福知山線脱線事故はなぜ起きたか?/JR総連・四茂野修

2005-05-01 21:00:09 | 労働運動
福知山線の脱線事故から間もなく1週間が経とうとしています。事故への対応に追われて遅くなりましたが、関係者の一人として事故原因について見解を述べておかなければならないと思い、投稿します。やや長くなりますがご容赦ください。転送、引用は歓迎します。あくまで個人としての見解です。

 運転士が大幅な速度超過でカーブに進入したことが事故の引き金となったことは、現在まで明らかになった事実に照らして間違いないと思います。その背景に過密なダイヤや到達時分の短縮、定時運行へのこだわりがあったという指摘があります。私にはこれらの議論がやや一面的だと思えます。鉄道事業者がより良いサービスを提供しようと努力すること自体は当然です。問題なのは、JR西日本という企業組織の中でそれがどのような方法、手段によってなされたかというところにあります。
 JR西日本は線路の許す最高速度ギリギリのダイヤを設定しました。そのため、到達時分が短縮された分、運転士が列車の遅れを回復する余裕時分がなくなりました。その一方でJR西日本は遅れやミスに対して「日勤教育」という名の懲罰を行い、ダイヤどおりの運行を運転士に求めました。他方、速度照査機能を持つATSなどミスをカバーするバックアップ設備の整備は遅れ、福知山線には設置されていませんでした。つまり、サービスの向上が、必要なバックアップ手段も講じないまま、現場労働者に一切の負担と責任をかぶせて行われてきたのです。このことが、事故原因を考える際の鍵になると思います。
 JR総連に加盟するJR西労は問題点を具体的に指摘し、繰り返し改善を要求してきたのですが、JR西日本はその切実な声を一切無視してきました。そればかりか、「日勤教育」によって労働者を脅迫し、恐怖によって定時運転を確保しようとしていたのです。
 「日勤教育」の実態については、JR西労組合員の証言をテレビなどで聞いた方も多いと思います。他の運転士が見える場で管理者の監視の下、繰り返し反省文を書かせ、時には管理者が集団で取り囲んで大声で怒鳴り、人格を否定する聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせます。草むしりや穴掘り、規程類の書き写しが求められることもあります。多くの労働者が一番屈辱に感じているのは、駅のホームに立たされて他の運転士への声かけをやらされる「水平展開」です。労働者としての誇りを叩きのめし、もし次にミスをやったら運転士をやめると誓約するまで「日勤教育」は続きます。そのなかで組合からの脱退を強要されたケースも数え切れません。子どもの頃から憧れた運転士をやめ、鉄道を去った者もたくさんいます。
 JR西日本ではJR各社の中で唯一成果主義の人事賃金体系を導入しています。会社による評価が賃金・処遇に大きな差を生み、評価をめぐって労働者同士が競争させられる仕組みは、労働者に加えられる経営側の圧力をさらに高め、砂漠のような職場をつくりだしました。
 2001年には尼崎電車区所属の服部匡起(まさき)さん(当時44歳、JR西労所属)がたった50秒の遅れを理由に「日勤教育」を強いられ、自殺に追い込まれました。これまで無事故できた運転士の誇りが、管理者の心無い言葉の数々によって引き裂かれ、心を蝕み正常な判断を奪ったのです。もと国鉄の機関士だったお父さん・榮さんの無念の思いをテレビで聞いた方も多いと思います。このほかにも、これまでJR総連には自殺したJR西日本社員の家族からいくつもの相談が寄せられてきました。
 高見運転士もかつて13日間の「日勤教育」を受けたと報道されていますが、この屈辱と恐怖の記憶がオーバーランによる列車の遅れのなかでよみがえり、正常な判断力を奪ったことは間違いありません。2001年にJR東海で信じられないような事件がありました。回送中の新幹線で運転士(50歳、国労所属)が車内の洗面所に制帽を置き忘れたことに気づき、運転席を離れて5分間にわたって無人のまま列車が走行したというのです。これもまた、制帽を置き忘れたことが発覚して「日勤教育」を強いられることへの恐怖が原因だったと推定できます。
 事故を起こした運転士への再教育は、国鉄時代にも「庫出(くらで)」という名で行われていましたが、これほどひどいものではありませんでした。国鉄の民営化を前後する時期、職場規律の回復が叫ばれる中、わずかなミスを理由に長期の乗務停止による再教育が行われるようになりました。JR総連は1988年にJR東日本で起きた東中野列車追突事故を契機に、「責任追及から原因究明へ」を掲げてこのような対応の見直しを迫りました。ミスに対する懲罰・見せしめによって事故はなくならない、ミスを生んだ原因を明らかにし、必要な対策を講じるべきだと主張したのです。
 このとき、JR東日本はこの指摘を「まったく正しい」(山之内秀一郎『なぜ起こる鉄道事故』東京新聞出版局)と受け入れ、労使の協力によって安全を築く道へと踏み出しました。ところがJR西日本は猛反発し、JR東日本労使が1990年に世界の鉄道労使に呼びかけて開催した国際鉄道安全会議をボイコットしたのです。当時のJR西労組委員長も会議を欠席し、翌年早々に「JR総連からの断絶」を表明してJR総連から分裂していったのでした(JR東海、JR九州、JR四国がこれに続きました)。その後、JR総連に残ったJR西労つぶしという邪な目的も与って、JR西日本では「日勤教育」が定着し、悪質化していったのです。
 この間、労働者を人間として扱おうとしないJR西日本の姿勢が安全を脅かしていることをJR総連は繰り返し訴えてきました。山陽新幹線トンネルコンクリート崩落事故や服部さんの自殺事件、救急隊員殺傷事故など、機会をとらえては国土交通省、厚生労働省に是正と指導を求めて要請を行い、記者会見でマスコミにも訴えてきました。心ある国会議員が国土交通委員会で取り上げ、政府に対応を求めたこともありましたが、答弁にたった国土交通省高官はJR西日本の「適切に対応した」という見解をオウム返ししただけでした。
 まさにこうした経過の末に今回の事故が起きたのです。事故を未然に防ぐことができなかったことが悔しくてなりません。
 JR西日本は置石説を流したり、運転士・車掌に責任を転嫁したり、ろくに理解もできない数式を使った計算で「時速133キロでないと脱線しない」などと強弁したり、責任逃れに懸命でした。かつて信楽高原鉄道事故でも「お詫びというのはこちらが悪いことをした場合の表現」だ(角田社長<当時>の発言)と語って遺族への謝罪を12年間も拒否し、裁判によってJR西日本の責任が重いことが確定してはじめて謝罪したのでした。幹部が責任を取らず、現場労働者に負担と責任をおしつけ、現場の切実な声を無視し、ひたすら利益の追求に走るJR西日本の企業体質こそ事故の根本原因です。この体質から脱皮し、JR西日本が真剣に安全を追求する鉄道会社に生まれ変わるまで、問題の解決はありません。
 3年前、公安当局は組合方針に従わない者を職場集会などで説得したことを理由にJR総連の7人の組合員を「強要罪」で逮捕し、344日間も勾留しました。この浦和電車区事件の裁判は今も継続中です。また組合のビラ配りに執拗につきまとった管理者への抗議を暴力行為にでっちあげ、組合事務所や役員宅などを家宅捜索して大量の組合資料を押収しました。さらに、これらの不当性を訴えるため、マンションの集合ポストにビラを入れたことをもって、またも大量の家宅捜索を行いました。ILOが労働組合権の侵害であると認定して日本政府に是正勧告を行い、日弁連が憲法35条と国際人権B条約に違反する人権侵害として警視総監に警告を発していますが、小泉率いる日本政府はいまだにこれらを正当だと強弁し続けています。他方で、「日勤教育」により屈辱と恐怖を強い、多くの労働者を自殺へと追い込んだばかりか、これほどの事故まで引き起こしたJR西日本の幹部は、自由の身で鉄面皮な言い訳を繰り返しています。これが今の日本の現実だということをしっかり見すえてほしいと思います。
 なお、JR総連の安全に対する姿勢やここで取り上げたいくつかの事故などについては『反グローバリズム労働運動宣言』(小田裕司著2002年彩流社刊)に詳しく書かれていますので、興味のある方は参照してください。
 JR総連の声明は以下にあります。

http://jr-souren.com/statemnt/050426.htm

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国鉄を解雇されたたかっている鉄建公団訴訟原告の田島さんが、今回のJR西日本の
事故に関して文章を書きました。分割・民営化との関係に踏み込んだものです。

以下の文書は、韓国のレイバーネット「チャムセサンニュース」と言うホームページに掲載を依頼されて、博多原告団の田島省三氏が書いたものです。


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 ついに心配していた大事故が起きてしまいました。
 JR西日本の福知山線(通称:宝塚線)で4月25日午前9時20分ごろ、乗客580人を乗せた7両編成の電車が脱線・転覆し、1両目は線路脇のマンション1階部分に突っ込み、2両目も建物に激突して大破しました。30日現在で死者は106人に上り、重傷者も120人を超え、乗客の9割以上が死傷するという、日本国内では過去40年間で最悪の鉄道事故となってしまいました。
 事故の原因については、すでに明らかになっている事実から、JR西日本の経営方針、労務政策が引き起こした惨事であると断言できます。
 事故現場は半径300メートルの右カーブで、制限速度は時速70キロとされています。このきついカーブに100キロを超す高速で進入したために強い遠心力が働き、さらに急ブレーキをかけたことによって車体がバランスを崩し、カーブの外側(左側)へ飛び出したと思われます。このことは、「電車はカーブの外側に傾きながら走ってきた」という複数の目撃情報からも明らかです。
 なぜ運転士は危険な高速運転をしていたのか? その理由こそが事故の原因であり、二度と惨事を繰り返さないために解明すべき最も重要な点です。
 運転士は事故直前に、駅の停車位置を40m行き過ぎて止まる「オーバーラン」と呼ばれるミスをしました。そのために所定の位置までバックし、約1分半の遅れが出ました。彼から「少し短くなるように」と頼まれた車掌は、オーバーランの距離は「8メートル」と、会社にうその報告をしました。運転士は、過去にもオーバーランの経験があり、そのときに訓告処分を受けていたため、会社の懲罰を恐れたことが容易に想像できます。彼は、電車の遅れを取り戻そうと、必死でスピードを上げたのだと思います。
 JR西日本は日ごろから、電車を遅らせるなどの「ミス」をした運転士に対し、乗務から外して部屋に閉じ込め、管理者の監視の下で「反省」をさせたり、草むしり、窓ふき、ペンキ塗りを命じるなどのいじめを行ってきました。そうしたいじめによって、自殺に追い込まれた労働者もいたのです。JR西日本の社内には、1秒の遅れも許さない雰囲気がありました。つまり、ライバル社に勝って利益を上げるためには、安全も労働者の人権もないがしろにして構わないというのが、JR西日本の基本的な経営姿勢であり、労務政策なのです。
 実はこのような姿勢は、西日本会社に限らず、JR各社に共通するものです。JRは1987年に、国鉄(日本国有鉄道)の分割・民営化によって発足した株式会社です。当時、分割・民営化に反対する労働組合の組合員に対して、旧国鉄当局は激しい攻撃を加え、JRは大量の採用拒否を行いました。そのときに首を切られたわたしたちは、1047名の解雇撤回・JR復帰闘争を18年にわたって闘い続けていますが、JRはこの問題を解決しようとはしません。そればかりかJRは、多数派の御用組合と癒着し、少数派組合の組合員に対しては徹底した差別を続けてきました。旧国鉄=JRと一緒に分割・民営化を実施した政府も、不当労働行為の共犯者であり、JRのゆがんだ労務政策を知りながら、知らぬふりを続けてきました。つまり、JRでは、労働組合のチェック機能が全く働かない状態が一貫して続いてきたということです。
 人命を預かる鉄道事業で最も大事にしなければならない輸送の安全と、安全輸送に携わる労働者の人権が、民営化によって破壊されたのです。国鉄分割・民営化は、日本における新自由主義のさきがけでした。新自由主義の本質は、人間を無視して、金を崇拝することだと思います。今回の大事故の原因は新自由主義そのものにあるといって間違いないと、わたしは確信しています。
 2005年4月30日  怒りを込めて
              1047名の解雇撤回・JR復帰闘争の一員 田島省三

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