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羽生結弦選手の原点である、プルシェンコさんを初めて見た頃の想い出

2019-02-15 | 管理人のひとり言

 

毎年、バレンタインデーには、「羽生結弦選手の原点を知る!」という特集ページを作ってきましたが、

今年は、羽生選手自身が「原点」を意識して、ショートもフリーもプログラムを作って思いっきり演技してくださっているので、

約2年前にプルシェンコさんが引退を決めて以来、何度も思い出しては懐かしく思う、

私の中の「エフゲニー・プルシェンコさん」(プルシェンコ選手)を初めて見た頃の記憶について、少しだけ書いてみたいと思います。

 

(日本はバレンタインデーはすでに終わっているけど、カナダの時刻ではまだバレンタインデーです!日付が変わる前にUPします!(笑))

 

プルシェンコさんというのは、私にとっては、男子シングルを「真剣に」見続けるきっかけとなった人です。

それまでは、男子は見てはいても、(やっぱりフィギュアスケートは女子だね…)と常に私は思っていましたし、どことなく「なんとなく観察しています」「ついでに観てます」「同じ競技だから見てます」「男女の違いは何なのかを見てます」感がありました。

放送自体も、決して多くはなかったと思います。

そして、その頃、忙しかったせいもあり、

(男子を見るのは、時間がもったいないから、もうやめようかな…)と思い始め、神様に「時間がもったいないと感じるので、フィギュアスケート男子を見るのを、もうやめてもいいでしょうか…?」と祈りました。

色々あった経緯もあり、私は神様に、見るのをやめるのにも、許可を求めたのです。

 

ちょうどその頃、「ロシアにものすごい天才少年がいるらしい」という話を耳にしました。

(ふーん、でも天才といっても、どのくらいの天才なのか、それが問題だよね…(笑))

なんてエラそうに思いながら、ほとんど期待もせずにいた私は、たまたま見ていたNHKニュース番組(だったと思います !)で、ついにその「ロシアの噂の天才少年」が滑っているところを、ほんのちょっとだけ見る機会に遭遇したのです。

フィギュアスケート特集番組などではなくて、通常のニュース番組の枠の中で、紹介されてチラッと映ったのを見たのです。「いつものニュース」を見ていた時の不意打ちのような出来事でした。

でも、その数秒間~数十秒間程度を見ただけで、私はものすごい衝撃を受け、テレビの前で固まってしまいました。

どのくらいの天才かと思っていたけど・・・・ え、これはものすごい天才じゃないの!なんなのこれは!!凄すぎるでしょ!!

と、あまりの衝撃で大興奮してしまった私は、

(こんなすごい天才少年が出てきたのなら、フィギュアスケート男子シングルを見るのをやめるわけにはいかない!)と強く思い、

迷わず、こう祈りました。「わかりました神様!『男子を見るのをやめる』のは、やめます!」と。(笑)

 

翌日、私の家に1本の電話がかかってきました。

受話器を取った私が、まだ、「はい」とさえも答えてもいない、何も語らないうちに、電話の相手は、突然こう叫びました。

「ねえ!…昨日のアレ、見た?!」

なんと失礼なことに、相手は自分の名前さえ名乗り忘れるほど興奮していました。

声で誰なのかすぐにわかった私ですが、今まで決してこんな風に電話をかけてきたことはなかった彼女の、あまりの興奮ぶりとその意味不明な質問に、

「昨日のアレ?… アレじゃわからないよ!」と笑いながら私は言い返しました。この時点では、何の話だかさっぱりでした。

「ああ、ごめん…昨日の… あ~あ~、ほら… テレビの…ニュースの…」

なぜかあまりに興奮しすぎていた彼女は、やっとの思いで、『テレビの』『ニュースの』という単語を出しましたけれども、それだけですぐにピンと来てしまった私は、自分までこう叫んでしまいました。

「わかった!アレね!見た見た!昨日のニュースの!!…すごかったよねーー!!」

そこから後は、「スケート」のスの字も、プルシェンコさんの「プ」の字も、ロシアの「ロ」の字も何も使わないまま、「昨日のアレ」「すごい」「天才」の単語だけで会話がひたすら、弾みながら進んでいきました。

途中で二人で、ふと我に返って、自分たちが話している内容が、「昨日のNHKニュースで映った、フィギュアスケートのロシアの天才少年」の話だと確認し合いました。

電話の相手は私の友人なのですが、フィギュアスケートだけが好きだった私に対して、彼女は小さい頃からスケートと名の付くものがなぜかことごとく好きな人でした。

でも、彼女は特にフィギュアスケートの放送はよく見ていたので、私は会話中、全く疑いもしませんでしたし、それだけで通じ合ってしまったほど、若き頃のプルシェンコ選手の衝撃はすごかったのです。

 

神様が私に、「フィギュアスケートの男子シングルを見続けなければならない」とハッキリと答えを下さった瞬間でした。

プルシェンコさんが、まだ13歳程度だったと思います。(私の記憶では、1995~96年の間です。)

1996年の秋~冬には、衝撃的天才のプルシェンコ選手の凄さを、何度も友人と話したりしていました。

その頃のプルシェンコさんの映像で、見つけられたものは、こちらです。

(以前も別ページでご紹介していると思いますが。)

1995-1996年シーズンのジュニア世界選手権でのロングプログラム(フリー)の演技です。

この演技では、まだジャンプは失敗して回転が抜けたりしていますが、ジャンプ以外の才能の片鱗が凄すぎて、笑えてくるレベル。

披露している、男子初のビールマンスピンで見せた柔軟性の高さや美しさは、今のプルシェンコさんしか知らない人たちには、想像を超えているかと思います。

 

こちらは、映像では日付が1995年の12月26日となっている、同じ頃のプルシェンコ選手の当時のショートプログラムのほうです。

 

この時、羽生選手は、まだ1歳になったばかりの頃ですね…(笑)

 

こちらの番組(ロシアの)では、プルシェンコさんがご自分で、小さいときはひどい肺炎にかかっていて、とても身体の弱い子供だったと告白しています。

いつもせき込んでいて、風邪をひいていて、鼻血をいつも出していたとのことで、ご本人曰く、酷い健康状態だったそうです。

でも、「スケートを始めてから、健康状態は良くなり、鼻血も出なくなり、咳は完全に止まった」そうですし、

「スポーツは身体を強くする」と彼は言い、のちには、

「風邪をひくということがどんな感じだったかさえ、忘れてしまった」とさえ語るプルシェンコさん。

「その代わり、スポーツ(スケート)に伴う怪我が増えていった」そうですけれども…。(動画前半、英語字幕より)

 

 

この時、プルシェンコ選手の大ファンになった彼女は、

のちに登場したプルシェンコ選手の『「爆弾エキシビション」の発展形』により大変なショックを受け、『爆撃されてしまった』一人となりました。

「それ」が放送されちゃったのも、私の記憶が正しければ、NHKだったかと。

 

私より「プルシェンコ選手大好き」だったはずの彼女は、

以来、別の選手のファンになりましたが(笑)、

私はといえば、同様に爆撃されて瀕死の重傷を負ったものの、なぜか3日経った日の朝に、ケロっと立ち直り、見事に復活。

今でも、なぜあのように、3日目にケロっと立ち直ったのか、自分でも謎なのです…(笑)

おかげ様で、その後もずっとプルシェンコ選手を見続けることが出来ましたが。

 

こちらは、「ニジンスキーに捧ぐ」の最高評価を出したのと同時の試合の時の、プルシェンコ選手の

2004年のロシア国内選手権時の「ショートの」演技「タンゴ&フラメンコ」です。

私はこれも好きでしたけどね…!

 

 

…プルシェンコ選手の長い現役生活の間に、色々な思い出が出来てきていたため、

2年前に引退を発表されたときには、さすがにしばらくいろんなことを思い出しすぎて、とても表現しきれない気持ちでいました。

 

羽生選手は、なおさらなことだったでしょう。

 

その後は、(あのすごい衝撃を上回るほどの選手は、もうさすがに出てこないかな…)

などと長いこと思っていましたけど、

何度も書いているけど、

形は違うけど、その衝撃をも見事に上回っちゃったのが、羽生選手でした。

 

今、プルシェンコさんは日本にいるようです。(笑)

https://www.instagram.com/p/Bt3kubHjD33/ (プルシェンコさんの公式インスタグラムより)

 

 

羽生選手も、無理なく、日本に来られますように…♪

羽生選手にとって、ベストな道だけを必ず神様が開いて下さいますように、主イエス=キリストの御名でお祈りしております…!アーメン!

 

 


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