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羽生選手の仙台「2連覇おめでとう」パレードと挨拶と、記者会見動画

2018-04-27 | プロアスリート羽生結弦・羽生選手関連ニュース

4月27日追記: 羽生選手の記念Tシャツが、5月1日10:00~再び、ネット特設サイトと全国のローソンとミニストップで販売受付開始となるそうです。転売は避けて正規で購入して下さい。

4月24日追記: 今回のパレードの剰余金が1700万円になるそうで、さらなる黒字もあり得ると。こちら河北新報記事より  前回の剰余金は宮城のスケート連盟に寄付されたそうですが、最善な形で活かされますように…♪

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羽生選手の、仙台での凱旋パレードが終了しました。

羽生選手、お疲れ様でした!

天候にも恵まれて… というか、4月の過去最高気温だったとか。(笑)

 

パレードは前回ソチ五輪後にも見ているので、今回は特に驚きませんでしたね。

前回みたいに、スケート部の女子高生護衛(笑)に囲まれていなかった分、シンプルに見えたかも。

あれはあれで、羽生選手なりの凄い遠慮と配慮と想いの上で決まったことだったわけで、羽生選手らしかった点でもありましたが…(笑)

とりあえず、足に無理がかかった様子はなかったので、そこは良かったです。(笑)

 

 

こちらが、 パレード全体とその後の記者会見まで映された生中継動画です。(仙台放送のもの)

動画45分くらいから、羽生選手が映ります。 出発前表彰式→ パレード →記者会見

 

こちらが、記者会見だけの動画です。

 

こちらも、記者会見だけの動画です。

 

かなり言葉を選んで、慎重に答えていた印象ですね。 羽生選手の立場は大変ですけど、頑張れ~!

以下、一問一答の要旨を、こちらの記事 と、こちらの続き記事より。(羽生選手の答えは太字にしました)

 

-多くの人が待ちわびていた。どのような思いで臨んだか。今の心境は。

 「自分自身の企画したプロデュースしたアイスショーが終わって、それから少し時間があいてからパレードだったんですけど、本当にこのパレードが待ち遠しく。やっぱりたくさんの方々がパレードに来て、ひと目みたいと言ってくださっていたので、僕自身もわくわくしながら、この数日を過ごしていました。こうやって無事にパレードを終えることができ、自分自身もあらためて仙台に帰ってきたなという気持ちもすごくありましたし、あらためて今回の金メダルの重みを感じたところです」

 -地元の声援をどう受け止めたか。

 「平昌五輪の時もみんなで応援できる場を設けていただいたりとか、皆さんが応援してくださっていたのをニュースや記事などで知って、一つ一つの力が自分の背中を押してくださったんだなと今回、あらためて感じましたし、まだまだ仙台や県を含めて復興だとかそういう課題がまだある中で、すごく大規模なパレードを開いてくださったっていうのは、僕自身もすごく重く受け止めて。僕自身も県内、市内のみならず世界中の方々に復興の手助けのきっかけとなるような行動を心がけていかないといけないなと思いました」

 -何が見えたか。 

「いろんな目というか、皆さんが僕自身一人だけに注目してくださっているので、温かい目だとか、おめでとうという声だとか、自分の心に、また脳裏に焼きついたなと思っています。多分、これは地元だからこその光景だったと思いますし、自分にしか味わえない光景だったと思うし、自分にしか味わえない量だったり、質だったと思うので。地元にいるからこそ、もっとしっかりと心の中に持ち続けてこれからも過ごしていきたいと思う瞬間でした」

 -知り合いの顔なども見つけられたりしたのか。

「もちろん一人一人の顔を見るように努力していましたし、歓声だとか、おめでとうっていった声は直接耳に入ってくるわけですけど、一人一人の声を判別できるわけではないので。世界を舞台に戦っていく中で、地元の放送局とか、昔取材してくださった方とか、地元の放送局の方とかは、懐かしいなと思う瞬間でした。自分がいろいろな舞台で戦うようになって、ローカルな地元局の取材とか単独の取材もできなくなって申し訳ないなと思うと同時に、そういうところにも見ているよというのは変なんですけど、そういうものが自分の中に残っていて、今金メダルをさげている自分につながっていると思う」

 -4年前との景色の変化は。

「4年前との違いはあまり考えなかったです。この瞬間がすべてだと思いましたし、この瞬間にありがとうと伝えたいのでいっぱいでした。また、パレードの車で移動していく時に、小さいお子さんとか、親子で手を振ってくれていたり、肩車とかで応援してくれる子供たちも見えたんですけど、僕は今、夢がかなった立場としていろんなお話をさせていただいていますし、自分の首にも夢に描いていたものがかかっています。そういう意味では夢がかなって幸せだと思います」

 (続けて)「ただ、夢がかなうまでの過程は本当につらいものもあるし、それを乗り越えられるだけの楽しいことや幸せなことがあって。でも、一瞬たりとも同じことってなくて、1回限りのものだと思うので、すべての瞬間を大切にしてほしいなと思いました。いつかその子たちが自分単独でパレードできるぐらいの夢をかなえてくれたらうれしいなと思います」

-金メダルの重みを感じたということだが、連覇した後に感じたものとの違いは。

「(平昌五輪で)メダルセレモニーが終わって首にかけていただいて、その時も金メダルの重みをすごく感じましたけど、それは自分がやりきった、自分の夢をかなえきった気持ちだった。今回は皆さんの期待を受け止め切れたのかなという瞬間でした。ソチ五輪の時って、もっと未来に目が向いていて、この金メダルからまた次の金メダルへ走っていく気持ちでいたんですけど、今回はどちらかというと、取りたかったものが取れた気持ちでいるので、皆さんの応援をちゃんと受け止め切れて、皆さんの想いがつまった金メダルをかけているんだなという実感があります」

 -「SEIMEI」の決めポーズも披露した。どんな思いからか。

「うちわとかで決めポーズしてと書かれているものがあって、何したらいいんだろうと。一番やった時に見てほしいなと思ったのは、近くの方にはありがとうという声は届くかなと思ったし、自分の目線とかも届くかなと思ったんですけど、遠くで見ている方も、交差点とかで本当に奧の奧の方まで声援を送ってくれていました。そういう人まで届けばいいなと思ってやらせてもらいました」

 -今日の仙台市内では多くのボランティアや、売店のスタッフまで結弦くんの日だと話していた。

「それぞれの店舗でポスターを掲げてくださったり、プリントして、横断幕といったらいいのかな、いろんな言葉を書いてくださったり、自分に見えるように飾ってくださったりすることがすごく多いなと思いました。(中略)商業の方も在庫を増やしたり、仕入れる量を増やしたりとか、そういうことでちょっとでも仙台や県内の企業さんにもお金がまわり、それが復興の一助になればなと思っています」

-4年後への新たな思いがあれば。

「僕は、ソチ五輪の2年前まで仙台でスケートを続けることができたんですけど、世界のトップを目指すことに関しては仙台だけではなく、東北全体的に、世界のトップを狙える設備はそろってないなと思っています。だからこそ、カナダに拠点を移して、金メダルをかけて戻ってくることができたと思うんですけど、僕が…何て言うんだろう、僕が仙台でスケートを続けられるようになったのは、荒川(静香)さんがトリノ五輪で優勝して、アイスリンクへの補助金をしてくださったから、僕は仙台でスケートを続けることができ、最終的にカナダに行く事ができ、パレードを開いていただけるようになりました」

 (続けて)「僕がそういう存在になれたらいいなと思いますし、仙台の子供達、東北の子供たちも含めて、スケート以外でもスポーツの面で、施設面で苦しんでいらっしゃる方がいると思います。ちょっとした笑顔になったりとか、支援をしてくださっている企業の方も含めて、ちょっとでもスポーツが発展するきっかけになったらと思います」

-海外からのファンもいる。地元で見てほしい所は。

「(中略)東北全体に関して仙台もそうなんですけど、まだまだ復興が足止め状態になっているところもあるんですけど、そういったところにも足を運んでほしいと言ってくださっている方もいらっしゃいますし、もちろん古い建物とか、津波で流されてしまったものとかたくさんあるかもしれないですけど、新しくなった駅とか、立ち上がっているところ、もちろん作り続けているところも見てほしいんですけど、新しくなった街もあるので、こんなきれいになったんだなというのを見てもらいたいと思います」

-(高校生記者から)夢を実現させるためにはどうしたらよいか。

「僕の中で夢っていうのはすべてかなうものと思っていなくて…。かなえるためにはいろんなものを犠牲にしたり、自分がしたいことだったり、自分がしたいことをできなかったり、したくないことをやらなきゃいけなかったり。そういった時間があると思います。それをやり続けているからこそ、夢がかなった時に味わえる達成感はきっとものすごいと思う」

 (続けて)「小さい夢を一つ一つ積み上げていって、その達成感が原動力になればいいなと思いますし、人生をかけて、学校生活をかけて掲げている大きな目標に関してはそれだけに集中することでかなった時の喜びは大きなものになるので、何も恐れずに(夢に)かけることをしてほしいなと思っています。頑張ってください」

 

最後の、高校生記者からの質問を受けたのは良かったですね。

高校生には、きっと一番知りたいあたりだろうと思いました。

 

「何も恐れずに(夢に)かけることをしてほしい」といった言葉が、やはり羽生選手らしいと思いましたし、そう言ってくれて良かったし、最後に印象に残りましたね。

何も恐れずに4回転アクセルに挑戦できる状態に、早くなれると良いですね…!(笑)

 

 

 

こちらは、出発前の表彰式での羽生選手の言葉です。

こちらの記事より

「このたびはこのような場を、ありがとうという言葉をえる場をつくっていただき本当にありがとうございます。このパレードにご支援くださったすべての方々に感謝しています。ありがとうございます」

「こうやって2連覇して、金メダルを持ってこの仙台に、ただいまといえるような状況になり、本当にうれしく思います。今、自分の胸の前にある金メダルというのは、本当に皆さんの多大な応援やご支援があったからこそだと本当に思っています」

「この喜びとか、今、見える風景、応援してくださる気持ちとか声とか、そういうものをずっと胸に刻んで、これからも生きていきたいと思います」

 

羽生選手へ贈られた木製のオルゴールというのは、「バラード第一番」の曲のものだったとの報道です。

覗き込んで、中をみんなに見せてくれようとしていましたけど、あまりよく見えなかったですね。(笑) 

 

最後に羽生選手から、宮城県と仙台市に贈られた寄付金は、500万円ずつで合計1000万円だったと、

複数記事が報道しています。 

前回ソチ五輪の時の報奨金は300万円で、それを全額寄付した羽生選手でしたが、今回はまた金額が上がっていたようですが、それを再び全部寄付されたとのこと…

…もう、何と言って良いか。

この世の全てをご存知の神様が、羽生選手のその気持ちを何倍にも祝福して用いて下さいますように、

本当に被災地のためになる力となっていきますように、

そして 金額ではない、その何倍もの幸せが、羽生選手の未来に待っていますようにと お祈りしています…!

 

 

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