず、一部の非連合労組などからは資本側となれ合う「御用組合」との批判も存在する。