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馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

本日の彦根城

2022-03-30 23:55:18 | 近江の史跡
本日は今月三回目の彦根城博物館へ。
1ヶ月に三回も訪れたのは初めて。

桜はまだまだ。
暑かったので開花宣言は明日にも出されるのでは?



桜祭り期間中は規制があります。
平日にもかかわらず二の丸駐車場は満車でした。
花見客のために玄宮園横の駐車場へは通行止め。


ひこにゃんも頑張ってました。
手に持ってるのは名物の「ひこどら」(どら焼き)
これから暑くなるとひこにゃんも大変ですわ
でも、いつ見ても癒されます😄



表門を入ると右手に「登り石垣」と「竪堀」を間近で見られるのですが、
見学者の何人がこの素晴らしい遺構に気づいてくれてるだろうか?…

うーん…

Φ(*^ひ^*)Φ
暑いと言えば、甲子園では
地元の近江高校が決勝戦まで進みました。
熱いです!

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

地元の多賀大社へ初詣

2022-01-14 22:18:18 | 近江の史跡
遅まきながら、ようやく地元の多賀大社へ初詣。
例年は元旦に参拝するが、昨年と同じくコロナ対策で分散参拝に。
糸切餅を買いたいが超高齢の母が喉を詰まらせたら困るのであきらめる。

花手水

まだ雪がたくさん残ってます。
というか、平日のこの時期は閑散としてます。

太閤秀吉さんゆかりの太鼓橋は雪で渡れません。
枝垂れ桜も無惨な状態でした。
春の開花はどうなるだろうか?

おみくじは「末吉」
昨年と同じ。
今年も良くないかな?

飛び出し坊やは明智光秀。



ひこにゃん城、佐和口の堀沿い

積雪で木が倒れてる

今年も宜しくです

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


湖東三山「百済寺」城

2021-07-03 17:35:38 | 近江の史跡

近江湖東地区には天台宗系の大寺院として西明寺、金剛輪寺、百済寺が建立された。

いずれも織田信長の標的となった寺院です。

この3つの寺をまとめて湖東三山と呼ばれてる。

国宝建造物や仏像、庭園などがあり

紅葉の名所として秋にはたくさんの参拝者で賑わいます。

つまり、今はオフシーズンなのですが、先日のテレビ・新聞で百済寺の菩提樹の花が見頃を迎えてるというニュースがあったので、

母がデイサービスに通ってる隙間を利用して早速駆けつけました。

実は湖東三山のなかで百済寺だけがまだ未踏、しかも百済寺は城郭寺院として有名なので城郭遺構を見たかったのです。


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マスコミの威力は凄いもので、平日にもかかわらず京都大阪ナンバーの車が次々にやって来てました。

思わずマスクをしっかりと付けましたよ。


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拝観料を支払って境内に入ると


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見事な千年菩提樹


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生まれて初めて菩提樹の花を見ました。

でも、見頃を過ぎてた…

もう少し早く来るべきだった

赤門
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門の手前、右側に
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立派な堀!

登城道の脇なので横堀か?

普通ならこの奥を探検するのだが、この日は軽装で登山靴・杖も無いので断念した。

実はこの近くに井伊直滋の墓もあるのだが、

見逃しました。

う~ん残念無念。

ちなみに直滋が将軍家光の寵愛を受けてたので井伊家を継いだら百万石の大名になれた、という逸話がある。

安土城か?と思わせるような石段石垣道
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赤門からここまでは無料で見学できます。

ルートが前後しますが、

菩提樹を見た後、本堂へ向かう


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比叡山、三上山、琵琶湖など眺望良し!

山城としての石垣遺構
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立入禁止なので高石垣の近くへは行けません
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現在、境内に300の坊跡が残されてる
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つまり、300の段々曲輪があるわけ!

どうみても城郭寺院ですよね

弥高寺城も真っ青?の曲輪群
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仁王門
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大きなわらじ
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現在、2体の仁王様は修理中のためもぬけの殻状態


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本堂の高石垣


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凄いです

本堂の上の旧本堂跡へ登った
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土塁、横堀、竪堀などが残されてます


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立入禁止区域もあり制限あるが、

遺構は随所に見られます。

いつか冬にでも登山姿で出直したいな、と思いました。

というか、城郭目線で歩き回ってたのは我が輩だけ…

以上です

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

彦根城の七夕飾り

博物館前





我が輩もお願い事書きました


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


【田中(上寺)城】上ノ城と田中氏館跡

2021-05-25 16:04:00 | 近江の史跡

2021年5月9日(日)
午前中、中江藤樹の里近辺を探索。
午後になると雨がやんだため、城跡へ行くことにした。
上寺地区へは安曇川駅から徒歩約40~50分です。
駐車場はありません。
我が輩は街道歩きも兼ねて歩いたけど、駅から上寺地区へのコミュニティバスあります。
レンタサイクル利用もいいと思います。

14時23分、上寺集落。

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案内板あるので迷うことはない。


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民家の小屋の入り口に城のパンフレットあり、頂きました。

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14時25分、城跡石碑。


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獣柵を開けて入りました。

田中城は高島七頭(佐々木氏系統)の田中氏の居城だったと考えられてる。
1570年、信長の朝倉攻めの時には秀吉・家康も立ち寄ったとか?
後に明智光秀がこの城を支配してるので、歴史上著名な4武将と関わりのある城だったわけです。


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中に入ると「順路」「帰路」の案内板が随所に建ってるので、その通りに進めば問題無し。


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「見張所跡」


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「曲輪」
などの看板もあり至れり尽くせり!
素人でもわかる。

曲輪がたくさんあるので看板が無いと迷いますよ。

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東端に

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「武者隠し」


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「土橋」


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この城は「松蓋寺」という寺跡に築かれた。
なので、上平寺城など近江でよく見られる城郭寺院の形式。


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入口からここまでの段々曲輪は坊跡だったと思う。

で、これより上が中枢部となる。
大きな郭の東側を進むと
「大堀切虎口」


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郭に入ると石段


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「観音堂」があらわれる。


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登城道は観音堂への参道だったのです。


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主郭へはこれより険しい尾根の上を進む。


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尾根の北側に土塁あり、


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そして、土塁・空堀の上が
「主郭」。


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パンフには「天主跡」と記載されてる。
天守築かれたのかな?

櫓台↓
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北側の櫓台のような土塁の上には「つぶて石」が残されてます。


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琵琶湖の景色がよく見えます


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天気がよければ対岸の長浜城や彦根城も見られるかも?

15時34分、
主郭背後の「堀切・土橋」


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城跡はここまで。

この後、水の手の井戸跡を見て急いで下山したが、
駅行きのバスに1分差で間に合わず、帰りも歩くことになりました。



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整備されてるので素人でも登れる山城です。

険しい尾根道もあるので、それなりの装備と覚悟も必要ですが…


帰り道、
「下の城跡(田中氏館)」
の南堀と北堀跡を探索。


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高島市教育委員会の資料。

発掘調査されて堀跡を確認されたそうです。


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南堀付近


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『畦道をうろうろする奴、誰や?』
と、農作業をしてるおじさんに思われたたろうな…


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北堀付近。

現状の遺構は田んぼのみ。


以上、

田中城の上の城と下の城跡、両方探索しました。


おしまい。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪


渋沢栄一と藤樹の里あどがわ

2021-05-17 22:43:00 | 近江の史跡

先週、琵琶湖の対岸の高島市安曇川地区に出かけた。
江戸時代の儒学者で陽明学の開祖「中江藤樹」の里です。
近江聖人と呼ばれ、滋賀県では有名人。
社会の教科書にも取りあげられてるが全国的な知名度は低いだろうな…

子供の頃、両親に連れて来てもらって以来なので50数年ぶりの再訪です。


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藤樹神社


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藤樹書院

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藤樹の墓

など中江藤樹ゆかりの史跡が国道沿いに点在してる。
記念館があったのでのぞいてみると


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「渋沢栄一」の企画展示がある。
え?どういうこと?なんで?
関係あるの?

館内に入り見学すると渋沢栄一氏がこの藤樹神社に参拝されてとわかった。
というか、栄一氏がいなければ藤樹神社は無かったかも?
なのです。

今年の大河ドラマに関しては我が滋賀県は関係ないと思ってただけに驚き!

どんな繋がりがあるかというと、
中江藤樹は近江聖人と呼ばれただけに村民としては神様の存在なので神社を建てることにした。
しかし、資金が集まらない。
そこで、とあるツテを頼って村長が東京に乗り込み、渋沢栄一氏に会い援助を懇願した。
すぐに快諾されて、なんと千円を寄付。
当時(大正11年)の千円は今なら二百万円位かな?

千円だけではまだまだ足りないので渋沢栄一は当時財閥と言われた岩崎、三井、住友などにも寄付を呼びかけてくれて、無事に建立の資金が集まりました。
つまり、藤樹神社建立の立役者といってもいい。

いやぁ、驚きの事実を知ってなんか嬉しかったです。
大河ドラマゆかりの地としてドラマでも取り上げてくれると、もっといいのですが…


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藤樹さんにちなんで藤が、町のシンボルになってます
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この後、北国海道西近江路を歩き、田中城跡に登城しました。


続く…


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

お叱りと顰蹙覚悟で申し上げます。

ワクチン接種、高齢者優先になってるが、ホントにこれでいいのか?

我が輩も高齢者の端くれですが、ハッキリ言って遅かれ早かれ、そのうちあの世行きの立場。

高齢者が進んでコロナ感染しに出かけることは少ない。

それよりも働き盛りの熟年層を優先的に接種したほうがいいのでは?

仕事に家事に現役で頑張ってる人がたくさんいる。国の活力源と言ってもいい。

活動上、人に接する機会が多く移動もやむを得ない。

国の経済を牽引するために必要な人達なのです。

医療関係者はもとより現役熟年層こそ先に接種すべし!

でないと、国が人類が滅びるぞ!

オリンピックに関してもやめろ!と叫んでる人がいるが、

そのために莫大な賠償金や違約金を払わされ、経済がどん底になり、

経済破綻したら、困窮者,自殺者が増えてコロナ以上に悲劇に襲われるかも?

現役世代と高齢者世代を天秤にかけたら社会のためにどっちが大事か?

ですわ。


そんなわけで我が輩のもとに接種券届いたが、接種は延期します。

ワクチンが余るまで我慢するつもり、です。

それまでに感染したら、おしまいだけど、やむを得ないわ…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


黒田地区へ(長浜市)

2021-05-13 15:59:00 | 近江の史跡
2021年4月21日
伊香具神社の八重桜を堪能した後、東へ向かいました。
「一の宮神社」
解説板によると伊香具神社の一の宮という位置付けだったようです。


さらに東へ

「一の宮の白樫」

湖北では塚や巨木を野神として祀る風習がある。

樹齢400年?


余呉川に沿って北上する



民家の庭に藤棚。
羨ましいっす!



黒田地区へ


獣柵を開けて山の中へ

「黒田のアカガシ」
こちらも野神として祀られてる。
「新・日本名木百選」に選定されていて、樹齢3~400年。

下手な画像で伝わらないが、立派な巨木です。




巨木の背後は、
土塁の両側に竪堀

て、全く関係ないけどついつい城目線で見てしまう。
お城病です…


そして、
「黒田観音寺」

国重文の観音像は、
突然訪れても見られない…





ちょっとした駐車場あり。


ここは西黒田地区。
さらに北へ行くと黒田神社があります。

黒田地区は、黒田官兵衛のルーツ、黒田氏発祥の地とも言われる。
真偽不明ですが…

時間が無いのでこの日はUターンして帰りました。





Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家のツツジ











馬《●▲●》助ヒヒーン♪




伊香具神社の八重桜(長浜市)

2021-04-24 23:37:00 | 近江の史跡
八重桜が見頃、という新聞記事を見たので、衝動的に出掛けました😅

車は賤ヶ岳リフト第2駐車場に置いた(無料)
神社のすぐ近くです。

神社の参道沿いに八重桜が咲いてます
まさに八重桜の通り抜けとなる


鳥居前横にも数台駐車スペースあります

例年はゴールデンウィーク頃なので今年は一週間早いとか?


色とりどりです


桜の参道を抜けると本殿前の鳥居。
小学生が遠足かな?
集団で来てました。


「伊香式鳥居」

安芸宮島の厳島神社の海に浮かぶ鳥居を連想させますね。

昔、この付近は伊香湖という入江で鳥居も水の中に建てられたようで、不安定なためこのような12本?の柱で支える形になりました。
この鳥居を見るだけでも価値あり。


独鈷水


弘法大師ゆかり…です。




1300年の歴史を刻む由緒ある大社


この後、東のほうの黒田地区へ向かいました

続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が家のクンシラン


例年ゴールデンウィークに咲きます。
こちらも今年は少し早い

昨年株分けしてどうなるか心配したが、とりあえず2鉢咲きました。

安堵した😅

馬《●▲●》助ヒヒーン♪












東近江市「太郎坊宮」「小脇館跡」

2020-11-03 09:28:01 | 近江の史跡
2020年9月27日
午前中のハイキングは近江鉄道八日市駅がゴール。
午後は、「太郎坊宮前駅」に移動。


前回の八風街道歩きがここで打止めだったので、今回はここから永源寺へ向かってスタート。
ですが、その前に参拝します。


高い山の中腹に参拝所がある。


岩がむき出し。
「太郎坊山(赤神山)」は標高350m

この階段がしんどい!

途中に駐車場があるので、車なら楽チン。
この日は名古屋からの団体バスが2台来てました。
3密を避けてさらに登る



夫婦岩をくぐって
拝殿に到着。



八日市飛行場跡方向を見る

眺望は抜群です

でも、手術後初の山登り。
足腰は大丈夫だったが、心臓バクバク。
箕作山へのハイキングコースもあるが、とても無理。
あきらめて下山しました



でもこのまま帰るのは口惜しい

小脇館跡を探索することにした

こじんまりとした集落が 往時のまま?残ってる、
と、思いたい…

集落を流れる溝は堀跡?


「大将軍」神社

ここに解説板があります

【小脇館跡】
宇多源氏が佐々木荘に移ってきたのが佐々木源氏の始まり。
その最初の館跡が小脇館ではないかと、推定されてます。
その後、地元の豪族沙沙貴山君系列の氏族と親戚関係になり佐々木氏として近江で実力を蓄え、後に京極氏・六角氏が近江守護となります。
この他、尼子氏、朽木氏など数多くの氏族を輩出します。
名門佐々木氏の本拠地はここだったのです。
真偽不明ですが…



地図の「小脇町」と表示されてる所から西へ少し進んだ位置に集落があります



↑館跡の遺構の雰囲気がありますね

山の中腹付近に「小脇山城跡」の遺構が残ってる。
石垣も散見されるとか?
佐々木氏の家臣の三井氏が築いた。
三井氏は現在の三井家の祖先だとか?
これも真偽不明なので鵜呑みしないでね。
登りたかったが、もう脚が限界にきてたので退却しました。

またいつか体力が付いたら登ってみます。
というか、地元の山城はいつも後回し。

我が輩の格言
「いつでも行けるは、いつまでも行けない😅」


探索最後のご褒美は

八日市駅前の「銘茶ますきち」の「政所茶ソフトクリーム」

政所茶は永源寺地区で栽培されてる。
石田三成、秀吉の三献の茶は政所茶だったとか?
井伊のお殿様も愛飲したとも。

歴史の重みを感じるソフトクリームでした


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


八日市飛行場(東近江市沖野)

2020-10-13 13:40:00 | 近江の史跡




ハイキングの続きは、
八日市飛行場跡の痕跡を訪ねた。
日本初の民間施設だったが、後に陸軍の飛行場となった。
東近江市の沖野ヶ原地区にあった。
現在の国道421号線の南側の広大な敷地。


地図の「石碑」は
滋賀日産販売の敷地の隣にある。

「陸軍飛行第三連隊跡」と記載されてる

地図の「門跡」は
ローソンの駐車場の隅にある。

「飛行第三連隊正門跡地」と記載されてる。
この門柱は、国道の拡張工事のために移転させて保存された。

その門柱は、この沖原神社の境内に残されてる

大正14年に隊員の守護神として神社が建立された。
さんずいの沖じゃなくて、にすいの「冲」になってる


飛行場の額がある。

そして、こちらが門柱。

煉瓦製ですな。

合掌!

正門跡から北の位置に
近江鉄道「御園駅」がありました。

画像の交差点の右側です。


この付近に駅があった。
最初は「飛行場駅」だったが、後に御園駅と改称された。
地理的になぜ沖野駅にしなかったのか?
疑問ですわ。

交差点の左側は直線になっていて廃線跡が遊歩道として残されてる

線路は八日市線という名称で、終点は永源寺の山上だったが、結局廃線の結果、御園駅までしか建設されなかった。

先日、八風街道歩きで永源寺まで歩きましたよ。

紅葉はまだ早かった。
シーズンになると大渋滞になります。





なお八風街道歩き、次回はいよいよ鈴鹿山脈八風峠を越えて三重県側へ向かう予定。
約30キロ歩き。
今の体力ではとても無理。

さて、どうしょうかなぁ…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪


【八日市掩体壕】

2020-10-02 14:50:00 | 近江の史跡
2020年9月27日(日)
近江鉄道主催のハイキングがあったので参加した。
新型コロナ以後、このようなイベントとは無縁だったので久しぶりです

滋賀県の政策により、
近江鉄道ワンコイン1日乗り放題切符の企画を利用。

金土日祝日のみ11月3日まで500円で全線乗り放題はお得。
利用しない手は無いですよ。

大学前駅がスタート地点

案内とか解説というのは一切無し。
マップを見ながら自由に歩きます。
コロナ対策のため仕方ないですな。



大学前駅、名前の由来はこちらの大学。

しばらく進んで、こんもりとした丘陵に入る


鬱蒼とした林の中に何やら施設が見える



これが、八日市飛行場の【掩体壕】

空襲対策として小型飛行機を避難させるために造られた。
警報が鳴ると飛行場からみんなで押してここまで隠しに来た。
米軍機が立ち去ると再び工場へ押して格納したそうです。
これが、毎日繰り返されたというから、いやはやご苦労様ですな。


崩落が著しく危険なため現在は立入禁止。
遠くから姿を見るしかない。
間近で見たかっただけに残念無念。


マップ



掩体壕の目の前は田んぼが広がってる。
この向こうが沖野ヶ原と呼ばれ、飛行場があったそうです。


太郎坊の山を見てます。

午後に行きます。

ちなみに、
米原駅の近くの岩脇(いおぎ)地区には空爆対策として機関車を格納した避難壕が現在も残っていて、内部を見学することができます。

このような戦争遺産が、史跡として指定されずに次々に消滅してます。

これでいいのだろうか?



来月に延期されてた「ご当地キャラ博」、
残念ながら今年は中止となりました。

このイベントは数億円規模の地域振興効果があるだけに
困ったもんだニャー!

コロナめ!

馬《●▲●》助ヒヒーン♪