馬ひでの助

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【旧東海道歩き1】三条大橋~スタート

2018-10-06 18:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年9月22日(土)
JR東海のさわやかウォーキング、
地下鉄今出川駅でゴール。

この後、地下鉄で三条京阪駅に移動しました。
14時38分

ちなみに三条京阪駅は京都市営地下鉄の駅。
京阪電車の駅は三条駅。
ややこしいですね。
逆の名前にすべきだと思いませんか?
我が家が若かった頃は、京阪電車は地上を走ってたので鴨川の景色を見られたが、今は地下なので景色はダメ。

ピンボケの三条駅…。

まずは、三条通り南側に
『高山彦九郎像』

群馬県太田市出身の勤王家、
幕末なんども街道を通って京都へ来た。
東海道の出入口に位置する三条大橋に来ると必ずこの姿勢で京都御所に向かって拝礼したそうです。

これが尊皇の模範になった?
説明書


三条通り北側へ移動

『駅伝発祥の地』

大正6年、三条大橋から東京上野不忍池まで23区間の駅伝が開催された。
その百周年記念の時に記念碑が建てられた。

またやってみるといいのに。

大橋を見る

解説板、

三条大橋がいつ建てられたか、不明。
小さな橋を大きな橋にしたのは豊臣秀吉。
その後何度も改造され現在の姿は昭和25年のもの。


橋を渡って三条大橋の北側袂に

『旧三条大橋の石柱』
裏側に天正17年と書いてある。

つまり、秀吉時代のもの。

この近くに
江戸時代、高札が建てられた。



橋の南側に移動


『弥次喜多像』

像の前の石段が観光客の溜り場になっていて、スマホ触ったりしてたくさんの人が休憩してました。
それをかき分けなんとか無理やり撮影しました。


擬宝珠は、秀吉時代と昭和時代のものが混在されてる

擬宝珠に刀傷があるらしいけど、
わからなかった…。

橋を渡って

再び三条駅に戻りました

今度はピンボケじゃないぞ

14時47分、
再び高山様の像。


いざ、
お江戸日本橋に向かってスタート!
記念すべき第一歩です。
さて、死ぬまでに江戸まで行けるかな?

「京阪三条大橋郵便局」

京阪三条は京阪電車の駅名だったが、いつのまにか駅名から地名になってしまったのです。


…………………………………………………………………

ここで寄り道。
我が街道歩きは、寄り道が頻繁にあります。
普通の人はひたすら街道を歩くだけですが、
我が輩はどうしても道草する性格なので、たびたび寄り道が登場します。

なので、なかなか先に進まない…。

郵便局の裏のほうへ向かい
駐輪場へ。

ここの一画に
『池田屋事変殉難志士墓所跡』

長州藩などの志士が新撰組に襲われたあの事件の犠牲者です。
ここに三縁寺があり葬られた。
昭和54年に寺が岩倉花園に移転され、遺骨なども移されたので、ここは石碑のみです。

合掌。

……………………10分寄り道……………………
寄り道から戻り、

15時00分
再び郵便局前。
まだ、何ほども進んでません。


その2に続く


コメント
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