気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

蝦夷三官寺の等樹院を訪ねて

2012-06-19 15:55:41 | 旅行
2012年6月15日、蝦夷三官寺の等澍院を訪ねて日高路をドライブ。蝦夷三官寺は2011年9月に厚岸の国泰寺を巡り、有珠の善光寺も訪ねていたので、三つ目の様似を是非訪ねたいと願っていたところでした。(※ タイトルの等澍院が樹になっておりますが、「澍」を使用するとお化け文字になり、樹を使用しました。
伊達市有珠の善光寺(↓写真)は桜の時期に訪ねました。(2012年5月に訪問)

エンルム岬に登って、降りてくると、鉄塔のある広場で中学生が学芸員の方に様似は自然の良港であり会所があって賑わっていたことやかんらん岩が地球のマグマから出てきて、露頭しているエンルム岬のことなどを説明していた。先生のご厚意で中学生と共に学芸員の説明を聞かせてもらった。

 等澍院に着くとエンルム岬で学習していた中学生たちに再び逢い、また等澍院についての説明をご一緒させてもらった。
等澍院の入り口看板(徳川十一代将軍家斉公の命により創建)蝦夷三官寺筆頭
 

 観音山の地蔵祭の後始末から戻られたばかりの若い副住職さんが、寺院の中に入れてくださり、貴重な資料やお話をしていただいた。また、住職の奥様から抹茶とお菓子で温かくおもてなしをいただき感激!。いろいろなお話をさせていただきました。奥さんは襟裳岬から百人浜に行く途中に悲恋沼があり、一石一字の塔や観音堂があるので、時間があったら訪ねたらいい・・・と等澍院に纏わる見どころを教えてくださった。
観音堂と一石一字塔・・・等澍院を訪ねた後、幌満ダムの奥にあるがんびの神様や豊似湖を回り、襟裳に向かう途中、国道336号を間違えに気づき、庶野まで戻って道道34号に入り、襟裳岬途中でお勧めの観音堂に着いた。


副住職さんから等澍院の資料をいただき、その中には蝦夷三官寺は「蝦夷地にロシアをはじめ外国の船の横行が激しくなり、それにつれて横暴な事件も起こるようになった。」と歴史や
等澍院は熊の出没や国道建設などで四回の移転をしている・・・・)

新築する前の等澍院を説明される大久保副住職さん。

松浦武四郎著「東蝦夷日誌」には等澍院に熊が出てきた絵が描かれている。そのシャマニ編には本尊は薬師如来であること。天台宗東叡山末、享和二年台命にて建立、開基秀曉・・・廣道現住す。・・・此寺往古此澤の奥に美濃の國圓空小あんを結びしを元として、地所七百坪、建坪百十二坪を立。境内・鐘楼・観音堂。千體沸堂山田屋文衛門の建立なり・・・と書いている。
旅でお世話になった等澍院の大久保副住職とお帰りになった住職さん、奥様や様似中学校の総合学習でお会いした先生、生徒さんありがとうございました。

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