

広州市の中心部から少し離れたところに
孫文先生が創立した
軍官学校が、ある。
校長を蒋介石が務め、
周恩来先生も政治部主任を務めた
いわば
近代中国のリーダーを生み出した軍の学校で、ある。

孫文先生はここに滞在されたこともあるという
曽祖父 梅屋庄吉はここにも
銅像を寄贈している。
その時の写真が残されているが
当時の何百人という軍人と一緒に記念撮影をしたものである。
つまり、近代中国のリーダーたちは
梅屋庄吉の存在をとても良く知っているということでもある。
梅屋庄吉が寄贈した銅像は
とても高い石段の上に、ある。
当時の写真と同じ。
これは
銅像が寄贈されることを予め知った当時の軍の皆様が
孫文先生の<文>の文字をかたどって
石を積み上げたり、階段を設置させたものだという。

庄吉が寄贈した孫文像が高くそびえる
驚いたことには
ここには<孫文と梅屋庄吉>の立派な展示場がある。
本格的な展示は
1994年に出来たもので、
南開大学の兪教授が書かれた本に基づいて
資料のレプリカが作られ
立派な展示会場となっている。しかも、常設展だ。
この日は日曜日だったが
小学生、中学生らが修学旅行あるいは
社会科見学なのだろうか、
沢山、この展示会場にいた。

私はこの歴史を若い人たち
これからの日中を築いていく人たちに伝えたいと思っているので
今回、色々なことがあった旅だったけれど
実はこの軍官学校の
<孫文と梅屋庄吉展>を多くの子供たちがみていてくれたことが
一番、嬉しいことだった。

私の両親と江沢民先生が一緒に写っている写真も展示会場に・・・
中山大学、そして
この黄埔軍官学校と
広州では本当に孫文の真朋友としての
梅屋庄吉が生きていた。
高校の教科書にもきちんと紹介されているという。

広い中国本土の南、広州で
今でも生き生きと伝えられる
孫文と梅屋庄吉の友情の歴史。
とてもココロに残る
広州 黄埔軍官学校訪問であった。
