駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

上下ではありません。 指揮者と演奏者です。

2021年10月30日 | 社内事情

確か8月の終わり頃だったと思いますが

当時の西村経済再生担当大臣が

緊急事態宣言の解除の見通しについて聞かれて

“東京都の感染者が500人を切らないと難しい”

って答えてるのを見て

これが途方も無く遠い数字に感じて

これではあと1年は緊急事態宣言は続く

そう思って気が重くなりましたが

一昨日の東京都の感染者は21人

まぁ同じ東京でありながら

まるで別の世界って感じですよね。

東京都は病床を6600も確保してますが

入院患者はたったの179人ですから

患者が溢れてた病院が

もうガラガラになって

逆に困ってるでしょうね。

それと国内の製薬会社

やっと来年春にワクチンの承認申請をするそうですが

患者がいなくなっては

大変な事になるでしょうね。

大金を投じて開発して

やっと承認にこぎつけたら

もうコロナはいない

って事になりますからね。

経営陣の皆さんはこの状態を見て

もしかしたら焦って神主を呼んで

コロナ乞の儀式を計画したくなるかも知れません。

この状態を見ると

高村高太郎の

僕の前に道は無い、僕の後ろに道はできる

って言葉が頭に浮かびます。

人の世を本当にうまく表現してますよね

この言葉の意味

専門家の皆さんは

私の解釈は間違ってる

そう言うと思いますが

言葉なんてのは

捉える人の問題ですから

私は人生は過去ははっきり分かるが

先は一寸先も分からない

そんな風に理解して

人生の不条理を納得してきました。

コロナ禍に関して言えば

後ろを振り返れば

夏には絶望的にも思えた大きな山があって

それと比べれば

今のグラフは点って感じですから

予想外の幸運がやって来た

って事になりますが

なんせそれもすぐに過去になりますから

明日はどうなるか?

分かった物ではありません。

もしかしたら年末には

またすざましい数の感染者

なんて事が起こるのかも知れません。

それと

自分の人生を振り返って

どんな道が出来たのか?

確認すると

その道は

全く自分の予想とは違う

そんな風に出来上がってますよね。

中学2年生の2学期頃までは

まさか自分がすぐに沖縄から出て行く

そんな運命になるとは夢想だにしませんでした。

上京して中学高校大学と進んだ訳ですが

大学を卒業するまで

不動産屋と言う職業は

全く自分の選択肢にはありませんでした。

そして

都心で就職してからも

まさか自分が郊外で暮らす事になる

なんて思ってませんでしたし

30代になるまで

会社の社長になる

なんて事も想定外でした。

会社を起こしてからも

いつも考えてた事は

出口の事ばかり

つまり失敗して一家心中

なんて悲惨な事にならないように

ダメだと思ったら

早めに諦める

これを常に意識していました。

でその時には

30年間続くなんて考えられませんでしたが

何となく60歳くらいまで無事に仕事が続けば

それからは夢の沖縄での移住生活

これが始まる

そう思って毎日頑張ってきました。

ところが

その日が迫ると

そんな夢は

全く叶う事は無い

これに気づきます。

まぁそんな感じです

私は今たくさんの社員達と仕事をしてますが

社員は私が会社を起こす時には

誰一人その存在すら知りませんでしたからね

いつの間にか私の元に来て

会社を支えてくれてるのです。

そうやって会社を見ると

とても不思議な感覚になります。

それぞれの社員が背負ってる

見えない力が集まって

会社を回してる

って感じです。

私が今会社に持ってるイメージは

私の存在は

オーケストラの指揮者です

演奏する能力は

はるかに社員に及びません

ただ

能力を持った社員たち

これはバラバラでは会社が機能しませんから

その能力を発揮させるために

私が指揮を取る

そんな感じです。

ですから

当社は

大変独特の空気が流れてるのです。

先の道は見えない訳ですから

せめて

今だけ

社員に思い切り仕事をさせて

それを見て楽しむ。

これが私の毎日です。

社員と私の関係は

演奏者と指揮者

であれば

会社はオーケストラ

オーケストラであれば

無限に大きくなる事もありませんから

私のイメージともピッタリです。

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