一酒三菜~はちきんの厨房

土佐のはちきん主婦のたまぁにのお菜を紹介します。
尚、コメントは承認制にさせて頂いてます。

二度目の休職・・・・・

2011年12月11日 | つぶやき
先月半ば、休職の記事をアップしてました。
二週間ほどお休みを頂き、体調も随分と落ち着いたと思われたので、11月の末から復帰をしました。

当然ですが、あの方は復帰した私に厳しいと言うか冷たい言葉や態度。
叔母や叔父は心底心配してくれて、どんなにか励みに。。。。。。

しかし、復帰して数日後。今まで経験した事のない状態になってしまいました。

今までも胸の動悸はあって、あの方が事務所にいる間中、緊張と不安の為かドキドキと鼓動が大きかったのです。
例えて言うならずっと小走りで走っているような状態。
いなくなったら、おさまり、戻ってきたらまた始まる。
そんな事の繰り返しでした。

ところがある朝、確か金曜日だったか。。。あの方が出勤された途端。
心臓がビクンとなり、激しい動悸と呼吸困難、そして手の震え。
パクパク息を吸うものの、ちっとも入って来ない。
寒くも無いのに、手と身体が震え、給湯室でとうとう座りこんでしまい立ちあがれなくなってしまいました。
20分ほどでその酷い状態は治まったものの、いつもより強い動悸は続き、正直とてもしんどかったのです。

そして最悪な事に翌週の火曜からオットは二泊三日の出張へ。
私も不安を抱えつつ出勤を。
具合が悪くなったらいつでも早退、欠勤して構わないからと言い残されて・・・
私も不安でしたが、復帰早々だしあの日はたまたま体調が悪かったのだろうと思うようにし、頑張って会社へ。

ところが。
火曜の午後、とんでもない酷い仕打ちをされ怒りと悲しみを抑えて仕事をしていた時、またあの激しい動悸と震えに
襲われて、呼吸もままならないような状況に。
何とか歩いてトイレに行くふりをして裏口から逃げ出し、20分程外で座っていたら少しだけ治まって。
変に思った叔母が必死で探して見に来てくれたし、帰るように行ってくれたけれど、運転なんかも出来ない
ような状態。(叔母は車の運転は出来ないし、叔父もその時不在だった)
何とか事務所に戻って、心臓のところに手を置いて具合の悪そうな私に一言だけあの方は

『お腹痛いがーーー?』

いえ、ちょっと・・・すみません、と言うと、それ以上は何も聞かずに無視したまま所用(ご自分の私用)でさっさと
出かけられました。
一度出たらしばらくは帰って来ないので、叔母が帰るように勧めてくれたけれど、何とかその日は我慢して・・・

そして翌日。
あの方は午前中はご自分の趣味のお稽古に出かけられていて不在だっので、叔母と二人とても仕事は順調に・・・
お昼を食べて、戻ると駐車場にあの方の車が。
それを見た途端軽い動悸が始まって。
そして出社15分、たった15分で嫌味の連発。(なんでそんな事しか言えないんだろう・・・)
出社して数分の間に何度『すみません』を言った事か・・・


ビクン。また始まった。
呼吸も出来ない、酸素が入って来ない、手が震えて言葉もようようしか喋れない。
叔母が心配して背中をさすってくれるものの、当然目の前にあの方がいるから酷くなる一方。

電話が鳴って、取ってくれたものの、私宛の電話。
『○○からかかっちゅうでーーー』

・・・・・・・・この状態の私を見て出ろっちゅうんかい・・・

息も絶え絶えに、『■■を聞いて下さい』と言ったらさすがに言伝は聞いてくれた。

で、その返事をお客さんに返事しないといけないのをしてくれず、私を介抱してくれている叔母に電話しろと
ご命令。。。。
もちろん叔母はしてくれましたけれど、流れで行ったら貴女がしてくれたらいいじゃない。
アンタの仕事なんかしてあげたくない・・ばりの態度。


仕事の引継を叔母にして、早退させていただく事に。
しかし車は運転出来ない状態なので、30分程車で横になって落ち着くのを待つ。

会社を離れ、あの方のお顔を見ないところに行くと見る見るうちに回復。
あぁ、もうダメだなとこの時悟る。


その翌日からまたもや休職に入ったのです。
もうあの方と同じ空気を吸う場所にはいられない。
身体が完全に拒否し出してしまった・・・・


とりあえず今年はもう絶対出社しないけれど、さてどうなる事やら。
私がいない方が、社長もオットも叔母も困っているとおっしゃってくれていますが、身体がね。


てな訳で、のんびり年末を迎えさせていただく事となりました。
あの方にさえ会わなければ、今のとこ至って絶好調なので皆さまご心配なく☆