昨年のバレンタインデー(2014年2月14日:日本時間)は、ソチ五輪の男子シングル試合の真っただ中で、羽生選手は、見事に金メダルを獲得しました。(ソチ現地日時は2月13日)
今年は、羽生選手が術後に加えて、右足首ねん挫で、「リハビリ中・怪我療養中」なはずなので、応援と励ましを込めて、「羽生選手の原点」ともいえる存在について、その演技の大特集ページを作って、贈ってみたいと思います!
羽生選手がフィギュアスケートにのめり込む動機となり、「憧れ」であり続けた天才、長きに渡って「絶対王者」と呼ばれ続けた男、 「エフゲニー・プルシェンコ選手」 です。
羽生選手は、プルシェンコ選手の影響をとても強く受けて育ってきたことが、様々な点でよくわかりますので、羽生選手を知りたいなら、まず、そのプルシェンコ選手とその演技について見てみよう!!
プルシェンコ選手は、男子シングル界の頂点に君臨し続けた、ロシア(旧ソビエト連邦)が誇る、桁違いの天才選手です。
彼の演技は、男子シングルの歴史を、技術面でも芸術面でも、沢山塗り替えました。同時に究極のエンターテイナーであり、徹底したプロであり、超のつく競技者であり、フィギュアスケートのことを真剣に思う、妥協なき王者・・・ そのような方だと私は認識しています。
羽生選手は、そんなプルシェンコ選手の「熱烈ファン」だった一人ですが、一方で私は、そのプルシェンコ選手よりもさらに、羽生選手の演技を好きな 「生粋の羽生ファン」ですので、
当然、羽生選手から見た「プルシェンコ選手」と、私の目から見た「プルシェンコ選手」というのは、同じ演技を見ていても、恐らく視点や感想が、色々と違っているだろうと思われます。
その点をご理解いただいた上で、そんな私の視点から見ても、「これは素晴らしい!!」と、強く記憶に残っているほどの演技・・・
あるいは、今見返しても、スゴイなと思える演技・・・
そんな「見る価値のある演技」は、プルシェンコ選手には沢山ありすぎて(笑)、全部は到底無理なのですが、そのうちのごく一部を、ご紹介してみたいと思います。
プルシェンコ選手。 1982年11月3日生まれ。
以下、その名演技の数々を、年齢を追って観ていきます。
1997年世界ジュニア選手権(1996年11月開催)をわずか14歳0か月で、最年少で優勝した記録を作った、気品漂う、フィギュアスケート王国が生んだ天才少年、エフゲニー・プルシェンコ選手。
下の動画の時は、まだ13歳。 最初の10秒程度で、なるほど!こりゃ天才だ!とわかるような演技です。
幼い頃から、ロシアのダンス界からも散々期待され、スケートを止めるように説得されたというほど、才能を見込まれていたプルシェンコ選手。
この頃の演技、身のこなし、その華麗さを見れば、それも大いに納得です。 結局彼はフィギュアスケートを選びました。
「ドン・キホーテ」 (羽生選手は、まだこの頃、わずか1歳 です。)
この演技の最後には、両足それぞれでのビールマン・スピンを披露しています。
次は、シニアデビューした頃の衝撃の演技です。
プルシェンコ選手は、14歳で4回転トーループを既に跳んだ世界最年少記録をもちます。(羽生選手は15歳で4回転トーループに成功。)
下の動画のプルシェンコ選手は、15歳の時です。 (羽生選手は、まだ3歳頃です。)
でも既に、4回転トーループ+3回転トーループ、さらに、3回転アクセル+3回転トーループ の高難度コンビネーション・ジャンプを次々に跳んでいきます。
さらに、男子でありながら、ドーナツ・スピンも、ビールマン・スピンも入れられるという、驚異的天才の出現。
(羽生選手はもちろん、この影響を受けて自分も演技に取り入れていきます。)
日本での映像も残っていますが、珍しくジャンプに失敗があったりした回なので、失敗のない回ということでこちらの動画を選びました。
こちらは、1999年のNHK杯での演技。「黒い瞳・(ジプシーダンス)」 プルシェンコ選手、この時17歳頃。 (羽生選手は5歳で、スケートを始める頃です。)
羽生選手が2012年に「ロミオとジュリエット」で世界選手権で3位になった時と、同じ年齢の頃の演技。
4回転トーループ+3回転トーループ+2回転ループ のコンビネーション・ジャンプを跳びました。
会場が日本ですので、日本語での得点発表が聞こえます。(「6.0」が満点です。)
2001年の頃の、こちらは、エキシビション。「Pasadena」。 (プルシェンコ選手、18歳。)
氷の上で、トロピカルな衣装。(笑) とにかく、「楽しい」「愉快」で、サービス精神満点なプログラムです。
コミカルで明るい魅力のプルシェンコ選手が見られます。
観客に向けて、恋に落ちた素振りまで演じてみせたり、おちゃめに帽子で遊んでみたり、エンターテイナーです。
次が、当時の羽生選手がとても夢中になっていたという、思い出深いはずの、「ヤグディン選手対プルシェンコ選手」で有名な、ソルトレイクシティ五輪(2002年)の演技。
「カルメン」。プルシェンコ選手、19歳。 (羽生選手はまだ7歳ごろ。)
オリンピック直前にフリーの演目を変更するという大胆な決断に打って出ましたが、ショートで転倒してしまったプルシェンコ選手、フリーの「カルメン」も、高度な技で追い上げますが、決して彼のベストとは言えず、ちょうど絶頂期を迎えていた23歳のヤグディンに敗れて銀メダルになってしまいます。
当時、ヤグディン選手対プルシェンコ選手で、どちらの演技がより好きか、どちらが勝つと思うか、で散々話題になりました。
そのあと、エキシビション版で、再び「カルメン」を演じてくれて、私の印象にはこちらが強く残りました。この人は本当に最高のものを見せることに徹底的にこだわっているのだな、と強く感じられた演技でした。
この次のシーズンから、プルシェンコ絶対王者時代が続くようになります。(ヤグディン選手は怪我で引退に。)
ソルトレイクシティ五輪・「エキシビション」のほうの、「カルメン」です ↓
羽生選手をワクワクさせた、試合での、フリー演技・「カルメン」はこちら ↓
ここで、プルシェンコ選手は、「4回転トーループ+3回転トーループ +3回転ループ」 という超高難度な3連続ジャンプを跳んでみせますが、惜しくも最後がステップアウトしてしまいます。
2度目の単独4回転トーループを跳び、さらに、1分20秒過ぎから、今の羽生選手が超高得点を叩きだしている、「3回転アクセルからの(ハーフループを挟んだ)3連続ジャンプ」を跳ぶプルシェンコ選手の姿が見られます。
今シーズンの羽生選手は、「3回転アクセル+1回転ループ(=かつてのハーフループ)+3回転サルコウ」という超高難度を跳んでいますが、
プルシェンコ選手はこの時、「3回転アクセル+(今の1回転ループに当たる、)当時のハーフループ+3回転フリップ」という、これまたさらに超高難度ジャンプを見事に跳んでいます。
注) いわゆるコンビネーション・ジャンプの、後続ジャンプには、普通は「トーループ」か「ループ」ジャンプしかつけられません。
これは、全てのジャンプの着氷が、「右足のアウトサイドエッジで着氷」する(左回り・反時計回りの多くの選手の場合)からで、続けて別のジャンプを踏み切るには、この「右足アウトサイドエッジ」で踏切スタートする、「トーループ」と「ループ」しかつけられないからです。
しかし、このハーフループ(今は1回転ループとして扱われる)を挟むと、その後に、「左足インサイドエッジ」で踏切スタートする、「サルコウ」や「フリップ」ジャンプを続けられます。
このハーフループを挟むジャンプは、かつては「シークエンス」と呼ばれる(ターン等を挟んだ)ジャンプの扱いでしたが、今はハーフループが「1回転ループ」とみなされて、「コンビネーション・ジャンプ」の3連続ジャンプとして認められるようになっています。
さて、多才で多彩、そんなプルシェンコ選手を語るのに、避けて通れない演技がこれです。
有名な爆弾エキシビション。(あえてタイトルは伏せます。)
宇宙人と呼ばれたプルシェンコ選手が、ついにその正体をあらわにして(笑)、フィギュアスケート界に爆弾(Bomb)を投下していきました。
常識だけでなく、それまでの王子的イメージやプライドの高いイメージをも、自ら完全に破壊してのけた、このすごい爆弾エキシビションで、うまく「爆笑」できるのか、それとも「重傷を負ってしまう」のかは、多分、観る側の人の感性や年齢、性別等によります。 でも、これはまだ、大丈夫な人が多いと思います。
当時の私は、途中からちょっと硬直しましたが、ラストで爆笑しました。良くも悪くも、もう尊敬するしかないというか。(笑)
当時の羽生選手がどう思っていたのかは知りません。(笑)
小さいお子様と一緒に見るのはあまりお勧めできません。先に一人で見てからご判断下さい。 上半身は、もちろんただの「衣装」です。(笑)
途中で「耐え難いわ~」と思われた、乙女や淑女な貴女様におかれましては、飛ばして最後の1分程度と、ラストポーズを見ることをおススメします。
この方は、徹底的にエンターテイナーなのだな、とわかると思います。
上のものは私には許容範囲でしたが、この後、調子に乗りすぎた宇宙人皇帝はさらに、ここから驚くべき発展系変態バージョンまで登場させてしまい、その想像を超えた破壊的爆撃力により女性を中心に重傷者が続出。 私も、当時3日間の激しい精神的ダメージを負った記憶が。(苦笑) でも、当時プルシェンコ選手を本当に大好きだった私の友人の一人はなんと、丸まる1年間以上、フィギュアスケートを全く見られなくなってしまうほどの激しいショックを受けてしまい、それ以来、「プルシェンコ選手は苦手!(苦笑)」とずーっと言っています。
「天才って・・・」と、真剣に考えさせられた思い出が。(笑) 演じたプルシェンコ選手以前にまず、そのプログラムを作った人がいるのですが。(苦笑)
私の脳の中では、「あれは多分、幻だった!」と思うことにしてあります。 「もしやこれかな?」と思う動画映像をもしどこかで見つけたとしても、それだけは見ないことを私はおススメしたいですね。 触るな危険!(笑)(いや、本当に!)
さて、プルシェンコ選手の宇宙的破壊力までもがよくわかったところで(笑)、今度はそれとは正反対な印象の演技を。
芸術性が高いと言われているプログラム、「ニジンスキーに捧ぐ」から、二つ紹介します。
一つ目は、芸術性重視でのノーミスの演技。 プレゼンテーション・スコア(いわゆる表現力、芸術性を含む)で、「オール6点満点」を出した演技。
最後に、見事な超高速スピンが見られます。
2004年 全ロシア選手権、プルシェンコ、21歳。 (羽生選手は、9歳頃)
そして、こちらが2004年の世界選手権の時のもの。こちらは、世界選手権ですので、技の極みをも目指した極限の演技。
既にプルシェンコ選手の代名詞にもなっていた、「4回転トーループ+3回転トーループ+2回転ループ」 のコンビネーション・ジャンプはもちろん、2度目の4回転トーループ、そして、上の動画の「ニジンスキーに捧ぐ」の時には入れていなかった、超高難度ジャンプである、「3回転アクセル+ハーフループ+3回転フリップ」(当時はシークエンス扱い、今はコンビネーション扱いで羽生選手の高得点源になっている種類のジャンプ)を跳ぶプルシェンコ選手がまた見られます。
(連続で「トーループ」と「ループ」のコンビネーションを跳んでくれるプルシェンコ選手を見ていると、トーループとループの見分けがしやすく、違いがわかるようになると思います。)
また、男性だから身体はだんだん硬くなるだろうに、「ビールマンスピン」や、「ドーナツスピン(この動画の中ではベーグルスピンと呼ばれている)」を、この頃までこなし続けるプルシェンコ選手。(羽生選手も同じですが。)
しかし、かなりのスタミナと体力を誇るプルシェンコ選手でも、この演技の最中に、足がもつれるようにして珍しく思い切り転倒する姿が見られ、やはりこれだけのプログラムを全力でやるのは、たとえプルシェンコ選手でも、相当の疲労をもたらすのだと、わかるかと思います。
ちなみに、動画の英語解説者は、このハーフループを挟んだ後のジャンプが3回転トーループだと言っていますが、これは動画主様が動画タイトルに書いていらっしゃる通りに、「3回転フリップ」であり、単に解説者が勘違いしただけと思われます。
( 最後にトーループを跳ぶなら、ハーフループを入れる意味がなくなるし、プルシェンコ選手は動画で、左足のインエッジ踏切で右足のトウをついて跳んでいるので、フリップです。 トーループは、右足のアウトエッジ踏切で、左足のトウをつきます。)
次は、上の演技よりほんの少しだけ遡って、2003年のグランプリ・ファイナルのフリー演技。 「サンクト・ペテルブルグ300」 (プルシェンコ選手、21歳。)
冒頭で、「4回転トーループ+3回転トーループ+3回転ループ」という、誰も跳んだことのなかった、「4+3+3」のコンビネーション・ジャンプを跳んでいる演技です。
プレゼンテーション(いわゆる表現力)の点でも、満点の6.0を、10人のジャッジのうち6人が出しています。
この頃のプルシェンコ選手の髪型を、小学生の頃の羽生選手がずっと真似している写真や動画を見た羽生ファンは多いでしょう。
最後に、私の記憶の中に、最も残っているプルシェンコ選手のベスト演技は、これです!!
絶対王者時代が続き、頂点極めた頃のプルシェンコ選手。 2006年トリノ五輪 金メダル獲得時の、「エキシビション」です。
「トスカ」&アンコールの「カルーソ」。 (この時の女子シングルの金メダリストが荒川静香さん。)
プルシェンコ選手、この時23歳。 (羽生選手は、11歳。近くのリンクを失い、遠くまで通って苦労していたという頃です。)
氷上で生演奏のバイオリニストとの共演は、金メダリストのエキシビションならでは。 王者の貫禄、ここに極まれり。
ステップがとにかく凄い。芸術性も高く、凄すぎて言葉が出ませんでした。
トリノ五輪では、プルシェンコ選手はどう見ても、やる前から「完全圧勝状態」で、「競技」としては面白くない大会でしたが、このエキシビションはその絶対王者の名にふさわしい貫録で、私の中でも、プルシェンコ選手史上、最も印象に残る演技となりました。
いかがでしたでしょうか。
これらは、数えきれないほどあるプルシェンコ選手の名プログラムの中でも、本当にほんの一部です。
上に紹介したのは、2006年トリノ五輪までの時代の演技の、ほんの一部でしかありません。
他にも素敵なプログラム、私が好きだったプルシェンコ選手のプログラムは、いくつもあります。
このページ、作っているうちに、なんだか楽しくなってしまいました。
私から見たプルシェンコ選手の魅力は、なんといっても、何が飛び出してくるかわからない予測不能な面白さ、多彩な表現力、あらゆる音楽に対応できる幅広さ、いつも転倒することのない高難度ジャンプ、高いエンターテインメント性、魂を込めた芸術性、です。
さらなるプルシェンコ選手の詳細や魅力は、生粋のプルシェンコファンの方々に、どうぞお聞き下さい。(笑)
* 一応気を付けてはいますが、万が一、上記内容の事実関係や表記に、ミス等がございましたら、どうぞ遠慮なくご指摘下さい。 年月日については、動画をUpしている動画主様の書かれている、大会日時の表記を信用して、それに準じて、年齢を計算して書いたつもりです。 プルシェンコ選手の情報や記録については、間違ったものもネット上に多少流布しているようなので、一応慎重にしたつもりではありますが…。
いつでもすぐに対応できるとは限りませんが、万が一ミスがありましたら、時間のある時に、謹んで訂正させて頂きます。