羽生選手がこの五輪シーズンに、再び「バラード第一番」を選んだ理由については、
前の記事で少し載せましたけど、また機会があれば、羽生選手は自分が語りたい時に自由に語って下さるだろうと思います。(→神戸・新潟公演のパンフレットに、詳細を語ったインタビューが載っています。今後、ネット販売もされるそうです。)
さて、今回は、2014年-2015年シーズンに、振付師のジェフリー・バトルさんが、
最初に羽生選手に「バラード第一番」をSPに選んだ理由について、バトルさんはなんと語っていたのか、についてです。
当時の雑誌「World Figure Skating」(ワールド・フィギュアスケート)のNo.65に、
バトルさんの詳細なインタビューが載っていました。
当時からこれを読んでいて、よく覚えている方もそれなりにいらっしゃると思いますけど、
羽生選手ばかりの雑誌しか読まない羽生ファンの中には、全然知らない方も多そうな気がしたので、
もう3年ほど経って時効かなとも思い、ここにその内容を、ちょっとだけご紹介してみたいと思います。
このひとつ前の記事で載せた、折山さんの記事にあったように、
羽生選手が「ピアノ曲をやりたい」とリクエストして、それに応じる形でバトルさんが選んだというのは、当時から語られていました。
(この「バラード第一番」と「Let's go crazy!」については、選曲で難航した話は特に出てきていないと思います。それだけ、バトルさんの羽生選手に対する理解が進んだのかもしれません。
「バラード第一番」の2シーズン目(2015-2016シーズン)の時は、オーサーコーチは当初は他のを考えていたけど、羽生選手が自分からこのバラードの続行を先に決めていた、と羽生選手が自分で語っていたかと思います。)
この記事では、最初にこれを選んだ細かい理由について、当時のバトルさんの見解が述べられています。
これは、2014年のもので、羽生選手がソチ五輪で金メダリストになった直後のものなので、
羽生選手が成長した今はまた、色々と違うかもしれませんけれども、
でも、結局羽生選手がこの曲にこだわって、五輪シーズンでもこれを選んだということを思えば、
この時の バトルさんの選択眼やインスピレーションは、なかなか興味深いですよ!
以下、私の手元にある、2014年9月発行の下の雑誌の、
ジェフリー・バトルさんへのインタビュー記事からの、一部転載です。
ワールド・フィギュアスケート 65 | |
ワールド・フィギュアスケート | |
新書館 |
質問: 羽生選手の新しいSP「バラード第一番」を振りつけましたが、プログラムについて話していただけますか。
バトル氏: (略) こんな短い間でここまで仕上げてくれたことは信じられないくらいだし、何よりもすごいのは、彼が本物の情熱を滑りに込めてくれたことだと思う。
教えられることではないんです。彼は生まれながらに情熱があふれている。
だからこそ、彼が自分を抑制した動きは素晴らしいんです。
プログラムの最後に向かって、クレッシェンドのように情熱を育てていく。最後のスピンで彼の情熱は絶頂に至ります。
序盤では、抑制された動きによって音楽と深くつながっていることを示しています。いつでも全速力ではいられない。
最初の小さな動きこそが、最後の大きな動きをよりパワフルに見せてくれるのだと考えています。
質問:羽生選手は「音楽はジェフが選んでくれた」と言っていました。なぜ「バラード第一番」がいいと思ったんですか。
バトル氏: ピアノの曲がいいと聞いた時、すぐにショパンがいいと思って、エチュードやノクターンを聴いてみたけど、どれも結弦じゃなかった。
昨シーズンのSP(「パリの散歩道」のこと)にあふれていた彼の熱情や若さを失わずに、新作を作りたかったんです。あれこそが彼の真髄だから。
ところが、「バラード第一番」を聴いた瞬間に、彼が身に着けるべき成熟を備えながら、彼らしいがむしゃらさ、すべてをなげうつような潔さも備わっているとピンときた。
音楽のほうから「選べ」と言われたようなものです。
質問:最初の場面、羽生選手はしばらく身動きをせず、音楽に耳を傾けるように目を閉じて立ち尽くしていますね。観客も同時に音楽に引き込まれていきますが、振付者としての意図は?
バトル氏: 最初のピアノは非常に力強い。最初はいくつか動きを試してみましたが、どれもはまらなかった。最初の20秒でプログラムのテーマを伝えるのは困難なことです。それで、じっとしていることを試してみた。あれでプログラムの基調が決まります。氷の中央の彼に全員の注意がぐっと集まり、ピンが落ちるかすかな音さえも聞こえそうになる。これこそが、ぼくが描きたかったメッセージなんです。
オリンピックのあと、彼は本当に引っ張りだこで、あっちからもこっちからも要求が集中していた。
曲の導入部を聴いたとき、彼があらゆる方向へと引っ張られ、張りつめている姿が浮かんだのです。
だからぼくはただ音楽そのものに語ってほしかった。そして彼が動き始めた瞬間に、どれだけ義務を負っていても、彼の時間と体力を要求する仕事が多くても、氷の上にいる彼だけの特別な瞬間が始まって、そのほかのことは全部どうでもよくなる————そういうことを象徴したわけです。
すべてはスケートのためということです。さらには、彼は自ら後半に4回転トウを跳ぶという選択をした。これは尊敬するべき決断だし、音楽的にもちょうどうまく合致するものでした。
質問:フィギュアスケートの振り付けの限界を押し広げたいと考えている?
バトル氏: コリオグラファーなら誰でもやりたいことだと思います。でもそれだけの力があり、しかも喜んでリスクをとるスケーターがいなくては始まらない。
結弦は厳しい練習で技術と才能に磨きをかけ、ほかのスケーターには不可能なほど大きなリスクをとる勇気がある。
後半に入ってから跳ぶ4回転トウの前には、息をつく余地がほとんどないから、大変な集中とスタミナが必要になります。彼が自分の限界に挑んでいく姿には本当にほれぼれします。
質問:ソチ・オリンピックでは、金メダルの羽生選手、銀メダルのパトリック・チャン選手が2人ともあなたが振付けたSPで戦いました。自分の子供同士が戦っているような気がしませんでしたか。
バトル氏: 本当にそうでした。わくわくすると同時に、見ているのがつらかった。
結弦のSPは———あれほどのプレッシャーを制御して、完璧に自分の演技ができるというのは———本当に感動したし、ある意味戸惑ったほど。どれほどそれが不可能沙汰なのか知っているから。
でもとにかく、彼ら二人のことを心から誇りに思います。結果に関わらず、互いに敬意を払って戦う二人が最高の競技者であることに変わりはありません。
質問: 二人とももともと高レベルの選手でしたが、振付を滑り込んでいくことでさらに潜在能力を開花させていきました。
バトル氏: 2年間続けて同じプログラムを滑るというのは、音楽に飽き、自己満足してしまって、音楽を感じながら滑ることができなくなる危険があります。
でもあの2人(=羽生選手とパトリック・チャン選手のこと)が素晴らしいのは、同じプログラムを持ち越したのに音楽に没入し続けることが出来たこと。だから最高得点を更新していくことができた。
毎回、初めて滑るみたいだったでしょう。厳しい練習を積んだ選手は、逆に演技がロボット的になることもある。
でも結弦は、つねにかけがえのない瞬間を生み出し続けてくれました。
…この前にもインタビューはあり、この内容の後もインタビューは続きますが、羽生選手のことについて語られているのは主にこのくらいなので、その部分を抜粋しました。
でも、今改めて読んでも納得するし、バトルさんのこの当時意図したことは、今の羽生選手に結実してきていると感じます。
最後のバトル氏の言葉は、本当にその通りだと私は思います。
ソチシーズンの羽生選手の凄さは、あの「パリの散歩道」を、観る者を全く飽きさせずに、毎回新鮮な印象を与えて、どんどん改良していったことです。
最後に、ジェフリー・バトルさんが振付について、あるいはスケートについて自分の情熱を語っている言葉を載せておきます。
「ぼくはなにしろ氷の上に乗っていられたら幸せなんです。滑っているときは滑ることを愛しているし、振付している時は振付を愛している。 氷の上にいるときが一番幸せです。」
(振付について)
「いつも自分に挑戦している、ということだと思う。結弦を見ていてもわかるけど、彼はすでにオリンピック・チャンピョンなのに、つねに前に進み続けている。より良い存在になることを目指しているんです。
ぼくも振付の分野で同じことを目指している。 異なることに挑み、自分を向上させていきたいんです。」
(ジェフリー・バトル氏: 2014年上記雑誌インタビューより)
3度目の挑戦になるのは、振付師のバトルさんも同じだと思うので、その羽生選手の特別な情熱に付き合えるだけの情熱と柔軟性と優しさと意欲とが、バトルさんにもあって、本当に良かったな~と思います!!
楽しみにしていきたいと思います♪
五輪シーズンには、いかにもなファンを装った「引き下げ目的」の人たちの「騙し」のような投稿やブログなどもネット上には増えます。
(注意深く読めば、いかにも味方のような顔をして、愉快犯のような片鱗を見せていることも多いですし、矛盾点が必ずあります。混乱や選手への精神ダメージを狙っているからです。そして、応援になっていなくて、結局引き下げるのです。「しつこい」という特徴もあります。 殆どの場合、時間の無駄ですから、スルーが一番と私は思っています。)
色々なことが起こり得るからこそ、ここでバトルさんが述べていた、このプログラムへの想いを改めて読んだとき、この狙いが見事に成功していること、成功するであろうことを、幕張公演での演技を見ていて感じました。
バトルさんも語っていますけど、「情熱」とか「熱情」とか言う言葉を聞くとき、
真っ先にイメージできるのはやはり、
私にとっては、プルシェンコさんと羽生選手の二人なんですよね。
この二人から感じる、スケートへの情熱というか、熱情というかは、本当に、ちょっと他からは感じ取れないほどのものがあり、燃えている炎の熱さや大きさ、激しさのレベルが違う印象がずっとあります。
バトルさんは、「教えられることではない」と語っていますね。
それが、羽生選手の言う「スケートへの本能」なのかもしれません。
それらと、羽生選手が身に着けるべき成熟と、「すべてを投げうつような潔さ」も備わっている曲だ、と
「バラード第一番」に感じたというバトルさんは、本当に素晴らしいと思いますし、羽生選手も共鳴しているのでしょう。
羽生選手の目指す理想に向けて、そして理想の先へと、ぜひ楽しみつつ進んでいってもらえれば、と思います♪