BUZ LIFE

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忘年会in2018、そして、それから。

2018年12月30日 | Weblog

12月上旬から始まった忘年会ラッシュも、昨日12月28日をもって終了した。
今年は去年ほど回数は多くなかったが、濃い内容が多かった気もする。

前職時代の忘年会では、久々にキャバクラへ。いつもそうだが、誰が行きたいと言い出したか不明。
そして、絶対にダメと誓って入ったはずなのに、いつの間にか頼まれている女性用ドリンク。最後はやっぱりコスパ悪い、と言う感想に落ち着くのだから、もう二度と行かないはずなのに。全く成長しない我々。

高校時代の忘年会は、19時から始まり、延々8時間。去年は11時間だったから、これでも短縮。深夜2時頃、近頃の若者たちは!というお馴染みの話題で最高潮に達し、最後は、参加者のご親族に関するシビアな話題の最中に店が閉店となり終了。

もう一つの前職時代の忘年会では、普段はなかなか飲まない後輩女性を、いかにして飲ませるかで結託。過去成功事例があるばかりに、今回も引き下がらんと頑張り、私はそれに巻き込まれる形で赤ワインをあおった結果、帰りの際途中駅で撃沈。

もう一つの高校時代の忘年会では、当時の先生もお招き。「アイデンティティ」について考えさせられるかと思いきや、ネクタイ芸で盛り上がり、日本酒を飲み続けた結果、帰宅後に記憶消失。

気づけば、今の職場の忘年会には、前職忘年会が重なり欠席するという、社会人失格な事態。同じ課内でカップルが発生しており、彼らがそれを公表するかが注目されたが、そんな茶番に付き合う必要はないと判断して欠席した。

忘年会自体は楽しかったが、12月上旬頃から、久々に嫌なことが重なりうつ状態に。かわいいはずの甥っ子とは一切出かけず、家でもほとんど一緒に遊んであげられず、の状態が続いている。そして年末年始6連休も、ほとんど予定を入れず、現状ひたすら身辺整理を続けている。来る2019年、どうにかこの状態を打破することから始めなくてはいけないのが、何とも情けない。
キャバクラと同様、歴史は繰り返される。2014年の3月、人生で最大規模のうつ状態に陥ったとき、何とか脱しようと頼ったのがバス。当時乗ったのと同じ、横浜発軽井沢行きの高速バスが、ちょうど廃止になるということから1月上旬はまずはそれに乗ることから始めようと思う。

愛は愛を愛する

2018年11月25日 | Weblog

私はそもそも、人を愛せるのか。
その前に、人を好きになれるのか。

ふと、とっても疑問に思えてきた。
今回も、私の不義理により、終了案件。

久々に鬱々とした気分であったが、バスは裏切らないだろう、ちょうど優待券の有効期限が切れるタイミングでもあったので乗ってきた。
いつもと変わらぬ安全運転だ。接客もそこそこのレベルを維持している。

ニュースで話題になった事故現場も通りすがる。夕方にも関わらず、事故と同じ路線は、折り返し駅で十分に休憩が設定されているようで、終点駅に着くと、乗り場を離れて行った。
家宅捜索が行われた後、特段の報道がなされていないことをみると、はやり管理体制に問題はなかったものと思われる。私が一時的とはいえ、勤めていた先だ、安心である。
問題があれば報道する、なければ報道しない、当然世間の興味は前者であろうが、無実であることが、もっと明らかにされてもいいように思えてならない。

人生の大先輩方とご一緒させていただく

2018年11月18日 | Weblog

私が社会人1年目の頃、支店での業務はとてもとても憂鬱で、何度もやめたいと思っていた(そして実際今は退職した)。

それでも唯一、グループ会社の人と一緒に働くときは、少しは気が楽になったものだ。支店の人とは違い、人間であり、人情味があり、優しく私に接してくれた。歳は60歳前後の人が多く、父親世代って感じ。
その支店から転勤した後も、定期的にお会いする機会があり、先週の金曜日にも当時のグループ会社の人たち8人で飲み会があった。

当時から10年近くが経過しており、なかには定年退職した人も。
しかし、飲む勢いは、当時に劣らずか、それ以上。ビールで始まったかと思えば、次には焼酎の一升瓶を頼み、それをひたすら飲む。
こんな量飲めるわけない、と思ったが、どんどん減っていく。
第二の人生も様々のようで、異業種に飛び出し、植木職人になった人や、ボランティアに精を出し、行政から賞をもらう人も。
ふむふむ、自分も30年後はどうなっているのか、と考えさせられる。

集まったメンバーの平均年齢は60歳を越しており、飲む勢いは不変であるも、耐性はさすがに衰えるようで、開始2時間後にはうつらうつら意識が飛び始める人も。
あっけなく解散となったが、スパッとしていてやりやすい。

なかなか結婚しない自分を、我が子のことのように心配してくださるのが嬉しくもあり、申し訳なくもあった(なんか40歳くらいの人を紹介しよう、とかって話が出てたけど、これはやんわりかわしてしまおう・・・)。

有意義な老後が過ごせるよう、今からいろいろ考え始めておいても損はないのかもしれない。

というわけで、私は少し静かにすることにする。

2018年11月07日 | Weblog

生徒の前で毎晩点呼を取るとき、ちょっとした小噺をはさむようにしていた。
それは、就寝前の自由時間を削ることに等しい。
だから、ある生徒は「早く終わらせてほしい」と直訴してきた。

しかし、生徒に言われたから、分かったじゃあもうしゃべるのは止めにするよ、と簡単には引き下がらなかった。
私は限られた任期の中で、少しでも多くのことを伝えたいと思った。些細なことでも何か彼らの今後の人生で役に立つことを伝えたいと切に思っていたのだ。

そのことを素直に生徒に伝えてみた。自分がなぜ、みんなの貴重な時間を使ってまで話をするのか、と。
するとびっくりすることに、彼らも素直にそれを受け入れ、以後決して文句を言わなくなった。喜んでくれる生徒までいた。

そうか、一方的に押し付けようとしても、自分だけが突っ走ったとしても、うまく伝わらないんだな、ということを痛感。自分が思っている以上に自分の思いは伝わっておらず、言葉に出して直接的に訴えることも大切なんだと気づかされた。

翻って日々の会社はどうか。「ガキじゃあるまいし」ということで、私の最低限の朝礼での話を長いと文句を言ってきた人がいたので、黙ってそれを受け入れることにした。ここで自分がなぜそうしていたかをいちいち説明する必要はないと踏んだのだ。本当は、今朝の新聞の注目記事を持ち回りで紹介してもいいくらいに思っていたのだが。しかし、自分の思いを伝えることは、相手が何歳であろうとどんな立場であろうと、関係なく大切であったかもしれない、と今更少し後悔。何をやっているんだか。

まあ、もう私は黙る、と宣言してしまった以上、そうせざるを得ないのだが。

後悔か。私はそして、誰かを後悔させてしまったらしい。私に対してなんか、何も思ってくれなくてよかったのに。
予想だにしていなかった反応に、どうしたらいいのか分からなくなった。コンサルだ。コンサルが必要だ、と思ったが、あいにく先約ありで、私は自分で考える必要に迫られている。

嫌になる。

2018年11月06日 | Weblog

良かれと思ってやっていることが、実はそうは思われていなかったりする。
気を使っているはずなんだけど。

だから、放置してみたりする。そしたらやっぱり炎上。最初から、自分がいなければよかった、と思う。そんな時は。じゃあ自分の存在価値、存在意義は。

たとえば小さいことだけど、朝礼の場で、いろいろ期限が近付いているものを発信する。
期限の少し前と、その当日。でも、多いらしい。そんなに言わなくてもいいらしい。そうなんだ。とっとと終わらせて、仕事を始めた方がいいのか。そんな淡白な組織は嫌だな、と思ってたけど。

うまくいかないな、と痛感する日々。

そして、そんな陰鬱な日々を払拭するに値する何か楽しい予定があるかと言われると、皆無。
久々に、この先全く旅行の予定もなし。毎月3連休以上あるというのにね。いいや、しばらく大人しくしていよう。

人生で一番ともいえる幸せを感じた瞬間であった。

2018年10月30日 | Weblog

まだ、大学生1年の頃、短期のアルバイトでバス会社に通っていた。
長時間勤務となることもあり、特別にその期間だけ、運転手と同じ社員食堂を利用させてもらっていた。
気さくに話しかけてくれる運転手も多かったからか、不思議と疎外感はなく、与えられた休憩時間を使っての食事を私は楽しんだ。
ふと、窓の外を見れば、バスがずらっと並んでいる。そこで、運転手と一体となって食事をとる。
なんか、この上なく充実していて、とても満たされた気持ちになったことを今でも鮮明に覚えている。

彼らの仕事は早朝から夜遅くまでの不規則な勤務で、楽なものではないことは、素人目でも分かった(つもりだ)。
だが、そんな中でも、暗い雰囲気はなく、多少の不平不満は聞かれたものの、バスの運行について特段の大きな問題があるようには到底感じられなかった。
大手である、運行管理に粗漏はないだろう。

今般、家の近所で発生したバスの事故については、本当に痛ましいものだ。
恐らくは、不慮の事故であり、本来起こるはずのものではなく、何か突発の事象により避けられがたいものであったものだろう。
とはいえ、一日も早く、事故の原因が究明され、再発防止策がとられることを願ってやまない。

私はただの伯父さんなんだ

2018年10月30日 | Weblog

すっかりおしゃべりな甥っ子。
いろいろな疑問は余すことなく聞いてくるので、答えるのも必死。家にいるときは、黙っている時間の方が少ないのではないかと思われるほど、ずっとしゃべっている。

先日の日曜日もお出かけのことを教えてくれた。伯父ちゃんとではなく、本当のパパとのお出かけ。訳あって、今は別々に暮らしており、会うのは1か月に1回程度。
うちの近所で一緒に遊んできたようで、「パパと遊んできた!」と元気な声で帰ってきた。

”パパ”がどんな存在か、本当は家族の一員であり、血がつながっていて、毎日一緒に暮らして、ということをおそらくは知らないだろうけど、”パパ”という言葉がなんかとても力強く聞こえた。
久々にわずかな時間あっただけであったが、やっぱり、何か感じるものがあるのかもしれない。
帰ったとき、別に悲しそうな風ではなかったが、伯父ちゃんに背を向けて遊ぶ姿に、やはりこの子とは、本来一緒に暮らすはずではないということを痛感させられたし、とても悲しい気持ちになった。

それでも、甥っ子は伯父ちゃんに非常になついてくれていて、毎晩会社から帰ると、いろいろお話をしてくれる。
それはそれでとてもかわいく、今はまあ、この歪な暮らしでもまあ、いいかなって思うと同時に、そろそろ大人になっても子供のころの記憶が残っていてもおかしくない年齢である、伯父ちゃんとの記憶は限りなく少ない方がいいのかな、とも思ってそれはそれでまた、何ともむなしく感じることだ。

せーと目線!

2018年10月28日 | Weblog

私は、そしてその他全員、当時は仕事をする上で、生徒のことしか考えていなかったと思う。
いかに生徒を成長させられるか、それに尽きる。
私も試行錯誤、あらゆるアイデア・体力を結集させて生徒の未来を切り拓いたつもりだ。

修善寺に当時の同僚が10名以上集まり、一夜を共にした。露天風呂で全員が揃って入る姿は、ある意味壮観。
一つの目標に向かって行動したからか、たった1年しかともに時間を過ごせなかったが、再会してもとても懐かしく、居心地のよい時間を過ごすことができた。

翻って、今の仕事、私は一体何を目指しているのか。みんなと一つの目標を共有できているのか。
いつかみんなが離れ離れになった際、あの頃は、と思い出話を咲かせられる関係性が築けているのだろうか。

普段のオフィスでは、そこまで考える必要はないのかもしれないが、そうやって考えることで、ひょっとしたらもっと充実した会社生活が送れるのかもしれない。

みなさん各社でご活躍のご様子、プライベートも充実しているようで、自分ももっと、頑張らないといけないな、と思わされた。

私はそれでも幸せだった。

2018年10月22日 | Weblog

と、本当に言えるのか。

結局、その後1回も会わず、こちらからさようならを言って、それに対してもノーコメント。私は一体、何をどこまで信じればいいのか、最後まで分からなかった。

でも、いろいろ応援してくれて、アドバイスをくれて、うまくいったときは一緒に喜んでくれた。
そのことについて、自分はとても嬉しかった、と、素直に伝えることができた。あまり自分が話題の中心になることはなかったので、そうなったらそれはそれで居心地が悪かったのだが、一応一定のインパクトを与えることができたのは、まあ悪くはなかったのかもしれない。

結局はうまくはいかなかった。そのことについては申し訳ない(本人に対しても)と思う。
開けっ広げな会である、もし自分がうまくいっていれば、どんな夜を過ごしたか(どうやって彼女を抱いたか)について本当は根掘り葉掘り聞きたかったらしく、そのことについて答えられるエピソードを作れなかったことについても申し訳なかったと思う。
終盤、全員グレープフルーツサワーが止まらなくなった。確かに甘くておいしいグレープフルーツであった。最後はそんな思い出にいっそ塗り替えてしまおう、これを機に。

祝うのは、100歳のお誕生日

2018年10月20日 | Weblog

士別という土地を初めて訪れた。北海道は旭川からさらに北上した位置にある人口2万に満たない小さな市だ。
目的は、士別軌道が運行する1982年に製造された古い日野製のバスに出会うため。期間限定で土日も運行されるとのことで、当地を訪問したのだ。

秋晴れの当日、9:40の出発時刻には、総勢20名弱の客が乗り込んだ。今日が期間限定の最終日ということで、多くのファンとともに地元の新聞社まで取材に入る盛況ぶり。
サングラスをかけたドライバーも、普段は閑散とした車内なのだろう、なんだか嬉しそうである。我々も思い思いの場所に座って、風連駅を目指す。

35年以上も走り続けてきたご老体とは思えないほど、快調に道を走って行くが、2018年の現代を駆け抜けるこのバスは、とても示唆的である。

このバスに乗るためにはわずかな現金(あるいは回数券)さえあればよい。乗ってしまえば向かう先は同じで、また着く時間も同じ。誰かを抜いたり抜かされたり、そんなことは一切気にしなくて良い。没個性が完全に認められ、保証されている空間は、とにかく独創性や個性が求められる何とも落ち着かない現代にとっては、とても貴重なもののように思われる。

だからこそ、車窓に写る広い秋晴れの青空と、紅葉し始めた木々は、一層美しいものとして目に飛び込んでくる。
ここで紡ぎだされる言葉や、生み出される数式の定理は、AIやスーパーコンピューターからはじき出されたものより、きっと人間的で美しく、心に響くものだろう。

何より、35年以上の経年車とは思えない快適さである。手元のスマホでさえ5年ともたない中、ものを大切にするという基本原則を改めて思い知らされる。
ドライバーからも「その辺のバスよりも癖がなく、とても操りやすい。走行距離も10万キロに満たず、交換部品も手に入りやすく、まだ走りそう」とのご発言があった。

風連駅で折り返し、士別軌道の本社に戻る。「来年は弊社の100周年。このバスを使ってのイベントも何かあるだろう」と、とても頼もしいことを語っていた。
この会社の100周年のみならず、このバス自体の100周年も、見届けたいものだ。