プロ・アスリート羽生結弦 公式・広報サイト(Yuzuru Hanyu' s Official Site)花になろうよ!

フィギュアスケートのプロでプロ・アスリート、
表現者・羽生結弦の公式・広報サイト 
teamSirius広報

羽生選手を幼い頃から指導していた都築コーチが、2015年当時に語った、羽生選手についてのインタビュー

2018-06-11 | 羽生選手の素晴らしさ

初掲載4月13日   羽生選手の国民栄誉賞が決定したので、再UPします。

******************************************* 

 

今回、ご紹介するのは、スポーツナビに掲載された、2015年の10月7日付けの、

都築章一郎コーチが、幼いころから見てきた羽生選手について語って下さったインタビュー記事です。

 

平昌五輪以前はもちろん、ソチ五輪以前の羽生選手について、あまり、あるいは全然知らない方々には、是非読んでもらいたい記事になっています。

 

ネット上における悪質なガセ情報や、羽生選手に対する執拗な嫌がらせ情報に、振り回される可能性が、きっと減ると思います。

 

こちらをどうぞクリック(全文)

 

これは、2015年の10月上旬の記事ですから、羽生選手は既に ソチ五輪で金メダリストにはなっているものの、

まだこの後に出す、「バラード第一番」と「SEIMEI」での、歴代最高得点に関係した大騒動にはなっていない頃の記事であり、その時点での、都築コーチの発言です。

 

( 都築章一郎コーチは、日本のフィギュアスケート界の、大ベテランコーチの一人です。)

 

羽生選手がどんな環境で育ったか、十分に語られている、とてもわかりやすい記事ですので、

ファンならば 絶対に知っておくことを私はおススメします。

 

全部天才… じゃなくって(笑) 「転載」したいくらいなのですが(笑)、

それは上の記事を直接読んでいただくことにして、

この記事の中の、ほんの一部だけをここにご紹介してみます。

 

以下、質問に答えているのは、都築コーチです。

 

 

――羽生選手を最初に見たとき、どういう部分が優れていると思いましたか?

 

 やはり繊細なものを持っていましたから、フィギュアスケートに必要な音楽的な表現や感性という部分を備えていましたね。あとは何かを得るために自分でできることをしていました。時代は違いますが(エフゲニー・)プルシェンコのビデオをかなり見ていて、それに影響され、そこからスケートへの想像力を養っていました。それと羽生の場合は荒川静香らと練習場所が同じで、うまくなる条件もありましたね。

 

――羽生選手と他の選手を比べて違うのはどういう部分でしょうか?

 

 それぞれ選手の特徴はありますが、羽生の場合は小さい頃から成長できる条件を備えていました。要するに羽生自身だけではなく家族などの環境です。お姉さんがいて、ご両親にも理解がある。そして羽生自身もそうした期待に応えられる人間性を持ち合わせていたというところが大きいと思います。

 

――一流選手になるためにはそういった条件が必要なんですね。

 

 やはり最低条件がありますよね。フィギュアスケートに必要な条件が100あるとすれば、羽生は100に近いものを持っていました。だいたい初めはどの選手も条件はそろっていないんです。環境やコーチによってだんだんと作られてくるのですが、羽生はそういったものを最初から備えていましたね。

 

特に最後の太字にして下線を引いたところ。

羽生選手の演技を初めて見た時、私も本当にそう思いました。

 

フィギュアスケートは、多角的で多面的な評価ができる競技であり、芸術性も含むため、

採点基準を定めるのが難しく、何をもって「最高」とすべきなのか、絶えず試行錯誤と共に議論がなされてきました。

 

でも、人間というのは本来、決して「一つのものさし」などで計れるような存在ではないので、これはある意味、それでいいのだとも、私は思うのです。

人間のもつ多様な側面を包括している特殊な競技だからこそ、「タイムのみ」を競うような「一つのものさし」で判断できる競技とは全然違っていて、フィギュアスケートは奥が深く魅力的で、他の競技と決定的に違う特徴でもありますが、

だからこそ、何に比重を置いて判断するのかという判断基準も、とても複雑で難しくなって、もめやすい点でもあります。

 

だからこそ、

「こうでああで、こうでああ」なものを全部備えた選手がいたら、そういう人が一番になればいいんだよね、と、長いことフィギュアスケートを観ながら、私も漠然とした理想を持っていたんですが、

(まあ、でも、そんな人はいないよね(笑))というのが正直な気持ちでいたところ、

「い、いた! …見つけてしまった!」 

という、ものすごい衝撃があったのが、私から見た羽生選手でした。

 

 

インタビュー記事の続きからまた、一部だけを転載させてもらいます。

 

――都築コーチはどういう指導をされたのですか?

 

 佐野(稔)を育てた経験が、羽生を指導するにあたって大きな題材になったんです。羽生はどう思っているか分かりませんが、指導者としては早く、効果的に良いものを伝えることができたと思います。

 

――指導していた期間で一番印象に残っている試合はありますか?

 

 羽生が小学生のときに、初めて海外のノービスの試合に連れていったんですけど、そこで優勝したんです。練習した成果が出たなと思ったし、将来の大きな目標に向かって一つステップが上がったなと。そのときはうれしかったですね。これが土台になって世界へ羽ばたいていけるスケーターになっていくという感覚を持つことができました。

 

――小さい頃に土台を築くことがやはり重要なのですね。

 

 フィギュアスケートで一番大切なのはそれなんですよ。良いスケーター、世界へ羽ばたけるスケーターというのは、小さいころにしっかりした土台を作るというのが一つの生命線です。羽生の場合は、彼が小学校2年のときに私が「五輪へ行こう、世界一になろう」と話し、そういう土台作りをしてきましたから。それが実ってくれてものすごくうれしかったです。私がそのとき教えていなくても、彼が五輪のメダルを取ってくれたときは感謝して、「どうもありがとう」と言いましたね(笑)。

 

都築コーチによれば、「佐野稔さんを育てた経験」が、羽生選手に、より良い指導を早くから効果的に出来るようになった大きな理由だったようで、その経験を生かせた、ということのようです。

…というわけで、「Continues ~With Wings~ 」で、佐野稔さんが滑って下さるのだろうと思うのですが (…滑りますよね?! 何をして下さるのか、ちょっと楽しみですね!)

佐野さんご自身も指導していた時もあったと思いますので、その辺も「受け継いで」いるのかもしれません。(※ 佐野さんが仙台で開いたスケート教室でご指導を受けたのは羽生選手のお姉さまで、羽生選手は直接指導は受けていないそうですけど、一緒にくっついていっていたことが、その後スケートを始めるきっかけとなっているそうです。)(公式ガイドブックの羽生選手発言より)

 

ただ、この記事の中の都築コーチのインタビューで、唯一 私が違うと思った点が、次の言葉でした。

「よもや五輪チャンピオンになるとは、羽生も思っていなかったと思うし、私も一つサイクルが早かったと思っています」

 

ここで都築コーチの言っている「よもや」が一体どの時点を指しているのかよくわかりませんが、(震災直後の2011年のことなら理解できます) カナダに行った後は、羽生選手は明らかにソチ五輪での金メダルを意識して本気で頑張っていたと思うし、それを「出来る」と信じて頑張っていただろうと思います。

「ソチ五輪の羽生選手のフリーの演技終了直後で、チャン選手の演技が終わる前まで」の間なら、羽生選手本人も、(もう金メダルは絶対に無理だと思っていた)と語っていますし、それは観ている側にも伝わっていました。

でも、結果的には、(チャン選手のフリーでの、羽生選手以上の大失敗により、) 

羽生選手が ソチ五輪での、金メダリスト となりました。

 

サイクルが早かったということは決してない。 

 

この世の全てを知り尽くしておられる神様の御計画は、

最初からソチ五輪は、羽生選手の金メダルだっただろうと、私は思っていました。

 

 

さて、もう一つだけ、質問と都築コーチの回答を、抜粋してみます。 

 

――五輪で勝つまでは、東日本大震災もあり苦難の道を歩んでいたと思います。震災後はこちらのリンク(神奈川スケートリンク)で練習していたようですけど、再会したときはどういう様子でしたか?

 

 震災後に会ったとき、「この子は今後スケートを続けていけるのか」というのは感じましたね。4月から10月の約半年くらいは、私のところを行ったり来たりしながら、アイスショーに出ていました。そしてそのシーズン(11−12年)の世界選手権で銅メダルを取り、それがきっかけとなって五輪の金メダルにつながったわけですよね。今思えば、震災のときは五輪のメダルを取れたのが奇跡だったと思うくらい傷心していました。

 

2011年における羽生選手の傷心ぶり、どれほど心に傷を負ってしまったのか、というのは、

テレビの画面を通してさえ明確にこちらに伝わってくるほどの明らかなものでしたので、近くで日々指導されていた都築コーチが、その3年後のソチ五輪の金メダルを奇跡だと思えるほどに感じられたというのも、よく想像できます。

 

でも、そんな状態でありながらも、あの震災後の日本の大混乱と人々の不安が続く中で、

傷心の姿をさらしながら、必死で声を震わせながら、気力と勇気を振り絞って発言した羽生選手の言葉と姿を見て、本当に、羽生選手の震え声に合わせてこちらまで胸が震えたほど感動した私は、

「全てをご存知の神様は、絶対にこの人を捨て置かないだろう」

と改めて強く確信したし、この時に、

どうして神様が、羽生選手に、ここまで揃ったフィギュアスケートの才能や資質を与え、備えさせたのかも、理解できた気がしたのです。

 

 

聖書では、「全ての人は、目的をもって 天地創造主に造られている」と明言しています。

(これを 「使命」と 言います。)

 

また、

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」

(ルカによる福音書 12章48節  新約聖書 新共同訳より )

 

という原則があるので、

(「誰に」与えられて「誰に」求められているのかと言えば、天地創造主たる神様に、ですが)

 

その分、羽生選手は 本当に本当に色々と大変だったと思いますけど… (今も大変ですけど;;) 

無事に、五輪で 2連覇出来て、本当に良かったですね♪

 

 

・・・他にも、色々なことを都築コーチは答えて下さっているので、2015年当時のインタビューですけれども、知らない方は、ぜひ全部を読んでみて下さい!

 

最後に、都築コーチが「全ての4回転」や、「5回転」についてまで言及されているのですが、

羽生選手の発言を聞く限り、これはどうやら昔からずっと一貫しているようですね。(笑)

 

先日、ネイサン選手が、4回転半(4回転アクセル)は、「自分は挑戦する気はない」と明言しました。

ネイサン選手は、「アクセル」ジャンプが一番得意で好きな羽生選手とは正反対で、ジャンプの中では「アクセル」がもともと苦手でしたので、それはよくわかります。

 

羽生選手は、まだ残っているご自分の「夢」の実現に向けて、

今はちょっと辛抱の期間だと思いますけど、

希望をもって、大事に大事に、

スケートを心から楽しみながら、 一歩一歩 前に進んでほしいと思います! 

 

 そして何よりも、今は自分のお身体を 第一にしていってほしいと思います!!

 

 羽生選手にとって、「Continues  ~With Wings~」 が、素晴らしい思い出のものとなりますように…!!

 


最新の画像もっと見る